仕事の話はご飯の前に
バラニ・クラニ。それが黒衣の女性の名前であった。
こんにちはとかはじめましてとかは抜きで、いきなり「改宗しませんか?」と言ってきた彼女だが、マサルが「急に言われても……」とやんわり言っただけで、あっさりと引き下がった。
バラニの言葉で殺気立ったイベとリコも、出鼻をくじかれた様子だった。
「お気を悪くされたらすみません。最初にはっきり聞いておかないと、何かと面倒なことが多くて」
サラリーマンの名刺交換みたいなものらしい。
面倒な挨拶を終えた彼女は、自分のテントの前までマサルたちを招いた。
リコがわざと相手に聞こえる声で「さっさと村に帰らないか?」と言ったが、マサルは首を振った。
「村に帰ったら何かとバタバタしそうだし、ここでご飯でも作っちゃおうよ。バラニさんも一緒に食べたら良いじゃないか」
「……わかったよ」
二人のやり取りを聞き終えたバラニは、口元を手で押さえてかすかに笑った。
「ふふふ、噂に聞いてた通り、仲が良いのですね」
「噂って?」
「百人殺しのオークと、命知らずのエルフ! 街道沿いじゃここの所、その噂で持ち切りでしたよ」
「へ、へえ……そうなんですね」
百人も殺してないのだが、わざわざ否定するのも馬鹿らしくはある。殺人自体は本当なのだから。
ガナの街にいたときは何かと騒動が続いたせいで噂なんて気にもしなかったが、街道を行き交う人々の情報網は確からしかった。
それについて気になったことがあったので、食事の席を整えてから、マサルはバラニに訊ねた。
「バラニさんはどこから来たんですか?」
「ジュカの国の本山です。といっても修道院にいるよりも街道沿いを回っているときの方が気楽ですので、しばらく帰ってないんですけどね」
それを聞いたところでマサルには地名がわからないわけだが、彼はイベにそれとなく目配せをした。
心得ているイベはご飯を準備する手は休めずに、バラニに言った。
「フージ教の本山というと、シズの丘の? 随分遠くまで来られるんですね。しかもお一人で」
「ふふふ、私も心得はありますので。でも、族長さんみたいな方が一緒だったらさぞ頼もしいでしょうね」
この短時間でわかったことだが、このバラニという女性は、思ったことをそのまま言うタイプらしい。
イベやリコにもそういう所が無いわけではないが、彼女ら姉妹は余計な我慢や回りくどいことをするのが嫌いなだけであって、気遣い自体は細やかである。もっとも、これはマサルののろけも含んでいるため、多少差っ引くべき評価である。
「いやあ、俺なんて全然で。そういえば自己紹介がまだでしたね」
調理用の焚き火のように熱くなってきてる感のある姉妹の矛先を変える意味もあって、マサルは自己紹介でお茶を濁すことにした。
旅用の食材を集落に着く前に使い切ることにした一行だったが、その心中もまた、鍋の中身のようにぐつぐつと煮えてきたのだった。