精神にも位置エネルギーは存在する
ジュカの国の王都と、シズの丘の位置関係は、我々の世界でいうと二十キロメートル程度の距離しか離れていない。
その間には川と森林があり、平和なときなら緑の清々しい香りを吸い込みながら、古都とシズの丘の間を行き来することができた。
今、そこを通るのは凡そ三千名の叛乱軍である。これは主力の数であり、全体としては一万弱もの人数がこの叛乱には参加している。
ジュカの国で把握されている人口が八万ぐらいであるから、相当な人数が叛乱に加わっている。協力者も含めれば、もっと膨れ上がるだろう。
さて、実はこの「叛乱軍」という呼称はもはや適当ではない。
これは「彼らこそが正義である」といった詩的な意味ではなく、この軍勢は今や、王都に残った群臣たちの認可を経ていた。
細々とした個々の事情はともかく、この軍勢の名分は「女王を保護すること」となっており、この名分を得たことで王都が炎上する事態は避けられたのだった。
ここまでくるともはや政治的な駆け引きというよりも「もう女王なぞ知ったことではない」という開き直りに近かった。
王都や群臣を見捨てたのは女王だったが、しかしそれは、女王がいつでも見捨てられ得る立場であったことの裏返しでもある。
……あるいは、女王は我々に見捨てられるのを望んでいたのではないか。
叛乱軍改めて女王を保護せんとする義勇兵たちを見送った群臣の一人は、日記にそう残している。
賊軍、迫る。その報はシズの丘に陣取る女王にも深夜に届いた。
女王の手勢は五千人。練度と装備が低いとされる現在の騎士団であっても、編成が整っている以上は、十分に戦えるだろう。賊軍は混成部隊であり、疲れてもいるのだ。
丘陵地帯であるシズの丘は戦略的には優位な場所にあり、ここに陣取って現れる軍勢を逐一撃退していければ、完勝さえ望める。
もっとも、これは補給が完璧であればの話であり、長期戦には不安が残る。
賊軍との戦いが長引くことも考慮に入れれば、敵主力と一度手合わせして大勝できない場合には、街道の確保を優先するべきである。
いずれにしろ、女王の危急存亡の秋とは今であった。
そんなときにフージの本山で小火騒ぎがあったことで、士気には少なからぬ影響がありそうだった。
気が立っている女王に対し、近衛隊長は「暗殺者がいるかもしれません」と警護の人数を増やすように言ったが「そのような人手があれば見張りに回せ」と返されてしまった。
そこへフージ教の本山では有力者の一人であるバラニがやってきた。
「先程の騒ぎの最中、ゲンイ司教が何者かに殺されました。兵隊の方々のお話を仄聞したところ、戦闘も近いご様子。わたくしはここで女王の無事を祈りたいと思いますが、お許し願えませんか」
その申し出は女王にすんなり受け入れられた。
近衛隊長からすると、このバラニの方がよほどに女王然としているように見えた。というのも、彼女を本物の女王が頼りにしているようだったからだ。
ともあれ、自分の仕事はどんなときでも女王を守ることである。
いざとなれば、このバラニも斬らなければならないだろう。
決戦は夜明けか。誰もがそう思い始めていた。