前に集中すると脇腹を刺される
本山の二十階にある談話室は、十人ほどがのんびりとお茶を楽しめる広さがあった。
そのうちの三人分ほどは使ってしまうのがマサルであったが、心配はいらない。
この部屋には現在、マサルを含めても四人しかいなかった。
マサルとデューロ、バラニ。そして、司教である。
「知らぬこととはいえ、古き神の森の族長ご夫妻を、家畜小屋に泊まらせるとは……大変失礼いたしました」
「いやあ、失礼だなんて。バラニさんのおかげで凄く快適ですよ」
「左様ですか? 言ってもらえればいつでも別のお部屋を用意させますよ」
何も知らない者が聞いていれば社交辞令の応酬に過ぎなかったが、あまり居心地の良いタイプの会話ではなかった。
ゲンイ司教は黒の僧衣に赤いケープを羽織っている。長身にぎょろりとした目が特徴的な人で、エルフの男性に抱きがちな明るく柔和なイメージはほとんど無かった。
大体、そんなに気遣うなら「奥様も是非ご一緒に」ぐらい言付けしそうなものだが、デューロからはそんな話は無かった。
うっかり忘れてたとかならともかく、デューロは仕事にかけては粗漏が無い。
そのデューロも席には座らず、どうもゲンイが嫌がるかららしかった。デューロはバラニの隣でもなく、出入り口の戸の横に立って、召使い同然だった。
高層に差し込む陽の光は柔らかいのだが、この場はいかんせん、影が濃過ぎる気がした。
マサルは相手の話題にただただ合わせておこうかと思ったが、やめた。
「それで、今日はお茶会に誘われただけなんでしょうか? それならお返しに、明日にでも妻と一緒に席を設けますから、おりてきてください」
「ははははは、族長どのはオークにしては冗談が得意なようだ」
どの部分がかはわからないが、冗談に聞こえたらしい。
彼は神経質そうにティーカップの縁を指でなぞってから、続けた。
「はっきりとお訊ねします。あなたは何をしにここに来られたんですか?」
「妻と巡礼に」
「嘘ですね」
そこまではっきり疑いを口にしても良い結果を生むことは少ないと思うのだが、ゲンイは別に改めることもしなかった。
彼は一度、バラニを視線で牽制してから、主張した。
「古き神の森は先代が亡くなったばかり。おまけにガナの街でも一騒動あったと聞いています。そんなときにのんきにこんな所まで観光に来るとは思えません。しかも、あなたは奥様が二人いるとのこと。一人を置いてまで来るからには、相応の用件があるに決まっている」
やけに詳しいな。それがマサルには何より気になった。
もしかしたら、世間話をした人たちの中に、司教の息がかかった人がいたのかもしれない。下手に隠そうとしていたわけでもないし、それについて責める気は無い。
ただ、こういう話し方をすればそういう人たちに疑いがかかるのは想像できるはずで、それを気にしないらしいゲンイの神経の方が、マサルには不快だった。
立場上、色々と気を回したくなるのは、マサルにもわからないでもないのだが。
とにかく、こういう相手にあれこれと誤魔化しても仕方ないだろう。
マサルはわざともったいぶったように顎を撫でてから、答えた。
「実は妻の父親が以前、こちらの修道院に立ち寄ったらしいんです。義理の父は長く行方不明のままで、妻のために直に確かめに来たのです」
「……ふむ」
でっちあげた嘘にしては特殊な事情であるから、信憑性はあったようだ。あるいは、彼にもそのオークに覚えがあるのか。
バラニが先代司教から聞いていたのだから、彼が知っていてもおかしくはない。
彼はしばらく、への字口をしたままティーカップを眺めていたが、やがて口を開いた。
「どうやら私の考え過ぎだったようですね。近頃はジュカの国の方からも何かと面倒事を押し付けられるもので、厄介事は遠慮願いたいのです」
そこでマサルに無礼を詫びはしない辺り、基本的には気遣いというものの価値が低い人なのだろう。
ところが、彼の評価以上に問題になることをマサルは耳にすることとなった。
「では、バラニからの申し出通り、この近辺の集落を回る許可を出しましょう」
冗談でしょう? とはマサルは口にはできなかった。
当のバラニは「良かったですね」とだけ言って、美味しそうに茶を飲んでいた。