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筋肉バカ 臨死教官の失態


練也の“仕事”が始まってから一週間が経過したある日の朝、騒祭荘の水場にて。

 

「おぉ、お早うさん」

 

「ああ、お早う」


ニクスと練也はいつもと変わらないタイミングで顔を合わせ、お早うと声を掛け合う。


練也は、相変わらず目を三にショボつかせ、ニクスはいつもの胡散臭さが仕事をせず眠たげな青年そのものの顔をしている。


「なかなか、激しくやっとるそうやないか」


と、何の前置きも無くニクスが声をかけてくるもので、練也は理解が追い付かず疑問符が頭の上に浮かぶ。


「ああ、お前さんの“仕事”の話や」


ニクスの補足説明でようやく合点がいき、ああと声を漏らす。


とは言え、それでもいまいちピンときていない練也。本人には、激しくやっている、と言うつもりが一切無いので仕方が無い。


「噂凄いで? 午前中は、全員が悲鳴を上げるまでいじめ抜いて、午後からは剣技やら体術やらの基礎だけを徹底してやっとるもんやから、地味やし、キツいし、鬼みたいな奴やってな」


頭の中に流れ込んでくる噂に、練也はちょっと待て語弊が山だ、と頭の中でストップをかける。しかし、身体が追い付いていないのでニクスの口から、雨あられといわれの無い噂と評判が飛び続ける。


「しかも、おとといは山獅子隊のごろつき共を全員叩きのめしたらしいやないか。団内一の荒くれ者集団相手にようやりきったもんやで」


「あぁ、それは違う。違うぞニクス。叩きのめしたんじゃ無いんだ」


ポンプのハンドルをガチャガチャと上下させながら練也は弁明を並べ始める。


「連中の俺を見る目がな、“ポッと出の良く分からん輩を俺達は認めんぞ”って言い張ってたからな、だからじゃあ実力を見せにゃならんなと思った次第で、その結果がおとといのアレだ」


おとといのアレと聞いて、ニクスはギルドの本庁舎横に併設された病院に担ぎ込まれていった、山獅子隊の面々の惨憺たる有様を思い出した。ある者は、白目を剥いて泡をふき、ある者は腕をだらしなく垂らして痛いと喚き、ある者は事切れたのかと勘違いしてしまいそうな程静かに気絶し___


「……よう一人も殺さなんだな」


ニクスが噛みしめるように言うと、


「そこの加減ができるのがプロだ」


と練也は目を三にしたまま得意げに返した。締まらない顔である。


「ところでいつ水被るんや? あと、手ぬぐいはあるんか?」


ニクスに言われて、練也は流れ落ちる水の中に頭を突っ込んだ。


「おーい、手ぬぐいはどこやー?」

 

また貸さなアカンかな、と思った矢先に練也が水を浴びながら自前の手ぬぐいをひらひらと振った。


「今日は忘れんかったんか」


なら良し、と言いながらにクスも顔を洗う。騒祭荘の井戸水は、ファルナスの中で唯一地下水を直接引いている。故に、いつでも非常に冷たく、顔を洗うだけでも充分に眠気が飛ぶが、練也のように頭から被ろうものなら普通は目が覚める以前に冷たさに痛みを覚える。

 

「いつ見てもレンヤのソレは過激やな」


「これが一番手っ取り早く目が覚めるからな」


ちなみに、練也の水被りはこっちの世界に来てから始めた事では無く、元々の生活習慣の一部だ。よって、この行為も朝の目覚ましのためのルーティンと化しており、これを抜こうものならそれはまあ酷い事になる。

 

具体的には、何も無いところで走る、滑る、見事に転ぶ等々。……走るのは嘘だ。

 

何であれ、寝起きの練也の間抜けっぷりはネタ以外の何物でも無く、本人もそれを自覚しているからこそ水を頭から被ると言う暴挙に出るのだ。


「で、話戻すけど“仕事”の方はどんな感じなんや?」


以前よりも少し小振りな回り道の果てに、ニクスが再度同じ質問をする。応える側の練也は、難しい表情のまま少しの間固まる。


「……まあ、概ねは予想通りだ」


「予想通り?」


「俺の考案した体力錬成メニューでヘトヘトになる事から、この間の山獅子隊の一件みたいなところまでな。だいたい予想していた通りだ」


特に、練也にとっては山獅子隊の一件はまさかと思っていた事が本当に起こってしまったのだから、マジか、と言う心境にもなってしまう。


「恐らく、山獅子隊の奴らも今後俺の事を侮ったりはしないだろうよ」

 

「……」


そう言った練也を、ニクスは真顔で見据えた。その目は、少し迷っているようにも見え、それに気付いた練也は小さく首をかしげた。


「どうした?」

 

「せやなぁ……ワシの経験から言う事やけど、暴力で黙らせた後のフォローはちゃんとしとかな後々面倒の種になりかねんで?」


その言葉に、練也は確かに、と納得した。実際、自分の過去を振り返ってみれば、その言葉は色々と身につまされるものがある。


「まあ、そうな。何か考えとくよ」



とは言ったものの、だ。


朝のそんなやりとりが、どれだけ夢見がちな希望論であったのかを、練也は勤務隊舎の教官室で悟った。


「どうしたんだい、そんなアホ面隠そうともしないで」


と、隣に並んだのはマギアだ。


「ああ……まぁ、色々とな」


「山獅子隊の事かい?」


何も、マギアの察しが良いわけじゃ無い。通達書類の中に、山獅子隊___正確にはイスラ傭兵団第二隊所属の団員五名が長期入院する事になったと言う旨のものが入っていたのだ。


「……手加減できるのがプロって聞こえてたんだけど?」


どこで、と訊きそうになって朝のアレが聞こえていたのかと察し、自己完結する。


「……しばらくプロを自称するのはやめとく」


「その方が良いよ」


それぞれの長期入院の理由は同じ、どこかしらの単純骨折だ。練也の記憶から漁るに、おそらく前腕骨や肋骨、鎖骨あたりだろうと予測する。


確かに、慣れない手応えはあった。


「……言い訳だけして良いか?」


「何だい?」


「十四対一で戦ったんだぞ、俺は? ついうっかり手加減忘れても仕方無いと思うわけだよ」


「それだけ?」


「……ああ。とりあえず、プロを名乗るのは封印する」


ここで、練也と山獅子隊の間に何があったのかを正確かつ簡潔に説明しておく。

隊のローテーションの関係で、山獅子隊が練也に面倒を見られる事になったある日。隊を構成している団員は、皆揃ってお世辞にも素行がよろしいとは言えない者ばかりだった。集められた団員の共通事項は、非常に極端な実力主義。

つまり、何が起きたかというと彼等の目には練也が、どこの馬の骨とも分からんいけ好かない輩、に見えていたのだ。そうなれば、団員達の反感は当然強まり、練也に対してナメ腐った態度もちらほらと見え始める。

練也も、勿論気が付いてはいたが当初は無視した。しかし、それが良くなかった。

相手は、練也がそれに突っかかると思っていたそうだが、その予想に反して無視を貫くので、そこにカチンときたらしい。


「偉そうにお高くとまってんじゃねぇぞ!」


と、下の者に言われたときの衝撃はなかなか新鮮だったな、と記憶している。

そして、練也は負けず嫌いな性格をしている。そんな事を言われれば、流石に黙ってもいられず、

 

「分かった、何をすれば気が済む?」


と答えてしまったのだが、これがまたよろしくなかった。言い方が気に食わないという理由で、練也に暴言を吐いた人物が激昂して暴挙に出た。


武器は持っていなかったが、明らかな大振りで殴りかかってくるものだから、練也は思わず相手が自分の間合いに入った瞬間に、殴るでも無く、投げるでも無く、転かしてしまった。相手が一歩踏み出した前足の膝を、クッと押し込んだのだ。やられた相手の足は完全に伸ばされ、その上で膝を押し込まれたのだから膝を折られたくなければ、転ける他無い。


そして、またここで練也は悪手を打った。せめてとどめを刺せば___つまりは極めるなり絞めるなりで無力化させれば良かったものを、それをせずに説教モードに入りかけたのだ。


そしたら、猛獣とさして変わらない連中が暴れ出すのも簡単に想像できる。

 

そこから先は、大乱闘だ。


十四対一の泥試合が始まってしまい、自身もボロボロになりながらどうにか全員を叩きのめしたのだ。


「一応言っておくが、俺は殴っても蹴ってもいないぞ」


「骨折った奴がいる時点で、それはあんまり役に立たない弁明だよ」


だよな、とうなだれる練也。

顔や、他の露出した部分には何も無いが、服の下はアザだらけであり、その色の変わり様が乱闘の激しさを物語る。


「仕事はできるのかい?」


「俺はどこも折ってないからな。多少痛いのは我慢できる」


それよりも、問題は仕事では無く朝にニクスとも話していたフォローの件だ。確かに、あのままで放置しておけば何かの拍子に瓦解の種に化けかねない。こういう時に、さてどうするのが一番おさまりが良いのかが分からないのは練也の人生経験の浅さだ。無論、考えが無いわけでは無いが上手く立ち回れる気がしないのだ。


「……すまん、マギア」


「何となく言いたい事は察してるけど、ただじゃ無いよ」


そう言えば、まだこの間の分の奢りも行っていないという事実を、マギアの言葉で思い出して溜息を堪えるハメになる。


「分かった、何でも奢る。すまないが、少しの間午前の体力錬成の監督を頼む」


「あいよ」


着実に貸しを増やしているな、とは思いつつも現状どうにもできないのも確かで、だから練也は少し大げさに肩を落として指導官室を出た。


向かう先は団長室だ。


ドアをノックするなり、中から入れと聞こえてきた。


「ヒロセ練兵指導官、入ります」


「そろそろ来るだろうと思っていたところだ」


そう言って迎え入れたザクセンの声は、平静でありながらも若干の喜びを滲ませた色をしていた。それを察せ無い練也では無く、内心怪訝に思ってしまう。


「いや、何。レンヤ殿にも弱点はあるのだな、と思うと少し安心してしまったのだよ」


その言葉に、ますます怪訝になる練也を見て、ザクセンが説明する。曰く、初めて練也の事を

ヤンセンから聞いた時、実際会って自分の目で確かめた時、そして配属されてから今に至るまでの勤務状況や成果を見れば、何だこの仕事ができる奴は! と内心で焦っていたらしい。自分の力量で、上手く使いこなせるのか、と。そう思わせるほどに、練也は隙を見せていなかったのだ。


そして、その言葉に練也は、なるほど自分は相当無意識に周囲を警戒しながら過ごしていたと言う事を自覚させられた。


練也の、内面を推し量る時、基準になるのは周りの自分に対する評価だ。隙が無いと周囲に思い込まれているようであれば、それは相当気を張っている証拠だ。そして、いつの日か気疲れを起こして何かやらかす。ここまでが、一連の流れになり、今回のやらかしは山獅子隊を山にした事件がそれに当たる。


「若者らしく、人間らしい部分を晒してくれて、逆にほっとしている」


実は、私も今年で五六になるのだが、とザクセンから聞いた時は流石に驚きが顔に出てしまった。露骨では無いが。

ここで、ザクセンの容姿に触れるがまず優先して言うべき事は、白髪が無いのだ。髪が無いから、等と言う下らないオチはではなく、彼もまた真っ黒な髪を豊かに蓄えている。

この時点で、かなり若い印象を与えるのだが、さらに彼の表情だ。五〇代後半とは思えないくらいに、しわが少ない。つまり、見てくれだけで言うなら三〇代後半から四〇代前半と間違えてしまいそうなくらいに若く見えるのだ。

その体格の良さや、姿勢の良さも若く見せるのに一役買っている。

つまり、老いて見える要素が少なく、若く見える要素が多いのだ。


「いや、何。年寄りは自分語りが好き、と言うだろう。私もその一例に漏れないと言うだけの事だ」


そこで、露骨に同意する事も否定する事も叶わず、練也は曖昧な苦笑いで凌ぐ。

まあ座りたまえ、と言われてザクセンが椅子に座ったのを見計らって練也もソファに腰を下ろすと、ザクセンが口を開いた。


「私がこの傭兵団の長になったのは三〇も半ばの頃だったよ」


ザクセンが、練也の瞳を見据えながらしかしその遠くに見える過去を眺めて、話し始めた。


「ラヒム___ああ、今の山獅子隊の長なんだが、彼と私は同期団員だった。彼はもう、現場を退いて我々の後方業務に当たっているのだが」


食堂のアイツだよ、と言われて練也は目をひん剥いた。開いた口が閉じられない。


「いや、確か料理人にしては体付きが良い人だとは思っていましたけど」


まさか、あの時たまプディングを作って出してくれるあの調理師のオッサンが元は一部隊の長で、しかも団長と同期だとは思ってもいなかった。


「奴は私よりも色々と優れていたよ。周囲もそう見ていたし、私もそう思っていたから、私が団長を拝命した時は、それはもう荒れた」


連日の抗議の嵐、ボイコット、軽度な命令不服従に、規律の乱れ___団内は崩壊寸前まで荒れ狂った。その影響は、団内だけに収まらずギルドから任された本来の任務にも及び、その当時は街の治安が乱れがちだったと言う。


「そんな折だ、私も当時は若く浅はかだった」


浅はか、と言う言葉に練也はうっと顔をしかめた。暗に、自分の行いが浅はかだと言われたも同然で、それを真顔で受け入れられるほど練也は人間ができていない。


「今の立場になってから少しして、私は暴挙に出た」


何となく察していると思うが、今回の君と似たような事をしたのだよ___

 

うっすらと、懐かしむように微笑んだザクセンの表情を見て、練也は姿勢を正し、耳を澄ませた。恐らく、ここら先の話は聞き漏らしてはならない、そんな気がしたのだ。


「文句がある奴はかかってこい! と威勢良く啖呵を切ってしまってな。そしたらもう、大乱闘だ。しかも、あの時は今回のレンヤ殿の比では無い数の団員が相手になってしまった」


どうやら、その当時は団員のほぼ全員がザクセンの団長就任を快く受け入れられず、その中でも気性の荒い団員達は暴力を辞さぬと公言していたらしい。その気性が荒い団員の数が、これまた多く、当時は三〇人近くいたそうだ。


「蹴る、殴る、は勿論として盾やら木剣、木製棍棒まで出てきた日には、ヤバイ死ぬ、と思い私も尚躍起になって戦ったよ」


その時だったと言う。

ラヒムが、ザクセンと他の団員達の乱闘に割り込んで来たのは。


「あの時の団員のボス級と私がやり合っている中、ラヒムがどこからともなく割り込んできて、お互いが振りかぶった拳と棍棒が打ち付けられたのだよ」


その時、ザクセンの表情が苦くゆがんだ。それを見て、練也はまさか、と身構える。

それは、ザクセンにも見えたらしい。


「私は拳で殴った方だが、その通りだ。私の拳が、彼の___ラヒムの戦士としての寿命を終わらせてしまった」


殴ってしまったのは、左耳だったそうだ。当時のザクセンは、今よりも体格は細かったが力は今よりも勝っていたらしい。

 

若い暴力が、人の鼓膜を破る事など紙を破るように容易いことだった。


「___左耳の失調」


練也は、無意識にそう呟いた。


「そうだ。ラヒムは、左耳の聴覚を失って、戦士としての寿命が無くなった。奪ってしまったのだ……私が」


窓の外に顔を向けたザクセンからギチッと歯が擦れる音が漏れる。泣いてはいないのだろう。しかし、今でも悔やみきれないほどに悔いているのは、若い練也にも理解できた。

 

「ラヒムは、私とボス級の男を殴り飛ばしてこう怒鳴ったよ。“馬鹿か手前ぇら!”とね」


単純な言葉は、単純であるが故に心に刺さる。それは、事細かな説明で納得させられるよりも強制力が強い。


「怒鳴られた瞬間、正に目が覚めたよ。私は一体何をしているのだ、とね」


そこから先は、しおれるように沈静化したそうだ。気が付けば、ザクセンの周囲には呻きながらも起き上がれない男共が山になっていて、初めて自分がどれだけ見境無く暴れたのかを思い知ったと言う。


「まあ、そこでその乱闘騒ぎは終わって、後日始末書やらなんやらでてんてこ舞いになった。そして___詳細は端折るが、ラヒムは現役を退き、ボス級だった男を含め何名かが団から除名処分、私も半年の減俸処分と組織としての処分を戴いた」


そこまで話して、しかし、とザクセンは言葉を返す。


「厄介なのは、処分の内容では無く、失った信頼関係の修復だった。何せ、あれだけ大暴れして仮にも部下達を殴り倒したのだ。恐怖や、それに付随した服従はあっても信頼関係なんてものはどこにも無い」


当時、まだ若かったザクセンはどうしたら良いのか分からずかなり悩んだ。悩んだ末に駆け込んだのは、自らの手で戦士の寿命を奪ったラヒムだった。


「私が、どうしたら良いのか分からない、助けてくれと言って頭を下げたら……どうされたと思う?」


ザクセンが苦笑いと共に練也に問題を投げた。今までの話を聞くに、ラヒムと言う男性はなかなかに男気のある人物と見える。隊の長を任される辺り、それなりのカリスマと指導力もあると予想できる。そして、長い言葉で説き伏せるのでは無く短く強烈な言葉で黙らせるタイプ___加えて、腕っ節と言葉をセットで使う性格。


そこから見てた姿は___


「……殴られて、その後に何か、例えば、甘えるな、とかそう言った事を言われたのですか?」


「殴られたのは正解だ。怒鳴られたのも当たりだが、内容は違う。もっと、耳が痛い事を言われたよ」


___馬鹿野郎、もっとハキハキ喋れ! 謝れ! 手前ぇが悪いんだろうが!___


「まるで父親に叱られている気分だったよ。そして、同時にまた目を覚まされた。そうか、まずは謝らねば、と」


目から鱗が落ちるとは、こういう事だろうか___練也は“謝る”と言う言葉を聞いてそう感じた。


ザクセンの言葉は続く。


「実際、ラヒムの言葉は正しかった。今も、昔も、我々は常に暴力を内包する組織だ。そして、その長たる私もその一員である他の団員達も感情で暴力を振るう事は、何があっても許容してはならない。だからこそ、その暗黙の掟を破ったのならば、まず上の者が頭を下げねばならない」


それに、とザクセンは続ける。


「ラヒムは、私を叱る時にこうも言っていた。“言って通じない奴は、殴っても通じない”と」


二枚目の鱗が落ちるのを自覚した。

 

殴って言う事を聞かせる、と言う行為は悪い言い方をしてしまえば教育者の職務怠慢と同義だ。言って分からせる、のが本来あるべき形でありその責任を負った者は、それを放棄して暴力になびく事を頑として堪えなければならない。何故なら、殴って言う事を聞かせたところで相手が理解できるのは痛みだけだから。


「“だから、これ以上俺を失望させるな”と言われた時は……正直堪えた。彼からそう言われた時に、初めてどうして自分が団長に任命されたのかを私なりに理解できたから尚更だよ」


ザクセンは、件の事件が起きるまでは温厚ながら、正論を崩さない事で知られていた。内に秘めたる暴力性は、戦闘時相手にしか向けず、決して味方にそれを向ける事は無かった。

対して、ラヒムは言葉と暴力を常に合わせて使っていた。現場のまとめ役としては適した指導法だが、団全体を指導するならばそれは不適切になる。ラヒムは、そこを理解していたからこそザクセンが団長になる時も一人騒がずに受け入れたのだ。


そして、ザクセンはその意図を察する事ができないまま団長を拝命してしまった。


その違いが、余りにも大きかった。


「まあ、そう言う経緯があり私は明くる日の朝に全員に頭を下げて謝った。長にあるまじき行いをした事を、心から」


最後は、憑き物が落ちたかのようにサッパリとした声で話を締めた。練也は、それを教科書を読むより熱心に聞き入っていた。そして、理解する。


自分も、謝らねばならない。

それは、指導官という、教育者としてあるまじき行いをしてしまった事について。


そう、練也は、それこそ言葉で相手を納得させなければならない立場なのだ。そこを失念して、自らの負けず嫌いな性格とプライドの高さに従ってしまったのは愚かでしか無い。


今なら分かる。自分は馬鹿な事をしてしまったのだ、と。


「私は団の長だ。レンヤ殿は勿論、団員全員の命を預かる父親だ。故に、質問にはアドバイスで答える事にしている。レンヤ殿が、この年寄りの昔話を聞いて何を得るのか、どう動くのか、楽しみにしている」


「……ありがとうございました……広瀬練兵指導官は、団長への要件終わり、帰ります」


練也は、ハッキリとした声でそう告げると団長室を後にした。


早足で向かう先は、マギア達がいる第二営庭だ。


練也が団長の話の中で理解した事は三つある。

一つ、暴力は御法度。

一つ、間違った行いをしたら謝る。

一つ、本来の業務を疎かにするべからず。


ザクセンは、明くる日の朝に謝ったと言った。つまり、乱闘騒ぎの後の仕事は投げ出さずにこなしたのだ。


ならば、自分も今日の仕事を投げ出すわけには行くまい。今日は駿狼隊こと第一隊の訓練日だ。彼等が泣いたり笑ったりできなくなるくらいにしごき上げるのが、今日成さねばならない自分の仕事。


ほぼ走った状態で向かえば、第二営庭までは一分もかからなかった。


マギアが、自らも一緒に腕立て伏せに勤しんでいる。


流石にやっている最中に邪魔をするのも悪いと、急いた心を落ち着かせて、彼等が今のセットを終わるまで待つ事にした。

その待ち時間で、今から何をするのかを改めて整理する。


まず、何よりもしなければならない事。


マギアへ謝罪と礼だ。

自らの不始末で仕事を押しつけてしまったのだから、当たり前だ。


次に、状況の確認。

何が終わって、何が終わっておらず、今は何をしているのか。


そして、団員達への謝罪も忘れてはならない。

朝のニクスの言葉から予想するに、既に団内では練也と荒獅子隊の大乱闘は完全に知れ渡っていると見るべきだ。

実情がどうであれ、変に混乱を招くような真似をした事は素直に詫びねばならない。


考えている内に、マギア達の腕立て伏せが終わったようだ。全員が立ち上がって、肩を回したりストレッチをしていたりしている。


マギアも、団員達から離れたところでストレッチに勤しんでいた。


練也が近付いていくと、彼よりも早くマギアが反応した。


「戻ったのかい。話は聞けた?」

 

「ああ。耳が痛いやら身につまされるやら、ためになるやら……それはそうと、マギア。仕事を押しつけて申し訳無い。そして、引き受けてくれてありがとう。ここからは俺がやる」


練也はそう言い切ると、腰を四五度に折って頭を下げた。自分からは頭を上げない覚悟で下げた頭は、余り時間をおかずマギアによって上げさせられた。


「気にしてないよ。それが仕事仲間ってものだし」


それに、今度何でも驕るって話だったからね、と言われた瞬間練也はウっと顔をしかめた。忘れていたわけでは無いが、本人から改めて言われるとたじろいでしまう。


「……手加減してもらえると嬉しい」


「それはその時のアタシの気分次第だね」


練也、意気消沈。


「分かった……じゃあ、次は仕事の話なんだが」


「それなら、走るのと、腕立て伏せはさっきので終わり。今は休憩入れてるところで、まだ懸垂はやってないよ」


「ん? 早いな」

 

「アタシ達が早いんじゃ無くて、アンタが遅いんだよ」


太陽を見てみな、と言われて空を仰ぐとあらびっくり。二つ並んだ太陽は日の出の位置と真北の丁度真ん中を過ぎた一に浮かんでいた。あの位置なら、一〇時を過ぎている。だいたい一〇時四〇分くらいか。何にせよ、なかなか時間は経過していたらしい。


「……俺が遅かったのか」


「だからそうだって言ってるだろう。寝ぼけてるのかい?」


「いや、大丈夫だ。目は覚めてる」


覚めてはいるが、実感が追い付いていない。いつもなら腕時計で常に時間の把握をしているところだが、こっちの世界ではそれができないために太陽の方向や体感的な時間でしか計れない。


今更になって異世界であることを再認識させられる。


「あと、マギア。ここから先は俺が引き継ぐから」


「塩水を用意したら良いのかい?」


「ああ、頼む」


「あいよ。実はそろそろしんどかったんだ。助かるよ」


また今度鍛え直してやるよ、冗談はよしな、と軽口をたたき合って二人はそれぞれ動き出した。


連中も充分休憩できたことだろう。“仕事”だ。


集合! と号令をかけて駿狼隊こと第一隊を集める。声の弾丸は相変わらず良く通るようで、一瞬で全員が反応した。


一〇秒と待たずして、十四名の団員が整列を完了させる。


「さて、お前達も休憩できただろう。ここからは、俺と一緒に汗を流そうか」


しかしその前に! と浮き足立つ団員達をその声で静めさせる。何事か、と団員達の目もキョトンとしたものになる。


「皆も承知しているだろうが、先日俺と第四隊との間で暴力沙汰があった」


そこまで言うと、練也は思い切り頭を下げた。


「お前達に、無用な混乱を与えた事、指導官としてあるまじき行為に至ってしまった事、ここで謝らせて欲しい」


申し訳無い、と更に深く頭を下げる。腰は水平、目に映るのは地面と自分のつま先だ。


だが、これは許しを請うているわけでは無い。故に、頃合いを見て自ら頭を上げる。


「じゃあ、始めようか!」


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