9.お花との初めての夜(仮)
スーパーの助六寿司はどうやらお花のお気に召したらしい。
終始尻尾をパタパタ&頬を緩ませながら食べるその姿は妖狐とか関係なしに冬香の心を自然と和ませた。
「侮っていましたが中々やりますね」
「どの目線のコメントよ。まあでもわかったでしょ。スーパーの弁当は便利だって」
「それはそうですけど……毎日こんな感じなんですか?」
「うーん、大体はね」
一人暮らしを始めた頃の自炊を頑張っていた冬香の姿はもうない。名残として残っているのは少し埃を被っている炊飯器と食器乾燥機だけである。
「確かに便利で楽だということはわかりました。でも毎日がこれじゃ栄養が偏りませんか? それにさっき聞いた生活リズムだと疲れも取れなさそうですが……」
そう言って心配するお花に「これじゃ嫁というより母だなぁ」と心で口にしながら冬香は苦笑する。
「しょうがないんだって。社会人ってのはそんな感じの上に何とか成り立ってるんだから。たぶん」
実際、冬香は肉体的にも精神的にもずっと疲労困憊であった。
色々と災難が起こる以前から仕事の忙しさで生活リズムはグダグダ、休日はひたすら寝たりして充実の欠片もなく、偏った食事、ストレスなどなど……とにかく疲れがなくなることはまずなかった。
冬香はそんな自分の情けない生活を省み、諦めに似た感情を抱きながら少し意地悪く笑う。
「で、お花はそんなダメダメな私に何をしてくれるのかしら。お嫁さんなんでしょ」
「うむむー……」
お花はそう問われて真剣に考え込み始めた。「睡眠時間、いや家事とか食事……でも根本的に……」などとブツブツ言い始めて中々戻ってこない。
彼女の印象的な尻尾が左右にゆったりと動く。冬香はそれはそれは動物が好きなので正直耳や尻尾は何とかもふりたいと思っていた。
「うーん、やっぱり家事の負担が大きそうですね……って、どうしたんですか?」
欲混じりの視線が向いていることに気づいたのかお花は訝しげに尋ねる。ただ冬香が何を思っていたまでかはわからなかったようで首を傾げて疑問符を浮かべているだけだ。
「いや、別に……そ、それで、どうするつもりなの?」
見つめすぎたかと慌てて誤魔化すように話を変えた冬香だったが、特にお花は気にしていないようでその問いに素直に答えた。
「例えばですけど、日常的な炊事や洗濯などの家事を私がするのはどうでしょう! さっき聞いた話から考えればやっぱり仕事などで疲れて他の事に気を掛けられない状態が続いているようですし」
「それは確かに嬉しい話だけど……」
「だから日常の家事を私が補えば少し余裕が出来るんじゃないでしょうか? 嫁ぎに来た身としてそれぐらいはさせてもらいたいのですが……」
「別に私はお花に家政婦になってもらいたいわけじゃないんだけど、というかその嫁の認識はちょっと違う気がするなぁ」
お花の言う嫁は少し古かった。
所謂一歩下がって影から伴侶を懸命に支えるという精神で、今のご時世の様式とはかなり違う。
冬香も別にお花に家事を全部させて自分は仕事だけに集中したいというわけじゃない。出来ればそういうことは一緒に支え合っていくというのが彼女の理想形だ。
お花もそれはごもっともと頷く。
「私も別に家政婦をするつもりではないですよ? ただ出来ることはしたいですし、任せっきりが嫌ならお互いにそういうのを分担していくのはどうでしょうか?」
「うむむー」
今度は冬香が唸る番だった。
お花の言い分は間違いでもないし、言葉の言い方次第だが冬香にとって理想に近い形だ。
結局、結論としては今日会ったばかりでもあるし、とりあえず仮にも嫁として迎えることに決めたのだからお花の意見をひとまず尊重することにした。
「わかったよ……じゃあとりあえず無理のない範囲でお願いってことで」
「はいっ!」
嬉しそうにそう返事をして張り切るお花に冬香はため息をついて部屋の時計を見る。
「まだ7時かー」
弁当を食べ終わって容器を洗った後、まったりとした時間が流れる。入浴の準備にはまだ早いし、かといってすることがあるわけじゃない。
「そういえばお花は9時には寝てるんだっけ?」
「はい。あ、別に合わさなくて大丈夫ですからね」
「いや、まあたまには早く寝てもいいとは思うんだけどさ。問題なのはそこじゃなくて……」
「え?」
「布団一組しかないんだけど」
その言葉に一瞬、部屋が静寂に包まれる。
「は、はぁ、そうですか」
が、お花は「何言ってるんだこいつ」というニュアンスを含んだ表情でそう言い放った。
「そうですかって、寝るとこどうするつもりなの!?」
「どうって一緒に寝るんですよね? なら同じ布団いいじゃないですか?」
「え、ええ!? 一緒に寝るの!?」
冬香の考えでは妖狐とは言え見た目はまだ少女なお花と一緒に布団に入るつもりはなかった。
先に述べたように冬香は彼女を作るぐらい(振られたが)同性を恋愛対象として見ている。もちろん美人さんとか可愛い子が大好きだ。
だから耳と尻尾はあるが間違いなく美少女であるお花と一緒に寝るなんて、果たしてまともな精神状態でいられるかわからない。
「ま、待ってよ。いくらなんでも出会ったその日でってのは……新婚さんじゃないんだか──新婚だったわ」
そこには仮がつくわけだが、別に一緒に寝てはいけないなどという決まりはなく、そもそもお花は最初からそのつもりだったのだ。彼女が全く慌てなかった理由はそこにある。
「大丈夫です! ちゃんとたくさん練習もしてきましたし、お風呂も任せてください!」
「練習!? 練習ってなに!? 何をしてきたの!? というかお風呂も一緒に入るつもり!? 無理無理無理!! 狭いから、めっちゃ狭いからー!」
ドタバタとした夜は過ぎていく。
安アパートの風呂はかなり狭くしかもユニットバス。二人で入ったりしたら抱き合うような形になることは必然。流石に裸でそんなことをしたら本当に色々とヤバイので、一緒にお風呂に入ることだけは阻止した冬香であった。
「狭くないですか?」
「いや、大丈夫です。はい……」
しかし、その代わりというわけではないが寝所は一緒になった。というか一組しかない布団で「一緒がダメなら私が床で寝ます」とお花が言うからどうしようもなかったのだ。
ちょっと強引だが嫁に来た少女をフローリングに直で寝させるのはあまりにも非道すぎて冬香には無理だった。
そんなこんなで一緒の布団に潜っている。
「ふわぁ、ぁ……」
お花は小さい。耳の高さを考慮しなければ中学生ぐらいの身長だろう。
習慣になっているせいか21時を回ってから彼女はすぐに微睡み始め自然と冬香に寄り添って目を瞑る。
(緊張するな緊張するな緊張するな緊張するな緊張するな)
例え中学生ぐらいだとしても美少女で、それに加えてあまりにも無防備な彼女に冬香は手を伸ばしそうになるのを必死に耐えていた。ボリュームのある尻尾やたまにピクンと動く耳は大変な魅力なのだ。
いつもは感じるはずがない隣からの温かい体温に欲望が漏れそうになった冬香は、必死に目を閉じることで無理矢理意識を遠ざけた。
(悪霊退散悪霊退散悪霊退散悪霊退散悪霊退散)
意味のわからない単語を頭の中で何度も唱えながら、冬香と煩悩の戦いは夜通し続いた。
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