食欲を満たしたからといって他の欲が無くなるわけでもない
「お客さん、お客さん」
場違いな呼びかけを聞いたマサルとリコは、声の主がバイザだとすぐにわかった。
二人は朝食を食べてからは一緒に見張りをしていたから、バイザの手前、少しバツが悪かった。
「まだ昼まで随分ありますけど?」
慣れというのは恐ろしいもので、こちらの世界に来てから数週間程度しか経っていないのに、今では陽の高さと腹時計の加減で大体の時間がわかるようになっている。
バイザはちらりと辺りを気にしてから、ここに来るまでに整理しておいたらしいことをすらすらと話した。
「今朝、うちの集落の者と兵隊が合同で、こっちに向かい始めました。それこそ昼には到着すると思います」
付け加えようと思えばいくらでも付け加えられそうなところ、可能な限り削ぎ落とした内容である。
「昼には……ってことは、山賊がここにいることがわかった上で向かってるってことですよね」
「ああ、そうじゃなきゃもっと時間がかかるはずだよな」
それについては、バイザがあっさりと答えた。
「あっ、それは私がタレこんだんですよ。あちこち荒らされちゃあ、たまったもんじゃないんで」
もっともな話である。時間がかかって何か良いことがあるわけでもないし、明るい内に片付けばそれだけ集落の人達の危険が少なくなるだろう。
「私は特に山に慣れてますから、先に様子を見てくるって言って、抜け出してきたんです。なのでまあ、そろそろ戻らないとでしてね」
それを聞いたマサルとリコは、バイザにこの一晩の間のことを教えた。
彼は自分の顎を撫でてから、頷いた。
「十人ですか……なるほど、それならまあ、大したことにはならんでしょう。こっちは兵隊さんたちだけで四十人もいるんで」
「すると、集落の人らはほとんどが荷物運びと後片付けが仕事になるな」
「おっしゃる通りで、エルフの兵隊さんの荷物をえっちらおっちら運んでますよ」
そういえば、ジュカの国の兵隊はほぼ全てがエルフなわけか。
マサルは想像してみる。エルフの装備をオークが運ぶ……これはとても効率が良いだろう。牛や馬と似ているが、それらと違って言葉での意思疎通まで出来る。
それでもこの国……いやこの世界において、エルフとオークの混成というのは稀なのだと、以前にリコは言っていた。
『自分たちのことは自分たちでやりたい』
そんな思考が思考生命体には必ずあるわけで、ましてや命がかかる場面ではより自分と似た存在とだけ協力し合おうとする傾向が排除出来ない。
これは大規模な同盟軍でもそれぞれの部隊は独立していることや、男なら男で固められやすいことにも繋がる。
日常においての境界を消す努力をしない限り、「非常時だから」と無理に垣根を取っ払おうとしたら、かえっていざこざのもととなる。
それが上手くできたのがイベとリコの集落なわけだが、ソトクのような者は出てしまうわけで、何事も明確なゴールなんてものは存在しないのだろう。
「それで、バイザの旦那は戻るとして、あたしたちはどうする? 今からでも集落の奴らと合流しようか?」
リコの言葉に、マサルは雑多な思考をしまい込んだ。
「うーん……そいつは私も悩んでたんですがね……念の為、いつでも出てこられる場所で隠れててもらえますか? ちょうどこの先から、集落から来るのとは反対側におりられる場所があるはずなんで、そこら辺でどうでしょう」
さばさばとした所があるバイザにして歯切れが悪い。
「それは良いですけど、何か心配が?」
「これは私が修道院育ちだからってだけの根拠なんですがね……」
「ふむ」
「フージ教の修道士ってのは、商人顔負けの情報網があるんですよ。それなのに一切、兵隊さんらの動きに絡んでこないってのが……どうもね……」
お膝元といえる場所で、戦闘行為をしようというのである。バラニがバイザたちの集落に出入りしているくらいなら、どこにどんな建物があって、賊がどこにいるかも予測が付いていそうなものだ。
「考え過ぎですかねえ」
「いや、俺らが下手に加勢しても何かが変わるわけじゃないだろうし、それなら一応の備えに回りますよ。その方がバイザさんも安心して集落の人達と一緒にいられるでしょ?」
「……ありがとうございます。では、私はこれで。もし本当に何かあった場合、昨晩のキャンプ地点で落ち合いましょう」
バイザの顔からは、幾分か不安の色が拭われていた。彼は今一度だけ崖下を確認してから、再び森の中を経由して集落の仲間の所へと戻っていった。
彼が去ってから、リコは言った。
「……なあ、ばれたかな?」
「だ、大丈夫じゃないかな? 多分」
実は二人で、朝食の後に軽めの運動をしていた。
バイザが現れたのは、ちょうどそれが終わった直後だった。