風景を記憶できることは幸せだろうか
峠を越えると、そこには一面の果樹園が広がっていた。
深い森ばかりが目に入ると思っていたマサルは面食らった。旅慣れた風貌の他の旅人も、感慨深げに一度足を止めてから、再び歩き始めていた。
「ふえ〜、ここまで変わっちゃったのか。前はほとんど森だったんだけどな」
「今では果実酒用の果実畑です。輸出で国は豊かになりましたが、この光景はいつ見てもゾッとしますね」
リコとバラニの話を聞きながら、マサルは眼下に広がる果樹園を眺めていた。
果樹園で働いている人達が住んでいるらしい家屋の屋根はどれも新しく見える。元々住んでいた人達ではないのかもしれない。
強めの日差しが、辺りの影を濃くしていた。
マサルたちは国境の街でたっぷり三泊してから、ジュカの国に向けて再び歩を進めていた。
旅の合間としてはやや長めの宿泊は、想像以上にリフレッシュできた。
集落でも多少は休んだとはいえ、マサルが大の字で寝られたのは一晩だけである。しかしあまりのんびりしていたら、旅立ちへの決心自体が鈍っていただろう。
「なんでも、とりあえずやり始めちゃった方が後が楽なんだよ」
「あんたのそういう所、凄いと思うんだよねえ……ふふ」
そんな風にリコとの間で気持ちが解れる会話もできたし、とりあえずジュカの国で大きな事件や災害が起こってないことも噂話でわかった。
バラニも街にあるフージの教会で雑用を済ませることができたらしい。
宣教師というのは旅先で弁舌を振るうのが仕事だと思っていたが、実際には拠点ごとで教えに関する確認や、教会の運営で困ったことはないかといった事務的なことがかなり多いらしかった。
街道沿いを回っている方が気楽だというのは、まんざら彼女の謙遜でもないのだろう。集落ではイベと随分と親しげにしていたし、それも気晴らしになったかもしれない。
「ところで、昨日のお昼に何回やったんですか?」
峠を越えた先で果樹園を眺めていたとき、急にバラニが話題を変えた。
マサルは知らん顔をしたのだが、リコは反応がもろに顔に出た。色白の整った顔だと、こういうときは不利である。
「お、お前、いなかっただろ!?」
「うふふふふ……ベッドを使わなくたって、水瓶の水の減り方や部屋の匂いでわかりますよ……何より……ふふふふ、私が帰ってきたときのリコさんの満足さと気だるさが同居した顔……うふふふ、ふふ」
『この人、怖いなあ〜』とマサルは遠くを眺めながら思った。
修道院にいる人が、もし全員こんな性格だったらどうしよう。
考えない方が良さそうなことを考えてしまい、マサルは頭をかいた。