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筋肉バカ 臨死教官始動


マギアが練也の下に就いてから、練也の書類仕事は怒濤の勢いで終わらさせられた。重要なので再度言うが、終わらさせられたのだ。


つまり何が言いたいのかと言うと、着任した瞬間から不機嫌モードだったマギアが八つ当たりと言って差し支えない圧しの強さで、練也の目の前にそびえ立っていた二本の羊皮紙タワーを片付けさせたのだ。マギア、怖い。


練也もいい年をした大人だ。勿論、マギアを怒らせるようなヘマをしたわけでは無いが、怖いものは怖い。


その怖さと、マギア本人のもともとの仕事の早さもあって、残った紙の山も、半日とかからず片付いてしまったのだ。


恐怖は、本当に使いようによっては犬やハサミよりも実用的だ。


本日、紙の仕事を寄越されて三日目の昼。来週の月曜日まで、二日と半日の余裕が出来た計算になる。


練也、マギアの恐怖に感謝。

ようやく練兵指導官としての仕事に手がつけられるようになったのだ。


とは言えど、時間は昼飯時。

腹が減ったままできる戦などありはしない。


「……マギアは昼飯どうするんだ?」


練也は、意識して何でも無い風を装って訪ねた。こう言う場合、男女を問わず編にオドオドするのも良くないし明らかに気遣うのも人によってはアウトだ。ならどうすれば良いのかという話だが、つまるところ適度に気遣いをしない方が良いのだ。それで相手がどう出るかは相手次第だが。


で、マギアの場合は


「……適当に済ませるよ」


と、返事はしてくれるようだ。愛想は欠片も見当たらないが。


外で済ませるなら一緒に行っても良いか、と言おうと思ったが思いとどまった。マギアが男ならまだ言えただろうが、相手は女だ。流石に馴れ馴れしすぎるなと、心が咎めたのだ。


「んじゃあ、お互いに昼を済ませたら再度ここに集合しよう。マギアのおかげで紙仕事は片付いたし、次の準備がしたいんだ」


「……はいよ」


そして、二人は部屋を出た。


イスラ傭兵団勤務隊舎と言う施設は、非正規とは言えやはり軍事施設だ。施設内に食堂が設けられているのだ。


練也は、この傭兵団で勤務を始めてから昼食はその食堂で済ませている。メニューは基本的に固定されているが、調理師の気まぐれメニューが必ず一皿付いてくるので、量とその気まぐれメニューのおかげで、この手の食事としては満足感は申し分ない。

 

今日のトレーには、固定の雑穀パン、干し肉のニンニク添え、茹で野菜サラダ、ポトフのようなスープ、そして気まぐれメニューに今日はプディングがのってきている。練也、内心で小躍り。実は甘味が好きなのだ。


そして、練也が席に着くとその隣にもう一人、内心で小躍りしている人物がいた。表情は、それを悟らせない不機嫌そうなものであるが。


「……何でいるのさ?」


その人物、名をマギア。


「……ここが俺のお気に入りなんだよ。いただきます」


「……て言うか、何で付いて来てるのさ?」


「……俺もここで食事してるからな。タダだし、美味いし。……ポトフもどきうめぇ」


マギアの不機嫌オーラもどこ吹く風と、素知らぬ顔でサラッと受け流していく。


「だからって、何で隣に座ってるのさ? たまには他の席も良いかも知れないじゃないか」


そんな練也の態度が面白くないのか、マギアは語気を強めて絡んでくる。練也、内心でタジタジ。しかし、表面上は飄々としている。


「まぁ、そんなカッカしなさんなって。飯は、黙って食うか、楽しく食べるか、この二択だけだよ。……む、今日の干し肉硬ぇな」


少なくとも、練也は悪い事はしていない自覚と自負と自信があるので、マギアの剣幕も柳に風と受け流せる。が、マギアはそうもいかないらしい。


その後も、針で突くようにチクチクと突っかかってきた。

 

ハンマーで一発殴られても堪えない練也であるが、小さな攻撃が断続的に来るのは流石に耐えがたい。

 

「なぁ、マギア。何に苛ついてるんだ?」


練也も、途中で我慢するのを止めて問い返す事にした。悟ったのだ、コイツはいつも通りにしていて欲しいんじゃ無くて構って欲しい方なのだ、と。


よろしい、ならばクリー……もとい付き合ってやる。


「先に無礼を承知で訊いておく……生理か?」


「……ぶっ飛ばすよ?」


マギアの視線、殺意を添えて___悪ふざけが過ぎたな、と反省する。過ぎたどころでは無く、もはや犯罪の域だが、そこは流して話を続ける。


「違うようで何よりだ。じゃあ次だ。誰かに面白く無い事を言われたのか?」


「ついさっきね」


「それは悪かった。だから前置きもしただろう? で? どうなんだよ。何かあったのは流石に分かるぞ。教えて貰わないと、こっちも色々と困る。まず何よりも、俺が怖いし」


「……まぁ、レンヤの言う通り面白く無い事って言うか質の悪すぎる冗談言われて苛ついてるってのはあるよ」


マギアも根負けしたのか、白状し始めた。


「ちなみに、それが誰で、内容の詳細はって言うのは、教えられるか、教えたくないか?」


「……すまないね、教えたくない方だよ」


「成る程。お互い、イライラしてたってわけだ……良い事教えてやる。そう言う時には、甘いモンがよく効く」


いつの間にか料理を全部平らげていたレンヤは、これ見よがしにマギアが見ている前でプディングを一口頬張った。


「……んめぇぇぇ……」


口の中に広がる、卵とミルクの織りなした濃厚な味わい。それを、あえて砂糖では無く蜂蜜の甘さで仕立て上げているから、濃厚ながら、上品な味わいとなって、レンヤの舌を、脳ミソを悦ばせる。


例えるなら、味覚の楽園。

練也の心が、甘さに癒やされていく。


その一部始終を見せ付けられるマギア、終始開口閉じる事無し。口の中に唾液が溢れる。


「……満足……満腹……ふぅ、ご馳走様でした」


練也、合掌その後起立してテーブルを立つ。


「イライラは仕事の敵だ。飯食って、一緒に胃袋の中に放り込んじまえ」


練也はそう言い残して、その場を離れた。


取り残されたマギア、しばし茫然自失なるも、復帰。慌てて昼食を平らげていく。


最後まで残したプディングをようやく口に含んだ時、マギアの表情は年相応に甘いものに悦ぶ少女のそれに変わり果てていた。


「……あまぁぁぁい……」


マギア・ローラン、三五歳。彼女は龍人であるから、人間の年齢に換算したら一八から二〇代前半である。故、精神面ではまだまだ幼いところもあるのだ。



場所は変わって、練兵指導官室。


部屋の中には、朝から態度の変わらない練也と、昼食の後から二重人格を疑う勢いで機嫌が変わったマギアの二人がいる。


「……何か、良い事あったのか?」


「……別に」


まだまだ喋り方に愛想が無いが、朝の時のような身の危険を感じるような威圧感はもう無い。プディングが効いたらしい。


「で? 紙仕事の他に手伝って欲しい事ってのは、何だい?」


マギアの質問に、練也は不敵に笑いながらこう答えた。


「俺の、本来の仕事___練兵教育だ」


「っ!」


その笑顔は、以前ヤンセンやザクセン、引いては傭兵団全員の背筋に氷を流し込んだあの、悪魔の笑顔。


コイツ、普段は人畜無害みたいな雰囲気だけど、本性は悪魔みたいな奴なんじゃ無いだろうね!? と、マギアは恐怖した。何より、ヒトを怖いと思った事自体が初めてなのだ。


「……何を、するつもりなのさ」


マギアは、聞いちゃいけない、けど知りたい、でも聞いたら絶対後悔するけど、やっぱり知りたい、と言う強烈な二律背反に挟まれながら欲に負けてしまった。


「まず、そうだな……連中の体力の最底辺を知らなきゃならん。俺にできるやり方になるが、体力テストをやりたい」


マギアの警戒と裏腹に、練也は幾分まともな表情でそう答えた。


「体力テスト……? それは、何をするんだい?」


マギアは、すっかり気の抜けてしまった声でそう訪ねた。いや、確かに悪魔的な所業を聞いてしまうよりかは良かったはずなのだが、覚悟を決めてしまっていた分、拍子抜けの度合いも大きくなってしまったのだ。


「まぁ、簡単に言えば、走る、腕立て伏せ、上体起こし、懸垂をやらせて、各人がどれだけの成績を出せるかって話だ」


「え? 何で、そんなお遊びみたいな事を?」


マギアは、練也が思い描く体力テストの光景を上手く理解できず、そう訊いてしまう。そもそも、確かに聞いただけなら簡単そうにも思えてしまう。


「まぁ、そうな。じゃあ、マギア。一番分かり易い腕立て伏せ、やってみるか。安心しろ、俺も一緒にやってやる」


連夜、この時無意識ではあるが“あの笑顔”である。それを見た瞬間マギアは、あ、ヤバイ、死ぬかも、と背中が冷えていくのを感じた。


「まぁ、初めてだろうし、姿勢に関してはそう五月蠅くは言わんが、一応教えた事を守るよう意識してくれ」


そう言って、練也は自衛隊式の腕立て伏せの姿勢、やり方を教えた。手は肩幅よりもやや広く、ハの字に置き、頭のてっぺんからかかとまでを一直線に伸ばし、視線は前方を向ける___等と教えていたら、


「ちょ、ちょっと、これでもなかなか辛いんだけど」

 

と、マギアが弱音を漏らした。


「あぁ、まだ計測は始めないから姿勢は崩して良いぞ。兎に角、実施中はさっきの姿勢を維持する事を頭に置いてやるんだ。特に気を付けるのは腰だ」


やってみればよく分かるのだが、実はこの姿勢において一番辛いのは腰回りだ。と言うのも、腕は伸ばしてしまえば骨格で支えられるが、腰は力の置き所が無いので結局筋肉を頼るしか無くなるのだ。そして、腰周りの筋肉の負担に耐えられなくなって、変な姿勢で腕立て伏せをしようものなら、たちまち腰を痛めてしまう。


「さて、じゃあ時間計りながらやるから、俺が始めって言ってから止めって言うまで続けてみろ」


そう言いながら、練也は腕時計を外してストップウォッチ機能を設定した。時間は、自衛隊の体力検定に倣って二分。


「じゃあいくぞ……ヨーイ」


その合図で、二人が姿勢を取る。


「……始め!」


その瞬間、練也にとってはご褒美が、マギアにとっては地獄の時間が幕を開けた。


練也は嬉々とした表情で身体を上下させているが、マギアは開始二十秒の十三回目で既に上腕筋と胸筋への負荷にプルプルと震え始めていた。


「ほらどうした! ペース落ちてるぞ!」


練也、調子が良くなってしまいややスパルタスイッチがオンになってしまっている。が、しかし、その台詞がマギアの負けず嫌いな性格に火を灯した。


「何のっ……これぐらい……っ!!」


ガクガクと震える身体に渇を入れて、地道に回数を増やしていく。


この時点で、開始から一分が経過。練也は五八回、マギアは二七回である。練也の筋肉バカは毎度の事として、マギアも善戦している。


「ほら、半分過ぎたぞ! へばってんな、全力絞れ!」


「っくぅ……! 絶対ぃ……コロすぅ!!」


もはや罵詈雑言を吐く事すら厭わなくなったマギア。逆に言えば、それほど疲弊しているとも言える。


「ほら、あと二十秒だ! 頑張れ! あと少しだ!」


練也の叱咤激励の中、マギアはおおよそ女性のそれとは思えないほどの雄叫びを上げて、最後の二十秒を耐え抜いた。


終わりを告げる、時計の音。


「止めっ!」


練也の号令が聞こえた瞬間、マギアはその場に潰れ伏した。


「っはぁ、はぁっ、はぁっ……っくぅ……っ!」


「お疲れさん。何回できた?」


もう動けないとばかりに這いつくばったままのマギアに、練也は涼しそうな声でそう訊いた。

が、当のマギアは怒りやらその他諸々の感情が沸かないほどに疲れてしまっている。


「よん、じゅ……はち……」


「おお、やるなぁ! いや、素直に凄いな。流石は操龍士ってところか。俺の予想より上だよ」


ちなみに俺は一〇八回、と言われた瞬間マギアは、コイツいつかぶちのめしてやる、と心に誓った。

 

「まぁ、俺は鍛えてるから指標にならないんだが、他の連中が同じ条件でやらせて果たしてどうなるか、だよな。何せ、マギア、お前がへばってるんだ」


確かに、言われた時と、やった後で自分がいかに腕立て伏せを甘く見ていたのかが分かる。そして、この様子だと、他の種目でも同じ事が起きるだろうと、簡単に予測できる。


マギアは、自分の体力にはそれなり以上に自信があった。何せ、本職は操龍士をやっているのだ。操龍士の仕事は、一に体力二に体力、三、四体力、五にセンス、と言われるほどに体力が重要だ。それをこなしていたのだから、彼女が自信を持っているのも当然だ。


しかし。先ほどのたった二分で、その自信は爪楊枝のようにポッキリとへし折られた。


「まぁ、こんな感じでざっとテストをして、そこから先は結果次第だな」


てなわけでこの計画を団長に提出したいから書類書いてくれ、と練也に頼まれた時マギアは、コイツ……! と、よく分からない怒りを覚えた。


「この分の迷惑料は、今月の給料で俺が何か驕るからそれで流してくれると嬉しい」


「……じゃあ、酒。あと、何か甘い物……量に上限無し……で、文句無いね?」


「上限無しはちとキツい気もするが……よし、男に二言は無い。それで頼む」


更に五分ほど経過したところで、流石にマギアも回復した。


すると、マギアは早速羊皮紙を数枚用意して、提案書の作成に取りかかった。


その内容は___



Proposal(提案書)

 

Hirose Renya will propose the following plan.(広瀬練也は以下の案を上申する)


Implementation of physical fitness training for the purpose of improving basic physical strength of each member, and physical fitness test for confirmed results.

(各団員の基礎体力向上を目的とした体力錬成、及びその成果確認のための体力検定の実施)


The items of the physical fitness test are as follows.

(実施項目は以下の通りとする)


Paragraph 1 2kilometer run(第一項 二キロメートル走)


Paragraph 2 Push-ups for 2 minutes(第二項 二分間腕立て伏せ)


Paragraph 3 Sit-up for 2 minutes (第三項 二分間上体起こし)


Fourth term suspension(第四項 懸垂)


In addition, detailed matters in implementation shall be educated locally.(なお、実施項目における詳細事項は現地で教育するものとする)


 

と、至ってシンプルな物だった。


「……言われた通りに書いたは良いけど、短くないかい?」


一通り書き終えたマギアは、筆を置くなりいささか不安そうな声で練也にそう訊いてきた。


「そうか? 伝えたい事は相手が理解しやすいように、短く、簡単にまとめるものだと思うんだが、何か違うのか?」


練也も、マギアがどう言う意図でその質問をしたのか分かりかねて、自身の意図を伝えると同時に、何か間違っていないかを訪ねた。


「いや、こう言うのって辞世の句とか、綺麗な言葉、とか色々気を遣わなきゃいけないような気がしてね」


「あぁ、なるほどな。そう言う事なら、なお気にするべきじゃ無い。何なら、この一通で上の連中が無能か否かが一発で分かる」


マギアは顔を青く引き攣らせながらも、どう言う事かと視線で訊いてくる。


「こう言う仕事の、しかも、提案書如きに辞世の句があるや無いやで、内容に目も通さない奴はバカだ。バカ以外の何者でも無い。必要な事を、短く簡潔に伝えてこその提案書だ。手紙じゃねぇんだ、そんな事気にしてられるか」


マギア達の常識からすれば練也は、恐ろしい勢いで爆弾発言を投げ回っている男だ。しかし、練也はそんな常識など知らない。ならば、遠慮する余地があろうはずも無い。


「まぁ何か言われたら、その時はその時だ。とりあえず、それで提出する」


マギアは最後まで表情を強ばらせたまま、練也の指示に従い続けた。マギアを唯一救ったのは、その書類の提出を練也本人が受け持ってくれた事だ。


もしそうで無かったら、と考えて、考えるのを止めた。どうせろくでも無い未来に違い無い。


「それじゃあ、提出に行くよ。部屋のを留守番よろしく頼む」


マギアは、頼まれたよ、と返事をして練也を見送った。



そして、見送られた練也の方はと言うと。団長室に行くのが、少しだけ億劫だなと思ってしまっていた。


何も、勤務隊舎の内部構造が面倒臭いとか、団長室が最上階にあって行くのがしんどい、とかそう言う理由では無い。


単純に、偉い人の仕事部屋に仕事として赴く事自体が嫌なのだ。自衛隊の新隊員教育時代に植え付けられた一種のトラウマである。入り方の礼儀やら基本教練やら、何かでヘマをしよう物なら、すかさず反省と称した腕立て伏せや屈み跳躍が飛んでくるのだから、嫌気も差すし記憶にも残る。少なくとも、広瀬練也に関してはそうだった。


だが、仕事は仕事だ。

多少は個人の事情を慮る面もあって然るべきだが、職場にいる限りは仕事が基本優先だ。


ペチペチと頬を叩いて、自分を鼓舞すると、練也は団長室へ向かった。


と、大仰に言ってはみた物の、団長室は練兵指導官室がある隊舎三階の丁度中央にあるので、実はかなり近い場所にある。


ちなみに練也の仕事部屋は、三階の団長室を出て右側の一番端にある。ご近所様なのだ。


しかし、入る時もご近所様さながらの気楽さ、と言うわけにはいかない。


練也の目前に、団長室の重厚でありながらも質素なデザインの扉が立ちはだかる。デジャヴ。


息を整えて、三回ノック。


広瀬練兵指導官です、と言うと扉の奥から、入れ、と返ってきた。


「広瀬練兵指導官、入ります」


そう宣言して、静かに扉を開けると、部屋の中には剣の手入れをしている最中のザクセンがいた。


「広瀬練兵指導官は、ザクセン団長に要件があり参りました」


そう言えば、この傭兵団における基本教練や各種要領を知らなかった事を思い出し、咄嗟に自衛官時代のやり方が出てきた。

身に刷り込まされた行動というのは、なかなか抜けないらしい。今この瞬間だけ、新隊員教育に感謝の練也である。

 

そんな練也の様子を正面から見据えていたザクセンは、そっと剣を鞘に収めた。

 

「そんなに固くしなくても構わん。それで、要件とは?」


「はい、先に指示されていた書類仕事の処理の終了の報告、及び提案書一件の提出に参りました」


「ん? 仕事の早さにも驚くが、提案書?」


練也は予想していたその質問に、提案書を出して、先ほどまで指導官室で起きていた事をかいつまんで説明した。ザクセンは、それを黙って聞きながら手元の書類を読み込んでいる。


「……概ね何がしたいかは理解した。が、幾つか質問がある」


提案書を読み終えたザクセンがそう言った。


「まず、項目二、三で示されている、“二分”とは何だ?」


ソコかぁーい! 練也は心の中でツッコミと共にハリセンを振り回した。いや、しかし冷静に考えてみればその質問は至ってまっとうな質問だ。


そもそもの話、練也はこっちの世界における時間の単位や計測法を知らないし、ザクセン達はその逆だ。


そう言う次第で、まず練也は前いた世界での時間の単位とその計り方を大まかに説明した。


「___つまるところ、六〇秒が一分、六〇分が一時間である、と言う事を頭の隅に置いていただければ充分です。そして、その計測は私が今身に着けている時計と言う物で計ります」


そう言って、練也は腕時計を外してザクセンに見せた。


「……ほう、これでか」


ザクセンは、一通り舐め回すように観察して時計を練也に返した。その表情は、練也の時計の表面的な加工精度の高さにご満悦といった具合だ。


「次の質問だが___」


そこから、更にいくつかザクセンの質問が続いた。二キロメートルとは何か、どうやって測るのか? 懸垂とは何か、設備はどうするのか? 等々。


「他に質問はありますか?」


「いや、無いな。この短期間で、よくここまで詰めた提案を出せたな。そこに驚く」


「お褒めにあずかり光栄です」


元々、この提案自体は練也の自衛官時代の経験が叩き台になっているので、立案から細部の詰めまでは割と簡単にできた。決め手は、練也の腕時計が時計としての機能以外が全て無事だった事にある。流石にこれが無かったら考え直すところだ。


「分かった、その提案書は採用する。準備に必要な人材と金はまた報告してくれ。こっちで工面しよう」


「ありがとうございます」


その言葉を聞くやいなや、練也は表面上の態度と裏腹に頭の中で目まぐるしい速度で今後の計画を組み立て始めた。体力テストを実施するに当たって、不足している物品、その中でも応急的対処が可能な物と不可能な物、不可能な場合何がその原因になっているのか、それ以外にも諸々の事情等々。


「広瀬練兵指導官は、ザクセン団長への要件終わり帰ります」


練也は、そう言い残して団長室を出た。頭の中では既に、テスト実施に向けた具体的な実行案が完成しかけている。


そして、部屋に残されたザクセンは先ほどまでのやりとりを思い出してこう思っていた。


「ヒロセ・レンヤ……末恐ろしいな」


ザクセンのまぶたの裏には、終始“あの笑顔”を浮かべていた練也の姿が焼き付いていた。


そして、その末恐ろしさの片鱗はすぐに顕在化した。


次の日の昼、体力テスト実施計画原案と必要物品の申請書類が届いたのだ。


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