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筋肉バカ ギルドに入る 上


さて、どこの世の中でもそうだと思うのだが、そこそこの文化水準と秩序がある社会の中で健常者が生きていく上では、労働と言うのは義務になる。付随して納税も義務になる。


当たり前の事だ。


そして、その当たり前は練也がセカンドライフを送るコッチ側の世界でも変わらない原則だった。


「まず、ギルドの決まりで、“漂流者”達は労働の義務があんねん。その対価として、ギルドはアンタ等の衣食住と経済の保証と支援を約束しとる」


とは、あのなかなか読めない魔術師の男、ニクスの言葉だ。


不運にもコッチ側の世界に引っ張り込まれてしまった男___広瀬練也は今、自由交易都市ファルナスに立っていた。

 

「はぁぁ……」

 

落胆の溜息では無い。

感嘆の溜息だ。


海外建築の見本市もかくやと言った具合に、視界に収まる様々なところが非日本的だ。


練也が今いる場所は、この世界に引っ張り込まれた漂流者達の避けては通れぬ門である、歓迎課審査室の隣、控え室の中だ。


ちなみに歓迎課審査室とは、簡単に言うと、入社試験の面接室みたいな場所のようだ。ニクスが言うに、ここでどんな評価をされても街から追い出す事は無いらしい。本人に別の意思があればその限りでも無いらしいが。


部屋の調度品は、青い花が生けられた白い陶器製の花瓶やシンプルなデザインの机と椅子、そして赤地に金色で大きく紋章を描いた絨毯と、同じデザインの旗が吊されているだけという割と質素な物だ。しかし、その様相は西洋貴族の一室を思わせる。または、明治時代に建てられた洋風モダン建築。


何せ、壁や床、天井が板張りでしかも足下は土足なのだ。まるで海外旅行に来ているような気分になる。


「……まぁ、異世界だしな」


そう呟いてから数分して、ドアがノックされた。練也が返事をすると、ドアは静かに開けられ一人の女が入ってきた。腰の少し上まで伸ばした長い黒髪が印象的だ。


「どうも。担当員が揃ったから、漂流者さんも審査室に来いってさ」

 

愛想の無い喋り方をするこの女を、練也は覚えていた。あのドラゴンに乗っていた、動体視力が化け物じみた方だ。向こうが覚えているかどうかは知らないが、初めての遭遇の際にしでかした事が事のせいで練也個人としてはやや苦手な人物だ。


「あぁ、あとヨーク、あの飛龍で追い回したのは悪かったね。仕事だったとは言え、漂流者さん相手にする事じゃなかった。この通りだ」


練也の居心地の悪さなど一切合切無視して、女は唐突に謝罪を始め頭を下げてきた。


声音や体の動きから察するに、どうやら相当悩んでいたようだ。何より、頭を下げたまま姿勢を変えないあたりが彼女の生真面目さを物語っている。


「気にしてないって言えば嘘になるが、少なくとも根には持ってない。から、頭上げてもらえないか?」


こっちが何も言わなかったらずっとこのままなんじゃないか、と言う恐怖にも似た予感を覚えて練也はそう口にしていた。どんな理由であれ、女に頭を下げ続けさせるのは練也の良心が耐えられない。これ以上、この女性に対する居心地の悪さに拍車をかけたくないのだ。


「ありがとう。そう言ってもらえると助かるよ。アタシはマギア。この街のギルドで操龍士をやってる」


まだ話してない事もあるけど、と言われて練也はそう言えば呼び出されているのだと思い出す。


では、と軽く会釈を交わして練也は控え室を出た。


件の審査室は控え室を出てすぐ右隣にある。そして、その入り口のドアの大きさ。どことなく、学校の校長室の扉を彷彿とさせる。


その前に立った時の緊張感ですらそれにそっくりなのだから、逆に笑いそうになってしまった。


一つ、深呼吸をしてから、ドアを三回ノック。


ドアの向こうから、どうぞ、と聞こえてドアノブに手をかけた。


部屋に入ると、そこは正に面接室のような状況だった。部屋の真ん中に据えられた木製の椅子。部屋の奥の方に、入室者と正対する形で置かれた同じく木製の長机。そして、そこに鎮座する三人のやや神経質そうな男性。外見で言えば、練也から見て左から、二十代前半のブロンドパーマ、形良く整えられた白髭を顎に蓄えたロマンスグレー、黒髪オールバックの眼鏡をかけた四十代前半と言った具合だ。


眼鏡の男性が、どうぞお座り下さい、と促してきたので練也はようやく椅子に腰をかけた。すると、真ん中に座っているロマンスグレーが、


「さて、君はどの世界から来たのかね?」


と、簡潔かつ静かに問うてきた。どの世界、と言う言葉に対して、自分が生きていた現代日本、あの世界を何と呼ぶべきなのか悩む。


「あぁ、質問が悪かったね。訊き方を変えよう。君がいた世界は、魔法はあったかね?」


練也の沈黙が長かったのか、ロマンスグレーが、すまないね、と言いながら質問を変えてきた。


そして、それならはっきりと答えられる。


「魔法は無かったです」


そう、魔法なんて無かった。あったのは、科学だ。魔法と例えられていた現象も、大概はそれで解明できてしまった。故に、練也は魔法と呼ばれる現象に対して常に懐疑的なのだ。


「成る程。なら、きっと君はしばらくは驚きの連続の生活が送れるだろうね」


ロマンスグレーは、そう言ってからペンを取り、手元の書類に何かを書き込み始めた。


「ならば、次は私から質問させていただく、漂流者殿」


次に口を開いたのは、ブロンドパーマ。見た目の若さの割に、話し方がやや古風なのが面白い。


「漂流者殿は、有神論者か? それとも無神論者か?」


しかし、その面白い雰囲気とは裏腹に飛んできた質問は少し考える内容だった。


端的な言い方をすれば、神はいるかいないか、を訊かれている。しかし、練也は今この瞬間まで、神の存在の有無など本当に考えた事が無かったのだ。それ故に、唐突それを訊かれても即答できるだけの考えがそもそも無い。

 

しかし、訊かれた質問には答えねばなるまい。回答のいかんは別問題として、だ。


自分の中で、考えを急速にまとめる。判断材料が少ないがために、結論が出るのにはそれほど時間はかからなかった。


「……現状は無神論者です。何せ、会った事も見た事も無いので。そもそも、その質問をされるまで神様の有無を考えた事も無かったので、そう言う意味で無神論者です」


「ほう。では、もしかすると有神論者になる事も有り得る、と?」

 

「可能性としては、有り得ます」


「ふむ、成る程。あい分かった。私からの質問は以上だ」


なかなかに意図の分からない質問だったな、と練也は思った。質問の意図が本当に言葉通りであればただ練也が深読みをし過ぎているだけだ。だが、恐らく違う別の意図があるだろうと推察する。

それが、果たして自分に害があるのか無いのかが読めないのがもどかしいところだ。


まぁ、見る限りここにいる三人は力業でもどうにか出来るな。全員、それなりにたくましい体つきをしているが武道や格闘技の経験は無いと見える。そもそも、素手の間合いならどうやっても勝てる自信がある。練也はそこはかとなく、上腕二頭筋、大腿四頭筋、腹直筋等に力を入れたり抜いたりしながら、その結論を出した。

勿論、ニクスにかけられたあの妙な技をやられなければ、の話だが。

  

「ところで、漂流者様。ご自身の氏名を答えられますか?」


その質問をしてきたのは、黒髪オールバックだった。


「……」


練也は、その質問が発された瞬間に三人の雰囲気が変わった事を察した。全員がまるで、二択問題の回答者のような、不安感と警戒心が入り交じった、品定めするような目付きをしている。


練也は、どう言う事だ、と頭の中で考える。


答える方が良いのか、答えない方が良いのか。どうであれ、返答を間違えてしまえばただではすまないだろう。


「……口にする事はできます。しかし、この質問に答えた場合と、答えなかった場合のそれぞれの対応を先に確認しても?」


練也は、極力冷静を装いながらそう質問を返していた。


「……その質問には、すまないが答えられない」


しばしの沈黙の後、真ん中のロマンスグレーがそう答えた。


ふむ、まるで黒ひげ危機一発みたいだな。ロマンスグレーの返答を聞いて、練也はそう思った。しかも、正解したならばまだしも選択を間違えた時に飛んでいく物が何なのかが分からないから怖い。自分は、樽に差し込まれた人形では無いのだから。


しかし、考えれば考えるほど面倒臭くなっていく。そもそも、どっちを選んだらどうなる、と言う前提が定まっていないのだ。そして、相手側の意図も全く読めていない。

身も蓋も無い事を言ってしまえば、考えるだけ無駄なのだ。


ええい、ままよ!

 

「……私の名前は、練也。広瀬練也と申します」


頭の中がやけっぱちになり、練也は流れるように自分の名を口にしていた。


そして、途端に三人の発する気配が若干の驚嘆と安堵が混在した物に変わった。


うむ、わけわかめ。


練也の頭の中も、とっちらかってしまった。つまり、どう言う事なのだろうか?


「ん、あぁ、すまぬな。漂流者殿___もといヒロセ殿。先ほどまでの質問は、あまり意味の無い物なのだ」


ブロンドパーマが、練也の様子を見かねてか、そう言ってきた。


「は?」


練也の声に、少なからざる怒気が混じる。


しかし、次の言葉でその怒気も骨を抜かれてしまう。


「先の質問は、質問と言うよりはある種の呪術なのだ」


「……呪術?」


響く、練也の間抜けオウム返し素っ頓狂な声を添えて。


ブロンドパーマ曰く、漂流者と呼ばれる人々は皆必ず“箱船”に召喚されてからこの世界に現れるらしい。“箱船”は、よその世界とコッチ側の世界を繋ぐトンネルの様な物らしいが、そこをくぐる際に精神や魂を欠如してしまう事がそこそこの頻度であるらしい。原因としては、“箱船”に召喚される際の負荷に魂や精神が耐えきれず壊れてしまう、またはよその世界で死んでしまってから召喚される、等が一般的らしい。


「よその世界で死んでからって、言うのはどう言う意味ですか?」


説明の中で、どうにも意味を捉えにくい部分があり、練也は思わず質問してしまった。


「恐らくだが、君達“漂流者”は、元いた世界では神隠しやそれに似た失踪現象として扱われるだろう。君達はそこの段階で、つまり消えてしまう段階で稀に死んでしまう事があるんだよ」


と、ロマンスグレーが答えを引き継いだ。


そうして、死んでしまってから召喚された“漂流者”は、色々と面倒な事になるそうだ。最たる例として、魂喰い(タマグイ)と呼ばれる殺人鬼が挙げられる。


「それの何が問題かと言われれば簡単な事で、我々ギルドとその他大勢の“漂流者”達に対する風評被害だよ」


「そもそも、漂流者の識別はどうやっているのですか? 分からなければ、ギルドへの影響は分かるとしても“漂流者”とやらへの影響がどうやって及ぶのかが分からないです」


「あぁ、それは簡単な事さ。君は、恐らく前の世界で話していた言語を喋っているつもりだろう。しかし、よく、よく思い出してくれ。我々が話している言葉が分かるようになった、その直前、何があったかを」


我々の話す言葉が分かるようになった、その直前。練也は、コッチ側に来てから目まぐるしく変化を続けたそう長くない時間の記憶を掘り返していった。


変な部屋の中で目が覚めて、部屋が消し飛んだと思ったらコッチ側の世界に来ていて、ドラゴン___ヨークとマギア、ニクスから襲撃まがいのアプローチを受けて______



「あっ」



練也は、咄嗟に首筋に手をやった。指先で撫でてみるが、何も変わった様子は無い。


しかし。しかし、だ。


コッチ側の言葉、つまり最初にニクスが話していた言葉が聞き取れるようになった直前、練也はニクスに何かされていた。


首筋に、何かを当てられて、僅かな刺激を感じた直後から、コッチ側の言葉が分かるようになったのだ。


「そう、“漂流者”は皆そこに印を打たれるのだ。何、デザインはそう悪くない」


そう言って、ロマンスグレーはおもむろに右手を顔くらいの高さまで上げた。


「……ほれ、これだよ」


ロマンスグレーの手の上に、淡い緑の光を放つ紋章が浮いていた。


「……驚きゃしないが、目眩はしそうだよ」


練也はそうぼやきながら光る紋章を見つめた。その形は、デフォルメされた龍の翼を一色で塗り潰したかのようだ。首に入れれたそれは黒で塗り潰された同じ模様だそうだ。


それが、首の裏側にあると考えると、そこまで言うほど悪くも無い。日本人の感性として、眉をひそめてしまうところはあるが、妥協はできる範囲だ。


「……そう言う事であれば、成る程、理解できました」


はぁ、と短く息を吐いてから練也はそう口にした。


「納得してもらえたようで何より。では、改めて本題に移ろう」


まずは自己紹介からと言われて、三人が名乗っていく。


ブロンドパーマは、ヤンセン。ロマンスグレーは、グリシャ。黒髪オールバックはディナン、と言うらしい。


「ひとまず、君がまっとうな心身を保ったままこの世界に来れた事を喜ぶとしよう」


グリシャのその言葉から後の事は、すこぶる早く進んでいった。


この街で生活していく意思の有無。これは勿論、有りだ。一人で野原を生き抜くたくましさは流石に持ち合わせていない。

そして、この街で生きていく上での漂流者の義務と権利。

義務は大きく三つ。一つ、ギルド直轄の組織での労働。一つ、ギルドへの納税。一つ、街の掟を破らない。

権利は、上記の三つを守っている限りは例外無くこの街での衣食住の完全保証だ。


「ヒロセ殿、参考までに得手とする事を幾つか挙げて欲しい」


あらかたの説明を終えた後、ヤンセンが訊いてきた。“漂流者”は全員種族性別を問わず職業選択の権利は無いそうで、その代わりに各々の得意とするところを活かせる仕事をギルド側から斡旋する、と言う決まりらしい。


「……素手や短剣での戦闘。筋トレ……つまり肉体の鍛錬、は人より得意だと思います」


他に出来る事と言えば、電気溶接やガス切断、特殊機材操作、各種車両の操縦等があるが、どう考えてもコッチ側の世界では意味が無い。


「前の世界では闘士かそれに似た事をしていたのかね?」


グリシャが、少し釈然としないような様子で訊いてきた。


「闘士はしていませんが、自衛官、あぁ、つまり兵士だった時期があり、その関係で」


相手が何に引っかかっているのかは読めなかったが、練也は淡々と質問に答える事にした。先ほどまでのやりとりを鑑みるに、どうあがいても結局は相手側の胸三寸で全てが決まるのだ。ならば、相手には素直に判断材料を提供しておいた方がこっちにとっても好都合に転ぶ可能性が高いのだ。相手が、自分に対して友好的である事が前提ではあるが。


この問答から先は、また事務的なやりとりが続き、とんとん拍子で話が片付いていった。


恐らく、事細かな説明をしたところで正確な意味が伝わっていない、と言う事を相手側も理解しているのだろう。事務的に進む話の中に紛れ込む説明は、かなり大雑把だった。


「さて、これで粗方の説明は終わりますが、ヒロセ様からは何か質問はありますか?」


ディナンからの言葉に、特にありません、その一言で審査室でのやりとりは全てが終わった。やや不可解な点も残してはいたが。


日本人的に礼儀正しく部屋を後にすると、思いの外体に変な力を入れていたらしく、肩や首、腰に僅かな疲れが溜まっている事に気付いた。体を伸ばしてみると、案の定、背骨や肩甲骨がパキパキと小気味良い音を鳴らしていく。


「……それにしても解せん」


部屋から少し離れた場所まで来たところで、練也は呟いた。


ギルドへの入会は、最終的な決断はヒロセ様次第になります。


話の中で、ディナンから告げられた言葉だ。


先のやりとりは、ほぼほぼ相手側が一方的に話し、合間に練也からの応答が混ざる、と言う形に終始していた。そして、練也の経験則から言うと、この手のやりとりで相手側が一方的に話してくる場合、最終的な決定権は相手側が保持していることが大半であった。


それなのに、今回は決定権を自分に譲ると言ってきているのだから、違和感を感じざるを得ない。本当に、言葉通りの意味なのか、それとも何か裏の意味があるのか。


そもそも、この街に住む意思の有無の確認の時点で、有るならギルドの言う事聞きなさい状態の説明だったと記憶している。


向こうが何を考えているのか、全くこれっぽっちも意味が分からない。


ええい、コッチ側に来てから一日も経ってないのに同じような事ばかり悩んでいるな、畜生め!


頭の中がこんがらがる前に、かの国の伍長よろしく毒づいて、無理矢理に思考に減速をかける。


分からない事を考えたところで、バカの考え以上に無意味な時間を過ごすだけだ。


ここにいても時間の無駄だと考えて、練也はギルドの本庁舎を出て街へと向かった。


異世界は、夕日の紅に染まっていた。



Another View.

 


所変わって、もとい戻って場所はギルド歓迎課審査室。


ブロンドパーマのヤンセン、ロマンスグレーのディナン、黒髪オールバックのグリシャと、胡散臭い魔導師のニクスが、椅子を円卓に並べて向かい合っていた。


「それで? どうやった、今回の“漂流者”は?」


出し抜けにニクスが問いかけた。問われた三人は、全員揃って溜息を吐きたいと言わんばかりの表情で眉をしかめた。


「どうだった、と言われましても、ニクス様が何について問われているかによって答えが変わるのですが?」


グリシャが、若さ故なのか無闇にやや強い語気で詰める。


「何にも何も、まんまの質問や。所感が聞きたいんや、ここにおる四人それぞれの、な」


ニクスは、調子を崩さずに改めて問いかけた。


「今回の“漂流者”、どう捉える?」


ならば、と最初に手を挙げたのはヤンセンだった。


「ヒロセ殿がヒトであることが惜しい。何なら特例を使ってでも、法衛課直属の人材として欲しいほどだ」


ヤンセンは、“漂流者”の審査員であると同時に、法衛課の課長でもある。噛み砕いて言えば、この街の治安維持に関わる全てのトップなのだ。その言葉の意味するところは、かなり大きい。


「何を見て、そう感じたんですか?」


しかし、ニクスは深く食いつきたい気持ちを抑えて平然とした態度を装って質問を深める。


「まず、あの立ち姿。座っているときの姿勢。鋼の柱の如くピクリとも揺れぬ芯の通った体幹。私には相当鍛えているように見えた」


その言葉に、ディナンとグリシャも首肯した。三人とも、そこには気が付いていたのだ。練也の、異様にも見える芯の通り続けていた姿勢に。


「他の国の高級将兵でも、あそこまで綺麗な姿勢の御仁はそうおられん。元兵士である事、自己の肉体の鍛錬をしている事、嘘では無いだろう」


この世界において、兵士やそれに準ずる役職の基本装備は、甲冑と剣と盾だ。鎖帷子(クサリカタビラ)を纏い、その上から金属製の鎧を装着し、さらに鉄製の剣や盾を持った上で動き回るのだから、身に着けている本人は必然的に体が鍛えられる。しかし、そんな彼等でさえ姿勢を正したまま長時間耐えられるかどうかは別の話だ。何せ、鍛えられているのは主として単純な力に関わる筋肉、つまりアウターマッスルであって、姿勢維持の根幹たるインナーマッスルでは無いのだから。


「それに、ニクス殿から事前に報告があった、“箱船”内部に巡らせていた術に損傷を与えたと言う話も無視は出来まい」


その報告を最初に受けた時、三人はニクスのはったりだろうと話を軽んじていた。しかし、ニクスが発動していた術の幻影を見せると、全員がコペルニクスもかくやの勢いで態度を一転させたのだ。

 

「いやはや、あの時は腰を抜かすところであった。徒手戦の詳細はともかくとして、しかし一撃の力においてはヒトはおろか我々亜人のそれすらも凌駕している」


ここにいる審査官三人は、ニクスの二つ名を知っている。その名の由来も理解している。

だからこそ、事の異常性を理解できる。


「ええ、私もやられた時は、ビックリするやら興奮するやらで頭ん中が大忙しでしたわ」


今更ではあるが、ニクスは勿論として審査官の三人もヒトでは無い。ヤンセンとグリシャは龍人、ディナンはニクスと同じくエルフだ。

そして、ヒト以外の種族は総じて亜人族とまとめられており、ヒトと比べると全体的に身体能力が高く寿命も長い。

比較で言うならば、世界大会レベルのアスリートの身体能力を全員が生まれながらに最低限の能力として持ち合わせている、と言えばその差が分かるだろうか。そこら辺に、ボルトや室伏以上の身体能力お化けが歩き回っているのだ。


それが当たり前の世界。


様々な面で、亜人族がヒトを凌駕している世界。ヒトにできない事も、亜人にならできて当たり前で、その逆はあり得ない世界。


だからこそ、そんな中で、練也は革命とも言えるような衝撃を与えたのだ。亜人にすらできなかった事を、ただのヒトがやってのけたのだから。

 

「鬼人族かその血を引く者である可能性も否めないがな」


ディナンが不満げな声でそう言うと、ニクスはすかさず否定した。


「今回の“漂流者”、間違いなくヒトやと断言します。何せ、一神教の年号の世界から引っ張り込んだんやから、間違いあらへん」


この意味が分からない人物は、この部屋の中にはいなかった。


つまり、認めざるを得ない。


「どうであれ、私の所感はこんなところだ。兎にも角にも、ヒトであることが惜しい」


ヤンセンの練也に対する評価は良好だ。それに対して、やや懐疑的な態度を示しているのはディナンだ。


「私は、どうにも受け入れがたいと感じている。事実はどうであれ、彼はヒトである事に変わり無いではないか」


良識のある人間なら、この発言に眉をひそめるだろう。しかし、この世界においてヒトであると言う事実は、いかんともし難い負のアドバンテージなのだ。


事実、ヒトは亜人族よりも全てにおいて劣っているのだから。


「ギルドの幹部としては、人材の多様性を求めると言わなければならないが、個人的な心情ではどうにも納得しにくいのだよ」


ディナンは、この部屋の四人の中で最も年齢が高い。他の三人が九〇から一三〇代そこそこの中、ディナンだけが二五〇歳だ。この世界の常識に、あまりにも長い間浸りすぎたが故に、ヒトに対する侮蔑とも言える感情が人一倍強いのだ。


「しかし、我々よりも劣る存在だからと言って侮るには、少々規格外が過ぎるのではないか、と私は考えますが」


そう口にしたのはグリシャだった。


「事実、彼の身体能力については我々は垣間見ているわけではありませんか。事実は事実として正当に評価しなければ、後に割を食うのは我々になりかねない」


グリシャの中では、練也の評価は白黒を付け損ねていた。何せ、練也について分かっている事が少ないのだ。


「私に言わせれば、この段階で彼の所感を述べ合うのはいささか危険だと断言します。この段階で彼に対して先入観を持つのは、今後の判断の精度に影響が出る」


この四人の中で、グリシャは最も練也に対して中立的な立場に立っていた。グリシャの役職は、歓迎課の課長だ。


そもそも歓迎課はギルド内の“漂流者”専門の部署だ。受け入れ、登録、保護兼監視、職の斡旋等と“漂流者”相手の手続きや事務処理を一手に担っている。そして、その立ち位置故に“漂流者”に対して向ける目が、他よりも冷徹であり公平にならざるを得ない。

その課長たるグリシャは、正に課の鑑とも言える思考を体現しているのだ。

 

「まぁ、全員明言こそせえへんかったけど、概ねの所感は分かった。まず、ヤンセンさんは肯定的。ディナンさんは否定的。グリシャさんが判断できへん、と。ちなみに私は、ヤンセンさんと同じく肯定側や」


自身を含めた四人の主張を、ニクスがまとめた。その結論だけで見ると、肯定二票、その他が一票ずつで、多数決で見れば肯定側の意見が通る。


「まぁ、ワシも含めてやけど、各々方にはくれぐれも今回の話し合いが、あくまでも所感を述べるだけやっちゅう事を忘れんように心がけとかなあかん」


そう、忘れてはならないのがあくまで今回のこれは各人の主観を述べるだけの物なのだ。何らかの意思決定に影響を及ぼす物では無い。


その後、しばらく続いた話し合いの結果、仮に練也がギルドへ入会する場合はヤンセンが面倒を見る、と言うところで話は決着が付いた。


「じゃあ、そう言う事でこの話は終いや。ワシは“漂流者”の様子を見に行くことにするで」


ほなな、と軽く手を振りながらニクスが部屋を出て行った。それを皮切りに、三人も部屋を後にして、各々散っていった。


そして、ここでの話し合いの結論が、練也のセカンドライフに多大な影響を及ぼす事など、当の本人には知るよしも無い。



    Another View...end...


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