ぬるっとしてる温泉は草鞋があると楽
マサルは風呂が好きな方ではなかった。両親が共に熱い風呂が好きな人で、小さかった頃は「肩まで浸かれ」と言われるのが嫌だった。
今のオークの体の大きさでは、肩まで浸かろうと思ったら、それなりの広さの風呂でも、半ば背泳ぎ状態にでもならないと無理である。
が、マキヤ山の温泉では「足元注意」という意味の文字が書かれた場所が一際深くしてあって、そこだとマサルでも肩まで浸かることができた。
「ぶひぃ〜〜〜〜……」
自分のオークっぱなと口から、おっさんくさい声が漏れる。
「交尾のとき以外でもそんな声が出るんだな」
「うるせえ〜〜……」
いつものリコのスケベ発言に対しても、気合の入った返事ができない。
リコはリコで、少し浅めの場所で足を投げ出して湯に浸かっている。相変わらず隠す気が全く無いのだが、こんな開放的な場所で煩いことを言おうとも思わなかった。
集落とは反対側の谷の奥の方には、マキヤ山から連なる山々が白い帽子をかぶっていて、夕方にかけて空気が冷えてきたことで視界が澄んで、山肌の肌理が見えそうなくらいだった。
温泉は何ヶ所か分けられて湯が注がれていて、木材で上がり段が造られている所もある。何軒かある東屋には飲料水も貯めてあり、そこでくつろぐこともできるので、半日ぐらいはここにいられるだろう。
オークの感覚が人とどれぐらいの差があるかわからないが、特別熱いというような温度ではない。少しぬるりとするから、鉱泉なのだろう。多分。
こういう風呂だったら、マサルでも毎日入りたいと思えた。
バイザ……デューロの父親はこの時間帯に空いてる温泉の場所を教えてくれて、他には客がいなかった。視界の外からかすかに話し声が聞こえるので、他の温泉には人がいるのだろう。
デューロも一緒に汗を流せば良いとマサルは言ったのだが、「姉ちゃんと仲良くしてなよ」とませたことを言われてしまった。
彼の母親とも挨拶を交わしたが、キンカおばさんと似たぐらいの背格好にマサルには見えた。
「リコ〜……デューロのお母さんって、あれ何歳ぐらい?」
「あ〜? そ〜だな〜……二百歳いってるかいってないかぐらいかなあ。若いよなあ」
その年齢感覚がまだ全然ついていけないのだが、人間風に今のリコの言葉を訳すとするなら「あら〜、あの奥さん、四十歳なんですって〜。子持ちには見えないわ〜」とかそんなだろう。多分。
多分、多分。温泉が気持ちいいせいで、思考がかなりいい加減である。
集落に着くまではこれからのこととかが頭の中でぐるぐる回っていたのに、一挙に溶けてしまった。
リコの方はどうだろうか。
マサルは胡乱な思考の果てに、自分の両手の平を合わせて、水鉄砲をリコの方に飛ばした。
「ぶっは!? 何すんだよ!」
「油断大敵だぞ」
「……お前、ちょっとあがれ。うちの集落に伝わるアカスリを味わわせてやろう」
「えっ、何その気持ち良いはずなのに気持ち良さが感じられない言い方」
「ふっふっふっふっふ……」
他に客がいなかったことを、改めてマサルは感謝すべきだった。この後彼は、情けない声を何度も漏らすことになるのだから。