姉の幸せ
噛み合わない姉妹の話の妹視点。
姉が、帰ってきた。
6年前に姿を消した、姉が。
私より11歳離れてる、姉。
私が成人する前に消えてしまった、姉。
羽振りのいい商人の父と1代限りの男爵令嬢の母との間に生まれた私達。
女で父の商会は継げないけれど、男爵の祖父が居たからより良い結婚の為貴族の教育も受けていた姉。
長らく一人っ子として育った姉は、両親の期待を背負って生きていた。
そしてその証として、同じ年の子爵家の三男で医者を志す婚約者が出来た。
婚約してしばらくすると年の離れた私が生まれた。
遅く生まれた私は両親からの愛を浴びるほど与えられた。
まだ11歳だった姉は、どんな気持ちだっただろうか。
けれど、姉も私をとても可愛がってくれた。
私は無邪気に育った。
姉は成人後直ぐに婚姻をするはずだった。
けれど婚約者が医者の勉強のため隣国に留学したいと言った為、延期となった。
両家の話し合いのもと婚期を逃す姉の為、誓約書も交わされた。
その間、姉は婚約者の帰りを待ちながら勢力的に商会で働いていた。
帰ってこない婚約者を知る異性からアプローチも受けてたようだが、全て断って。
そして、1年。3年。5年。
婚約している時間と同じぐらい、離れ離れの姉達。
そして、子爵家から知らせが届く。
隣国で婚約者に子供が出来た、と。
姉は、嘆かなかった。
私から見た姉に変わりはなかった。
速やかに両家で話し合いが行われ、子爵家より多めのお金を渡されて婚約は無かったことになった。
両親も私も、姉を心配し気を配った。
けれど姉は笑って仕方ない、と言うだけだった。
けれどある朝、姉は忽然と消えた。
姉の持ち物は殆ど残ったまま、置き手紙もなく。
警邏隊に縋ったが、婚約白紙の噂が立っていたせいか事件性は低いと見られ捜索は早々に打ち切られた。
それでも私達家族は探そうとしたが、探す場所がなかった。
姉の親しい友人は皆結婚し疎遠となっていたり、婚約白紙で距離を置かれたりしていた。
商会で同じように働く人達は父の娘としての姉しか知らず、行き先を知るような人も居なかった。
こんな事、姉からは一言も聞いてなかった。
姉は私達には何も言ってくれなかった。
だから私達には姉を探すことが出来なかった。
姉が居なくなって2年後、元婚約者が帰ってきた。
姉が居なくなったのを伝えたはずの子爵家に私達は呼ばれる。
そこには、元婚約者とその両親。
そして母子と見られる子爵家の使用人が。
子爵から重々しく告げられた話は驚くべき内容だった。
元婚約者に子供が出来たと言う話は全くのデタラメだった。
元婚約者に着いて隣国に渡った侍女。
その侍女は元婚約者に懸想していて、元婚約者の婚姻を無くそうと画策した。
そしてそれには子爵家にて子爵夫人に仕える侍女であり自分の母をも巻き込んで。
娘の恋心の成就と、元婚約者に対する恋情の見えない姉との仲なら婚姻が成されなくても大丈夫だろう、と、母親は考えたらしかった。
娘は娘でこまめに届く姉から元婚約者への手紙を全て握り潰して。
元婚約者には侍女の母より子爵の筆跡を真似た姉都合による婚約白紙の手紙が届けられ。
元婚約者が帰るまでの間にどうにか元婚約者と恋人または婚約者となれば許されるとでも思ったのだろうか。
思っていたのだろう。
元婚約者と侍女の関係は変わることなく帰国となり、全ての企みが皆の知る所になった。
母子は青い顔をして全てを話終えると床に膝をつき私達に最大級の謝罪をした。
貴族である子爵を謀った彼女達にはこの先厳しい結末が待っているのだろう。
けれど本来謝られるべき姉はもう居ない。
終始、俯いていた元婚約者が顔を上げ私達に告げる。
姉を探す、と。
元婚約者の心には姉がまだいて、こんな終わりに納得が行かないと。
子爵も姉の失踪を伝え、違う道を指し示したが頑として譲らない為好きにさせるとの事だった。
私達には姉の心がわからない。
だから断る事も、勧めることも出来ずただただ理解を示すだけだった。
元婚約者は医師として国中を周りながら姉を探していた様だった。
私達家族はとっくに諦めていたのに。
姉が居なくなった我が家は歪な家族の形をどうにか支え合って暮らしていた。
父も母も私も、姉がいた頃の暮らしを思い出せないまま。
そしてゆっくりと時間だけが過ぎて5年。
海を隔てた他国に行って戻ってきた父の知人の商人から姉らしき人を見たと話された。
父と母は再三その商人に確認したが、成人後の姉を知る彼は間違えようも無いと言い切った。
そして、姉と話をしたとも。
姉は仕事が一区切りする来年に帰る事を家族に伝えて欲しいと言伝た。
そしてその通りに姉は帰ってきたのだ。
6年見ることのなかった姉は、華やかに笑う女性になっていた。
歳を経た経験に裏打ちされた表情はどことなく父に似て、品のある落ち着きは母に似ていた。
私は聞いた。
どうして居なくなってしまったのか、と。
姉は言った。
居ても居なくても一緒なら居なくても良かったじゃない、と。
父も母も私も言葉を無くした。
姉は姉という役割でしかこの家に居れなかったのだと。
婚姻すればやっと自分の居場所が出来ると思っていたと。
けれど婚姻が無くなり誰からも必要とされないなら自分にも必要じゃ無いと思い、捨てる事にしたと。
少しの衣類と貯めたお金を持って海を渡り、商会での経験を元に下働きから始めて、やっと自分の商会を持てたと嬉しそうに話す姉。
捨てられた私達の目から見ても姉は商人に見える。
青い顔をした私達を置き去りに、姉はこの6年を語る。
その途中、姉の元婚約者が姉の帰宅を聞きつけやって来た。
商人の顔のままの姉は嬉しそうに元婚約者と握手をする。
そんな姉に元婚約者が戸惑っているうちに更に姉は話し続ける。
海をへだてたかの国に愛する伴侶と子供に留守を任せた事を。
元婚約者の顔が強ばった。
彼は姉を諦めきれず未だ独身だった。
けれどそれは姉の知るところではない。
無邪気に元婚約者の子供の様子を聞く姉。
しかし元婚約者の様子に異変を感じた姉は、とうとう尋ねてしまった。
そこから元婚約者は簡潔に事の顛末を語った。
あわよくば姉の心を取り戻せないかとの望みを抱いているのは私からでも理解出来た。
しかし、姉は一瞬だけ困った顔をしただけでまた商人の顔をして元婚約者を慰めただけだった。
気まずい私達を取り残し、姉は語るだけ語ると家族や仕事がある為帰るといい船に乗って海を渡って行ってしまった。
姉の帰る場所はもうこの家、いやこの国では無いのだ。
父も母も一気に老け込み、数日塞いでいた。
私もモヤモヤとした気持ちを抱いたまま仕事を熟す日々。
姉の元婚約者は姉を探すことは辞めたが医師として変わらず国中を周る事は辞めなかった。
数ヶ月後、姉から手紙が届いた。
大きな仕事を成功させる為、我が家に姉は居なかったことにして欲しい。妹の私が居れば十分だろう。3人で楽しく暮らして欲しい。育てて貰った恩は返す。元気で。さよなら。
明らかに高額な宝石類と共に姉の伴侶からもたらされた手紙。
もう姉は二度とこの国の土を踏まないと言う言葉を投げ捨てるように吐かれ、姉の伴侶は帰って行った。
私達家族は姉の本心を知ること無く姉と他人になった。
ただ1つ言えることは、姉の幸せはこの家でも元婚約者の隣でも無くかの国にあった。
それだけのはなし。