泡風呂ではないし湯気もないので修正処理ができない
村の奥にある泉でイベとのみそぎを済ませたマサルは、悟りの境地に達していた。いわゆる賢者タイムである……が、別にやましいことはしていない。
本当に体を洗ってもらっただけだ。それだけなのだが、思い出すと申し訳ないやら恥ずかしいやらで、なんというかもう、鼻息が荒くなる。
そもそも自分自身でもオークの体を理解してないので、脇毛が意外と薄いこととか、男性器の大きさだとか、一々びっくりしていた。
途中から「これはカーツさんの体だ」と自分に言い聞かせて考えないようにしていたが、イベの優しげな声はマサルの精神に直接しみたのだった。
『意外ときれいですね。死んでた間は汗が出なかったからかな?』とか『かゆいところありますか?』とか『帰ってきたら、また洗ってあげますからね』とか、どこまで本気で言ってるのかわからないことだった。
そんなこんなでいざ出陣に至ったマサルだったが、イベとは当然ながら別行動だった。
彼女は族長の祈祷が途切れないように、あれこれと世話をするのだという。
マサルをこんな体にした神様相手の祈祷なら多少はサボらせた方が良い気もするのだが、それは他のオークやエルフにとっては関係がないことだ。
マサルは具体的な信仰対象をぱっと思い付ける生活はしてこなかったのだが、とりあえず今はイベに祈ることにした。
「おいっ! 姉貴のことばっか考えてんじゃねえよ!」
リコに怒鳴られて、マサルはぺこりと頭を下げた。
「ご、ごめん。ちゃんと、リコさんのことだって考えてるから」
「……」
気安いことを言って、怒らせてしまったろうか。
自分はまだ浮かれてるのかもしれない。もうじき、森の出口に辿り着く。
マサルは自分の頬をパンパンと叩いて、目を覚まさせた。
とりあえずの第一目標は、マサルとリコが少し迂回する形で森を抜けて、街道沿いに出ることである。
キンカたちの本隊は、街道と集落を結ぶ最短距離、森を少し入った所に待機している。
この配置は、もしも敵が先に動いて集落へ向かってしまった場合にも対応するためだ。そうなったときは本隊の動きに合わせて、マサルやリコが敵の側面から殴り込むこととなる。
「こんな二段構えの作戦を考えるなんて、キンカさんって何やってた人なんですか?」
「えーっと、おばさんがうちのお袋と仲が良かったって話は聞いたか?」
「うん」
「おばさんはうちのお袋が病気がちだったから、傭兵をしながら色んな所で薬を探してくれてな。嘘か真か、大陸の反対側まで行ったって話だけど……お袋はそのおかげで、あたしと姉貴がそれなりに大きくなるまで、生きてられたんだ」
その途中で学んだことが、今回のことにも活かされてるということらしい。
集落のエルフで他にリコのようなガチガチの戦士はいなかったことを考えると(それでも彼女たちは武器を手に戦えるだけの力はあるらしい)、リコはキンカに憧れているのかもしれない。
気になるのはこれまで一度も話題にのぼっていない父親のことだが……そういうことはむやみに聞くものでもないだろう。
「さてと、話の続きは無事に帰ってからだ。ほら、あそこが森の出口だよ」
「あっ、ほんとだ。エルフってやっぱり、目が良いんだ」
言われないと気付けないぐらい、遠くの方で木々に切れ目があった。
「っていうかな、オークがあまり良くないんだよ。そういえばお前、元は別の世界の人族だったんだろ? それと比べてどうだ? 見え辛いか?」
「いや、わりと普通かな……」
特別良かったわけでもないが、裸眼で生活できる程度の視力だった。
これでもオークの視力が低いというのなら、この世界の生物はおおむね目が良いのかもしれない。
「それ聞いて安心したよ。ま、お前はとにかく走ってろ。あたしが邪魔な奴は叩き切る」
「押忍!」
「ぶふっ……なんだそれ、変な掛け声だな」
「うちの世界の言葉で、こういう状況で言ってみたかったんだ」
気持ちが少しほぐれたところで、リコが少し険しい口調で言った。
「なあ、お前ちょくちょく、あたしに気を遣ったような言葉になるけどな……気にしなくていいぞ。名前も呼び捨てで良い」
「ああ、うん。わかった」
「よろしくな。よし、森を出るぞ!」
これも、オークの目が悪いせいだろうか。よろしくと言ったリコの顔は、これまでで一番嬉しそうな顔だった。
イベを悲しませないためにも、リコの身もしっかりと守らなくては。
もちろん、自分の命も……。