働き者は鈍感なぐらいが良い
我々の世界の量りで体重二百キロを超える巨漢同士が、正面からぶつかり合おうとしていた。
タマニの持っていた扉は、先程のリコへの一撃でとうとう力尽きていたから、彼は既に捨ててあった。
二人はおもむろに上半身の着物を抜いで、腰から下げた。
そして引き寄せられるように、距離を詰めた。
マサルとタマニ、二人はお互いの頭を避けて、巨大なスプリング同然の僧帽筋を激突させた。
オークの肺活量は一瞬で全身の血を濃密にし、筋肉を膨れ上がらせる。
もし彼らが現代世界にいたならば、中型トラックぐらいなら体当たりで粉砕することだろう。
火薬が爆発したような音が広場を包み、弾けた。
通り沿いの水瓶や窓ガラスに罅が走り、見物人たちは一瞬、呼吸を忘れた。
マサルにとって幸運だったのは、オーク同士の力比べの際にどんな体勢や力加減が自然なのか、昨日にツノツキを見ていたことでなんとなくでも理解していたことだった。
そうでなければ、この最初の激突で体のどこかを痛めていただろう。
二人はお互いの肩を支えにして回転し、立ち位置を交換した。
その際におよそ二歩の距離が開いた。
密着したままだと、お互いの下顎から上に突き出た牙が、相手の首を引き裂きかねない。まさにそれこそが生死をかけたオーク同士の力比べにおける決着であったが、二人共、それは避けた。
タマニが叫ぶ。
「俺とぶつかって、吹き飛ばない! お前、凄いな!」
「自分で鍛えたわけじゃないけどな!」
「ブシュルルル!」
この鼻息の吹き方は、笑いの成分が多い。
タマニは両手を突き出し、マサルはその意味を了解した。
二人の両手、合計八本の太い指が、がっちりと交差した。
レンガぐらいなら片手で握り潰せる握力である。まるで周囲の空間を捩じ切るような力が集中した。
二人の腕はもちろん、首筋や足、背中……全てが巨大なポンプとなって、相手をねじ伏せる目的のためだけに血管を浮き上がらせていた。
呼吸が崩れた側は自ずと負ける。お互いは似たようなペースで呼吸を行った。
とはいえ長期戦になると、オーク同士の戦いの経験に乏しいマサルは不利である。ツノツキの見様見真似では限界があった。
徐々に、徐々にではあるが、タマニが押し始めた。マサルの肘がたわみ始め、膝が屈し始めた。
間が悪いことに、このときになって見物人がタマニを応援し始めた。
「タマニの旦那ぁ! やっちまえ!」
「よそもんに負けんな!」
タマニ・モーカルは昔ながらの力自慢のオークで、モーカル家の次男坊であることを鼻にかけることもせず、現場仕事を率先してやる働き者だった。
長兄のマカ・モーカルとは違って商売の才能は無かったが、街の人々からは親しまれている。
そんな彼が今まさに、謎の巨漢との対決で優勢に立ちつつある。
事情はわからなくても、誰もが彼の勝ちを願い始めていた。