数年よりも数日が印象に残ることもある
マサルとリコが温泉に浸かる暇は、ついぞ無かった。
バイザ一家の集落へ来るときに一日と半日かかった道程を、復路では一日で踏破しなければならなかった。
理由は色々とあるが、最も大きいのはやはり、あの謎の二人組の襲撃者の存在だった。あんなのに山の中で、それも夜に襲われたら、無事では済まないだろう。
それについて出発直前に、リコがマサルにこう言ってきた。
「言っても始まらないんだけどよ……あたしらが急いで山を下りること自体、あいつらの思惑通りなんじゃねえかなあ……」
「向こうの目的をはっきりさせられない以上は、推理してもきりがないよ。俺らはシズの丘に行く。でも夜の山は危ない。だから急いで山を下りる。みんな、それをよく頭に入れておこう」
集落のある盆地はまだうっすらと明るくなってきたばかりで、気温も低い。玄関から溢れるランプの灯りもあたたかく感じられる。
マサルの言葉にみなが納得すると、デューロが言った。
「じゃあ、リコ姉ちゃんは先に行ってくれよ。マサルさんたちのペースは俺がきっちり守るから」
「おう」
二人はお互いの手の平を軽く叩き合う。
女将さんに軽く会釈をすると、リコは一足先に道を走った。
「結局、あんまりおもてなしできなかったねえ。マサルさんはもう一人お嫁さんがいるんだって? 今度はその人も連れてきなよ」
そう言われて初めて、マサルは今回の旅の元々の目的が既に達せられていることを噛み締めた。
姉妹の父親の死がわかった以上、ぐずぐずとこの地に留まっている理由は無い。
本山の様子次第ではまたすぐにここに戻って来ようなんて考えもあったが、それよりは一度、自分の集落に戻るべきだろう。
それでも……とここのことが気になるのは、たった数日の縁でも、バイザ一家や、この山自体に愛着が湧いているからに他ならない
マサルは少し迷いつつも、女将さんに自分の考えを話した。
「もし、もし何か困ったことがあったら、古き神の森の集落に来てください。悪くはしないんで」
「ふふふ、若い子に心配してもらえるってのは嬉しいもんだね。『もし』なんて無くても、暇なときにうちの人やデューロと遊びに行くよ」
女将さんとの別れの挨拶はそんな内容であったが、出発して、集落が見えなくなった辺りで、デューロが言った。
「ああ言ってたけど、母ちゃんはあそこを動く気は無いと思う」
その言葉には寂しさよりも、母親らしさを大事にしたい息子の気持ちが滲んでいるような気が、マサルにはしたのだった。