23.夏の決まりごと
冬香は毎朝怠そうに家を出て行く。都内とはいえここら辺は住宅地で人工的ながら自然もあるので蝉の声も響く。
日差しと蝉の声の中に出て行くというのは怠いのは間違いなく、正直駅にまで歩くのすら嫌というのが冬香の心情だ。
「いってらっしゃいませ」
「……あい」
ただ、それを我慢しなければならないのも社会人の性。冬香はお花に見送られて会社への道を歩いていった。
それがここ最近の日常だ。お花も暑い中家事をやったり食事も冬香がばてないように考えたり大変だ。
そんな日常を過ごしていたある日の夜だった。
「え? お盆ですか?」
「そう。一応家の会社でもお盆で数日お休みなの。それで毎年実家には帰ってるんだけどその間お花はどうする?」
冬香の話は単純な話であり、お盆にかけての実家帰省でこの部屋を三日ほど空けるという話であった。冬香としては自分が帰ることよりもお花の事をどうするかの方が問題である。
「特に問題がないならここで過ごすつもりですけど……」
ただ、どうするかという選択肢は殆どなく、お花の言う通りこのアパートにいてもらうしか出来ることはない。
「まあ、お花なら大丈夫よね……でもお花がこの部屋にいるっていうのがバレたらまずいから誰が来ても出ないようにね。何もなければ三日目の夜には帰ってくるから」
「わかりました。その点はお任せください!」
以前は不安だったが今まで過ごしてきてそういう心配はしなくなっていた。それぐらいお花はしっかり者だ。
「そういえばだけどお花はそういう里帰りみたいなものはないの?」
「里帰り、ですか?」
「うん。そういうところあるんでしょ? あの神社の近くなの?」
冬香の頭の中では春先の出会いの事が思い起こされていた。
突然、静かに降りだした雨の中から現れた彼女に驚き、さらに嫁になるなどと言われまた驚き、しかも何だかんだで一緒に暮らし始めた。
そんな彼女だが帰るところがないはずはない。話していればかつて過ごしていた里のような場所もあるらしい。
(あれ? というかお花も里があるならそこに帰ればいいんじゃ?)
言ってからそう気づいたが、お花は少し寂しそうに首を振る。
「あるにはありますが、しばらくは帰れないんです。任氏様って言う私を育ててくれた方とは連絡を取ることは出来るんですが……」
「そうなんだ……まあそんな気はしてたから気にしないで。でも、そのじんし様っていう人と連絡はしなくていいの? もうここに来て数ヶ月経つけど」
「そろそろ報告はした方がいいと思うのですが……ただ、例の神社に行かないとダメなんです」
お花の話では冬香と出会った神社でそういったことが出来るという話だった。しかし、あの場所は電車でそれなりに距離がある。出来ないことはないかもしれないが、少し不安だ。
「じゃあ、私が帰ってきたら行こうか」
「いいんですか?」
「いつも色々してくれてるしそれぐらいはいいよ。ずっと音信不通だとあっちも心配するでしょうし」
「あ、ありがとうございます!」
冬香がそう提案するとお花は嬉しそうに礼を言った。それぐらいしばらく家のことを任せることと比べれば軽い。
「それじゃ、そういうわけだから。えっと、8月の中旬だから先の話だけどよろしくね」
「はい、わかりました!」
そうして約束をしてから日々は過ぎていき、あっという間にその日はやってきた。
今年の夏は予想通り猛暑であった。朝から夜まで暑く、熱帯夜も何日も続いた。さて、そんな中での出発となるはずの冬香であったが……
「……ウー、げほっ、げほ!」
「あわわわ……大丈夫ですか、冬香さん……」
「ごめ……また水注いで貰っても」
「は、はい! すぐ用意します!」
そんな彼女は出発の日だと言うのに布団から出れていなかった。顔は真っ赤に赤く瞳は力なく揺れている。朝から暑いので弱くクーラーをつけているが発汗も酷く、何より冬香の容態は非常に苦しそうであった。
重い夏風邪。不幸にも連休の初日に冬香はそれに罹ったのであった。
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