第一話 新しい世界
・こちらの作品はフィクションと実体験を織り交ぜたものとなります。
実在するゲームやキャラクターの名前はあえて伏せています。
その世代の方からは懐かしい、その時代を知らない人からは新しい発見。という風に楽しんで読んで頂ければと思っています。
・あくまでこちらの作品は格闘ゲームを台に置いた青春ストーリーであり、格闘ゲームの話ではありません。
少年は、目の前の画面を見ながら涙を流していた。
いつもゲームセンターの中は人々が賑わい、他ゲームの音が鳴り響くのだが……彼の周りは静寂が漂っている。
不思議と、その空間だけがこの空間から隔離されたかのようだ。
筐体の周囲には少年の検討を見守るギャラリー達。
ほぼ全員年上の人たちだ。
きっと普通に学生生活を送っていたら出会わなかった仲間。
彼らは少年の小さな背中を見つめながら、ただ何も言わず、拍手で少年の健闘を讃えた。
「うっ……ひぐっ……うぅっ!」
溢れる涙を袖で抑え、少年は立ち上がる。
そんな彼の頭を、ただ黙って撫でる手。
「よくやった……よくやったよ……チョウノ」
チョウノと呼ばれた少年は何も言葉が出ず、ただただ涙を流しているしかなかった。
***
「天海さ~ん!今日この後カラオケいかない?」
1998年。
高校1年生の春。
天海 薫の周りは知り合って間もないクラスメイトばかりしかおらず、孤立気味であった。
それもそのはず、天海は埼玉から東京に引っ越して中学までの知り合いとは離れ離れになり、いきなりエスカレーター校に入学する形となったのだから。
そういった生徒も別に少ないわけではないのだが、天海はワケあって孤独感を持っていた。
「いや、私は……いいよ、流行りの歌とか知らないし」
「え~!モー娘とか知らないの?超流れてんじゃん!」
「ね!男子たちも来るっていうし、みんなで行こうよ~!」
東京だからなのか、と聞かれればそういうワケではないのだろうが周囲のイケイケっぷりに足が竦むというか。
そういうノリとかについて行くのが億劫であった。
「それに、これから塾とかもあるし、カラオケ行ったら間に合わなくなっちゃうからさ」
「そっか~、なんかいっつもすぐ帰っちゃうと思ったらやっぱり塾か~」
カラオケに誘ってくれた女子は残念そうに言うものの、天海は諦めの速さにほっとしていた。
大体の用事は「塾」だの「習い事」だの言っていれば済んでしまう。が、この言い訳があとどれぐらい通じるのかわからないところ。
「じゃあ、また今度誘うね!カラオケじゃなくても"ゲーセン"とかでさ、プリクラ撮ったりしようよ!」
と、その話題を出した途端クラスの委員長である力石 和也がすかさず割り込んでくる。
「保泉さん!入学早々、そんなところ先生に見つかったら怒られるよ?大体ゲーセンなんて不良の溜り場みたいなところ行こうなんてありえない」
七三分けの黒髪に分厚い眼鏡をかけたその姿はどこからどう見ても真面目そのもので、光る眼光からキリっという効果音でも出てきそうな勢いがある。
決まり事に忠実すぎるが故に一部の生徒から嫌煙されがちな雰囲気で、天海もどことなく苦手意識は持っていたものの今日ばかりは助けられたような気がした。
「えっと、じゃあ、先に帰るね」
「うん、天海さんまたね!」
***
ちょうど同じぐらいの時間。
同じ高校の校舎裏で蝶野 健吾は体中に傷を負い、夕焼け空を見ながら呆然と立ち尽くしていた。
同じクラスになった森岡 裕司にボコボコにされた後である。
彼とは中学からの知り合いなのだが、ちょっとしたことが切っ掛けで彼に目をつけられて以降パシリにされたり、彼の虫の居所が悪い時は暴力を振るわれるような間柄で……まあ、よろしくやっているところだ。
「……あ」
蝶野はズボンのポケットへ何の気なしに手を突っ込むと、小銭を入れっぱなしにしていた事に気が付いた。
そして昨日のうちにとある場所へ行こうとしていたので今日を切っ掛けに行ってみようとしていたのを思い出した。
「急ごう」
体に痛みはあったが、それでも彼には行きたい場所があった。
(今日はいるだろうか……)
夕方の6時を回ると、その場所は昼間でとは違い異様な雰囲気を放っていた。
サラリーマン風の男もいれば、どこからどう見てもヤのつく職業っぽい人間や、ライオンみたいな金髪にピアスを開けた不良みたいな者や、自分と同じ学生っぽい人間も。
残念ながら女子の姿はどこにも見えないが、まぁ女一人で来るような場所でもないし、なんなら学生服なんか着てこの場所に来ようものなら誰かに見つかれば教師や親に怒られるだろう。
ゲームセンター……通称ゲーセン
蝶野はその場所に少なからず魅力を感じていた。
大人たちからは「学生は行くな」だの「危ないから近寄るな」だの言われ続けてきたのだが、蝶野は入学早々に森岡から暴力を受け、学校にも居たくない、だからと言って家に帰るわけでも塾に行くわけでもなく、ただ当てもなく歩いてたどり着いた場所がゲームセンター。ゲーセンだった。
小銭を片手に、どんなゲームをやるのか品定めをしていると一つのゲームに目がついた。
画面にはキャラクターが二人、戦っている。
これは格闘ゲーム、格ゲーだ。
一人が一体のキャラクターを操作し、いろんな動きや技で勝利をする対戦ゲーム。
周囲のゲーム機の音楽が入り混じって爆音が流れる中、そのゲームを見た瞬間キャラクターの技がぶつかる音や、そこから流れる音楽が蝶野の耳に届いた。
背中合わせになっている筐体(きょうたい:ゲーム機の事)の向こう側を覗いてみると、まだ若そうな青年がCPU(人間ではなく、コンピューターが自動で操作する対戦相手)を相手に無表情で戦っている。
白い胴着に赤いハチマキを巻いたキャラクターは、多分その青年が動かしているのだろう。CPU相手にずっと同じ動きをしていて蝶野は同じゲームを持っていて、家でよく弟と遊んでいたのでどことなく「変な動きだな……初めてなのかな?」と思って見ていた。
だからと言って蝶野も弟相手に負かすだけであって決して自分が上手いと言えるようなプレイではない事は自覚済みで、出したい技が中々でなかったり、出そうとすれば操作のミスでキャラクターが浮いてしまったりと散々なものだ。
だが、それとはまた違う、なんと表現すればいいのか……下手だという感じでもなく、一生懸命足払い(キャラクターをしゃがませ、大きく足を振って相手のキャラクターを転ばせる事)ばかりしているようにしか見えない。
すると突然、別の方から現れた男が声を上げた。
「お、珍しい!ヒーロー来てんじゃん」
「ヒーロー……?」と、声を出しそうになったのもつかの間、筐体を前に鎮座する青年の向かい側に突然現れた男は「ヒーロー」と呼んだ彼の顔を一瞥するとポケットから50円玉を入れ、スタートボタンを押した。
筐体を挟み、向かい合う二人。
蝶野は、これから対戦が始まると察した。
CPU相手に足払いを続ける男と、突然乱入して来た男。
どんな大戦になるのか想像もつかないところではあったが、その時の感想を一言でまとめると「何が起こったかわからない」だ。
CPUを相手に変な動きをしていたヒーロー(仮)は突然火が付いたようにキャラクターを動かし、相手もそれに負けじと応戦していく。
CPU相手にやっていたヒーローの行動は変な、下手な動きなんかではなく「練習をしていたんだ」と……この試合を見て明らかになった。
結果は相手の男の負けだったが、男も男で凄まじい動きを見せていた。
家にあるゲーム機で弟と一緒に遊んでいたような動きなんかではない。
「本気」だ。
蝶野は初めて「ゲームの中で起こる本気の対戦」を目の当たりにしたのだ。
もう少し二人の対戦を見ていたかったが6時を回る頃には彼らの周りに人だかりが出来てしまい、その異様な雰囲気に飲まれそうになった蝶野は身を隠すようにしてゲームセンターを出て行ってしまった。
(あれからまだ一度も行けてない……あの人、確か6時ぐらいだったからいるはず……)
家に帰り、急いで着替えた蝶野は両親から怪我の心配をされるも「大丈夫!出かけてくる!」と一言だけ残しチャリンコを走らせ目的地へと向かった。
(見たい……あの戦い、もう一回……!)
あの時の対戦が脳裏を駆け巡る中、蝶野はヒーローと呼ばれる人物を探し回る。
どの筐体にも今日は特に金曜日のせいなのか人が並んでおり、あまり顔を覗くのも変な奴として見られそうなので出来るだけ直視しすぎないようにしながら。
そんな時、フと思い出す。
ヒーローと、まだ名前も知らない男の対戦が始まると妙な人だかりが出来ていた。
きっと蝶野と同じく、彼が対戦する姿を見るために集まった人達だ。
(人が集まってたら多分、いるかも……)
蝶野は顔をまっすぐと上げ、格ゲーの筐体が並ぶ列の人だかりを探す。
すると一目瞭然、一つの場所に人が集まり、胸の前で腕を組んでその対戦を見守っていた。
(あそこだ!)
そう確信すると足早にそこへ寄り、集まった人たちの間から背伸びをして対戦相手を覗く。
ヒーローではない。
全く見知らぬガタイの良い男が、今にも対戦相手を殺しそうな表情でレバーを操作している。
引き続き向かい側の筐体へ駆け寄ってみるとそこにも人だかりが出来ていて、その中心となっている人物の姿には見覚えがあった。
茶髪をワックスでセットしたツンツンヘア、ブルーのジージャンの下に黒いタンクトップ。
十字の首飾りを揺らすその姿は完全に今風の、原宿か渋谷辺りにいる兄ちゃん。といった感じで、ヒーローと戦っていたもう一人の男だった。
「ナルミツ、好調じゃん」
先日ヒーローと戦っていた男の名前は、どうやらナルミツというらしい。
対戦中に話しかけられたナルミツは、この間ヒーローと戦っていたよりもどことなくリラックスしているようでへらっとした笑みを浮かべながら口を開く。
「ん~、ていうかまぁ、弱いかな」
言うと同時に、ナルミツの操作していたキャラクターが相手を打ち負かした。
しかもよく見てみるとナルミツの動かしていたキャラは体力が一ミリも減っておらず、画面にはPERFECTの文字が。
対戦が終わった途端、向こう側から「バンッ」という凄まじい音と同時に今まで対戦していた相手の顔が機体の上から覗かれる。
「うわ、台パンしてきやがったアイツ」
後から知ったが、台パンとは筐体を叩いたり蹴ったりする行為の事らしい。
台パンをした相手はかなりの強面で、デカい、怖い、熊みたいな男だった。
周囲が騒つく中、蝶野は小柄な身体を更に縮めて様子を見る。
「オメー舐めてんのか?」
「いやいや怒るのはおかしいっしょ。最初に屈伸(※無意味なしゃがみ行動を何度も繰り返す対人戦での煽り行為)してきたのアンタじゃん」
ナルミツがそういうと、相手のクマ(勝手につけたあだ名)は筐体から回り込み、ナルミツの方まで駆け寄る。
一人ぐらい止めに入るヤツはいるだろうと思っていたが、今からリアルファイトが起こりそうな雰囲気の中で固唾を飲んで見守るしかない。
何せクマがデカい。デカすぎる。
これを止められるような人間は……残念ながらいない。
「立てよオイ」
というクマに対してナルミツは一言。
「"座れ"よ。対戦で俺を負かしてみろ」
言われたクマのこめかみに太い血管が浮き上がる。
睨み合う両者。対戦も気になるところだが、この後どういうリアルファイトが繰り広げられるのかもかなり気になる。
「誰かに止めてほしい」と一同顔を見合わせるも、動き出そうとはしなかった。
「店長呼びましょうかー?」
そんな中、あらゆるゲームの音や周囲のざわつきをも無視して一人の青年が声を上げる。
蝶野は青年が何を言ったかはよく聞き取れなかった。
声を上げた青年が特別に大きな声を出していたわけでもないからだ。
だがそのゲーセンに集まる人間なら「店長」という言葉を聞き逃すはずもなく、今よりも更なる緊張感が走った。
「ほら、やめときましょ?店長呼ばれて出禁(入店禁止)にされるより、フツーに"楽しく"対戦した方がお互いのためじゃないっすか」
「……」
クマはしばらくナルミツを睨みつける。
ここでリアルファイトを起こし、リアルな腕っぷしでは負けそうにもないナルミツをボコボコにするよりも店長を呼ばれて出禁になる事の方が重要だと察したのか、クマは今の今まで握っていた拳をポケットに収めてその場を後にする。
機嫌を損ねたクマに目をつけられた赤の他人である運の悪いリーマン風の男は「どけ!」と一蹴されていた。
「おっかね~!ボコボコにされるかと思ったわ」
なんて言いながら、ナルミツは次の相手との対戦を申し入れた。
「見てたこっちも冷や冷やしたわ」
「いや~トムさんが声掛けてくれて助かったっすけど、仲裁に入ってくれてたらもっとカッコよかったなぁ~」
「無理に決まってんじゃん。オレ骨と皮しかねぇんだから」
トムと呼ばれた細身の男は明らかに日本人の姿をしていて、長そでに隠れた自分の腕を見せて笑って見せる。
掛けた丸メガネの奥で目を小さくして。
「俺ちょっと向かいの台行くわ。順番回って来たらやろうぜ!それまで負けんなよ?」
「大丈夫大丈夫、ここでは誰にも負けねぇよ」
トムは人だかりをかき分け、向かいの台を目指した。
その途中、見慣れない蝶野と目が合う。
目が合った蝶野は気まずそうに会釈をして道を譲るとトムは立ち止まり、蝶野を見て口を開いた。
「なに?キミ中坊??」
「え、あの、いや……一応、高校生……です」
「そっかそっか!格ゲー対戦とかするの?」
「家で弟と……こ、ここでは初めて……あの、やったこと、ないです」
嘘をつくわけでも何でもないが、なぜか歯切れの悪い返事をしてしまった事に蝶野は恥ずかしさが込み上げてその場から逃げ出したくなる気持ちでいっぱいになった。
だがトムは二カッと笑うと蝶野の腕を掴んで口を開く。
「じゃあアイス奢ってやるから、こっちで対戦見ようぜ」
突然、初対面の人に話しかけられる事に恐怖とワクワク感が入り乱れ、蝶野は思わず「はいっ」と返事をするが思いっきり声を裏返らせてしまい、更なる羞恥心が自分を襲う。
ゲーセンの爆音で搔き消されている事を願いながら、トムについていった。
ゲーセンの自販機の前でセブンティーンアイスを買うと、二人はすぐにナルミツのいる対戦台の向かいで彼らのゲームを見る。
「あー、アイツこの間もナルミツとやってたヤツだわ」
「そ、そうなんですか?」
「うん、すぐ終わるね。あの程度だったら」
買ったアイスを頬張りながら、トムはいう。
「俺、ここではトムって呼ばれてるんだけど、キミなんて言うの?」
「えと、蝶野です……。トムさんは、その、本名は?」
「石川っていうんだけど……ほら、あそこ」
言いながらトムがとある方向を指さした。
そこにはトーナメント表みたいなものが掲げられていて、どうやら近日に大会がこの場所であるらしい。
「Tom」と書かれたその文字は、独特な字で書かれているせいか「石川」ではなくどう読んでも「Tom」にしか見えない(というか、トムと聞いたせいでもあるのだが)
するとトムは声を上げて笑い「あの字のせいで俺、ずっとトムって呼ばれててさぁ~!俺も最初誰の事だか分かんなくて、あとになって気づいたんだわ」という。
他にもいろんなプレイヤーの名前が書かれており、蝶野は目的の人物の名前を探す。
そんな蝶野のしぐさを見たトムは一緒にトーナメント表を眺めながら「誰か知り合い出てんの?」と尋ねた。
「えっと、知り合いじゃないんですけど……ヒーローって名前の人、いないかなぁって……」
途端にトムは声を上げる。
「え!?キミ、ヒロの事知ってんの!?」
「ヒロ……?ヒーローじゃなくて?」
蝶野の反応にトムは"なるほど"と言った感じで頷きながら言った。
「あー、名前知ってるぐらいか。ま、アイツ有名だもんな」
「そうなんですか?」
「ほら、いろんなゲーセンとか、それこそ大会で何度も優勝してるし……格ゲーやるヤツなら知らないヤツはいないんじゃない?遠征のヤツもアイツと戦いたくて来るヤツ多いからな~」
(そんなに強いんだ……)
「あ、そうそう。アイツの事ヒーローって呼ばない方がいいよ。本人は好きじゃないらしいから」
「そうなんですね。ぼく、一回対戦を見ただけで、ヒーローって呼ばれてるの聞いてただけなんで何も知らなくて」
「そっかぁ。じゃあバリバリのゲーセン初心者だ?」
ゲーセンに初心者があるのかどうかも初めて聞いたが、一応蝶野は小さく頷いた。
「格ゲーの経験は……家でやった事あるぐらいって言ってたな」
「……はい」
「格ゲー、興味あんの?」
「はい、その、この間ヒロさんと、ナルミツさんが戦ってるのを見て……ああいう風に人が戦うところを初めて見たんですけど、ぼくも、その、やって、みたいかな……って……すみません」
率直な気持ちを伝える事が苦手だが、これが正直な感想だ。
蝶野はしゃべってる間にどんどん視線を下に泳がせる。
なんなら自分の顔がどんどん赤くなっていくのを感じるぐらい、恥ずかしい。
「え!?いいじゃん!やろうやろう!!」
「は、う、え!?」
ゲームをやってみたい。だなんて笑われたり呆れられたりするんじゃないか。という不安があったものの、トムはそれを快く受け入れた。
「じゃあちょっとここで待ってて!」
トムはそういうと残り少なくなったアイスを一気に食べ尽くし、小走りで先ほどの対戦台へ行ってしまった。
まだ他の人間たちとの対戦中、トムはナルミツに話しかける。
「ごめん!ちょっと面白そうなヤツいたから、それが終わってから来るわ!」
「え?別に終わらないからいいけど」
「じゃあ、トイレの近くの対戦台にいるから、もし終わったら来て!」
「いや終わらせないから帰って来いよ!」
「終わる」というのは、すなわち続々と来る対戦相手の誰か一人に負ける事を意味する。
つまりナルミツの「終わらない」は連勝する気満々な発言である事も意味するのである。
普通、対戦中の相手に話しかける事は暗黙の了解でやらない事とはなっているのだがナルミツとトムの間では許されていた。
一通りのやり取りが終わったところでトムは「ただいまー!こっち来て!」と言って蝶野をナルミツの言っていたトイレの近くにある対戦台に誘う。
その対戦台は先ほどナルミツが対戦していたものと同じゲームではあるが筐体の作りが違っていた。
ナルミツたちの集まる筐体は対戦相手が向かい側に座って対戦する形となっているが、トムが選んだ筐体は対戦相手同士が隣に座るような形になっている。
トムはそこに座ると、50円玉を二枚入れ、蝶野に言った。
「本物の格ゲー、教えてやるよ!」
***
1999年、某所のゲーセン
紺色のパーカーに、帽子を深く被った小柄な少年は自分より年上であろう大人たち相手に連勝の記録を重ねていた。
「彗のヤツ、何連勝中?」
きっと、どこのゲーセンでも同じような光景が見られるだろう。
胸の前で腕を組んで仁王立ちする男たちの視線のすべては彗と呼ばれた彼に注がれる。
「次で10連勝だよ。そろそろ時間だし、今日も終わったら帰るんじゃねぇか?」
「誰か一週間連続の10連勝記録止めてくんねぇかな?」
「いや、俺は彗を応援するね!」
などと彗を背中に本人にも聞こえる声で噂していた(爆音の流れるゲーセンの中なのでデカい声で話さないといけないからではあるが)
すると、突然向かいの台が盛り上がる。
どうやら新たに挑戦者が来たようで、その盛り上がり方はゲーセン全体にも響き渡るほどだ。
「ん?」
彗の背後にいた者達は向かいの対戦台を見に行くと、笑顔がこぼれ「うおぉ!」と声を上げる。
彗からは対戦相手の顔は見えないが相手の選んだキャラ、そして色で誰が乱入してきたのかすぐに察した。
表情をあまり変えない彗は眉間に多少の皺を寄せつつも溜め息に近い深呼吸をし、画面の中の対戦相手を見据える。
結果は2-1で彗が負けた。
一週間連続の10連勝には届かず。
相手が相手なだけに一戦だけでも勝てた事に喜びたいところだが、明らかに二戦目に"遊ばれた"ようで腑に落ちず、何なら若干の苛立ちさえ感じるぐらいだ。
「いや~強くなったねぇ、彗"ちゃん"」
「その呼び方やめてくださいって言ってますよね」
対戦台からヒョッコリと顔を出し、いつものニヤけ面を見せる男は……彗に最初に格ゲーを教えた者だった。
「メンゴ!それより、最近調子良さそうじゃん」
「ほとんど同じ相手と対戦してるんですから、負けるワケないじゃないですか」
ゲーセンを後にし、夜の7時を回った街並みはまだまだ人で溢れていた。
「その強気な発言、とうとう性格まで俺に似ちゃった??」
「事実です。それより"ナルミツ"さん、今度の大会出るんですね」
「聞いた?」
「それぐらい噂になってますよ」
駐車場近くまで来ると、ナルミツはバイクのキーを指でぶら下げながら言う。
「二ケツする?」
「遠慮しておきます」
「あはは!俺も後ろに乗せるのは可愛い女の子が良いかな!」
その言葉に彗は肩を竦めて呆れたように息を吐いた。
駐輪場の脇にはまだ若い桜が咲いており、もうそろそろ花びらが全て落ちるところだ。
「彗もさぁ、そろそろ大会に出てみたら?俺が出てるんなら俺が勝っちゃうけど」
「面倒臭いんで出ません」
「地元のヤツら負かしたって面白くないじゃん。俺以外の強いやつと戦って来なよ。他のゲーセン行きづらいなら俺が連れてってやろうか?遠征には優しいところあるよ?」
「……」
ナルミツの誘いに、彗はしばらく黙り込む。
「俺の"弟子"もそろそろ紹介したいし、たまには二人でお出かけしねぇ?」
「……考えておきます」
「あ、そうそう!前に言ってた面白そうなヤツの事なんだけど、最近結構良い感じに強くなって来てるし、どうやら彗とタメっぽいし、同じ年ごろのヤツで強いやついないっしょ?良い刺激になると思うんだよなぁ」
春の風が温かく吹き付け、桜の花びらが舞う。
ちょうどナルミツと彗が出会ったのも高校1年生の春だった。
一年間、ゲーセンでずっとナルミツに格ゲーを教えてもらい、対人戦を積み重ねてきた彗は驚くほど成長していた。
だが同時に、自分よりも強い者が減っていき、今現在拠点としているゲーセンではナルミツぐらいしかいない程だ。
確かに刺激を求めたいのもあるが、はっきりとそれを実現できない理由もあった。
「学校のヤツとか先生に見つかるのが怖いんなら安心しなよ。大会中はあんまり一般人とか入ってこないし」
「……だったら良いんですけどね」
「心配しすぎだろ~。まぁ、彗って真面目っぽいから学校でも真面目にやってんだろうね。そんなヤツがゲーセン行ってるって知られたら大変そうだしな」
1990年代~2000年代初頭、ゲームセンターは世間からのイメージがかなり悪かった。
対戦ゲームにおけるマナーの悪い客や、不良達の溜り場となっていたせいもあり、ゲーセンに近寄る者は少なからずイメージダウンの傾向にあり、それを隠してゲーセンに通う学生も少なからずいた。
その中の一人が彗である。
「変なのもいるけど、良いヤツもいるんだけどなぁ」
というナルミツも、つい一週間ほど前もまたリアルファイトを勃発させた(というか相手が悪いのだが)張本人である。
彗もそれを目の当たりにしていて、親や教師、友達から「行くな」と言われていた理由を身に沁みさせていたところだ。
だが彗はどうしても対人戦でやりたくて、例えば家で友達とプレイしたところで彗に敵う者などいないので結局のところ"帰ってくる場所"がゲーセンとなってしまうのであった。
「じゃあ今度の大会、ナルミツさんの応援に行きますよ。野試合が可能ならそこでやらせてもらいます」
「よっし、分かった!じゃあ、今度の日曜日ここで待ち合わせしよう。ヘルメット持ってくるから二ケツで行くからな」
「わかりました」
バイクのシートからヘルメットを取り出したナルミツはバイクにまたがり、ヘルメットを装着すると「んじゃ!」と軽めの挨拶をして走り出す。
その後ろ姿を見送りながら、彗は4日後の大会での野試合が頭の中によぎっていた。
近くの公園の時計を見ると
(……まだ時間はある、それにこの時間なら……)
夜の7時を回ったころだが、塾に行くフリをしていたので家に帰るにはまだ早い時間だ。
彗は普段は寄り付かない別のゲーセンへ足早に駆け出した。
***
「チョウノ!」
「あ、トムさん!うっす」
あれから一年、すっかりゲーセンでは顔なじみになったチョウノはゲーセンで初めて出会ったトムとすっかり打ち解けていた。
ゲーセンに来てから初めて出来た友達が4つ年上のトムだったわけだが、今となっては兄弟同然の間柄。
「そろそろ時間だろ?」
「あっはい!次で終わりにしようかなって思ってたところっす」
そんな中、大柄の男がトムとチョウノの背中をバシンと打つ。
「おうお前ら!今日もやってるじゃねぇか!」
出会いは最悪だったが、あれから何度もゲーセンに足を運ぶ上で顔見知りになった人物がもう一人。
「クマさん、うっす!」
ナルミツとの対戦でリアルファイトになりそうになった場面を目撃した怖い人物が、まさか一年後には一緒のゲームを交える仲になっていたなんて……一年前の自分なら到底信じられない。
大熊 哲は強面ながらにトムと同じく実は面倒見がよく、トムがいない時はチョウノの対戦相手となり、練習相手となっていた。
なぜ初めて出会ったころに煽りなどをしていたのか誰かが聞いていたようだが、どうやらナルミツとは煽り合いをやり合ってる仲だったとかどうとか……。
「今入ってきたプレイヤー(ヤツ)、見ない顔だったぞ」
「え?クマさん顔見てきたんすか?」
そう聞いたのは隣でセブンティーンアイスを片手に立ち尽くすトムだった。
「ああ、多分チョウノと同い年ぐらいのガキだったよ」
するとチョウノはその対戦相手の顔を覗きたい一心に駆られたもののゲームに集中する事にした。
「ぼくと……同じ年か……」
何度もいうが当時のゲーセンは治安が悪く、大人は子供を寄せ付けたがらず、行くなと注意され続けた子供も大半だっただろう。
特にチョウノのいるゲーセンは治安が悪い噂で有名で(その理由の一つにクマの存在もあるのだが本人に当然ながら自覚などない)学生は寄り付かない。
そういう事もあって、チョウノはどんな対戦相手なのか心を躍らせていた。
どんなヤツだろう……強いのかな?と。
「ぶっ飛ばせチョウノ!この一年でお前、強くなったんだ!同い年のヤツなんかに負けるなよ!」
トムはセブンティーンアイスを口にしながら、チョウノの応援に声を上げる。
多分、向かい側にいる相手にも聞こえる音量で。
「そうだそうだ!漢を見せろよチョウノ!」
クマも加勢する。
(よ~し……)
チョウノが得意なキャラは、このゲームの主人公。
彼が初めて、ヒロが使うこのキャラがかっこいいと思ってずっと使っていたキャラだ。
対する相手は……。
「お、相手はタメキャラか」
「こっちは弾(飛び道具などの攻撃技)持ってるし、落ち着いて行けば勝てる勝てる」
(今一瞬、同キャラにしようとしてなかったか……?そのキャラ選んだの、なんでだろう?)
タメキャラというのは、例えばキャラが画面の右側にいる際は右にレバーをしばらく倒し、相手の方向へレバーを倒して攻撃ボタンを押し、技を発動させるキャラクターである。
要は「後ろにためて、前に攻撃を出す」と言えばざっくりとした説明になるだろうか。
キャラクターを選ぶ際、チョウノは迷いなく主流のキャラを選び、相手も同じキャラを選んだところでボタンも押さずに3秒間の沈黙が画面の向こうから流れた。
そして選んだキャラは、飛び道具もないキャラクターだった。
(ぼくが選んだ後にわざわざそのキャラを選ぶメリットってなんだろう?ガン待ちするなら別のキャラを選ぶだろうし、打ち合いを避けた?よくわからない。やっぱり初心者かな?)
疑問はいろいろあれど、初心者なら自分が教えてもらったように対戦してやろうと。
(そうだ、同い年ならこの対戦で仲良くなれると良いな……同い年のゲーセン仲間なんていなかったし)
チョウノは口の端に笑みを見せる。
だが対戦が始まって20秒後、そんな悠長な事を考えていた自分をブン殴ってやりたくなるぐらい激しい衝動が駆け抜けた。
「……!!」
相手の使うキャラクターは弾もなく、近づいて攻撃をしなければならず、弾を持っているチョウノのキャラの方が断然有利だと思っていた。
繰り出される弾をやり過ごし、近づくので精一杯だろう。
弾に対して飛べば、飛んだ相手に対して追撃……対空で叩き落す。
近づいたら足払いで転ばし、起きたところを攻めて追撃してやろう。ぐらいな気持ちで挑んでいたが……そんな平和な試合なんかではなかった。
「!!おい、今こいつ弾抜けたぞ!?」
「タメキャラだよな!?今タメてた!?いつタメたんだ!?」
トムとクマが後ろで驚きの声を上げるのを背中で受けながら、チョウノは全身の血が沸騰するような気持ちでいた。
ゲーセンに来ていろんな人物と練習したり、対戦して負ける事はあったが……同い年の見知らぬ少年相手に負ける事に対して抵抗があったからだ。
(負けたくない……!!)
今まで、ただ楽しく格ゲーをやっていたチョウノは本人も無意識の中そんな気持ちでいっぱいだった。
見たこともない動きをする相手に対して、いろんな先輩たちに教えてもらった戦い方や、見た戦いを駆使して今の自分を力の限り出し尽くす。
(コイツには、負けたくない!)
だが、チョウノの出している力の一歩先、一歩先を相手は悠々と飛び越えてくる。
「そんな至近距離から弾抜けされたら……怖くて打てねぇよ」
相手から感じる威圧感。
舐めていたと言えば、完全に舐めていた。
同い年でこんなに強いヤツがいきなり現れるとは想像もしていなかったからだ。
今のところ1-1の引き分け。
チョウノの体力はあと一発、二発食らえば負ける。
それは相手にも言える事。
チョウノの周りと相手の威圧感がこの一帯の空気を飲み込む。
相手との距離が弾を抜けたところでもまだ安全な間合いだと見計らったチョウノは。
(近づけさせてやる……きっと相手は俺が"近づけさせたくない、安全な場所で弾を撃ってくる"と読む。だが近づいたところで投げてやる!)
奇襲を選んだ。
格ゲーの中では一瞬一瞬の読み合いが勝敗を左右する。
相手がタメ攻撃で投げを抜けて近づいたところ、攻撃が終わり一瞬の硬直の後、近づいて投げる事を選択したのだ。
(来い……!)
弾を撃つ。
少しでも間合いを読み間違えれば投げ抜け中、攻撃が発生している相手にぶつかって負けるかもしれないところで。
そのギリギリの戦いの中、トムとクマは声を上げた。
が、その直後。
「うっ……!」
「超必殺技!!」
チョウノの弾を読んで、相手は弾抜けに超必殺技を入れ込んだ。
超必殺技(スパコン、または超必と呼ぶ)とは、必殺技と違い【超必殺技ゲージ】というゲージを相手の攻撃をガードしたり、もしくは相手に攻撃を当てる、必殺技を入力すると貯まるゲージがあり、それをMAXまで貯めると出せる非常に高い攻撃力を誇るものである。
入力数が必殺技とは違い、多少複雑になっているが相手は明らかに早い手さばきでチョウノの攻撃に合わせて繰り出して来た。
弾を撃った後のチョウノには攻撃発生後の硬直があり、いわば無防備状態。
対戦は、そこで終了した。
「……ッ!」
チョウノは突然その場から起立し、トムやクマの間をくぐって向かいの対戦台に駆け寄る。
そこには次の対戦を待つわけでもなく、早々に立ち上がって帰ろうとする少年の姿。
「ねぇ!」
その少年に向かって、チョウノは呼び止める。
「……」
「キミ、えと、名前は?」
帽子を深く被った少年は横目でチョウノを見据え、さらに帽子を深く被って言った。
「彗」
「ぼ、ぼくはチョウノ!キミ、強いね……ここら辺じゃ見かけない顔だけど……」
そこまで言うと、彗はチョウノが全てを言い切る前に足早に出口へ向かった。
「ぼく!ここで毎日やってるから!またやろう!次は、負けないから!」
彗はチョウノの言葉を背に受けながら、内心かなり冷や冷やとしていた。
なぜなら彗は、チョウノの事を知っていたからだ。
対戦をしている最中、向かいの対戦台から聞こえる「チョウノ」という声に聞き覚えがあり、ここら辺の地域でチョウノなんて言う珍しい苗字は彼一人しかいないのだから。
(顔……は、そんなに見られてないか……危なかった)
彗という名前は本名ではない。
石川 敏男がトムと呼ばれ、大熊 哲がクマと呼ばれているのはプレイヤーネームであり、ゲームをプレイする上での名前だ。
本名を知っている人間もそんなにいないだろう。
彗も同じく、プレイヤーネームだ。
(決めててよかった……本名で呼ばれたらバレる)
中には身バレを防ぐためにプレイヤーネームを名乗る者もいる。
彗もそうだった。
(もうあのゲーセンに近づくのは止めとこ……)
チョウノにはああ言われたものの、もう一緒にプレイする事はないだろう。
なぜなら彗は、チョウノと同じ高校の生徒だったからだ。
彗はフと思い出す。
日曜日に大会がある、とナルミツに誘われているが確かトーナメント表の名前にチョウノの名前は入っていなかった事を。
ポケットの入れていたメモ用紙を広げる。
ナルミツには曖昧な答え方をしていたが、実際のところ彗は今度行われる大会が気になっていた。
メモ用紙には大会出場者の名前がメモされている。
(ナルミツさん、クロウさん、藤倉さん、ヒロさん、トムさん、クマさん、ドラゴンさん、エイジさん……)
「よし、いない」
納得したようにうなずく彗。
すると反対のポケットにしまっていたポケベルが鳴りだす。
”オソイ ハヤク カエレ”
時計を見ると夜の8時を回る頃だ。
彗はポケベルをしまうと、駆け出す。
(次は負けない……か)
「それを言うなら"次は勝つ"でしょ」
なんて独り言が、夜の街へ消えていった。
つづく