目の動きが合う人とは仲良くなれる
マサルがストローの完成に満足して、ひとまずの睡眠に入ってほどない頃。
朝もやが集落に立ち込める中、イベが目を覚ました。
彼女の容態は立ち上がれるまでに回復していて、風邪が治ったばかりの者よりもずっと元気だったが、彼女にとって深刻な問題が一つあった。
利き腕の右手首を捻挫していたのだ。
踏み台から倒れた際に負ったものだが、リコからすると「それぐらいで済んで良かったじゃねえか」と言ってしまえるような性質のものだった。
これはリコが姉を心配していたからこそ出る言葉だったが、言われた側のイベには面白くなかった。
客であるはずのバラニの方がよほど場の空気に順応しており、イベとリコのために朝食を用意したほどだった。
「あったものを勝手に使ってしまいましたが、許してくださいね」
そんな調子でバラニは謙遜したが、献立は立派なものだった。
バラニは寝る前の段階で塩漬けした魚を水で戻し始めていたから、おかゆに白身魚を混ぜたものや、彼女が旅先では欠かさないようにしているという、豆を発酵させたものの入ったスープ。
それとドライフルーツや洗った野菜に乳を和えたものがあり、イベの口には合った。
「このスープは美味しいですね。お餅を入れても美味しそう」
「まあっ、食欲旺盛ですこと。ゆっくり食べてくださいね」
イベとバラニの会話の一方、リコは黙々と食べていた。
姉にまずいことを言ったからというのもあったが、それだけではなかった。
妹の様子が普段と違うことはイベにもわかっていた。リコは無理にじっとしてるようなことは、本来とても嫌うのである。
それがわざわざ、食事の間もずっと黙っているのだから、これが結婚してからの成長であったとしても、イベの胸に隙間風を通したのだった。
案の定、食後にリコが打ち明けたことは、イベにはショックなものだった。
「親父がさ、ジュカの国にいるかもしれないらしいんだ。あたし、行ってくるよ」
お茶を飲んでいたイベの顔が青くなったのを見て、バラニがあえて口を挟んだ。
「リコさん、昨日の話はもう随分前の話です。その人がお父様がだったとしても、まだジュカにいるかどうかは……」
「いや、別にあんたの言葉だけで行くことにしたわけじゃないんだ。あたしもジュカは全然行ってなくてさ。仕事でちょっと立ち寄っただけで。ほら、あそこは……他所者のエルフには居心地が悪いんだよ」
バラニだけでなく、イベにも気を遣ったらしく、リコは具体的にジュカの国がどうとは言わなかった。
イベにとっては、集落の外のことは一般常識の範囲でしかわからない。
いずれにしろ、イベはリコに言うべきことがあった。
「一人で行ってはいけません。マサルさんにお願いして、一緒に行ってもらいなさい」
そう言われて、リコは豆を顔にぶつけられたような表情をした。
一人で行くつもりだったのだろう。
彼女はすぐに反論してきた。
「ガナに行ったときと違って、これは族長の仕事とは関係ないだろ。あいつには、姉貴の傍にいてもらった方が」
「いいえ、それは違います。マサルさんは、あなたを一人で行かせられるような人じゃないの。私も、マサルさんがあなたの帰りを待っているのを毎日見るのは、嫌なの。だから、あなたから頼んで、一緒に行きなさい。わかった?」
「お、おう……」
ここまではっきりと自分の希望を妹に伝えたことは、記憶にほとんど無かった。
バラニは努めて泰然とした態度を取っていたが、イベに話を振られると、きちんと反応した。
「バラ二さん、妹とマサルさんのことを案内してあげてください。でも、一から十まで面倒見る必要はありません」
「いえいえ、喜んで引き受けますよ。私がうかつなことを言ったせいもありますし……どうせ予定なんて、あって無いようなものなんですから」
このバラニという人も、変わった人ではある。ただ、イベにはなんとなく、自分と近いものが感じられた。
つまり、自分の内側に炎を宿らせた人なのだと。そう思えるのである。
ふとした瞬間に彼女が見せる目元のゆらぎが、イベには自分にも覚えのあるものなのだった。
「じゃあ、今からマサルに頼んでくるよ。どんなに早くても、出発するのは明日以降にするからさ。二人はのんびりしてな」
手をひらひらと振って、リコは家を出て行った。
イベはお茶をしみじみと啜ってから、バラニに訊ねた。
「うちの妹、どう思います?」
「繊細な方ですね。そんな自分のことを持て余すぐらいに」
「……あの子のこと、お願いします」
「はい」
イベはこのとき初めて、親友と呼び得る相手と出会った気がしていた。