27.制御できなかった感情表現
規則的で小気味良い包丁の音が響いている。
(あれ、実家に帰ってたんだっけ?)
よく実家では聞く音だったからそう思ってしまった冬香だったが、徐々にはっきりとしてくる視界と意識にそれは幻だと気が付いた。
(あ、そうだ。私風邪ひいたんだっけ……)
まだ体は怠いが、朝と比べるとずっと楽になっている。ちょっと重い体を布団から起こすと額から何かがずり落ちた。
「これは……タオル?」
お花が看病で使っていた濡れタオルである。冬香は自分が寝ている間、すっかり看病されていたことをそれで知る。
汗で服が張り付いてないのも恐らく定期的に拭いていたに違いないと推測した彼女は、ひとまず布団から出ることにする。
「……お花」
彼女は台所でゆったりと尻尾を揺らしながら料理をしていた最中で、冬香が後ろから静かに声を掛けるとその声にピクッと反応して振り向いた。
「起きたんですか! もう体の方は大丈夫ですか?」
「う、うん。ちょっと怠いけど朝よりはずっと楽になったよ」
「そうですか……よかったぁ」
ほっと安堵の息をつくお花に冬香はどこか気まずかった。彼女からしてみればあまりにもお花のお世話になりすぎている気がしてならない。
生活から看病まで、何でもしてもらっているのに自分は何かしてあげられているだろうかとつい思い悩んでしまう。
「……冬香さん? 本当に大丈夫ですか? とりあえず何か食べれそうです?」
「あ、うん。ちょっとお腹空いたかも……」
「そうですか! 今、卵粥と野菜スープを作っていますのでもうおちょっと待っててくださいね!」
お花はそう言って笑うのだが冬香の気はどこか晴れない。そんな表情をしているせいかお花は気になって冬香に近づいた。
「あの、やっぱりまだ熱があるんじゃ……ボーっとしてるみたいですし」
うーん、と背伸びをしてお花は片手を冬香の額に当てる。しかし、熱はほとんどないようでそのことに(あれ?)とお花が疑問に思った瞬間、彼女はぎゅうっと抱きしめられていた。
「ふあっ!? ふ、冬香さん!?」
突然の行動に当然お花は驚いた声を上げる。まだ風邪で辛いのかと思ったが冬香がふらついている感じもなく、どうしていいかわからず固まってしまう。
そして急に抱き着いた冬香自身もまた、かなり慌てていた。
(な、なんで私抱き着いちゃったの!?)
特に抱き着く理由があったわけではないのだ。
ふと起きた時に周りに誰もいなくて、それにちょっとした寂しさを感じてしまい、台所にいたお花を見たらちょっと変な感情が溢れてしまい急に抱き着いた、本当にそれだけなのである。
「あ、あの、ど、どうしたんですか!?」
「ごめん、しばらくこのままでお願い」
「は、はぁ……それは構いませんけど……」
しかし何故か今すぐ離れようとは思えなかった。冬香よりも小柄なお花は腕に抱くとすっぽり収まって心地が良い。ちょっと動揺しているのかピクピクと動く耳も可愛らしくすぐに離れたくなくなってしまったのだ。
「……冬香さん?」
そういうわけで冬香が一方的に抱き着いたまましばらく経ったが、時間が経ち冷静になったかお花がかなり困惑していることに気づいて慌てて離れた。その顔は色々な感情が混ざっているのか真っ赤に染まっている。熱のせいではないのは間違いない。
「あ、そのっ、ご、ごめん!」
「いえ、それはいいのですが……本当に具合の方は大丈夫ですか?」
「うん、本当にそっちは大丈夫。お花がずっと看病してくれてたのよね……その、ありがとう」
「とんでもないです! でも油断してぶり返したら大変なのでまだ休んでいてください。もうすぐ食事も出来ますので」
「う、うん。何から何まで本当に頼りっぱでごめん」
「お気になさらないでください。私がしたくてやっていることですし」
冬香はもう一度お礼を言って部屋に戻った。そしてそのまま布団に倒れこむと枕に顔を埋めた。
(ああああぁもう! なんであんな急に抱き着くようなこと……!)
感情の制御が出来なかったことはわかっている。冬香は今の今まで独り身で、一応彼女という存在はいたが、その付き合いもどこかに出掛けるとかそういった程度のことしかしなかった。今となってはその理由もわかるが……とにかく彼女はずっと自分の事は孤独だと思っていた。
それが寂しかったのだ。しょうがないと割り切ったつもりでも心のどこかではそう思っていた。
そんな中、突然出来た同棲相手。素直で健気で可愛らしい、狐の耳と尻尾が生えた不思議な女の子。
「……ダメだ。今は深く考えないようにしよう」
結局、冬香は風邪のせいで色々と調子が狂ったと決めつけて考えることをやめた。お花の言う通りまだ完全に治ったわけじゃない、変に考え込んで再発したらたまったものでもない。
「お待たせしました!」
気持ちの切り替え的にもタイミングよくお花がやってきてくれた。盆に載せている小さな鍋からは美味しそうな湯気が立っている。
「卵粥と野菜スープです。朝から何も食べてないですしとりあえず胃に優しいものを用意しました」
「お、おぉ……」
一人暮らしでお粥なんか作ることもない冬香にとって久しぶりだ。小さい頃病気になった時に作ってもらった懐かしい記憶が蘇る。
「美味しそう……」
「塩加減はお好みで調整してくださいね」
今まで気にしていなかったが食事を前にすると急に空腹を感じ始めた。冬香はさっきお花に感極まって抱き着いたことはサッパリと忘れて食卓についた。
空腹のその身にお花の作った料理はやっぱり効果抜群なのであった。
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