山に住んで楽しいのは変人だけ
ガナの街の裏山に当たる場所に領主の館はあった。
一応は城壁の内側にあるとはいえ、街の一部というより、ほとんど別荘みたいな立地である。
交通の便もお世辞にも良いとはいえず、山の登り口で、出入りの商人たちが荷馬車を停めて、わざわざそこから荷物を担いで登っていた。
登山口は流石によく整備されていて、飛び出している木や枝はない。所々、石の階段まであった。
登山口から十五分ほど歩いて、ようやく館の屋根が見えてきた。
きれいに積まれた石造りに、銅葺きの屋根。二階建てで、大きさは大体、小学校の校舎……いやそれより小さいぐらいだろうか。
ここから見下ろせる街を治める権力者の住まいとしては、控えめなものだった。
「もしかして、領主さんって倹約家なのかな」
肩に乗ってるイベに訊ねたのだが、先頭を歩いているオークの女騎士にも聞こえたらしかった。
彼女は何か言いたげにマサルを見たが、結局は何も言わずに歩き続けた。
何を考えているのかいまいちわからない。
しかしマサルとしてはどちらかというと、リコの機嫌に大きめの低気圧がやってきている方が心配だった。
『その汚らしい塊も持ってくるのか?』
宿から出るとき、女騎士にそう言われたからだ。その塊とはもちろん、リコがいつも背負っている肉切り包丁のことだった。
領主に引き合わせる側にしてみればもっともな質問だったのかもしれないが、もう少し別の言い方がありそうなものだった。
こんな山道で真剣勝負なんて言い出されたら、大変に面倒である。
マサルは少し迷ったが、イベにあることを頼んでから、彼女を肩からおろした。
イベは妹の横で、こしょこしょと小声で言った。
「わかってますね? 余計なことをしたら宿に帰る時間が遅れるんですからね?」
「……わかってるよ……ああ、わかってる、わかってる」
絶対にわかってなかったと思うのだが、リコは不承不承ながらも女騎士から少し距離を離した。
そんな妹の手を、イベは握ってあげた。
館の外よりも内側の方が、マサルには新鮮さが強かった。
内装が意外と派手だったとか、妙ちくりんな絵画が飾られていたとかではなく。
メイド姿のオークが沢山いたのだった。
ロングスカートをはしたなく翻すこともなく、楚々とした振る舞いで屋敷の中を行き交うメイドたちの姿にはマサルも感動したのだった。
彼の美に関する周波数もだいぶこの世界に合わさってきているらしい。
「しっかし、初めて生で見るメイドさんがオークってのも複雑だなあ……」
「マサルさんはああいう服が好みなのですか?」
そんなつもりで言ったわけではないのだが、イベだけでなくリコまで興味津々といった風にこちらを見る。
「ほらほら、騎士さんが迷惑する前に急ぐよ」
そう誤魔化したところで、当の女騎士が口を挟んできた。
「そういえば名乗るのが遅れたな。失礼した。私の名前はアンだ。アン・ロース・ガナだ」
女騎士アンは、わざわざこちらに体を向け直して、頭を下げた。想像以上にちゃんとした名前だった。
「あれ? ガナってこの街と同じ名前だよね?」
「あっ! じゃあ、もしかしてお前!」
マサルのつぶやきに大きく反応したのはリコだった。
館の中で大声を出したので、並んで待機していたオークメイドたちの視線の温度が、若干下がった。
アンは昨日の乱闘騒ぎの後で見せたような笑みを浮かべてから、こう告げた。
「さあ、急ぎましょう。お母様のお尻が痒くなる前に」