決意の十三日、決行の十四日
高校二年の二月十三日、わたしは、好きな人の母親が亡くなったことを知った。
「うう……、どうしよう……」
「どうしようって、あんたはどうしたいのよ。渡したいんじゃなかったの?」
「う、うう……そうだけど……」
電話越しに、わたしの涙声に少しいらついたような親友の裕子ちゃんの返答をうけて、わたしは更に泣きそうになってしまった。でも、相談に乗ってもらっているのはわたしなので、文句は言えない。
わたしの好きな人は、ずっと母親との二人暮らしで、お互いをすごく大事にしていて、親子愛、という言葉がとてもよく似合っている家族だった。その母親が死んでしまったのだ。今日、学校で会った彼の塞ぎようは、とても見ていられないほどだった。
バレンタインデーということで彼にアタックしようとしていたわたしは、出鼻をくじかれてしまったわけだ。
「とてもじゃないけど、こんな時に渡せないよ……、不謹慎だよう……」
彼はきっと、色恋沙汰にうつつをぬかすような気分じゃない。わたしなんかがチョコレートを持って行ったって、迷惑に違いないのだ。
「……はあ。んで、あんたは今なにしてるのよ?」
「チョコ、つくってるけど……」
受話器の向こうで、盛大に転んだような音がした。
「なによ……、渡す気満々なんじゃない。なんで電話してくんのよ」
「で、でもこれは、なにかしてないと落ち着かないからで、別に渡すためのものじゃ……」
「いいじゃん渡せば。お菓子は得意でしょ?」
「うう……、そのはずなんだけど……」
さっきから失敗ばかりなのだ。何度やっても焦がしてしまう。どうしてかというと、湯せんにかけるのではなく、何故かフライパンにチョコレートを乗せていたのだ。それも、何度も。
やっぱり、渡すなって、神様がいっているのだろうか。
「失敗? そんなのつくり直せばいいじゃん。材料は? まだある?」
「……あるけど」
無駄に、たくさん買ってきてしまったのだ。
「がんばりなさい、応援してるから。もう切るよ?」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
そういう問題じゃない。こんな、彼の身内が亡くなった時に色事を持ち込む、ということが問題なのだ。応援なんてされても、どうしたらいいのかわからない。
「……あのねえ、あいつが、迷惑だなんて思うわけないでしょ? 人がいいのだけが、取り柄みたいなやつだよ?」
「そ、それだけじゃないよう!」
そう、それだけじゃない。わたしは、彼のいいところをいっぱい知っている。
「…………」
「そ、それに……」
迷惑じゃない、それだけの理由で受け取ってもらっても、嬉しくなんかない。
「……まあ、確かにあんたの性格じゃあ難しいわね」
「だから――」
「あのねえ」
裕子ちゃんの声が低くなった。ちょっと怖い。
「こんな時だからこそ、なのよ」
「……は?」
なにを、いってるんだろうか。
「彼、すごく落ち込んでるんでしょ? 大切な母親が死んだんだから、当然よね。彼は、甘えられる人を失ったのよ、たった一人の家族を。だったら、その代り、といっちゃなんだけど、その穴を埋めてあげられるのは誰? どんな人? 恋人だったらできるんじゃないの? でも、今彼にはその恋人がいない。あんたのリサーチが正しければね」
うん、リサーチには自信ある。頑張ったし。彼には、そういった類の人はいないはずだ。だからこそアタックしようと思ったわけだけど……。
「でもでも、わ、わたしに、彼が甘えてくれるとは――」
とても思えないなあ……。
「まあ、あんたはどっちかというと、可愛がられるタイプだからねえ。でも、それでも、恋人には甘えたくなるもんなのよ。相手がたとえ、どんなちんちくりんだろうとね」
ちんちくりんというのが、ちょっと引っかかるけど……。
「……ほんと?」
「……たぶん」
そうだよね。裕子ちゃんも彼氏いたことないから、体験談なんてあるわけないし。本当に信用していいんだろうか。
でも――。
「だ、だーいじょうぶだって! あたしを信用しなさいって! 彼には、優しさの塊みたいなあんたが、必要なんだって!」
大親友がここまでいうんだから、信じてみてもいいかな、とも思う。
「……じゃあ、頑張ってみようかな。信用するよ?」
「……玉砕しても怒らないでよ?」
「あたりまえだよー。振られたことを人のせいにする気はないよ?」
わたしがそう答えると、受話器から、あはは、と安心したような笑い声が聞こえた。
「まあ、頑張りなさいな。うまくいくことを祈ってるわよ」
「うん、ありがとう裕子ちゃん。頑張るね」
そういって電話を切ろうとしたのだけど、
「あ、そうそう」
と、引きとめられてしまった。
「なに?」
「思いっきり甘くしなさい」
「え?」
「チョコは、思いっきり甘くしなさい。悲しい時や疲れてるときは、甘いものを食べると元気でるものよ。インパクトもあるしね。それだけ。じゃね」
そういい残して、電話は切れた。
裕子ちゃんとは随分と話し込んでいたらしく、時計をみると、日付ももうすぐ変わろうか、という時間になっていた。あと少しで、バレンタインデーその日だ。
わたしはふうと息をついて、再びチョコレートと向かい合った。
「甘く……」
信用するよ? 裕子ちゃん。
朝から、心臓が早鐘を打っている。すごい勢いで送り出された血液が体中を駆け巡り、それが熱くてたまらない。くらくらする。
恥ずかしさを堪え、彼を呼び出して待つ間、不安と興奮で頭の中がぐるぐると回っていた。
ふと空を見上げる。抜けるような青が、広がっていた。
雲ひとつない。きっとわたしを応援してくれているんだ。そうにきまってる。
深呼吸を繰り返す。こんなことで緊張を和らげられるなんて、誰がいったんだろう。ちっとも役に立ちやしない。掌に「の」の字を書いて飲み込むなんて、もってのほかだ。試しておいてなんだけど。
それでも深呼吸を繰り返す。胸に手を当て、大きく息を吸い、少しとめて、それから吐き出す。藁にもすがる思いというのは、こういったものをいうのだろう。
こんな状態で、うまく告白なんてできるのだろうか? 落ち込んでる彼にも、気を使わなくちゃいけないのに。
――土を踏む音が聞こえてきた。
わたしのいる校舎裏は、たぶん告白の定番スポットだ。それに、今日はバレンタインデー。ひょっとしたら、彼は、私の用事が何なのか、感づいているのかもしれない。足音に、少しだけ戸惑うような気配を感じた。
……怯むな、わたし。
それからすぐに、彼は姿を現した。いつもより元気のない顔を、少しだけ赤くして。
わたしは、彼に話しかけようとした。でも、押し出そうとした息が、喉につかえてしまった。やっぱり、深呼吸は役に立たなかったみたい。
声が出ない。想いを伝えられない。
嫌だ。そんなの嫌だ。
気がついたら、両手に持ったチョコレートの箱を、彼に向って、思いっきり突き出していた。
「……あ……」
しまった。もっと手順を踏む予定だったのに……。
しかし彼はふわりと笑って、箱を手に取り、
「ありがとう」
と。そういった。
食べていいかな、と訊かれ、わたしは慌てて、ぶんぶんと頷いた。
彼の、男の子にしては細くて白い指が、粉の付いた生チョコレートを一粒つまみ、その口へと運んで行った。
そして――。
「……ああ、甘い」
そういって、彼は笑いながら一筋、涙を流した。
どうやら、少し甘くしすぎたみたいだ。




