優しさは哀れさを育む
そういえば、一度もリコの父親の名前を聞いていなかった。
今更のように気付いたマサルは、自分の中にどこか、このまま何事もなく終わって欲しいという気持ちがあったことを自覚せざるを得なかった。
イベはそういう機微には敏感だったはずで、もしかしたら彼女はそんなマサルの気持ちを見通していたのかもしれない。
ただイベが父親についてどう思ってるかは、自分の心以上に霧の中である。
さて、リコはマサルを然るべき場所に案内した。
それは墓石の群れの最後尾であり、同じ墓地の中でもそれなりに意味のある場所のように思えた。
リコはマサルが持ってきた松明を墓碑にかざして一字一句を改めて確認した。
『優しきトガル、ここに眠る。生まれは古き神の森という』
ここに亡くなった年と月まで加わっており、丁寧な墓碑であった。ここは本来の家族以外の者たちが寄り集まっていたはずで、出生を少しでも記すのは必要なことだったのだろう。
「はあ……くそ、どっかで死んでれば良いと何度も思ったけど、いざ死んでると……やっぱ複雑だわ」
「うん。でも、弔ってくれる人はいたみたいだ」
「……それは、きっとお前みたいに優しい奴だったんだろうさ」
冗談なのか、本気で言ってくれてるのかはともかく、この墓地を作ったのは昨晩出会ったおじいさんのはずだ。
ここにある墓石の全てを彼一人で用意できたとは思えないのだが、往時を知る人物であることは間違いない。
「あのおじいさんが捕まえられれば、詳しい話を聞けるんだけどな」
「聞いてどうしろってんだ?」
「……」
「わりい……いや、ごめん……ちょっときつかったわ。まあ、努力目標ってことにしようぜ、それは」
マサルがそうだったように、リコもまた、ここに来てようやく自分が気持ちのどこかしらにストッパーを設けていたことに気付いたのだろう。
いや、彼女の場合はマサルよりもずっと長い間、父親について折り合いを心の中で付けてきたのだ。
その中で自分なりに誤魔化してきたものもあったろうし、それは誰かに責められるようなことではない。
自分の父親や母親も、いなくなった俺のことについて考えなきゃならないのか。
そう思うと感情の崖下に突き落とされそうな気がしたが、今はリコのためにもこらえたのだった。
「そろそろ戻ろう。ソトクが料理の用意してくれてる」
「あいつの料理? おばさんのは美味しかったけど、大丈夫なのかね」
「俺よりは上手いんじゃない?」
冗談を言い合いながら、マサルはリコを先に行かせた。
それから、自分だけで少し考えた。
おじいさんがこのままいなくなったら、誰がここを守るのだろう。
自分たちの安全もどうなるかわからないのに、余計なお世話かもしれない。それでも、努力はしたかった。