重ね合わせるもの
両親が知り合いを紹介するのは珍しかった。
二人とも孤児院の出で、それは当人たちも気にしていなかったけれど、自分の子供にわざわざ「この人も孤児院で一緒だったんだ」と言うようなことも無かった。
その知り合い……エルフの女性であるバラニさんは、やたら暑そうな黒ずくめの格好をしていて、俺はそのとき初めて修道士という存在を知った。
親父の狩場と、お袋が切り盛りしてる旅館に訪れるお客さん、それと集落の人達と温泉……それが俺の世界の全てだったからだ。
こんな山の中にわざわざ来る修道士なんて見たことなかったし、住んでる人達は大げさな説教なんか聞かなくても、毎日のようにお祈りをして、ご飯を食べていた。
教会から宣教の許可をもらって、最初に行きたい場所はどこか迷って、親父とお袋に会いに来たんだそうな。
普通の修道士は住む場所を選べず、人手が少なかったり災害で困ったりしてる教会があれば、そこに行くよう言われる。
しかし宣教許可を得た修道士は、さにあらず。必要だと思った場所に自分で好きに訪れることができる。まあ、それだけ許可を得るのは大変らしい。
当時の俺に難しい話は理解できなかったので、とりあえず聞きたいことだけ聞いた。
「もしかして姉ちゃんは風呂に入るときもその格好なの?」
我ながらとんでもなく失礼なことを言ったものだが、それがバラニさんとの会話で一番よく覚えている。
「じゃあ、一緒に入ってみましょうか?」
あの人も随分と馬鹿なことを言ってると思う。が、中身はわりと子供っぽいのである。負けず嫌いとでも言おうか。
こっちは物心ついた頃から、子供好きなお客さんの背中を流してやることは普通にやってたから、俺も別に何の気無しに一緒に風呂に入ったのだった。
で、バラニさんが俺にとってバラニ様になったのは、あの人が一度本山に帰ってからしばらくしてのことだった。
拠点である本山に出たり入ったりするのは何かと大変で、身の回りの世話をしてくれる人が必要になった。
当然、同じ本山にいる人達からの立候補も沢山あったそうなのだが、できれば修道士以外が良かったらしい。
そんなわけで、親父とお袋にも話が通って、俺はあれよあれよという間にフージ教の本山にやってきたのだった。
俺が生まれたときに一度だけ両親が連れてきてくれたらしいのだが、言うまでもなく、全然覚えてない。
また連れて行ってあげようとは両親も思っていたらしいのだが、それから知り合いの司教様が亡くなったり、王都では病気だった王様が亡くなって娘が女王様になったり、世の中がドタバタしてるうちに、足が遠のいたとか言っていた。
本山に来た頃はこのバカバカしいぐらいに大きな建物に呆れたけれど、旅館に来るお客さんよりも色んな人がいて、楽しかった。まあ、嫌な奴もいるにはいるが、そんなのはどこでも同じだし。
バラニ様がいるときは愚痴の相手をして、いないときは帰ってきたときに困らないよう、俺が日報を書くようにしていた。
それ以外では、雑用に勉強、あと巡礼者の中にいる小さな子供の面倒とかを見ていた。
ある日、親父とお袋が育ったはずの孤児院はどうしたのだろうと思った。
本山の中にそれらしい場所は無かった。
それについてやはり孤児院の出身の年配の修道士が、女王に代替わりしてから王都の方に孤児院が設けられて、そちらに行ったと教えてくれた。
王都かあ、何かと便利が良さそうだなあ、バラニ様が食いたがるものもすぐ手に入りそうだしなあ、なんて当時の俺は思ったものだが、実際には女王が孤児や奴隷の子供を都合良く教育して、自分の部下にしてるという話だった。
そういうことにバラニ様は反対していたが、肝心の今の司教、ゲンイ様が、まあいわゆる女王の腰巾着みたいなもので、どうしようもなかった。
巡礼者の人や修道士の人らから聞いてる限りでは、今の女王に逆らったらどうなるかわからないのも本当みたいだったから、少しだけゲンイ様に同情はしてる。
ゲンイ様みたいな人こそ、たまには温泉のある場所でゆっくり休むべきなのだ。
バラニ様は、そんな中でもまめに宣教に出かけていた。
たまにふらっと帰ってくるので、朝起きたら風呂も入らず俺のベッドに潜り込んで寝てて、困るなんてこともあった。
やってることが親父に近い。案外、子供の頃は親父と遊んでたのかな、なんて思う。
そんなバラニ様が、珍しくお客さんを連れてきた。
俺の両親みたいな、オークとエルフの夫婦だった。
バラニ様にとって、この二人はどんな存在なのだろう。そんなことを俺は思ったのだった。