第二話 本気
蝶野 健吾は勉強が苦手だ。
好きな科目や得意科目と聞かれてもパッと浮かぶものもないほど。
なんなら勉強自体が苦手で、いつも成績は下の下。
同じクラスの生徒たちには入学してから半年で蝶野の勉強の出来なさ加減が知れ渡り、馬鹿にされてしまうほど。
最初は苦痛でしかなかったが、最近になって学校の外での楽しみが増えたお陰であまり気にならなくなってきた。
それがゲーセンの存在である。
耳や鼻にピアスを開けた人間、髪の毛を金髪にしたヤツなんて珍しくない。
顔に傷跡をつけたヤのつく職業っぽい人間もいれば、と色々だ。
高校1年生になってゲーセンデビューを果たして、だいぶ人付き合いの幅が広がったような気がする。
2年の今となってはゲーセン客の常連の一人となっていて、顔を合わせれば軽く挨拶を交わすぐらいにもなっていた。
ゲーセンに行かなければ一生お世話にならなかったであろう者たちだ。
そんな存在がいる場へ行くことの楽しみが蝶野を明るくさせていた。
「最近楽しそうじゃねぇか、蝶野」
「も、森岡くん……」
ゲーセンに行ってからは出来るだけ関わらないようにしていた森岡に急に呼び出された昼休み。
高校に入学してパシリにされ、暴力を振るわれていたのだが近くの生徒が発見し、先生を呼びつけてからはそういった事がなかったのだが……久しぶりの呼び出しに蝶野は背中から冷や汗が流れていた。
夏の近づく昼下がり、蝶野だけが汗でビショビショになっているようだ。
屋上に吹き付ける風と昼休みを楽しむ生徒の声が遠くから聞こえる。
「俺と関わらなくなってからか?楽しいのは。調子乗ってんの?」
「そういう、ワケじゃ……」
それもあるが、ゲーセンに行くようになった。だなんて口が裂けても言えるワケがない。
しどろもどろとする蝶野の様子に、森岡は睨みつける。
「とりあえずパン買ってこいよ。財布忘れたんだわ」
かなり勝手で理不尽。
とはいえずっとこれで中学時代を過ごしていたわけで、蝶野は「暴力を振るわれるよりはマシ」だと思っていた。
が。
「ご、ごめん……ぼくもあんまりお金、なくてさ……」
あると言えばあるが、ゲーセンに行くための大切な資金だ。
それを森岡のパシリ代で使いたくない。
「は?断ンの?」
小柄な蝶野に詰め寄る森岡に、蝶野は違和感を覚える。
(……あれ?)
「お前に断る権利あると思ってンの?身体に教え込んだ事忘れちゃった?」
と凄む森岡だが、蝶野はそんな森岡に対して……恐怖心がなかった。
「何見てんだよ!」
すると森岡は蝶野の胸倉を掴み、彼を地面から引きはがした。
暴力を振るわれる事は確かに怖いし、痛いから嫌である。
だが、それよりも……。
(ゲーセンのクマさんとか、ザキさんの方が怖いかな……)
森岡よりも大きな大人たちが集まる中でずっと過ごしてきた蝶野は、森岡の脅しや暴力がまだ可愛いモノだと思ってしまった。(怖いが)
つい二日前も、ゲーセンでリアルファイトが繰り広げられていたのを見ていたが。
ゲームで本気になって殴り合いをする大人たちが、蝶野の視点からだとどれぐらい怖いか……森岡は知らない。
***
「え?!お前学校でイジメられてんの!?」
その二日前の事だった。
トムやクマ、ザキと呼ばれる江崎 正孝とゲームの休憩中、セブンティーンアイスを奢ってもらいながらチョウノは学校の事を三人に初めて話した。
ゲームをする中であまり個人の話はしないのだが、その日はたまたま時間があった。
「えと、今は……避けてるんで何もされてないですけど」
「なんだよソイツ!ちょっと呼び出せよ!」
そう言ったのは、おそらくこのゲーセンで一番の強面のクマである。
1年ほどの付き合いになるが、今でもその迫力に圧されるぐらいまだ慣れない。
確かにクマの前に突き出しても良いところではあるが……。
「いや、もしその子が……ぼくがここに来てる事を知ったら、多分先生にチクると思うんで」
「そうかぁ……学生はそういうところが大変だもんな」
というクマに対して。
「クマ学校行ってなかったじゃん」
と、ザキが一言。
「なんだと~??」
そんなザキに、しかしクマは微塵も怒った素振りもなくザキの肩に腕を回すと羽交い絞めにしてじゃれ合う。
「あだだだだだだ!」
「おい~じゃれんなよ~、クマさんとザキさん怖い顔してンだからリアルファイトと勘違いして店長に追い出されますよ?」
「あはは」
彼らのやり取りを見ながら、笑う蝶野の姿は学校では見せない素の彼そのものだった。
学校では友達らしい友達はあまりいないチョウノにとって、この場所は自分が気を許している……そして、そんな自分を受け入れてくれる者達がいるから……。
突如。
休憩所から離れた場所で何かがぶつかるような大きな音が聞こえ、それと同時に複数人のざわめきが耳に入る。
「うお!?本当にリアルファイト始まった!」
「ん?あっちの島か(※同じゲームをいくつか並べているゲーセンには各々のゲームの島がある)」
クマはザキを放り投げ、トムと一緒に音の聞こえる方へ向かう。
一人になりたくなかったチョウノも彼らの後を追い、クマに羽交い絞めにされてフラフラになりつつも、それにザキが続いた。
「今テメー死体蹴りしたろ!」
どうやら、相手が死体蹴りをした事で不良っぽい青年がリーマン相手に怒っているようだった。
襟首を掴まれ、壁際まで追い詰められているリーマンはうんともすんとも言わない。
死体蹴りとはそのままの意味で、勝負あって倒れる相手のキャラに対して攻撃をする行為の事だ。
格ゲーの中ではそれが出来るゲームがあり、相手に寄ってはリアルファイトになりかねない禁止行為である。
「おいおい、やめろよ。どっちも追い出されるぞ」
彼らの周りを呆然と立ち尽くす者達をかき分け、クマが二人の間に割り込む。
「クマ!コイツ死体蹴りしやがったんだよ!ナメた真似してくれやがって!」
「いいからちょっと放せって」
クマはそのガタイを生かし、胸倉を掴まれたまま黙っているリーマンから不良を引きはがした。
「アンタ、本当に死体蹴りしたの?」
「……いや、たまたま……」
クマの威圧感に圧されてか、リーマン男は二人から視線を外して答える。
「ぁあ!?二回目だろうが!たまたま二回も同じことが起きるってのか!?」
また掴みかかろうとする不良に、後から駆け付けたザキがさらに仲裁に入った。
「まー、落ち着けって。本当にたまたまだったのか見てねぇから分からねぇけど……死体蹴りすんなら相手を選ぶべきだったなな、おっさん」
普通、ゲームをやっていて対戦相手に腹を立てて暴力を振るう方が一般的に見て悪いのだが、ゲーセンの中ではゲーセンのルールが存在する。
明らかに不良っぽい者や、喧嘩っ早そうな人間に対して「煽り」「死体蹴り」といった行為をする方が悪い。
ゲーセンは、言ってしまえば世間の一般常識からちょっと外れたなのだ。
その後、どうやってその話を解決させたのかは不明。
なぜならチョウノは大人の喧嘩が怖くてそこから遠くに離れて隠れて見る事しか出来ていないのだから。
後になってトム達に見つかり、からかわれてしまった(そもそもチョウノには全く関係のない出来事だが)
***
そんな二日前の事を思い出していた蝶野は言った。
「ぼ、ぼくは、森岡くんに対して何もしてないだろ……?」
「なに?」
「ぼくはキミに対して暴力を振るった事は一度もない!これ以上やるなら先生に……」
言いかけたところで、森岡はもう握った拳を蝶野にぶつけようと振り上げていた。
どんなに何を言ったとしても、やはり拳は怖い。
(ゲームだったら負けないのに……!)
思いっきり目を瞑ったところで、だがいつもの痛みが蝶野に直撃する事はなかった。
なぜなら森岡は蝶野を放し、ただ一言「行けよ」と言ったのだ。
「え……?」
きょとんとする蝶野の後ろから、すぐに生徒の気配。
「なにしてるの?」
長い茶髪を伸ばし、高校生にしては綺麗なメイクを施された今風の女子生徒。
片手に持ったジュースのストローを口にくわえ、訝し気な目でこちらの様子を見る。
名前は確か……。
「あ……天海さん」
天海 薫
隣のクラスの生徒だった。
「えと、ううん。ちょっと話してただけだよ」
蝶野が言うと、森岡は蝶野を押しのけて入口からやってきた天海の横を素通りして去っていく。
ホッと胸を撫でおろす蝶野に、天海は「先生に言っておこっか?」というが蝶野はそれを断った。
「別に、なにもされてないし」
「そっか」
天海は屋上に入り込むとその場で座り込み、学食で買ったパンを一口。
屋上にはあまり用事がないものなので、ここで休憩を取る生徒がいる事に驚いていた。
屋上は基本的に立ち入り禁止となっており、森岡が入学早々に屋上への鍵が壊れている事に気が付き、しばらくはここでパシリにされていたので他の生徒が近づいたりしないだろうと思っていたからだ。
だから、助けてくれる人がいなかったのだが……。
「なに見てんの?」
「え、あ……ごめん」
蝶野は天海に会釈をすると、屋上を出ようと踵を返す。
「まだいるかもしれないよ、今出ていくのはやめとけば?」
そんな蝶野を、天海は学食のパンを口にしながら呼び止める。
「でも、ほら、お昼まだ取ってないし……」
「ん」
そういう蝶野に、天海はいくつか持っていたパンの一つを蝶野に投げ渡す。
「もうちょっと時間あるし、少し様子みてからにすれば?どうせ私、まだここにいるし」
「でも、いいの?天海さんの昼食が……」
「あとでパン代返してもらうから、別にいーよ」
「な、なるほど」
「じょーだんだよ」
蝶野は天海の座る場所より多少離れたところで座り込むと、もらったパンを食べ始めた。
「蝶野くんさ、最近楽しそうだね」
森岡にも言われたが、周りから見て自分はそういう風にみられているのか……。
相変わらず勉強や運動が苦手で、友達付き合いの少ない自分が楽しそうに見えるなんて。
「天海さんクラス違うのに……なんで分かるの?」
「私、塾で割と早く帰るんだけど、急いで帰る蝶野くんを最近よく見かけるんだよね」
「そっか……」
そういう風にみられているのがちょっと気恥ずかしく、でも自分が楽しそうと言われる事が嬉しくて蝶野は笑顔を溢しそうになったのを堪えるようにして俯く。
「誰にも言わないでほしいんだけどさ」
あっという間に平らげたパンの袋をクシャクシャにしながら、蝶野は「天海さん、口堅そうだから言うけど……」と言って立ち上がった。
「ぼく、ゲーセンに行ってるんだよね」
「え!?」
何度も言っているが、ゲーセンは基本的に学生が近づいてはいけないと言われ続けている。
そんな場所に、大人しそうな蝶野が楽しそうに行っている事が意外だったのか、天海はジュースを思わず吹き出しそうになっていた。
「あっでも、違うんだ!その……先生達はダメって言ってるけど、良い人たちばっかりでさ……ほら、ぼく、友達少ないし……なんか、その、すごく楽しいし、充実してるんだよね。学校とか、友達と遊びに行くよりも、ずっと」
「……」
「ごめん、なんか……いきなりこんな話」
正直、天海とまともに話した事なんてない。
そもそも人と話す勇気自体、ついこの間まで持てなかったぐらいだ。
今もまだ初めての人と話す事に多少の勇気が必要なのだが、蝶野は何となく天海と話す事に自然体となれていた。
「いいよ、むしろそんな大事な秘密」
「うん……おかしいよね、なんか、天海さんと……ちゃんと話すの初めてなのに、なんか喋りたくなっちゃって」
「森岡から助けられたせい?」
「えっ?あ……そうかも」
ころころと笑う蝶野に、天海は溜め息で返事をする。
「あのさぁ、ゲーセンに行くのは勝手だけど私みたいにお口が堅いヤツばっかじゃないから気を付けなよ。もちろんチクる気なんてないけど、呼び出されたり見張られたりしたら面倒臭い事になるでしょ」
そういうと、今まで普通に話してくれていたはずの天海はどっか不機嫌になったように立ち上がると屋上から立ち去ってしまった。
風になびく茶髪が揺れる後ろ姿を見送りながら、蝶野はしばらくした後……その場で仰向けになって倒れこんだ。
「やっちゃったぁ……」
***
ゲーセンに戻ると、チョウノの周りを取り囲んでいた先輩たちがその話を聞いて爆笑していた。
「えー!?女の子ナンパして失敗したのチョウノ!?」
「ち、違うっすよ!じゃなくて、なんか、ちょっと、話しかけてみたくなっちゃって……」
「ばぁーか!それをナンパと言わずしてなんて言うんだよ!」
トム、クマ、ザキの三人は嬉しそうにゲラゲラと笑いながらチョウノを茶化す。
「じゃあさ、じゃあさ、今度の日曜日の大会に誘ってみる!?」
と言ったのはザキだった。
金髪の刈り上げに、Vネックの黒いシャツを着たガチガチのガテン系みたいな風貌をしておいて職業はパン屋である。
「お前見たら女の子も怖がって帰っちまうよ!」
それに対してヤのつく人顔負けの強面をしたクマ。
黒髪の短髪に、プロレスラーみたいな体格。
鯉のスカジャンを着用し、ピチピチの白いシャツの中には入れ墨が透けて見える。
「お前が言うな」と誰が突っ込むのだろうと思ったところ、それを言ったのはトムだった。
ここではチョウノと並べても違和感のないトムに、クマは睨みを利かせて「なにおぉう?」と言いながら羽交い絞めにし、ザキへ寄越す。
「ザキやれ!やっちまえ!」
その言葉にチョウノは暴力沙汰が始まるのかと冷や冷やしたが、そんな心配事とは裏腹にザキはニヤァと笑いだすと抵抗の出来ないトムの脇をくすぐりだした。
クマとザキの悪い笑い声と、トムの妙な奇声が響き渡る。
そんな時だ。
「わぁお……むさ苦しい男三人でなぁにやってんだよ」
三人のやり取りに横槍を入れてきたのは、
「おー、苦労人じゃん!おひさ!」
苦労人……というのはプレイヤーネームではない。
正式なプレイヤーネームはクロウ。
他のゲーセンの常連で、たまにチョウノ達のいるゲーセンに顔を出しに来る男だった。
「その呼び方やめろよ」
聞けばトムやナルミツとは旧知の仲で、引っ越す前はこのゲーセンによく足を運んでいたが引っ越した後は現在の所在地から近いゲーセンに入り浸っているらしい。
「お前ら明後日大会だろ?余裕そうじゃん」
「これからやるところ!クロウもやる?」
「いや、俺はちょっと偵察に来ただけだから」
と言いながらクロウはセブンティーンアイスの隣にある自販機から缶コーヒーを取り出す。
「あ~とうとう俺の強さに偵察まで来ちゃうか~」
そういいながら嬉しそうに頭をポリポリと掻くトムに対して「お前じゃねぇ」と苦笑を交えながらクロウは返す。
「大会とは関係ねぇよ。チョウノってヤツどこ?」
その言葉に、トム、クマ、ザキは一斉にチョウノに目線を集めた。
「えっ、は、はい……ぼくです……けど」
すると他三人は「えぇー!!」と声を上げ、クロウに対して身を乗り出す。
「いやフツー偵察って言ったら大会に出る俺らを見に来るモンだろ!なんでチョウノ!?」
トムならまだしも、クマとザキの迫力に圧されない人間はいないのだろうがクロウは軽く受け流して言った。
「うちのゲーセンに同じぐらいのヤツがいてさ、まぁ強ぇんだけど……」
クロウの言葉にチョウノはすぐにピンと来た。
「あの、もしかして……彗って子っすか?」
「ん?知ってんの?」
ドキッとチョウノの心臓が強く鼓動する。
「この間、ちょっと対戦した事があって……負け、ました」
最後の言葉はゲーセンの音に掻き消されるが、トム達の耳にはしっかりと届いていた。
今まで練習を何度もかさね、勝ったり負けたりが楽しかったのに、彗に負けた事が少しショックだったのだ。
というよりも、同い年である彗の強さに圧倒され衝撃を受けた。という言い方が近いのかもしれない。
そんなチョウノの落ち込み具合にじゃれ合っていた三人はチョウノの肩に腕を回す。
「まーまーまーまー!強かったし!勝ち負けなんて対戦して行きゃ何度でもひっくり返るから!」
と、ザキ。
「そうそう!俺なんて始めたての頃は負けてばっかだったから!」
と、クマ。
「大丈夫大丈夫!次勝ちゃ良いんだそんなもん!」
と、トム。
そんな様子を見ながら、クロウはゲーセンでは珍しい学生のプレイヤーであるチョウノがどれだけ可愛がられているか目の当たりにすると静かに笑いながらこう言った。
「いや、多分このままだとチョウノくんは彗に勝つ事は不可能かな」
言いながら、クロウはチョウノに「ちょっと来てみ?」と言いながら、トイレ近くに設置している例の筐体へ誘い込む。
そこは、よくトム達と練習をするときに使う場所の"対戦相手が隣同士に座る形"の筐体だった。
2P側(対戦ゲームにおいて、対戦がスタートする際の立ち位置が1P側は左、2P側は右の立ち位置とされる※一部のゲームを除外して)に座り、50円玉を入れる。
「ちょっと座れ」
「え、ぼくっすか?」
「お前に用があんだから、お前しかいねぇじゃん。あ、胴着(胴着を着たキャラ全般の事)使ってね」
「うっす……」
チョウノはこれから何が始まるのかと内心ドキドキしながら50円玉を入れて隣に座り、そして言われた通りにこの間の彗との対戦で使っていたキャラクターをチョイスする。
「今から俺がお前に勝てない理由を再現するから、ちょっとやってみよっか」
「え!?絶対に負けるじゃないっすか!?」
「ああ、俺強いから絶対に俺が勝つんだけど、それにしてもなんで彗に負けたか知りたいっしょ?」
「はい、知りたいっすけど……」
不意にチョウノは背後を見る。
いつも練習や対戦をするときは楽しそうに教えたり見守る三人だったが、席に着いたクロウの雰囲気を察したのか、三人から笑顔が消え、一人のプレイヤーの顔になった。
ゾクッとした空気が流れる。
いつも楽しそうにゲームを教えてくれる彼らが、急に真面目な顔をしだしたのだ。
クロウという男は、今日、ここで初めて対戦する人間だが彼らの醸し出す空気を受けたチョウノはクロウが相当強いプレイヤーなのだと察した。
1ラウンド目が始まる。
ここまではお互い様子を見て、間合いを測り、攻撃を繰り出す。
ボクシングで言うところのジャブみたいなものだ。
足払いに対してガード、お互いの距離を測り、弾を持たないクロウに対し、チョウノは弾を撃っていく。
ここまでの流れは何となくこの間の感じだ。
相手が近づいて来れない距離で弾を撃ち、飛び込んで来るところを対空(ジャンプした相手に対して撃墜するための攻撃や技を振る事)で対処していく。
このままいけば普通に勝てそうなところ。
そう思った次の瞬間。
「--ッ!」
チョウノが弾を撃ったのとほぼ同時に、クロウは超必殺技を繰り出していた。
まだ体力があったので倒れずに済んだものの、起き上がったころにはクロウの猛攻が始まっている。
彗とやった時よりも早いダウンだ。
「ほら次」
「は、はい!」
一息つく暇もなく、2ラウンド目。
今度は様子を見るどころではなく、あっさりと弾抜けをされ、あっという間に間合いまで攻め入られ……10秒も持たずに負けてしまった。
彼らの対戦を黙ってみていたザキは「ああ、なるほど」と頷いた。
「わかった?」
「えっと……正直、この間よりボロクソに負けたんでわからなかったっす……」
チョウノが答えると、クロウはトムと代わるよう言う。
「お?やっちゃう?」
トムはノリノリになって50円玉を投下し、チョウノと代わってクロウの隣に座る。
「大会とは関係なく偵察って言ったけど、まぁブチ当たる前にやってみるか」
そう言いながらクロウは首をポキポキと鳴らした。
「面白ぇ!」
ゴクリと喉を鳴らし、二人の対戦を凝視するチョウノ。
トムが選んだキャラは胴着ではないが、弾を持っていて近距離戦にも強い。
他のキャラの中では比較的に体の大きな作りをしているので通常の攻撃を繰り出すだけでも近づきにくく、彼らのプレイするゲームの中では上位に入るキャラである。
「えーそう来る?いきなり本気じゃん」
というクロウに対して、薄く笑いながら「そりゃそうでしょ」と返すトム。
目は笑ってない、真剣だ。
1ラウンド目。
ジリジリとお互い慎重に距離を縮めたり、離れたり。
弾で応戦したいトムと、それに対して弾抜けで近づき、一気に攻めていきたいクロウ。
トムの繰り出す弾丸は他のキャラと違い、かなり早く、ガードするのに必死だ。
クロウは攻撃の隙を見計らい、弾抜けを繰り返してはトムに近づき、攻撃を仕掛ける。
しかしトムも勿論それを見計らい、昇竜(対空技の事である)を放ってクロウを叩き落としていく。
正確な距離を見極めていないと技を繰り出した後の硬直で反撃を食らうが、トムの動きはかなり丁寧だった。
クロウが簡単に弾抜けや、弾に対して飛んでこないようジャンプに対して強い通常攻撃(ボタンを押すだけで繰り出せる攻撃方法の事)を振り、圧力をかけていく。
お互いがお互い、かなり慎重になって攻防を続ける中……1ラウンド目が終了する。
対戦ゲームにおいて必ず制限時間というものが設けられているのだが、制限時間内にどちらかがダウンしていない場合は体力が有利な方が勝者となる。
体力で勝っていたのはトムだったが、それにしても数ミリの差だった。
続く2ラウンド目の中盤に差し掛かったころ。
いきなりクロウは素っ頓狂な声を上げた。
「このキャラじゃなかったぁああああ~!」
チョウノと彗の対戦を再現するためにクロウがわざわざ選んだキャラなのだが、クロウがいつも使っているのは別のキャラである。という言い訳がましい叫び声だ。
そんな声を上げたと同時に、クロウはわりとあっさり……負けてしまった。
「アイィイイイイッ!俺の勝ちぃ!いえーい!」
と喜ぶトムに、ザキとクマも笑顔で彼の勝利を称える。
「よっしゃぁ!やったぜトム~!」
「トムの勝ちデース!」
喜び合う彼らを見ていたチョウノは黙ったまま、今の対戦で何が起きたのかを思い返した。
が、すぐにクロウはチョウノに呼びかける。
「まぁ俺負けちゃったけど……ズバリ言わせてもらうと、キミの弱点はね、まだ本気の相手に本気で戦った事がないんだよ」
「……はい」
そう。
チョウノは今までこの一年、確かに格ゲーはトム達のお陰で上手くなって来ていた。
「今のままだと"格ゲーが上手いだけの人"だね。彗がなんで強いのかって、一番はずっと、本気の相手に本気で……言い過ぎかもしれないけど殺す気で挑んでる」
「!」
チョウノが対戦台の向こうから感じた威圧感。
まるで野生の猛獣でも相手にしているかのような……一瞬でも隙を見せれば首を取られるような、そんな対戦だった。
「今まではさぁ、トム達に楽しく格ゲーを習ってたのかもしんないけど……まぁ、勝ったり負けたりが楽しくてやってんのかもだけど。それも良いよ?でもさ、勝ちたくね?彗に。本気で」
クロウがチョウノに問う。
その二人の間に割って入ったのが、ザキだった。
「クロウ、お前偵察に来たって言ってたけどさ、なんでチョウノにそんな事を話すんだ?言い方悪いかもしれねぇけど、正直関係ない事じゃん?チョウノに会ったのも今日が初めてだろ」
「いいから。俺はチョウノくんに聞いてんのよ」
なだめるように、クロウは言った。
ザキもクマも、そしてトムも黙り込みチョウノを見つめる。
そんなチョウノは先日の彗との対戦、そして初めてヒーローの対戦を見たときの衝動がどこからくるのかを思い出していた。
「勝ちたい……」
チョウノを見守る三人、それにクロウは大きく頷く。
「やってみたいです、本気の格ゲー!」
するとクロウは懐にしまったチラシを取り出し、チョウノに渡した。
「なーらーばー少年よ、大会を見に来るのだ」
まるでRPGに出てくる大賢者のような口ぶりで言うクロウ。
「大会には俺らも出るし、野試合もある事だし、そこの野試合に出てみるのだ。野試合っつっても本気で勝ちに行くやつらばかりが揃う。小規模の大会かもしれないけど、いろんなゲーセンの猛者達が集まるから絶対にエネルギーになるはずだ」
渡されたのは、いぜんから気になっていた大会だ。
初めてトムに出会った時も、ここのゲーセンの壁にトーナメント表が掲示されていたが大会に出る勇気など持ち合わせていなくてスルーしていた。
大会に出るのではなく、観戦、野試合ぐらいだったら気軽に行けそうだという希望の光が射し込む。
ここのゲーセン以外でも各ゲーセンなどで大会が行われているのは耳にしていたが、格ゲーと出会って一年を経過してやっと観に行く事が出来るのだ。
「でもさぁ、野試合っつっても誰もが参加出来るわけじゃないじゃん」
というトムに対してクロウは「チッチッチッ!」とわざとらしく指を振る。
「ここのゲーセン、俺の顔がよく利くのよ~。特別にチョウノくんを野試合に参加させてあげましょう」
「やるじゃねぇかクロウ~!うちの若いモンのためにぃ!」
若いモン……とはいえ、クマはまだ20代前半だ。
確かザキと同い年だった気もするが……。
「いやそんなコトよりさぁ、さっきも聞いたけどなんでチョウノのためにそこまでしてくれんの?ホーム(その人がいつも行っているゲーセンの事)違うじゃねぇか」
話題に戻るトム。
「んん、実はさぁ。ゲーセンに来る学生はいるかもだけど、格ゲーしに来るヤツって少ないじゃん?出来るだけ"若いヤツもやってるよ"ってのをアピりたいのもあるし……」
そう言いながらクロウはチョウノを一瞥した。
「こういうヤツが増えた方が、タメの子たちも入りやすいっしょ」
「確かになぁ」
そんなクロウの言葉に三人は納得した様子だが、チョウノはクロウの目線に何か別の理由を感じた。
とは言え、それが確信的なものでも何でもないので黙っている事しか出来ないが。
どちらにしろ、彗と再戦する日が来るのなら今度こそ絶対に勝ちたい。それだけだった。
「っつーわけで、日曜日!お前の先輩も出場するんだから応援に駆けつけてやれよチョウノ」
「は、はい!ありがとうございます!」
***
西湖 寛和、通称ヒロ(もしくは本人は嫌がっているがヒーロー)
彗は何度かホームのゲーセンで顔を見る事があり、2回対戦した経験があった。
というか、彗が格ゲーマーの中で一番最初に対戦したのがヒロだ。
運が悪かったと言えば悪かったのか、知らずに空いていた筐体に入り込んだら同じタイミングで向かいの筐体にヒロが入ってしまい、いきなりボコボコにされたのが初めての出会いである。
当然のようにストレート負けを果たした彗は負けず嫌いに火を付け、ゲーセンではマナー違反である連コ(1プレイ分が終了したにも関わらず、もう一度コイン(50円)を入れて連続でプレイし続ける行為。次のプレイヤーがいない、もしくは次のプレイヤーが許可をしている時だけ許される)をしたのだ。
負ける理由は多々あるだろうが、その当時はそんな事は関係なく、なんなら「お前が後に入って来たんだからお前がどけ!」ぐらいの気持ちである。
1戦目は手も足も出ないままストレートで負けてしまったが、2戦目からは相手がどういう動きをしていくのか分かった。
(次は絶対に勝つ!)
その勢いだけでヒロに挑んだのだが、今思えばそんな意気込みだけで勝てるのならば楽なモンだ。
当然のように彗は負け、もう一戦挑もうとコインを用意したが、それを止めたのは後ろで見ていたナルミツである。
「ちょーっと待って!もうダメだよ!」
声を掛けられ振り向くと、一度は連コを許した者達が険しい顔をして彗を睨みつけていた。
その視線を背負いながら声をかけたのが、今の"師"であるナルミツなのだ。
「後ろに人が並んでる時は連コはマナー違反だよ。とりあえず交代って事で」
言われた彗は大人しく席を立ち、ナルミツに案内されて後ろの方へと回る。
「キミ、筋いいね。格ゲーは経験者なの?」
「……いえ、今日が初めてですけど」
「嘘だ~!初めてだったらヒロにあれだけ触る事なんて出来ないよ。なにせ彼は大会で何度も優勝してる強者だからね!どこのゲーセン出身?見かけない顔だけど?」
「ゲーセンも今日が初めてです。気になったんで入ってみただけで……」
胡散臭いヤツだなと、それがナルミツに対する最初の印象だった。
「……まじぃ?」
「嘘つく必要もないと思うんですけど」
「……」
彗の言葉にしばらくするとナルミツは考えたように目線を宙に走らせ、ポンと手を自分の前で叩いて言った。
「ねぇ、アイツの事負かしてみたいと思う?」
「そう思ってたところなんですけど、なんで邪魔するんですか?」
その当時はまだ彗もゲーセンのルールを知らない。
そんな率直な言葉にナルミツは大声で笑うと、ゲームの観戦に集中していた者達の注目を浴びる。
が、対戦を見ていた者達が声を上げるものなのでその注目はすぐに分散された。
「いずれにしても、初めて間もないキミじゃあまだ無理かな~」
「……」
馬鹿にしたような物言いに聞こえ、彗は思いっきりムッとした表情を隠そうともしない。
そんな彗の顔を見てナルミツは「まぁまぁ」と言いながら、別の筐体に彗を連れていく。
その筐体は、トムがチョウノに格ゲーを教える時に使っていたものと同じ形状のものだった。
「俺が教えてやるよ、本気の格ゲーを」
それが、ちょうど1年ほど前のナルミツと彗の出会いだ。
***
ナルミツは大会の前という事もあり、土曜の昼からゲーセンに赴いていた。
ナルミツの周りには当然のように人だかりが出来ていて、周囲からの目線など気に留めず目の前の対戦相手に集中する。
彼の向かいの対戦台には、先日偵察と言って出かけてしまっていたクロウが座っていた。
二人とも明日の大会出場者だ。
本番は明日のはずが、二人は大会さながらの勢いで殴り合う。
声を掛けようとする者はいない。
誰もがその試合の熱に飲み込まれ、回数を重ねる度に二人の立ち回りのキレが増していく。
(ナルミツさん、いつになく真剣だ……)
観戦者の中に紛れて、彗はナルミツのプレイを見ながら明日の大会の出場者の事を考えていた。
(ヒロさんも出るし、今度は絶対に勝ちたいだろうな)
なんて思いながらも、自分に実力があれば本当ならば自分がヒロと戦いたいところだが。
いや、それだけではない。
(あんまり目立つ事なんかして誰かにバレるのもまずいし……ダメかな)
彗は目立ちすぎる事を嫌がっていた。
現在通っている学校の校則にもある通り「娯楽場への出入り禁止」とされているのだから。
校則を破ってゲーセンに来ているだけでもハイリスクなのに、大会に出ようものなら見つかれば停学は免れないかもしれない。
(でも、本当は……)
ヒロだけではない、今目の前で対戦を繰り広げるナルミツやクロウとも本気の場で戦いたい。
今は練習相手にもならない自分だが、いつか必ず、彼らと肩を並べる事への強い願望が彗にはあった。
「まずは野試合で」
それがナルミツが彗に言っていた言葉だ。
(まずは……野試合)
どんな強敵が集まるのか、彗は体中に震えを感じていた。
それは、日常では体感することがない感覚。
武者震いだった。
(自分の本気がどれぐらいなのか、知るチャンスだ)
彗はその時、トーナメント表に載っていなかったからというのもあり、知らなかった。
明日の大会でボコボコにした対戦相手であるチョウノが来るという事を。
つづく