日常の価値はどれだけほっといてもらえるかによる
マサルとリコ、そしてバラニの旅立ちの朝がやってきた。
当のマサルからして、族長がこんなにフラフラしていて問題はないのかと思わないでもなかったのだが、そうした心配は杞憂であった。
「若い奴が急に族長ヅラして閉じこもってるより、フラフラしてる方がずっとましさ」
これはキンカおばさんの弁である。
多少は彼女の性格も影響した解釈であはるが、老オークたちにとってはある程度の方針さえ決まってれば、下手に若いものに口出しされるのは避けたいのも事実だった。
ただ、そうした雰囲気にだけ頼るのもマサルは怖かったので、一応は出発前に、自分なりに言い残しておこうと思った。
広場に集まったみなに、マサルは告げた。
「イベとリコの父親は俺にとっても義理の父親になるから、できればちゃんと結婚の報告をしたいんです。それと、ガナの街にはこの集落から出て行ったオークはいなかったみたいなので、行くとしたら他の所です。フージ教の本山なら人の移動については情報も集まってると思いますし、折角バラニさんがいてくれるので、この機会に行ってきます」
この言葉には嘘はないものの、真実とは少し開きがある。
ガナの街でこの集落出身のオークを見かけなかったのはイベやリコにも確認を取っていたが、ではあえて探し回ったかといえば、否である。
あれだけの騒ぎがあった以上は仕方ないといえば仕方ないのだが。
「イベとリコの親父が見付かったらどうするかは、お前らの家族のことだから何も口を挟まねえけどよ。見付からなかった場合は、どうするか考えてんのかい?」
額に傷のある老オークが、忌憚なく訊いてきたので、マサルは答えた。
「とりあえず行ってみてからになるけど、どんなに滞在しても一月以上はかけないつもりだよ。それ以上いても、今度はバラニさんの迷惑になっちゃうだろうしさ」
「迷惑だなんて。修道院は共同生活の場ですから、あまり気を遣わないで大丈夫ですよ」
話を聞いていたバラニが補足してくれる。
つまりはバラニ、いや修道院としては、マサルたちを完全な客人としては扱わない、ということである。
その方がマサルとしても気楽だ。修道院の仕事というのがあまり想像はつかないのだが、力仕事なら今の自分にはもってこいだった。
「あっ、でも! 心配な事が一つあります!」
バラニが急にそんなことを言い出したので、何事かと一同が口を尖らせた。
すると、彼女はこう言った。
「マサルさんとリコさんの夜の生活ですよ! するときは、修道院から離れた場所でお願いします! オークとエルフの交わりだなんて、禁欲生活をしてる子たちにはあまりに、あまりに刺激が……ああっ、私までちょっと興奮してきちゃいました」
本当にこの人に頼って良いのだろうか。
そんな一抹の不安を抱いたマサルであったが、他のオークやエルフたちは大笑いをしていた。
「まったくよぉ、何も出かけしなにあんなこと言わなくても良いじゃねえか」
街道に出てから、リコが歩きながら愚痴った。愛用の肉切り包丁を背負ってる姿は、今ではマサルからすると安心感さえある。
その隣ではバラニが、自分のテントや旅道具が入った大きな背嚢を背負って歩いていた。修道服と荷物の大きさのアンバランスさが、なかなかに特徴的である。
「すみません……つい旅立ちの雰囲気に飲まれまして」
「そんな大真面目に謝らなくてもいいっての」
彼女たちの後ろを歩くマサルは、ガナの街に行くときと同じような荷物を担いでいた。
二人の会話に割って入るかどうか迷っていたが、リコの方から別の話題を振ってきた。
「なあ、あのまま出発しちまったけど、姉貴とは話さなくて良かったのか?」
「イベさんとは、先に済ませたから」
「なら良いけどさ。気持ちを村に置いてきたままじゃ、旅をしててもつまんねえからよ」
これは多分、リコ自身に向けての言葉でもあったのだろう。
しかし、気持ちなんてものはそんなに簡単に持っていけるものでもない。
元いた世界に置いてきた気持ち、集落に置いてきた気持ち、ガナの街に置いてきた気持ち。
それら全てが、マサルにとってはかけがえのない一部である。
「とりあえず、今回もよろしくな。リコ」
「あ? ああ。こちらこそ、な」
照れ臭そうに返事をしたリコは、そそくさと足を速めた。
「新婚さんは初々しいですわねえ」
「バラニさん、それは違うよ。リコがかわいいんだよ」
「まあっ、ごちそうさま」
その会話について、馬鹿なこと言ってんじゃねえ、とリコが怒ったのは自明であった。