9 魔物の異常発生
その日は朝から変な天気だった。雨が止んで、あっという間にひどく強い日差しになったかと思ったら、また雨。大きな雨雲もないのになぜ雨が降るんだろうと不思議に思って空を見上げているとまた止んだ。
この天気のせいで午後は休校になった、なんでも魔物が王都に近づいているからだという。
「雨と関係あるの?」
帰り支度をしながら隣の席のエドガーに聞くと彼は少し声を落として言った。
「天候を操る魔物もいるんだ、有利な環境に変えようとしてるんだよ」
魔物に知性があるなんて想像していなかった、以前見せてもらったイラストの巨大動物をそのままイメージしていた。
「魔物って頭いいんだね」
そういうわたしにエドガーが少し笑った。
「本能でやってるだけだ、それぞれが勝手に晴れにしたり雨にしたりしてる。本当に知恵があるなら雨グループ、晴グループを作るはずだろ?」
「でもじゃぁ、雨好きな魔物と晴れ好きな魔物の両方が近づいてきてるってこと?」
わたしの言葉にエドガーにしては珍しく緊張した顔で頷いた。
「天候を操れる魔物は上位種だ、それが複数現れるなんて、そうそうあることじゃない。エナは王宮から出るなよ」
彼は、エナは出るな、と言った。自分はどうするつもりなの?
「エドガーは討伐に行くの?」
「俺の家は代々騎士職をしている、いざというときは女、子供もみんな戦う」
「わたしも行く」
「おまえバカか?死ぬかもしれないんだぞ」
「でも魔法でエドガーに負けたことないよ」
エドガーは何言ってんだと呆れている。
「無料で衣食住を賄ってもらって勉強までさせてもらってる。わたしでやれることがあるならやらなきゃいけないと思う」
いつの間にか護衛騎士さんが近くに来ていた。
「殿下にお伺いしてみましょう」
と言う彼の発言にエドガーがかみついた。
「エナに実践なんてまだ早すぎる、それに相手は上位種だぞ」
「ルバイ伯爵令息」
騎士は恐ろしく低い声を出した。
「状況は、ご存じなのでは?」
「それは」
急にエドガーがしぼんだ。状況って魔物の状況だろうか、それほどに悪いのか。
わたしは机の中にあった紙を取り出し殿下に、討伐に参加します、とだけ書いた。彼もきっと反対するだろう、だから許可を求めるつもりはない、これは報告だ。
「アルフレド殿下へ」
手紙に魔法をかけると、それは鳥の形になりぱたぱたと飛んで行った。
「じゃぁね、エドガー」
何か言いたそうな顔をしているエドガーにわたしは笑顔で告げた。
部屋に戻って支度をしていると渋い顔をしたマリアさんが入ってきた、わたしが討伐に行くことを殿下から聞いたんだろう、反対したであろう彼女は、それでも必要な物を揃えてもってきてくれたのだ。
外套に丈夫な手袋とブーツ。他にもマリアさんが集めてくれた道具をカバンにつめた。
「これは殿下からです」
マリアさんが台座に乗せて持ってきたのは高そうなブローチ。
「パーティに行くわけではないのですが」
マリアさんはわたしの言葉にゆっくり首を振った。
「これには身を守る補助魔法がかかっています、止めても聞かないだろうから、と殿下がご用意くださいました」
『止めても聞かないだろうから』
そのセリフがいかにも殿下らしくて、彼の優しい笑顔が思い浮かんだ。
魔物を迎え撃つ場所は王都から少し離れた平原と定められ、わたしたちはそこで時が来るのを待っていた。
日暮れになり、先陣と魔物の衝突が始まったと知らせが入った。わたしは魔法が得意とするグループに配置され、実践経験のない者は後衛になった。
時折誰かが放ったのであろう魔法の音が聞こえるだけで周囲は穏やかなものだった。日は落ち、すっかり夜の時間になったため、わたしたちは明かりを灯す魔法を次々と放ち、前線が暗くならないように気を配った。
「危ない!」
誰かの声が聞こえてとっさにふせた、その上を大きな火の玉が通り過ぎ爆発した。身をふせていると誰かが覆いかぶさってきた。
「エナ」
「殿下!」
彼に怪我をさせるわけにはいかない、でも火の玉は次々と飛んできてわたしは彼に守られるようにふせていることしかできなかった。
魔物の攻撃が落ち着いたところで素早く這い出した。
「殿下が怪我をしたらどうするんですか!」
「ははっ、それだけ元気なら安心だな」
いろいろ文句は言いたかったがそれどころではなかった。魔物がすぐそこまで来ていて、わたしは他のひとたちと同じように魔法で、殿下は剣で応戦する。
これじゃだめだ、いずれ全滅する。人間の人員や体力には限りがあるが、あちらは無尽蔵に湧いて出てくるかのように減る気配がない。
殿下が近づいてきて言う。
「ここは危険だ、君は引いたほうがいい」
「引くってどこへ?平原が破られたら次は王都です」
唐突に言葉が浮かんだ、後から考えれば不思議なことだったが、そのときはそれに従えば勝てるという確信があった。
「エナ?」
「大丈夫、勝てるわ」
わたしは彼に笑顔を見せ、その場で集中した。上空に魔法陣が浮かび上がり、それはわたしの魔力を受け広がっていく。充分な大きさになったところで、
「消滅」
わたしの合図でそれは弾け爆発し、周囲の魔物を一掃した。
爆風が収まると魔法陣はキラキラした粒子となって降ってきた。そっと手を伸ばすと掌に触れたそれはすうっと消えた。
「こんな魔法、よく使えるな」
殿下がわたしの隣であきれたように言った。わたしはただ心に浮かんだ言葉に従っただけだ。
「これって有名な魔法なんですか?」
「古の魔法だよ、桁違いの魔力がなければ放てない強力な魔法だ」
「桁違いの魔力があったんですね、わたし」
「強い魔力を持ってるのはわかってたけど、やはり異世界人だから規格外なのかな」
魔物は絶滅するとチリになって消える、だからなにも残らない。周囲を見渡せば、先ほどまで戦場だったとは思えないほど、穏やかな空気が流れていた。
この世界には魔物がいて襲われたら簡単に死んでしまう、ここはそういう世界なのだと改めて認識させられた。
明日には死んでしまうかもしれないのなら、わたしに好きな人がいて、その人もわたしを好きだと言ってくれているのなら、素直に受け入れていいのだと思えた。
「殿下、求婚をお受けします」
わたしの言葉に殿下は驚いて、それからゆっくりと言った。
「今、なんて?」
「あなたと結婚すると言いました、わたしをお嫁さんにしてください」
きっとわたしは赤い顔をしている、頬が暑くなってるのがわかるから。
殿下は一瞬泣きそうな顔をして、すぐわたしを強く抱きしめた。
「エナ、好きだよ、愛してる。誰よりも君を大切にする」
「わたしも好きです」
わたしたちは見つめあい、どちらかともなく顔を寄せた。初めてのキスは甘い幸せに満たされていた。
あの一撃で勝負は決まった。中央勢力をごっそりとそがれた形の魔物たちは散り散りになり、少数相手なら負けなしの騎士たちはそれらを次々と始末していった。
空が明るくなってきたころには大半の魔物が狩られ、いつもと変わらない日の出に日常が守られたことを確信した。
こうして、わたしの初めての魔物討伐は幕を閉じた。
学園は数日後には再開し、わたしは今まで通りに講義を受けていた。先日の討伐で見せた古の魔法は噂になっていて、いろいろなひとから話しかけられるようになった。
「やはり聖女はエナ様では?」
わたしに話しかけてくるひとは決まってこう言ったけどわたしは否定した。
「それはまだわかりません」
やんわりと、だけど有無を言わさぬ迫力を持ってそれを告げると、みな一様に口を閉じた。
そんな日々を送っているとき、前に図書館でからんできた二人がやってきた。嫌な予感がして避けようと席を立つと背中から言われた。
「聖女様はあなたではなくミサキ様だそうよ」
それは周囲にも聞こえるような大きな声だったから講義室は途端に静まり返った。
「それはどういう意味ですか?」
努めて冷静に尋ねると彼女は得意げに説明してくれた。
「ミサキ様は強力な治癒魔法を発動されたそうよ」
強力な治癒ってなに?そんなものを使わないといけない状況になってるってこと?
「高橋さんは無事なの?」
「ミサキ様は聖女様よ、ニセモノのくせに気安く呼ぶなんて不敬だわ!」
しんとしていた講義室は途端に大きな騒ぎとなった。聖女はミサキ様だ!と叫んで講義室を飛び出していった生徒もいる。やがて管理課の文官たちがやってきて今日の講義は終日取りやめとなり、生徒は帰宅を指示された。
王宮に戻るとそこも騒然としていた。今まですれ違うと誰もが会釈してきたけど、わたしのことはもう見えていないかのように足早に立ち去っていく。
本当にわたしは聖女ではなかったようだ。
『ニセモノのくせに』
そう、わたしはニセモノだった。