32.お花の失敗
部屋は静まり返っていた。玄関に近い小さなキッチンの明かりをつけると食用に下拵えされたものがあるが、肝心の彼女の姿がない。
「お、お花……?」
それは異様な光景であった。嫌な予感が益々増してきた冬香は恐る恐るリビングの方を覗いてみる。
暗い部屋では物音一つしない。まさか頼りすぎた余りに愛想をつかして出て行ってしまったのだろうかと、一度振られた経験から冬香は根拠もなくそんな風に考えてしまう。
もっと悪い風に考えるならもしかしたら誘拐された可能性もある。治安が良い地域だとしてもあり得ない話でもない。
電気のスイッチをつける手が小さく震えた。が、押さないわけにはいかない。パチッとスイッチが押されると部屋が一気に明るくなる。
「…………」
その部屋の中で、布団が一人分くらい小さく膨らんでいるのを冬香は見つけた。それは規則的に小さく上下しており、近づけばかなり小さな落ち着いた寝息が聞こえてくる。
「…………」
ゆっくりと布団を捲ると、そこには大変心地よさそうに眠る狐少女の姿があた。
「はああぁぁぁ、よかったぁ……」
思わず安心してガクリと膝から崩れ落ちた冬香に、その音がきっかけかちょうどよくお花が小さく呻くと丸い瞳をゆっくり開けた。
「うぅん、あれ……私寝てー……? いま何時ですかぁ……」
普段聞かない間延びした声に冬香が驚いていると、まだ寝惚け眼のお花とパッチリ目があった。
「……あえ?」
そして、しばらく見つめ合っていたのだが、冬香を完全に認識した瞬間お花の目が驚愕で染まった。
「ふ、ふふふふ冬香さん!!!??!!?」
ひどい慌て方であったが、冬香はひとまず安堵していた。少なくとも事件に巻き込まれたとか愛想をつかされたわけではなかったのだから。
「きょ、今日は帰り早いんですね……って、うそ、もう真っ暗!? え、ええ、目覚ましかけたはずなのに!? 何時、いま何時ですか!?」
どうやら昼寝したらしいが目覚ましをかけ忘れたらしい。パタパタと慌てるお花を見て冬香は小さく笑ってしまった。
「ご、ごめんなさい! 私ちょっとウッカリしてて……! あの、あの、うぅぅ」
いつもしっかり者のお花らしくない狼狽した姿。任氏が言っていた通り失敗しないために必死に頑張っていたのか、彼女はかなり慌ててそして目にわかって落ち込んでいる。
「大丈夫大丈夫、誰だって失敗はするし私だって寝坊して会社遅れたことはあるから」
「でもでも、ご飯が……夕食がまだ全然できてなくてっ」
「だから気にしないでって。まだ7時回ったばかりだから。私も手伝うから一緒に作りましょ」
それに、と冬香は気になっていた。ずっと失敗しないように気を張っているとするならかなり疲れていたのではないかと。目覚ましをかけ忘れたにしたって、かなり熟睡しているようであったのだ。もしかしたら本人も自覚のない疲労が溜まっていたのかもしれない。
「お、怒らないんですか……?」
「これぐらいで怒ってたら人としてヤバイし、寧ろお花は完璧すぎたからちょっと安心しちゃった。ごめんね」
「冬香さん……」
「ほら、ちゃっちゃと作っちゃいましょう。今日は何を作るつもりだったの?」
「今日は栗ご飯と、あと秋刀魚がいいものがあったのでそれをメインにするつもりだったんですが……」
「わー! 秋らしくていいじゃない!」
お花が来てから食卓は彩られるばかりで、冬香は心からそれを喜んでいた。他にも海苔汁とかも作るらしいのでそれを冬香は手伝う。
「本当にすみません。せっかく任せてくれているのに」
「いいっていいって。それに私からすればやってもらっているっていう感じだから、そんなに気負わないでいいんだからね?」
冬香はそう言って笑うがお花はずっとしょんぼりしている。よっぽど寝坊したのが堪えているようだった。
(寝坊というより一つ大きな失敗したこと自体が大きいのかな)
下拵えされていたおかげか時間は全然かからない。その調理している最中に冬香はポツリと聞いてみることにした。
「お花さ、無理はしてない?」
「無理、ですか?」
「そうそう、平日の間家事をしてくれるのは凄く嬉しいし助かってるけど、疲れないかなって」
「そんなことないですよ! 私にはこれぐらいしかすることが出来ないですし」
これぐらい、と言っても割とやることは多いのだ。冬香はちょっとだけ躊躇ったが思い切って口を開く。
「お花と神社に行ったじゃない? あの時、お花の言う任氏さんって人と会ったの」
「……えっ……ええええええ!?」
それを聞いたお花は間違いなく今までの中で一番驚いていた。
「な、ななななんでですか? だって、任氏様はあの時所用で出掛けてるって……」
「私に会うって意味で言ってたのかも」
お花は料理する手を止めて冬香を見る。その瞳は大きく動揺している。
「そこでね、ちょっと色々と話をしたんだけど……」
「あの……もしかして私のこと、聞いたんですか……?」
恐る恐るそう言ったお花の声は、答えて欲しくないという感情も入り混じっているのか、消え入りそうで詰まった声だった。
だけど、ここで嘘をつくわけにはいかないと冬香は正直に答えた。
「うん、色々と任氏さんが話してくれた、よ」
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