30.お花の秘密
任氏の言葉はかなり予想外だったのか冬香は明らかに動揺していた。
「お花が人見知りで失敗ばかりなんて、信じられない……」
「その様子だと今のところ上手く立ち回れてはいるようですねぇ」
任氏は言う。確かにお花は人見知りでおっちょこちょいだが、努力は怠らない性格だと。だから冬香と出会うまでの間は必死にそれが隠せるように練習をしていたらしい。今のしっかりしたお花はその努力の成果なのだ。
「で、でも練習して誤魔化すにしたってお花は完璧でしたよ!? 家事は何でも出来ますし、料理も美味しいし……」
「それこそあの子が必死に頑張っていたことですからねぇ。きっと内心ではずっと何か失敗しないかと不安だったとは思いますが」
「そんな……」
任氏の言葉は大きな衝撃となって冬香に届く。何でも出来るし不得意なことがなさそうなほどお花はしっかり者に見えていたし、だからこそ色々と甘えてしまっていた面もある。
しかし、任氏の言ったことが事実なら本当はお花はかなり無理をしていたのではないかと想像できる。
(……そういえば電車でのあの感じ)
ここに来るために乗った電車。あそこで不安げなお花を見た冬香はそれを珍しいと思っていたが、それこそが彼女の本当の姿ではないのだろうか。
「あの子も人の里に降りるのは初めてでかなり緊張していましたからね。ですが、貴女を見る限りその心配はなさそうです」
あー、よかったと言わんばかりに任氏は胸を撫で下ろしている。しかし、冬香の気持ちはまったく晴れていない。
「あの、今お花はどこに?」
「私の代理とお話ししているはずです。ここに来てから今までのことを全部ですね」
「そ、そうですか……」
冬香は不安になった。お花視点で冬香という人物を省みると問題ばかりしかないように思えたからだ。
だらしない生活で、家事もろくにやらず、仕事で疲れて帰ってきてはご飯を食べる。その間の家事は殆どお花に任せっぱなし……
思い直してみるとかなり酷い。
だからもしかしたらお花は帰ってきてくれないんじゃないか、そう自然と考え顔を青くしていた。
「ふふふ……」
しかし、そんな冬香の前に立つ任氏は対照的に穏やかな笑みを浮かべている。冬香が訝しげな目線を向けると、彼女は安心させるような調子で話す。
「心配する必要はありませんよ。あの子も何だかんだで貴女には少し心を開いているようですから」
「え?」
「ここに来る途中、あの子はちょっとだけ弱音を吐いたでしょう? お花という子は自分が信頼する相手にはそうして弱い部分を見せるのですよ」
なぜ電車でのことを知っているのか。と冬香が驚いたが任氏は微笑むだけでそれには答えるつもりはないらしく話を続ける。
「だから心配しなくても大丈夫。それとその不安に思う気持ちはあの子も同じですから」
「え?」
「私達、人に寄り添うことを生とする妖狐にとって一番傷になるのが拒絶や否定されること。だからこそあの子は必死に貴女の役に立ちたいと頑張っているのですよ」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
任氏の言葉に冬香は困惑しながらも口を開く。
「お花のことや妖狐のことも少しわかりましたけど、一つだけどうしてもわからないことがあるんですけど……」
「私で答えられるなら答えましょう」
静かな任氏の声に冬香は問う。
「なんで私なんですか?」
「うぅん?」
「あの時、確かに私は色々と不幸が重なってかなりやられていました。それがお花と出会ったおかげで凄く助かりましたし、救われています。けど、だからこそなんで私なんですか?」
純粋な疑問だった。例えばどこかで狐だったお花と会っていたことがあるとか、実は遠い縁があるとか、そういう繋がりがあるならわかる。
しかし冬香はどこにでもいる普通の一般人だ。狐と触れあったこともないし、遠い縁など聞いたこともない。
であれば、なぜお花は冬香と共にあろうとするのか。理由もない善意としても不可解過ぎた。
「なるほど、確かにそれは気になるでしょうね」
「何か、あるんですか? 私とお花の間に」
冬香はゴクリと喉を鳴らす。もしかしたら知られざる秘密があるのではないか。そしてたっぷりと間をおいてから任氏は意を決したように──
「何もないですよ」
そう言って首を横に振った。冬香は思わず転けそうになるのを何とか耐えることになった。あまりにも間を溜めるから本当に重大な何かがあるのかもと思っていたからだ。
「じゃ、じゃあなんで……?」
「それこそ私達が知ることではないのですよ」
任氏はふと、遠くを見つめたように視線を空に向けた。
「過去の出会いや、太古の縁。そうした繋がりは確かに大事でしょう。ただ、そうではないものもあるということです」
冬香はそこでハッと気がついた。あたりの霧が少しずつ晴れていき、それに比例するように任氏の姿がぼやけていく。どうやらそろそろ時間切れらしい。
「私達は奇跡的で且つ、偶然の出会いを大切にしています。あの時貴女は偶然にもお祓いの紙面を受け取り、偶然にもこの神社を訪れました。それは強制や確定されていたことではなく、全てが偶然でしかないのです」
冬香は任氏の言葉を静かに聞き入っていた。
「お花が選ばれたのは必然ではありません。それもまた偶然なのです。だからこそそれを大事にするのですよ。柊冬香さん、どうか貴女も心を開いてあの子と一緒に歩めますよう私は願っていますよ……」
それが彼女の最後の言葉だった。霧は晴れ、快晴の陽射しが神社に戻ってくる。それと同時に今までそこにいたはずの任氏の姿や気配が完全に消えていた。
「…………」
呆然とそこに立ち続ける冬香。しばらくするとお花は言っていた通り戻ってきたが、しばらく放心することなった。
「それで、任氏様はちょうどいなくて他の方に報告をしました」
その帰りの電車の中で冬香はお花から何をしていたのか聞いていた。
どうやら任氏と冬香が会っていたことは知らないらしく、冬香もまたそれを言うことが出来ずにいた。
「とりあえず皆も元気そうでよかったです」
お花は里戻りをしたわけではなく、単純に報告をするだけだったようだがあちら側の知り合いも来ていたらしい。
(もしかして心配して……?)
さっき聞いた話から冬香はそう思った。お花は既にいつも通りの感じに戻っており不安などはなさそうである。
しかし、それは彼女なりに頑張って隠している可能性があるのだ。
(……うぇぇ、難しい)
「冬香さん?」
「うぇっ、な、なに?」
「いえ、何だかボーっとしているようなので……お疲れですか?」
機嫌を窺うようなお花に冬香は笑って何でもないと答える。冬香は悩んでいた。今まで通り接していいのか、それとも任氏から聞いた話をしてみるべきなのか。
「あのさ、お花」
「……はい?」
そして冬香の選択は……
「もうちょっとこっち寄ったら?」
「へっ?」
「いや、ほらちょっと乗ってる人も多いし! 席空いたほうがいいでしょ!」
「……あ、ああ、そうですね! 気が利きませんでした!」
都心に向かう列車。行きに比べれば乗客は明らかに多い。
しかし、わざわざ身を寄せる必要はないぐらいだ。ただお花は冬香の提案に逆らうことはなく、ただ少し恥ずかしそうにその距離をくっつく前まで縮めた。
(まだ任氏さんの話が本当かわからないし……とりあえず今はこれで……)
任氏曰く、拒絶や否定に傷つくならその逆をすればいい。拒絶された経験のある冬香だからこそ、それは難しくはない。
「お花こそ、色々疲れたなら寝ていいからね。着いたら起こすから」
「いえ、そんな……」
ただ、まだ二人の間には薄い壁があるようだった。それがこれからどう変わっていくのか。
夏が過ぎて、秋がやってくる。
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