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筋肉バカ 召喚される 下


Another View


「うっわ、コイツエグいのぉ!」


興奮を抑えきれていない声で、マドゥと呼ばれるエルフの伝統的魔道衣に身を包む男___ニクス・ヴォーがはしゃぐ。その手元には、淡い光を伴って浮かんでいる小さな四角い箱状の幻影がある。


しかし。


「えぇ!? 何か言ったかい!?」

 

ニクスの前で飛龍を操る龍人の女___マギア・ノーランにはそのはしゃぐ声も風のせいでうまく届かない。


二人は今、マギアの愛龍___ヨークの上に跨がって地上四〇〇メートルほどの空を飛んでいた。切り裂いた冷たい風が、二人の頬の肉を波打たせる。


「今回“箱船”に召喚されたヤツがのぉ! 力がアホほど強いんや!!」


未だにはしゃぐ心を抑えられない様子を滲ませながら、ニクスがややゆっくめに叫ぶ。


「何があったのさ!?」


今度こそちゃんと聞き取れたマギアも、ニクスの話に乗っかる。


「コイツのぉ! 内側からワシが張った術式柵に若干やけども傷を付けよった!」


「はぁ!?」


素っ頓狂なその声と、唐突な下からの突き上げが二人を襲ったのはほぼ同時だった。


ニクスの言葉の意味するところを理解して、マギアは迂闊にも龍の操舵を荒らしてしまうほどに驚愕してしまったのだ。ヨークが、不満げに鼻息を吹かす。


「アイタタタ……おい! 危ないやないか!! 何しよんねん!!!」


「アンタがタチの悪い冗談を言うからだよ! 妙な事言うのはよさないか!」


ニクスの抗議に、マギアもヨークを宥めながらも負けじと言い返す。


「アンタの術式柵は普通の飛龍の雛には傷一つ入れられないほど丈夫なんだろう!? なんなら火山龍だって二〇〇〇日は閉じ込められるんだしさぁ!!」


ニクス・ヴォーという男は、それなりに名が知られている魔術師だ。二つ名に“鋼の牢”をいただく彼は、術式拘束や術式監禁等の術に非常に秀でている。その力量は、およそ八〇〇〇年の長い魔術師の歴史の中でも数えるほどしかいない、火山龍の長期拘束に成功した術者、その中の一人だと言えば察せるだろう。


ちなみに、火山龍とは、この世界に生息する龍種の中で最も大きく最も力が強く最も凶暴であると言われる一番危険な種類の龍のことだ。存在自体が天変地異とさえ言わている。


「冗談ちゃう! マジモンのマジで傷つけられたわ!! 滅茶苦茶小っちゃいけどなぁ!!」


いよいよ興奮に熱が入り出した様子で、ニクスが舞い上がる。


「今回ばっかりは無茶な術式使ったどっかの阿呆術者に感謝やでぇ! おかげで活きのよさげなヤツがコッチ側に来よったんやからなぁ!!」


見てみぃ! とマギアの目の前に出された箱形の幻影。蜂の巣のように六角形の目を張り巡らされた箱形の壁、床、天井。そのうちの四面ある壁の全てに、まるで火花が散るように小さく点滅する部分が一カ所以上ある。


その点滅こそが、損傷を意味している。


マギアは、また迂闊にも操龍中にも関わらず目を点にしてしまった。


「っ!……っ!?……っ!!」


口をパクパクとわななかせる物の、言葉は一切出てこない。絶句とは正にこのこと。


「ギルドに入ってからこの仕事始めて大分経つけど、コレは始めて見たでぇ!!! 大分やんちゃなヤツがシワ寄せ喰らったみたいや!!」


そもそも、魔術師達が使う術は、基本的に不可能が無い。

無論、禁忌とされている術はあるが出来ないわけでは無いのだ。ただし、どのような術であれ何かしらの代償がいる。その内容は、術により様々だが、基本的に無理が無い。


そう、基本的に。

 

「それにしても、“箱船”に引っ張り込まれたヤツがいるって事は、つまりどこかで禁忌を侵したバカがいるって事だろう? ソイツもアタシ達が捕まえるのかい?」


大層面倒臭そうな調子でマギアがぼやく。


「協力依頼は来るやろなぁ、ほぼ確実に。それまでに、ギルドの本職連中がどれだけ粘るかやな」


言外に、やれやれと呆れを含ませた口調でニクスが返す。実はこの二人、この手の依頼は既に何回か受けている。そして、その依頼をこなす度に二人は同じ事を思うのだ。


禁忌を侵すバカは、何故皆すべからく天才と紙一重の方のバカなのだろうか、と。


「まぁ、阿呆の事は後で考えよ。それよりも、“箱船”が予定よりちょぉっとだけずれた位置に降りたでな。少し方向変わるけど、早いとこ暴れん坊の“漂流者”を迎えに行ったろ!!」


「そうだ、ねっ!!!」


ニクスの言葉に、マギアが同意の返事と共に手綱を引いた。


響く、飛龍の咆哮。


二人が迎えにいくは、禁忌魔術の犠牲者。またの呼び名を“漂流者”。


魔術において、不可能なことは無い。ただし、術によって相応の対価が発生する。


それは、基本的に無理の無い範囲で納まるが、時としてその範疇を逸脱した対価が発生する時もある。


それが、禁忌魔術。


その対価は、他の世界にいるどこかの誰かを無理矢理こちら側に引っ張り込んでしまうことだ。


 

    Another View...end...



「……太陽が二つか」


仰いだ空には、どこまでも突き抜けていきそうな澄んだ蒼と、非現実感満載の二つの太陽が鎮座している。


片や、燃え盛る炎の如き赤。片や、向日葵が如く吠える黄色。

 

広瀬練也は今、二つの太陽に照らされて、二つの影を伸ばしている。

 

もう驚かねぇぞぉ、と小さく口にしてみるが動揺は抑え込めないでいる。証拠に、頭の中で考えている事が、積み木の如く立てては崩れる、を繰り返している。それを自覚できる程度の冷静さは残っているが、逆にそれ以外は全滅と言っても過言では無い。


幸い、こう言う時のための対処法が、彼の中にはある。


それは、思考を並列処理から直列処理に切り替える事だ。


人間が混乱してしまう時、大概の原因は入ってくる情報量が多すぎて思考能力がパンクしてしまう事にある。この際、その情報の津波に対して一気に対応しようとしてしまう事がパンクに拍車をかけている。


よろしいならば、直列処理だ。


つまり、入ってくる情報に対して例外無く一対一で処理していくのだ。この時忘れてはならない事が、処理にかける時間を気にしないこと。それを気にしだしたらまたパンク状態へまっしぐらになってしまいかねないからだ。


こんがらがった脳ミソを落ち着かせるため、難しい事を考えずに周辺の景色を漠然と見つめてみる。


瑞々しい緑が萌える、芝生の大地が延々と広がっている。視界に入る内に林や森は見えず、緩やかに波打つ稜線が特徴的だ。その線の向こう側に、うっすらと山の影が見えるが霞んでいて輪郭がはっきりしない。余程距離があるのだろう、と予想する。


芝生の絨毯の中に、ちらほらと黄色や青、紫色の小さな点が存在感を放っている。花だ。レンゲのようにも見えるが、実際そうなのかは分からない。

 

最後にまともにレンゲや他の花を見たのはいつだったかな、と自然に感想を抱くくらいには落ち着きを取り戻してきた。確か小学校高学年程の時だったはず、と沸いた疑問に一応の回答を与えて、練也は改めて状況の整理を始める。


まず、今いる場所について。

地球では無い惑星のどこか。空に浮かぶ二つの太陽が特徴的だ。電波は飛んでいないようで、腕時計が時計としては役に立たなくなってしまっている。

そして、何よりも特異な事はまるで魔法のような不可解な技術がある事だ。いわゆるライトノベルやファンタジー小説に出てくるそれと同様の物なら、その技術を操る者は人間かそれ以上の知能を持った相手だと思われる。あくまで予想だが。


次に、方向だ。

今立っている場所を起点に、東西南北を出さなければならない。この場所は、丁度石畳の床があるので、ベースキャンプや行動範囲の指針としておあつらえ向きなのだ。


しかしどうやって方向を確かめようか___と、頭の中で悩みかけてすかさず自らにビンタを見舞う!!


肉を打つ強かな音。


「バカか俺は……痛ぇ」


ジンジンと痛む頬をさすりながら、自分自身に暴言をたれる。一つは、ほぼ手加減をせずに平手打ちをかました事に。もう一つは、そもそも方角を確認できるツールを持っている事を忘れ去っていた自身の間抜けっぷりについてだ。


大きく息を吸って、叫び出したい衝動を混ぜた溜息を吐き出す。


「……コンパスは使えるんだよ」


ほぼ自分に言い聞かせながら、拳に巻き付けていた時計を外して、コンパス機能に設定。短針が十二時を指して止まり、長針は北を捜して忙しなくグルグルと回る。


ようやく見つけた北は、二つの太陽の丁度真ん中ほどの方向にあった。


「……南半球なのか?」


この惑星の動きが地球と同じだと仮定すれば、太陽が北の空に浮かぶのは南半球だけだ。


北半球で人生のほとんどを過ごしてきた練也にしてみれば、方向感覚に違和感が生じる。何か油断した拍子に相当間抜けな事をしでかしてしまいそうな不安が、心のどこかにもやもやと居座っている。


要注意だな、と心の中で呟きながら北の空に視線を向けた時だった。


「……ん?」


太陽と太陽の間に、非常に小さな黒い点が見える。かなり目を細めて注視しないとすぐに見失ってしまいそうだ。


「何だ……?」


しかし、その心配を全力で無視する勢いで黒い点は徐々にその影を大きくしてきている。黒い点だった影に、うっすらと輪郭が現れだした。


一見すれば航空機のような、胴体と思わしき部分を中心に主翼のような影が生えているシルエット。だが、妙な事にこの主翼のような部分が動くのだ。それも、いわゆるバンクと呼ばれる物では無く、どちらかと言えば羽ばたくような滑らかなもの。


そう。この時、まだ広瀬練也はこちら側の世界に正しい意味で慣れていなかったのだ。


ぐんぐんと迫ってくる影が、いよいよハッキリと肉眼で確認できる距離に近付いた時。


「何ぃっ!?」


一瞬の出来事だった。


ドラゴン。ドラゴンだ。


ドラゴンが飛び去った。頭の上を。速く。

 

本能的に、ドラゴンの動きを追う。直上をフライパスしたのかと思ったが、右に旋回して、再度こちらに迫ってくる。


しかも、今度は突撃しかねない角度で突っ込んで来るではないか!


「ッ!!」


腰を低く据えて、ドラゴンを正面から睨みつける。ドラゴンの巨体を見る限りでは、いくら速度が出せたとしても小回りは利きにくいはずだ。そう予測して、両足のかかとを僅かに浮かせる。


その僅かな間にも大幅に詰められていた彼我の間合い。


この時、練也は悟った。ドラゴンの大きさを見誤っていた。


それは即ち。


「近っ!?」


慌てて右に飛び込み回転受け身をして、ドラゴンの進行線から逃れる。


瞬きほどの間もおかずに、さっきまで自分がいた場所をドラゴンが飛び去る。自身から僅かに空いた真上を、ドラゴンの翼が行き過ぎた。


一連の間、僅か四秒に満たず。

しかし、練也は額も背中も汗で濡れきっている。


何だアイツ、デカすぎるぞ!?

それに、思った以上に速い!!


練也は記憶の中から、かつて海外で見たエアレース、そのトップを突っ切ってゴールを通過した機体の姿を引き出した。実際の数値で言えば、約三七〇キロメートル毎時間。秒速で言えば約一〇二メートルだ。実際のドラゴンが、本当にその速度なのかは分からないが。


何にせよ、速度以外は今のところ見た目通りの性能らしく、やはり旋回等の機動性は低いようだ。代わりに、直線降下は予想外の速度を誇る。


まるで一撃離脱戦闘機だ。

 

かつて、旧ソ連時代に西側諸国から恐れられていたミグ25戦闘機を彷彿とさせる。アビオニクス系や格闘性能はパッとしなかった機体だが、頑丈な機体と強力なエンジン二発から得られるマッハ三クラスの直線速度は目を見張るものがある。


つまり、今練也に立ちはだかるドラゴンは、この世界におけるミグ25戦闘機だと思って挑むべき相手なのだ。


直線降下さえ避けられたら、次の降下までに二十秒近いラグが発生する。その間隙こそが付け入る隙なのだが。


「畜生っ! 飛び道具が無ぇっ!」


練也に反撃の術が無かった。


せめてパチンコが一つでもあったらやりようも出てくるのに、と愚痴を垂れるが後の祭りだ。


ドラゴンの旋回が終わり、頭がこっちを向いた。


来る。


降下を始めてから接触までの間は、四秒に満たない。


ドラゴンの、目では無く全体を視界に収めて睨みつける。


そこで生じる違和感。


ドラゴンの上に、何かいる。


そこに気を取られたほんの僅かな間が、致命的な隙になる。


「ぅわっ!?」


左右どちらかに避ける時間を無くしてしまい、その場に伏せた。


背中を通り過ぎる、今まで感じたことの無い巨大な気配。


急いで立ち上がり、ドラゴンの背中を睨む。


見えた。


「……人が……二人?」


そう口にした時には、ドラゴンは旋回を開始していた。


次の接触まで、十秒も無い。


「いくら敵って言ってもよぉ……」


ドラゴンの頭が、また自身に向けられる。


「コイツは想像できねぇんだよぉぉ!!!」

 

迫る、ドラゴン。

 


Another View

 


「ほぉ、アイツやりおるのぉ!」


激しく動き回る飛龍、ヨークの上でニクスが興味深げに言う。相も変わらず、興奮気味なテンションだ。


「ねぇ!! いつまでコレを続けりゃ良いんだいっ!? そろそろアタシも下のアイツに悪い気がしてきたよ!!!」


何度も、降下して迫っては離脱、旋回、再突入を繰り返しているマギアは、不満を隠そうともしないでニクスに怒鳴る。


操龍術において、今やっている行動は強襲偵察の基礎機動になる。字面の通り、軍事的な行動で本来は戦争の時にしか使わない。


そんな物騒な事を、あろう事にも漂流者を相手に何度も仕掛けているのだから、実行しているマギアの気分も悪くなると言う物だ。それは、素人を相手に一方的な試合を強要されるプロの心境。つまり、非常に罪悪感が自分の心を突き刺すのだ。


「もっとアイツに近付かないと駄目なのかい!?」


もう限界とばかりにマギアが怒鳴る。


「いや、それは無いはずや! 何ならこの距離でも届くはずなんや!!」


「でも、全然返事してないみたいじゃないか!! どうなってるんだい!?」


二人がヨークで漂流者を相手に何度も接近を挑んでいるのにはそれなりにまっとうな理由があった。


「分からへんねん、クソッタレ! えぇい、何で通じへんのや!!」


ニクスが、右手で印を組んだ状態で毒づく。組まれた印は、親指と中指で輪を作り、他の指を伸ばした形___遠話と呼ばれる基礎的な術のものだ。中指の爪に刻み込まれた紋がほのかに光を帯びている。


おい、聞こえとるか!? 返事せぇ!!!


そう頭の中で念じるが、やはり何の反応も無い。


「! 下のアイツ、何かやってるみたいだ……ニクス!! もう一度近付くよ!!」


マギアの声がしたと思ったら、ヨークがまた降下を始めた。風を切り裂く音が、鼓膜を暴力的に揺さぶる。目をまともに開けられない。


えぇい、繋がらんかい!!


ニクスが内心で毒づいた時だった。


「っ!? ニクス、頭下げなっ!!!」


マギアの切羽詰まった声で我に返った時、ニクスの目の前には黒い拳ほどの何かが迫っていた。


「んごぁっ!?」


鼻の奥に、ツンと広がる鈍痛。

  

ニクスは、目の前が真っ暗になった。



    Another View...end...



「……オゥケェーイ、ワンダァウン……!」


練也の飛び去るドラゴンの背中を睨み続けながら口に出す、得意げな声。


両足とも裸足で、土で汚れた右手には異様に先が膨らんだ黒い靴下がある。簡易のブラックジャックだ。靴下に詰めたのは、拳ほどの大きさに丸めた土団子。


「ふぅむ、手前に座ってるヤツはなかなか動体視力が良いみてぇだな……」


始めてまともな反撃に転じる事が出来たが故の、やや高揚した口調。しかし、判断と行動は冷静のまま。


投げたブラックジャックの速度と、ドラゴンの接近の速さを計算して、投げて一秒以内に当たるようなタイミングで狙ったはずなのだが、本来当てたかった手前にいる方には避けられてしまった。口ではなかなかと評したが、実際は化け物じみている、と言った方が正しい。

 

「んじゃ、将を射んと欲すればまず馬を射よ……ってな」


初弾を避けられた時点で、既に手前に座っている人物を狙うのは諦めている。ならば、ドラゴンを狙うまでの事。


さて、どこを狙うかね……


先ほどまでとは打って変わった大きな旋回に入ったドラゴンの姿を視界の中心に据えたまま、次の照準を考える。同時に、右手に持った最後のブラックジャックも回し始める。

 

出来るならば、目を狙いたい。どんな生き物であれ、目があるならばそこはほぼ間違いなく弱点だ。しかし、だからこそどんな生き物であれ何かしら目をガードする術を本能的に持っている。最たる例は、瞬き。


そして、練也にその選択を何よりも辟易させる理由は、


「相手がドラゴンで、しかも的が小さいんだよなぁ……」


ドラゴン全体で見れば、外す方が難しいぐらいに的は大きい。しかし、その大きい的の中で、目だけを的確に狙おうとしたら、目の小ささと相手が動いている事も相まって非常に困難になる。


ドラゴンの旋回が終わり、鼻先がこちらを向いた。


……来る!


ブラックジャックを回し続けながら、身構える。心の中で、カウントダウンを刻む。


「……サン、ニ、ヒト、今っ

!!」



Another View



「チィッ!!」


漂流者の攻撃は、マギアの目から見れば、以外と速いなコイツ、程度の物だ。避けられないわけでは無い。


そこが地上で、彼女が避けるだけの状況であれば。


しかし、今は操龍中だ。加えて、ヨークは飛龍種の中でも大柄な方で小回りは利かない方だ。


「頼むっ、上がってちょうだいっ!!!」


漂流者の攻撃のモーションを見た瞬間、急いで手綱を引いて上昇に転じようと試みたが、しかし遅かった。


漂流者が投げ放った黒い小さな塊が、ヨークの顔面に向かって吸い込まれるように向かってくるその光景は、マギアには憎らしいほどに遅く見えた。


当たる瞬間を目にする事を堪えられず、強く目を瞑る。


ヨークが、小さく悲鳴を___否。鼻を鳴らしている。


ゆっくりと目を開ければ、ヨークは既に上昇を始めていた。まるで、何かを出さんとする勢いで鼻を鳴らしながら。


ブフンっ、ブフンっ、ともどかしそうにも聞こえる鼻息。


「どうしたんだい!? どこか痛いのかい!?」


その様子のおかしさに、マギアはヨークの首をさすりながら声をかけた。


それでも、ヨークの様子は変わらない。どころか、鼻を鳴らす勢いが増してきている。


マギアは、まだ幼かった頃にも確かヨークにこんな事があったと思い出していた。


確かあの時は……

 


飛行姿勢を水平に戻して、漂流者を中心に旋回を始める。後ろに乗せているマギアはまだ伸びたままだった。


「ヨーク、大丈夫かい? どこをやられたんだ?」


幾分優しげな声音で話しかける。ヨークは、彼女に始めてあてがわれてからずっと一緒にいる飛龍だ。少なくとも、他の誰よりもヨークの事を知っているし、理解している自信もあった。飛行が安定したところで、かつての似た状態の時の記憶を引き出していく。


ヨークの鼻息は酷くなる一方だ。急がないと、と思いながらヨークの容態を診る。


コレは、痛がっている感じじゃ無い。何か、もやもやしてる感じ……痒かったりとかの何かもどかしい時の雰囲気だ……!?


そこでハッとした。


「もどかしいっ!?」


気付いた時にはもう遅かった。


ヨークは大きく頭をもたげて___


「待って、ヨークっ! 今、ソレ、ダメェェえ!!!!」


とっても大きな、くしゃみ。



    Another View...end...



その音の余りある勇ましさに、練也はドラゴンのそれがくしゃみだと気付くのに少々の時間を要した。


そして、その大変勢いのよろしいくしゃみで飛行の安定を完全に失ったドラゴンが、墜落していく。


練也は、その一連を一〇〇メートルほど離れた場所から、呆然と見つめていた。


何も無くなった右手を、所在なさげにワキワキと動かす。


まさか。


まさか、だ。


「……鼻の、穴ぁ……?」


いくら何でも、そこに入るとは思っていなかった。運が良いと言えば良いのだろうが、予想の斜め上を突っ走られた感じが、練也の内心をもやつかせる。

 

端的に言って、拍子抜けしているのだ。


ところが。


「……お!」


激突まであと僅かのところで、ドラゴンが機動を取り戻した。

しかし、地面との距離が近すぎたためか上昇には一歩及ばず、結局墜落してしまう。


大きく舞い上がる、土煙。巻き上げられた芝生や花の色と、自分の足の裏にまで届く振動に、何とも言えない力強さを感じる。


「……成果確認、だな」


練也は、脱いで揃えたままにしていた革靴に裸足のままの足を入れて、ドラゴンが墜落した地点へ向けて歩き出した。


目算に大幅な誤りが無ければ、恐らく五〇メートルも離れていないはずだ。


歩いて行くと、ドラゴンは、稜線の向こう側にいた。石畳の地点から見える一つ目の稜線と二つ目の稜線の、丁度谷間の地点だ。


緑に埋め尽くされた大地に、ぽっかりと茶色の地面が顔を出している。その真ん中で、ドラゴンは身じろぎ一つせずに伸びていた。


だらしなく伸びきった首と尻尾が、かえってその全体の長さを分かり易くしている。見たところ、一〇メートル以上はあるように見える。全幅に関しては、飛んでいた時の姿から予測するに、恐らく二〇メートルから二五メートル程だと思われる。


「……でっけぇ」


警戒しながら近付いて、あと五メートル程の場所に立った時、練也は思わずそう口にしていた。


感嘆の溜息が漏れ出てしまう。


大抵の人間が、横に長い物、例えば新幹線等に対して抱く感想は、そのまんま“長い”だ。


しかし、目の前のドラゴンは新幹線とは訳が違った。


鼻の先から尻尾の先までの長さは勿論長いだが、胴体の高さが三メートル程あるのだ。


横方向から見たシルエットが、底辺約一〇メートル、高さ約三メートルの二等辺三角形の輪郭をしている。


単位をセンチメートルに置き換えて実際に書いてみれば、その力強い輪郭が分かるだろう。


ドラゴンの、その体格から溢れる存在感と威圧感にやや圧されてしまう。


空を飛び回っていた時は気付かなかったが、体色は錆びた血のような赤黒さが目立っている。背面を覆う、鱗や甲殻はそんな禍々しい色合いをしているが、ちらちらと見える腹や首はまるで蛇のそれのように、滑らかで優しい色合いをしている。


雌雄の判別は分からないが、爬虫類かそれに似た生き物である事は間違いないだろう。少なくとも、魚類や両生類、哺乳類なんて事は無いはずだ。

 

「……あの二人はどこ行った?」


ドラゴンの全体を見渡した後、そう呟いた。ドラゴンの胴体から首に移るあたりに馬具の鞍や鐙のに似た装具があったのだが、そこには肝心の人が乗っていなかった。


単純に考えて、反対側にいるだろう。


安直ながらそう考えて、練也はドラゴンの反対側へ向かって移動を始めた。


先程は、ドラゴンのその大きさに圧倒されていたが、いざ近くでしっかり見ていると、なるほど、色々な装具が付けられているようだ。


頭部は、ハミと(ろく)と呼ばれる装具が、ドラゴンの口を固定している。そこから伸びた手綱が、鞍の方まで届いている。鞍の方にも、あまり見かけない加工が施してあり、鞍の先端部にリングが付けてあり、そこに手綱を通しているのだ。恐らく、飛行中に手綱を離してしまってもすぐに復帰できるための工夫だろう。


乗馬を趣味にしたことは無いが、競馬や馬術競技を何度か観戦した事がある練也にしてみれば珍しく思える。

 

「なるほど、結局目的が一緒なら似てくる物なんだな」


ゆっくりと歩きながら、そう独りごちた。


さて、反対側に回ってみるとやはりそこには例の二人と思われる人影が横たわっていた。


片や、ローブのようなデザインの服装の男。片や、カウボーイの装いを彷彿とさせる服装の女。


近付いてみると、1発目を喰らったのは男の方らしく、鼻っ面が赤く腫れており鼻血が垂れている。思わず、悪い事をしたな、と罪悪感を覚えてしまう。


もう片方の女の方が、恐ろしく身体能力が高い輩だったようだ。目立った外傷は無い。しかし、墜落時の衝撃で脳しんとうを起こしたらしく、眠っているように気を失っている。


「さぁて、どうしたもんかね……」


とりあえず、二人をドラゴンの首筋付近にもたれさせた後、練也は困ってしまった。


事の真偽はさておくとして、この二人とドラゴンは、少なくとも練也の主観からは攻撃してきた相手だ。つまり、敵だ。


出来るならばこのままふん縛ってしまいたいところなのだが、いかんせん物が無い。ネクタイがあるにはあるが、まともに拘束できる物がこれしか無いので使いどころに迷うのだ。


さぁて、迷うぞ……


ドラゴンにもたれかかる二人を背に、考えていた時だった。


「----!」


背後から耳慣れない言葉が聞こえたと思った瞬間、練也の体が固まった。体中の筋肉が強制的に縮められているようで、まるで体幹トレーニングをしている時のような負担が全身の筋肉を締め付ける。


「----。---……!? ---! -----」


何を言っているのかは全く分からないが、声から察するに男の方が喋っているようだ。


話す抑揚は、どうにも敵対心とは結びつきにくい雰囲気で、さてどう言う事だ、と疑問が首をもたげる。


そう考えている内に、男の声が徐々に近付いてきて、背中でいよいよ気配を察知できる間合いに入られた時、首筋に棒のような物を当てられた。


反射的に体を動かそうとして、しかし体を固められているせいで全身の筋肉がミシミシと悲鳴を上げるだけで止まる。


「----。--……っと、これでどうや? よう、兄ちゃん。ワシの言うとる事分かるか?」


知らない言葉が、途端に分かる言葉に変わった。その衝撃もさることながら、なお驚いたのは


「か、んっさい、べんっ!?」


舌や舌根、声帯周辺の筋肉がつっかえて上手く声が出せない。


「お、やりおるな兄ちゃん。そのカンサイベンってのが何なのかは知らんけど、通じとるみたいやな」


練也の驚愕した様子を全力で無視して、謎の男は一人で納得している様子だ。


「今はちょっと乱暴な術使っとるけど、勘弁してや。コッチも痛い思いをなんべんもしたい訳ちゃうでな」


男が、赤くなった鼻をさすりながら言う。その話し方は、どこか掴み所が無く、表面に見せる剽軽さが胡散臭く聞こえてしまう。


「先に言うとくと、ワシ等はアンタの敵になるつもりは無い。何なら、逆に色々と手助けする側やでな」


そこまで言い終えて、男は、思い出したかのように自らの名を名乗った。ニクス・ヴォーと言うらしい。


「今は上手く声出せへんやろけど、ニクスって呼んでくれてええで。後でアンタの名前も教えてくれな」


話しながら、ニクスと名乗った男はもう一人の女とドラゴンの様子を確認している。確認の最中に受けた紹介では、女の方がマギア・ローレン、ドラゴンがヨークと言いマギアの愛龍だと言う。少し珍しい種類の龍だと言っていたが、あまり頭に入ってこなかった。

 

「んでもって、ワシはギルドで魔術師の仕事をやっとる。一応、コッチの界隈ではそれなりに有名なんやで」


「っまじゅ、つ、し……?」


練也は耳を疑った。

練也の認識の中で、魔術師と言うのは錬金術師や占い師、イタコと同じくらいのペテンだ。


しかし。


不本意な事に、事実として現在何故か体が動かせないと言う不可解な現象が起きているのだ。信じる信じないでは無く、実際にそうなのだから受け入れる他無い。


「阿呆かコイツみたいな顔しとるって事は、一神教が年号を定めとる世界から来たんかいな? その世界から引っ張られてきた連中は皆そんな顔するでさっと分かるわ」


笑いながら話すニクスを、練也は何者だコイツと内心で驚きながら見ていた。


練也は、一神教が年号を定めている、と言われて一瞬何のことか分からなかった。しかし、よく考えてみると思い当たる物がある。

 

西暦だ。

 

確かに、世界的に有名な一神教が起源の年の数え方だ。年号かどうかは別として、現代では公文書や国際的な共通認識として多く用いられている。


何よりも驚くのは、何故それを知っているのか。そして、自分以外にもこの世界に引っ張り込まれた人間がいるのか、と言う事だ。


疑問と驚愕、そして未知や無知から来る僅かな恐怖がジワジワと広がっていく。


「まぁ、しっかり話そうと思ったらかなり時間かかるから、ザックリとだけ言うわな。アンタは、この世界のどっかの阿呆のせいで運悪くコッチ側に引っ張り込まれたんや」


続く説明では、こう言われた。


ニクス達は、彼等が暮らす自由公益都市の意思決定機関を兼ねているギルドに所属している。そして、その職務の一環として自分のようにコッチ側に来た人々、通称“漂流者”を保護してこの世界での生活のサポートがあり、そのためにまず本人の身柄の保護のためにこうして現れた、との事だった。


正直なところ、大した驚きは無かった。あったのは、今まで暮らしていた世界への未練と、これからの生活への不安感だ。無論、何で俺が、と言う不平不満もある。


「アンタの身に起きた事は、間違い無く不幸で理不尽や。でも、あえてワシ等はこう言わせてもらうで」


ニクスはそう言って、静かに息を整える。


そして___

 


「ようこそ、コッチ側の世界へ」



その瞬間、練也の新しい道が始まった。

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