第三話 闘志
森岡 義之は蝶野の事が気に食わなかった。
最初から気に食わなかったわけではない。
中学の頃はそれこそ何度も家に遊びに行ったり、二人でゲームをして遊んだりと色々やっていた。
だが中学3年になる頃、森岡は蝶野に対して苛立ちどころか怒りの矛先を向けるようになった出来事が起こる。
そのことの発端というのは、二人が学校の帰り道、進路について話し合っていた時だ。
「蝶野、お前は将来どうすんの?」
「ぼくは……特に何も考えてない、かな」
まっすぐ帰る予定だったが、話が盛り上がった二人は太陽が沈みかけている公園のベンチに座る。
夏も終わりをつげ、涼しい秋風が囁き、夕空に向かってカラスが飛び去って行った。
公園で遊んでいた子供たちはそれぞれの家に帰ってしまい、公園には蝶野と森岡が二人きり。
「モリオは将来どうするの?」
「俺は高校卒業したら親父の跡継ぎになる。親父の手伝いで家支えねぇとだからな」
森岡の家は魚屋だった。
1990年代から2000年代前半まではまだ見かけていただろう、個人経営の小さな魚屋。
現代(2022)となっては東京ではあまり見かけなくなったが、そのころは個人で魚屋を経営している場所がまだあったのだ。
森岡は父の魚屋の手伝いをする将来を夢として見ていなかった。
もっと他にやりたい事がたくさんある中で、歩まなければならないレールの上を歩いている事に悲しみを感じていた。
高校に上がってからは、部活も行けなくなるだろう。
友達と一緒に遊ぶ時間も減っていく……蝶野と一緒に遊ぶ時間が……。
その寂しさを、蝶野に分かってほしかった。
「そっか……モリオは良いな」
「なにが?」
蝶野はなぜ、自分が森岡にイジメられるようになったのか気づいているのだろうか。
この何気ない、何も知らない蝶野の言葉が森岡の怒りに触れたのだ。
「将来が決まってるって、不安がなさそうで……ぼくなんか、本当になにも見つからないんだよね。出来る事も少なくて……」
逆である。
それが例えば望んでいる将来ならば、森岡も喜んでいたところだ。
森岡は蝶野に嘆きを聞いてほしかったというのもあったが、まさかここでそんな風に言われるとは……そんな悲しい気持ちと、怒りで森岡は蝶野をこの時初めて殴った。
「何も分からねぇクセに、決まった人生が良いとか言ってんじゃねぇ!!」
「え、も、モリオ……」
「お前とは、もう友達じゃねぇ!」
この日を境に、森岡は蝶野を敵視するようになってしまったのだ。
(思えば、アイツの口癖は「ぼくなんか」「モリオは良いな」だ……。努力してねぇヤツの言い訳だ!)
魚屋の手伝いをしながら、高校2年の今現在。
森岡はそれでも、いつか自分がやりたい事に向けて絶対に夢を諦めないと心を燃やしていた。
***
「お兄ちゃん、今日はお出かけするの?」
「ん?ああ、ちょっと友達の勉強会に誘われてな」
日曜日の朝、力石 和也は休日だと言うのにも関わらず白いワイシャツに、学校規定のネクタイを首に巻き、カバンを片手に家を出ようと急いだ。
そんな後ろ姿を妹に見つかり、足を止められたが時間にはまだ余裕がある。
彼は待ち合わせ時間は30分前集合の男。
玄関先まで見送りに来る小学生の妹と同じ目線にまでしゃがみ、力石はその小さな頭を撫でた。
「夕方には戻って来るから、父さんと母さんの言うことをちゃんと聞くんだぞ」
「うん!行ってらっしゃい!」
仲のいい妹に見送られ、力石は家を出る。
自宅から出て数メートル先には公園。
周囲を見渡し、そそくさと公園の公衆トイレへ向かうと力石は"勉強道具"を入れてるはずのカバンの中を開ける。
中に入っていたのは、黒く深めのキャップ。
七三分けにした整った髪の毛をクシャクシャにし、いつもかけている丸眼鏡を外して眼鏡ケースの中へ。
目の中にはあらかじめコンタクトレンズが入っている……かなり用意周到だ。
「よし、これで大丈夫」
そういうと、力石は自分の心臓の音が大きくなるのを感じながらトイレから顔を覗かせる。
家族には「友達と勉強会がある」と言っておきながら、目指す場所は親友宅ではない。
家族に嘘をつくのは初めての事でドキドキするが、それでも行きたい場所が彼にはあった。
ズボンのポケットにしまっていた紙を取り出すと、目的地の最寄り駅と住所、そして……ゲーセンの名前。
(ここに行けば……あの人に会える!)
家族に嘘をついた罪悪感はあるものの、力石はこれから行く場所に興奮を抑えられず心から叫びたい気分だった。
もしも誰か知り合いに見つかれば問題になるだろうが、そのために用意したのが深めの帽子とコンタクトレンズだ。
人は案外、いつも姿を見ているとは言え髪型も服装も、いつも身に着けているアイテムがなかったりするとすぐに知り合いだと気が付かないものである。
(怖がる事はない、行こう!)
力石は腕時計の時間を確認し、最寄りの駅を目指した。
***
赤いチェックのワイシャツの下に覗く黒のTシャツに十字のペンダント。
ダメージ加工したネイビーのジーパン、いつも通りセットされたツンツンの茶髪。
待ち合わせの駐車場に赴いた彗は、ナルミツの周囲を取り囲む女の子たちの姿を見て愕然としていた。
平日だというのにも関わらず学生服で遊びに出かけている女子高生をナンパしてやがるのだ。
「キミ達これからカラオケなの?いいなぁ~お兄さんも用事がなかったら行けるのになぁ~」
「え~お兄さん何歌うのぉ~?」
「ラル〇とかグレーかな」
「超ヤバぁい!」
流行りの曲の事でも話してるのか、その会話を遠巻きで見る彗。
すると会話の途中、こちらに向けて痛い視線を浴びせる彗に気が付いたナルミツは彗に向かって大きく手を振る。
「彗ちゃ~ん!待ってた待ってた!」
「どこの口が言うか、この女好きのチャラ男が!」という言葉が彗の喉から出かかっていたが、黙殺し、彗はナルミツ達を素通りして行った。
「え?彼女?」
「あはは、違う違う!アイツ男だし」
そういうとナルミツは椅子変わりに腰かけてたバイクから降り、バイクを押して彗の方へ駆け寄りつつ女子高生たちに「そこのゲーセンによく遊びに行くから、今度来てね!」と言うとその場を後にした。
「ごめんって!」
「いや、別に良いですけど」
低い声で返事する彗に、ナルミツはそれ以上詫びるワケでもない。
「ほら!」
「!」
言うと、ナルミツはヘルメットを彗に渡してバイクに跨る。
「行くよ」
「……」
どこに出かけるのか、さっきまでの光景だと今からカラオケに行きそうな勢いではあるが彼らが目指すのは二駅先にあるゲーセンだ。
大会前だというのにも関わらずリラックスしすぎだろう、と言いたいところだがアレがナルミツのスタイル。
いつも通りと言えばいつも通りなのだろうが、なんだか腹が立つ。
(この人が師匠で本当に良かったのか……)
と内心疑念を抱くものの、ナルミツは強かった。
彗はいつも深く被っている帽子を外し、ヘルメットを被ろうとするとそれをナルミツが止めた。
「う~ん」
「なんですか?」
「確かにこうやって見ると女の子に見えるなぁって思って」
これから大会を見に行く予定がなければ今頃ナルミツの鷲っ鼻をひん曲げ、バイクの腹を横から蹴っ飛ばしているところである。
デカい溜め息をつく彗。
呆れたというよりも、怒りを吐き出すために吐いた溜め息だ。
そんな彗を気楽な笑い声で見るナルミツ。
(この男、絶対格ゲーでボコボコにしてやる)
彗の闘争心を掻き立てるには十分な理由だった。
「ほら、乗って」というナルミツの後ろに跨ると、実は生まれて初めての二ケツに怒りは和らいでいく。
後ろからナルミツの腹に腕を回すとナルミツはバイクを発進させた。
気持ちのいい風が頬を撫でる。
「今日の大会は、俺が勝つよ」
「女の子達ナンパして、随分余裕そうでしたもんね」
「俺ぐらいになるとモテちゃうからさぁ~」
機嫌が良さそうに喋るナルミツ。
その後ろで殺意を沸かせる彗には気が付いてるわけもない。
「一試合目でストレート負けしちまえ……」
ボソッと言う彗。
もちろん聞こえる声の大きさではないのでナルミツには届いていないが。
***
トムと待ち合わせ、会場に着いたチョウノは目新しい光景に打ち震えていた。
ホームのゲーセンとは違い、かなり広めなその場所には人がいつも以上に集まっていて、大会用の対戦台は奥に設置されていた。
本当にこれからゲーセンで大会が始まるのかと思うと嬉しくて仕方がない。
「どうだ?大会の空気は」
「もっと早く来ればよかった……」
ホームのゲーセンではないとはいえ、初めて味わう空気。
観戦を楽しみにする者、これから大会にでる者。
緊張感が違う。
「今日は小規模だけど、絶対に良い刺激になるよ」
そういうトムはいつも通りに振る舞ってはいるものの、緊張感が滲み出ていた。
それもそのはず、彼も大会出場者の一人なのだから。
「あ、あの……!」
「んー?」
「応援してるっす!今日は呼んでくれて、ありがとうございました!」
「はは」
チョウノが言うと、トムは彼の頭をポンポンと撫でて笑う。
「……」
一瞬、トムは何かを言おうとしていたがその後ろから来た人物がそれを止めた。
「ちょりぃ~っす」
「おー!エイちゃん ちょりっす~!」
月見 英二、プレイヤー名はエイジと呼ばれる彼は今大会の注目人物の一人だ。
トム達から話は聞いていた。
「ヒロと戦う前に、コイツに勝たないと決勝は無理。もしくは下手すれば決勝で当たるのがエイジの可能性もある」と。
クマやザキみたいに怖い顔をしているか、もしくはヒロのように寡黙的な人物かと思っていたが……そこら辺に居そうな普通の人だった事にチョウノは肩透かしを食らった気分だった。
「ソイツがトムの言ってた……チョウノくんだっけ??」
「そうそう!未来の強豪プレイヤーだよ!……ほら、チョウノ!」
「あっども、チョウノっす!その、全然強くないっすけど……」
「俺はエイジ!俺もこの大会に出場するんだ」
と言って手を差し出すエイジ。
「よ、よろしくお願いしゃっす!」
その手を握り返しながら腰低く挨拶を交わすチョウノに、エイジは「よろしく~!」と返す。
印象的には、友達の兄貴。という感じだった。
(どんなプレーをするんだろうか……)
挨拶を終えて何かを話すわけでもなく、エイジは思い出したかのように「あ!」と口を開いた。
「出場者収集掛かってんぞ!それでお前の姿見かけたからさぁ」
「マジか!悪ぃ悪ぃ!」
トムはそういうとチョウノに「行ってくるわ!ゆっくりしてけよ!」と言ってエイジに連れられ行ってしまった。
クマもザキも先ほどから姿を見掛けないと思ってはいたが、そういう事だ。
さてこれから一人きりになったところでどうしよう?と考えたものの、そもそも一人でこんな会場に来た経験もないのでチョウノは周りを落ち着かない様子で見まわる。
周囲には筐体に集まり、野試合をする者もいれば観戦しながらガヤを入れる者もいた。
そんな中、一人どうやって大会の開始まで過ごそう……といったところか。
知り合いもいるワケがなく、その場でポツンとするチョウノ。
「すみません、ちょっと……」
不意に横から話しかけられ、ビクッと振り向くと。
全く知らない男がチョウノに話しかけてきたのだ。
まさか対戦の申し込みか?とゴクリと喉を鳴らしたところ……。
「そこ、通りたいんですけど」
「あっすっ、すみません!」
ちょっと意気込んでしまった自分が死ぬほど恥ずかしくなり、チョウノは顔から火が吹き出そうになっていた。
頭を下げたまま顔を上げられなくなったチョウノは腕で自分の顔を隠すとゲーセンの隅へ逃げていく。
そして自販機を見つけるとジュースを買い、休憩所付近で時間になるまで休憩しようと財布から小銭を出した。
今日はどれぐらい対戦できるかわからないが、いつもより余分に両替したお陰で財布が重い。
「ふぅ……」
大会前に軽い野試合が行われているそうだが、緊張してそれどころではない。
買ったオレンジジュースを一口飲み込み、顔を上げると自分よりも年上っぽい人間から、同い年ぐらいの子も予想よりも来ている。
色んなゲーセンからホームを離れてくるわけだから、探せば学生の格ゲーマーなんて本当は珍しくはないのかもしれない。
思い返せば、彗だってそうだ。
あんな動きが出来るぐらいだから、相当な数ゲーセンに通って色んな人と対戦しているのだろう。
(……こうしちゃいられない!)
ビビッてる場合ではないのだ。
チョウノはオレンジジュースを一気飲みすると空き缶をごみ箱に捨て、自分の両頬を叩いた。
「よし!」
そんな事をしていると、またも見覚えのある人物。
かなり遠目だが、ナルミツはかなりの長身なのでわりと目立つのだ。
(そっか、ナルミツさんの名前も入ってたもんな)
なんらいる事に不自然はない。
それよりも、チョウノはナルミツの隣を歩く少年の姿に驚愕する。
「え……あれって……!?」
もうすぐ熱くなるというのに、紺色のパーカー。
パーカーから覗く黒いハイネック、同じ色の深い紺色の帽子。
間違いない、彗だ!
ナルミツの隣を彗は歩きながら、ナルミツにからかわれているのか帽子をいじられ、それを嫌がっている様子。
その二人の素振りを見るからに、どうやら彼らは知り合いらしい。
チョウノは急いでそこへ向かおうとするが、人混みが邪魔をして中々二人の元へ近寄れずにいた。
一頻りチョウノは「謝りマシーン」と化しながら人混みを掻き分けていき、どうにか彼らの方へと近づく。
ちょっと無理やりだったのか、ついにチョウノは知らない人間とぶつかってしまい、尻餅をついた。
「ご、ごめんなさい!」
ただし、ぶつかって尻餅をついたのは小柄なチョウノだけだった。
「……」
謝った先からは何も答えは返ってこない。
怒っているのだろうか、と恐る恐る顔を見てみると……。
「ひ、ヒロさん……!」
自分がずっと見たがっていた、ヒロである。
あまりにも色んな人を見掛けるので、チョウノは頭の処理が追いついていなかった。
「……誰だっけ?」
ヒロが言う。
それもそうだ。
チョウノからすれば強い憧れのような存在であっても、ヒロにとっては初対面なのだから知られているワケがない。
「すみません、ぼく、チョウノって言います!」
と、自己紹介をしつつエイジの言葉も思い出す。
「あっと、そのっ、なんか、大会に出る人が、呼ばれてました……よ?」
自己紹介からの"何を言ってるんだぼくは?"状態である。
が、ヒロは短く「ああ、そう」とだけ言うとチョウノの指さす方向へ去ってしまった。
初めての会話だと言うのにも関わらずあまりにも淡白。
冷たい……とは違う。
たぶん、興味がないのだ。
それもそう……ヒロのことを知ってる人はこの会場に沢山いる。
彼が通るだけでそれを見掛けた人間たちは注目し、噂をするぐらいだ。
自分はまだ、認識してもらえるレベルにさえ到達してない。
とはいえ多少ガッカリとしたのも事実ではあった。
大会が始まる頃、会場はすっかり熱気に包まれていた。
ホームのゲーセンとは違って大会用のステージが用意してあり、対戦台の奥にスクリーンが配置されている。
そこにゲーム画面が現れるのだろうが、その光景にチョウノは"あそこで対戦する"ということの凄さに感心していた。
「はへぇ~、随分金かけてんなぁ~」
「……?」
隣で独り言を呟くのは、後で知り合うのだが野島と言う。
彼は大会に出ても申し分ない実力者なのだが、今大会には予選がある。
各ゲーセンからそれぞれエントリーし、そこで対戦を行い勝ち進んだ者がこの大会に出られるのであった。
「野島もなぁ~!あそこで出てりゃヒーローと再戦出来たのになぁ~!」
「うっ……」
言われた野島は口角を引きつらせる。
「そもそもトーナメントで一番最初にブチ当たったのがヒーローだったから、しゃあねえっちゃしゃあねえんだろうけど」
「う、うるせぇな……」
(そっか、誰もがこの大会に出られるわけじゃないんだもんな……)
そんな会話を聞いている時だった。
会場が暗転し、周囲の熱気が一気に上がっていく。
≪さぁ、今回もやって参りました!各ゲーセンから集まって来た強者が勢揃い、果たして誰が優勝するのか!?G-BOX格ゲー大会、開催ぃいいい!!!≫
熱いアナウンスと同時に会場の熱がピークに達する。
(トムさん、クマさん、クロウさん……そして……ヒロさん)
顔見知り、特にトムやクマに関してはずっと世話になっている人間だが大会で優勝するのはたった一人。
「野島は誰が優勝すると思う?」
「え~?一番はヒロだろぉ。ここの会場の奴らもほとんどはヒロ目当てで来るヤツも多い。それに、出場してるヤツもヒロに勝ちたくて来てるだろうよ」
「ま、それだけ注目すべきプレイヤーだって事だもんな」
(やっぱり、強いんだ……)
「プレーにムラはあるけど、最近は力をグッと伸ばしてるトムも良さそうだけどな。実力は絶対にあるし」
という男に対して。
「ああ、だがそのムラを制御出来ねぇと今日のメンツじゃキツい。特に……」
と言って野島はトーナメント表を指さす。
「一試合目は藤倉だ。アイツも色んなゲーセンで最近力を伸ばし始めた強豪だからな。しっかり対策してねぇと、生半可なプレーじゃ勝てねぇ」
初めて聞く名前。
どんな強さを持ち合わせている相手なのか知る由もない。
テレビで よくサッカーや野球の試合を中継していて、父親がスポーツ好きな性格もあってかいつも熱心に応援している。
その姿を目にしてはいたが、そういった試合には一切の興味を持った事もなければどこかのチーム、誰かに勝ってほしいと必死になった事なんて無い。
チョウノは自分の手をギュっと握り、対戦台に座るトムを遠巻きで見つめながらが心からトムに勝ってほしいと願った。
≪それでは第一試合の選手、入場してください!≫
司会のアナウンスと同時にトムと藤倉が入場し、舞台の中央に設置された筐体にお互いが向い合せになって座る。
(トムさん……)
チョウノにとってトムの存在は友達以上のものだ。
そもそもがゲーセンと言う場所が特別になったのはトムが話しかけてくれたというのが大きい。
もしもあそこで出会っていなければ、今こうしてこの場に来ていないのだ。
(勝ってくれ~~~~っ!)
***
会場の熱気を浴びながら、彗は対戦者の一人に注目した。
(あの人、どっかで見たことあるな……)
顔は朧気にしか覚えていないのと、会った場所が思い出せない。
しかし年ごろの違う男の顔を見たことがある、と言えば十中八九ゲーセンである事は間違いない。
(対戦した人……なわけないか。大会に出るぐらいだったら強いし、そんな強い人の顔を忘れるワケがない)
対戦者が待機する場所を見ると、こちらに向かって手を振るナルミツの姿。
そんな姿を見ながら彗は「おいおい」と声を上げそうになる。
「ナルミツのやつ、誰に手ぇ振ってんだ??」
ナルミツがどこの誰に手を振っているのか、観戦者達は分からないだろうが彗は自分に向かって振られている事を察して咄嗟に帽子のツバを下げた。
緊張感が漂う会場の中だというのに、お気楽すぎて逆に関心するべきか。
(もっと緊張感持てよ)
ナルミツのプレーは好戦的で、しかし相手のプレーを捌き切る冷静さも持っていて手の内がまだまだ見えてこない。
実力があるのは確かであり、でないと大会などに出場していないだろう。
「!」
不意にケータイが震えだす。
ナルミツに持たされた携帯なのだが、使い方がよくわからず(携帯が普及を始めたにも関わらずポケベル慣れしてるせい)内心慌てふためいた。
画面を見るとメール新着1件と表示されている。
(えーっと……どうするんだっけ)
ボタンを操作すると、メールの送信者はナルミツだった。
『師匠が華麗なる勝利を収めるんだから、ちゃんと応援しろよ~』
その文字を見た瞬間、借りた携帯と言えど地面に叩き落として踏みつけたい衝動が走ったもののなんとか堪え、返信もせずにナルミツを睨みつける。
それに気が付いたナルミツは小さく含み笑いをしていた。
ナルミツの隣でその様子をジロリと見るクロウ。
「……おい」
コソッと声を掛けるクロウの声色には若干、彼を咎める雰囲気があった。
ナルミツは「すんません」と会釈するも、まだ笑顔が隠し切れていない。
「弟子が見てんだろ?カッコ悪い負け方出来ねぇし、他の奴ら真剣なんだから注意しろよな」
「はい」
素直に返事をするナルミツだが、頑張って口角が上がらないように気を付けてはいるんだろう。
顔が変な引きつり方をしている。
「ったく……」
≪それでは第一試合、両選手の準備が整ったところで……スタートします!≫
***
第一試合。
トムが選んだのは、いつも使っているキャラだった。
対する藤倉の選ぶキャラは、これまたトムと同じキャラである。
(同キャラか……)
トムは静かに画面を見つめた。
格ゲーをする上でキャラが被る事はよくある事だが、この当時はつい最近まで同キャラの使用が不可能だった。
同キャラが使えるようになって一年ほど。
まだ同キャラが使用できるようになって歴史が浅い。
そんな中での最初の対戦カードに、会場はどんな試合になるのかざわめく。
(大丈夫、そのための対策は打って来た)
対戦においてムラがあるとは言え、トムは決して練習をしていないワケではない。
ゲーセンに毎日通っては仲間内と同キャラ対策をすでに打っている。
きっと相手も同じ事だろう。
(俺の腹の内、見せてやる……!けど、アンタの腹の内も全部暴き出してやるぜ!)
― ROUND1 READY...FIGHT! ―
≪さぁ、第一試合が始まりました!1P側トム選手、そして2P側が藤倉選手です!≫
司会の声と、歓声。
普段のゲーセンでは聞く事のない人々の声。
チョウノはスクリーンの映像を見つめる。
「まずはお互いに様子見か」
チョウノの隣で野島がつぶやいた瞬間。
「--いやっ!?」
弾持ちの同キャラ戦。
弾撃ち戦になるかと思いきや飛び込んで来たのは藤倉だった。
相手が弾撃ちをしてくると踏んでの飛び込み。
いきなり上から飛んできた藤倉に対して、さらにトムは……。
「博打だぁああああ!!!!」
突然野島が叫ぶものなのでチョウノは驚くものの、それ以上にトムの対応にチョウノも叫びたくなるぐらいびっくりしていた。
トムは開幕、突然ぶっ放し(※相手に攻撃が確実にヒットするのを確認せず、隙の大きい技……昇竜や超必殺技を繰り出す事)を決め込んだのである。
相手が弾撃ちで敢えて飛んでくる事を信じていたのか……それにしてもハイリスクな試合の開始だった。
(トムさん、そんな事する人だっけ!?)
チョウノは近くで彼を見ていたから分かるが、普段は割と慎重にプレーをするタイプだ。
というか、チョウノよりも何度かトムと対戦のした事があるプレイヤーが理解していたハズだった。
舞台の隅で二人の試合を見守るクマも「なにやってんだアイツ!?」と一声。
ナルミツは「俺でもやらねぇよあんな事……」と言いつつ、それを見て喜んでいる様子である。
「!」
クマは会場に来ているであろうチョウノの姿を見つけると、チョウノが心配そうにこちらを見ていたのに気が付いた。
チョウノの顔に「大丈夫なんですか?」と書いてある。
(それは俺でも分からん)
と首を振って返した。
そんなやり取りが行われている最中でも試合は続いている。
奇襲を仕掛けてぶっ放しでやられた藤倉だったが、それを予測していないワケではなかった。
すぐに体制を立て直すと、すでにトムは藤倉に飛び込み圏内のギリギリの位置から弾を撃ちこみ画面端近くまで(文字通りそれ以上後ろに下がれない画面の端)に藤倉を留めさせる。
「いきなりのぶっぱにはビックリしたけど、いきなり画面端に追いやれたな」
と、クロウは呟くが険しい表情。
「でももう藤倉にぶっ放は効かない」
クロウの隣で彼らの対戦を見るナルミツが言う。
起き上がった藤倉は冷静に弾をガードし、タイミングを見計らうと同じく弾で応戦を始めた。
弾の撃ち合いだ。
「相手もすぐ対処してくる」
二人の操るキャラからとめどなく弾丸が放たれる画面。
だが長くは続かないだろう。
制限時間があるからだ。
最初に一撃をもらった藤倉は画面の端でトムと撃ち合いをしながら、間合いを見てトムの繰り出した弾丸を避けて近づくと同時に中央に戻ろうと応戦する。
しかしトムにはまだ遠い。
二回目の飛び……ただの飛びではなく、特定の必殺技を用いて飛んでいた。
無敵判定(特定の技などを使って、普段は攻撃が当たってしまう部分の判定が消え無敵になる事)のある技を使って一瞬のうちに画面中央にいるトムに近づく。
(うわっ良いタイミング!)
思わずチョウノは微動し、その後も繰り返される攻防に息を飲むばかり。
一瞬で間合いを詰めてきた藤倉に、トムはと言うと冷静だ。
振り幅が大きく素早い通常攻撃で藤倉を画面の端に戻そうと繰り出すが、今度は藤倉は仕掛ける。
「うおー!昇竜!」
地面に着地した瞬間、きっとトムが攻撃を振って近づいて来れないようにするだろうと藤倉は読んでいた。
そこを読んで、今度は逆に藤倉がトムに向けてぶっ放したのだ。
お互いが中央に並ぶと、近い場所から距離を見計らって弾や通常攻撃でぶつかっていく。
(トムさん……トムさぁあんっ!)
《ウーアー!ウーアー!ウーアー……》
キャラが倒れる。
一戦目を先取したのはトムだ。
やはり最初に画面端に追いやり、相手にプレッシャーをかけたのが効いたのかあれから藤倉がぶっ放しや下手な飛び込みをしてこなかったのだ。
「ういぃいいトムゥッ!」
「トムさぁあんっ!」
野島達に続き、思わず声を上げるチョウノ。
「ん?お前、トムの友達?」
「えっあのっ、友達というか……お兄さんみたいな……なんか、すみません……はい」
ペコペコと頭を下げながら言うチョウノに、野島とその隣で話していた男 玉簾 良英【プレイヤーネーム=ヒデヨシ】が目を丸くしてこちらを覗いた。
「同じホーム?」
「あ、はい!」
「なんだそうか!」
と言う野島とその隣のヒデヨシは軽い自己紹介をする。
「俺らはトムとはそこそこ古い付き合いだよ!アイツは元々俺らのいるホームでやってたんだ」
「そうなんですか?」
話始めようとしていた野島とチョウノを止めたのはヒデヨシだ。
「2ラウンド目が始まるぞ!」
その声に二人はすぐさま画面を確認する。
さっきの勢いはどうしたのか、トムはいつの間にか画面端に追い詰められ藤倉の猛攻を防いでいるところだ。
「ヤバい!藤倉の動きにキレが出てきた!」
「トムがんばれ!押し返せ!」
二人の声と、周囲の声が重なり合う。
藤倉がまるで別人にでもなったかのような動きにトムを応援する者と、藤倉を応援する者の声が交じり合っていた。
(すごい……これが、大会!)
2ラウンド目は藤倉の一方的な攻撃に圧され、トムはそれを捌けず負けてしまう。
次が3ラウンド目。
ここで負ければトムは一回戦目敗退となり、次の試合で勝った者と藤倉が戦う事になるのだ。
「トムさん……トムさん……っ!」
祈るように呟くチョウノ。
そんな中、聞いたことのある怒声が耳に届く。
「どうしたトムー!!次の試合で俺と対戦する約束だろー!!」
その声は、次の試合に出場するクマだった。
周囲の声にクマの声はチョウノがわずかに認識出来たほどだがトムには届いていたようで、一瞬でも藤倉との試合にトムの心の中に悪い雲行きが現れたところをクマの声がそれを吹き飛ばした。
第3ラウンド。
先ほどと同じように、藤倉は一気に勝負をつける気だがトムは「絶対ぇにそうさせるか!」と言わんばかりに向かっていく。
同じキャラによる技のぶつかり合い。
トムの動きは、2ラウンド目から立て直したようでキレが戻っている。
時間ギリギリの接戦。
藤倉の引き続きの猛攻撃に対し、トムは先ほどよりも冷静に対処していく。
早い展開で試合を終わらせたかった藤倉に対し、長期戦へと持ち込んだのは正解だったようだ。
第一試合を制したのはトムだった。
「よっしゃあ!まずは一試合目ぇ!」
喜ぶトムの後ろ姿に向かってどついたのは待機場所で試合を見ていたクマ。
「バッキャロー!危なっかしい試合しやがって、なぁーにがよっしゃあ!だ!!」
とは言ってはいるものの、クマは満面の笑みを浮かべていた。
同じくトムの試合を見守っていたチョウノ達もホッと胸を撫でおろし、拍手を浴びせる。
次の試合でクマが勝てば、トムと当たる事になり同じホーム同士の戦いだ。
どちらもチョウノが慕っている先輩であり、どっちかを応援するかなんて出来ない。
ここは戦いの場で、優勝者は一人。
なら、二人の戦いを全力で応援する事が今チョウノが出来る最善。
「おい、次の試合……」
会場の客が興奮に声を上げた。
ゲーセンの会場が、まるで一つのスタジアムになったような歓声。
待機場所で客の盛り上がりを肌に受けながら、ナルミツはいつものヘラヘラした顔で言った。
「まさか一年前に俺に向かってナメたプレーしたヤツがトーナメントに勝ちあがって来るとは思わなかったわ~」
一年前、チョウノがたまたま二回目に訪れたゲーセンでの出来事。
ナルミツは彼に対して「弱い」と言っていたが、あれからずっとゲームに打ち込んでいたのだろう。
でなければ大会に出場なんてありえないのだから。
「でもまぁ、ちょっとやそっと成長したぐらいじゃ"アイツ"に勝つのは不可能だよねぇ」
隣で待機するクロウに、ナルミツは言う。
いつものニヤけた顔に、しかし目の奥で紛れもない闘志が光っており、クロウはそんなナルミツを見据えながら鼻で笑った。
「お前も油断してると足元救われるぞ」
と言い返したものの、クロウも闘争心がグツグツ煮えたぎっている。
ナルミツはこの大会だけではなく、色んな大会で優勝経験を持つ強豪の一人だ。
それはクロウとて同じではあるが……ナルミツはそんな事など全く問題ないと思っている。
「兄貴ぃ、残念ながら今日の大会の決勝でアイツと当たるのは俺っすよ?……んでもって、優勝するのは俺っすから」
第二試合が始まる。
クマの対戦台の向こう側には……ヒーロー!
つづく