金曜日2
2016.10.23 ルビの一部を手直ししました。
「……ま、それはそれとして。ツキ、どうしてタネが残ってるんだ? 作りすぎて余ったんなら冷蔵庫入れておけよ。そしたら明日の僕の弁当に……」
何気なくキッチンの方を見たにーちゃんがラップをかけた皿に目をやる。
「ご飯食べるってランちゃんから電話あった。――あ、にーちゃんに用事あるってよ?」
「僕に用事? また車が壊れたのかな……。ランさん、すぐに来るって言ってたか?」
にーちゃんが用事をストレートにそう思い込むほどに、件の彼女は古い軽自動車に乗っている。
大学生だった時分に友人から(買ったわけでは無く)貰ったと言う、マニュアルの初代トゥデイは俺と月仍よりも年上だ。
ただし、いくら車は走れば良いと言う主義だとしても、ボディのあちこちに若干さびが浮いて、どころか多少穴も開いているし、白い塗装は当然つや消しで粉を吹いている。シートも前二人分のクッションが人の形に凹んでいる。
エンジンが素直にかかる時は無く、走り出せば走り出したで今度はラジオが聞こえないくらいに何処からかカタカタ音が鳴る。夜はライトが消え、雨の日はワイパーが止まり、エアコンを入れれば形容しがたい臭いが車内に立ちこめ、あげく翌日バッテリーがあがる。
俺と月乃が乗りたくない車ナンバーワンの座を、何年も独占している車だ。殿堂入りとしてランキングから除外される日も近い。
あの車もまたランサーとは別の意味で何故車検を通っているのか不思議だ。田舎故、車が無ければ生活に支障を来すのはそうなのだが、彼女に関して言えば決して貧乏では無い。庭のサンダルみたいなもので、無くなったら困るがぼろくても良い。と言う事なんだろう。
ならばボルボの方はにーちゃんがキチンと整備しているし、ほとんど乗ってないし、もう少し安く出来ない物なのかなぁ。外車は高くつくんだって、車検。
「なんかぁ、ハードディスク? それでデータの吸い出しがうんちゃらかんちゃら」
「あぁ思い出した。先週、パソコンの部品がどうとか言ってたな。そう言えば」
別ににーちゃんが詳しいわけでは無く、知り合いにそう言う仕事をしている人が居る。と言う話だ。我が家のリビングにあるノートパソコンは、だから市価を無視した格安値で導入された。現金決済であったので預金通帳を抱きしめてにーちゃんが泣いていたが。
「僕が片付けてコーヒー入れよう。――ランさんが来たらお前らで用意してやれよ?」
と、にーちゃんが椅子から腰を浮かしたときインターホンが鳴った。俺が出る。
「ただいまっ! あーけーてー! ――ヨウ、ただいま。だいちゃん、帰ってたな?」
多少の東北訛りとともにインターホンのモニターに映るのは、ジャージの上着にスエットの二十前後とおぼしき金髪の女性。元父さんの教え子で、母さんに娘の様に可愛がられ、父さんの失踪後、彼の研究を継いだ愛弟子で大学勤務の研究者。
「おかえり、ランちゃん。にーちゃん帰ってるよ。ご飯、用意するから自分で鍵開けて勝手にあがってよ。チェーンかかってないから」
身長は月仍より気持ち小さい、小柄な女性がコンビニ袋を下げてリビングに入ってくる。そう、見た目はにーちゃんより明らかに歳下。高校生だと言って誰も文句を言わないどころか納得する。可愛らしい外見の彼女、ランちゃんこと黒石蘭々華は実は二十九歳である。
「ごめーん、思ってだより遅くなってすまったよ」
意外にも、と言うと語弊があるのかも知れないが、きらきらネームは気に入っていないらしく蘭が二つに難しい華でららかです、なのでランで良いです。が自己紹介。あからさまに本人が嫌がっているので彼女のまわりではファーストネームで呼ぶ人は居ない。
そして俺と月乃はもう十年以上のつきあいになる人であり、従姉妹のおねーさんみたいなもんだろ? と自分で言う通り、この家の鍵まで持っている人でもある。
更に本物の従兄弟のおにーさん、手塚広大をだいちゃんと呼んで、可愛がるとともに、主に外食に飽きたときの炊事係として使っている。というのは、俺と月乃の間では言ってはいけない決まりになっている。だいちゃんはランさんには絶対服従なのだ。
「ハンバーグか。え? ヨウが焼いてるって、……お前ら作ったのか! すげーな!」
「こいつらもいつまでもお子様じゃ無いよ。見てたらわかるでしょ」
自称従姉妹のおねーさんは2日に一度はやってくる。俺達を心配している、とその部分は本当だ。よく知ってるし感謝もしている。そしてご飯を食べたいのもまた、本当だった。にーちゃんがご飯作らなくなったら来ないんじゃ無いのか、ランちゃん……。
「だって初めて会ったときはまだオムツ取れてねがったんだよ。ふむ、こうなってくるとおねーさんも歳を感じざるを得ねーなぁ。……ま、あたしゃ料理はからっきしだからなぁ」
からっきしなのは何も炊事に限った事じゃない。
ランちゃんに関して言えば、この人は普通の生活に関わる行為全てがからっきしである。金髪なのも白髪が目立つから、だし、そこそこ髪が長いのも短いと寝癖とか面倒くさいし長すぎればケアが面倒。だし。
メイクなんかしているのは見た事が無いし、大学の研究室に実質住んでしまっているし、ウチに来ないときの食事や風呂をどうして居るのか、真面目に心配になってくる始末。
服装だってそう。ジャージやスエットに男物の大きなダイバーウォッチ。
大げさに言えばそれ以外着ているのを見た事が無い。
髪だって櫛を入れる以外ドライヤーかけてるのさえあまり見かけない。女性である事を忘れているのでは無いかと心配になってくる。
せめて大学で研究してると言うなら、嘘でもたまには白衣を羽織った姿でも見せて欲しい。
要するに彼女の価値観は面倒くさいかそうで無いか。そこにしか無い。
大学ではこう見えてそこそこ偉い立場にあるのだと言うが、俺や月乃にその想像をしろというのは無理な相談だし、我が家のおかーさんたるにーちゃんが世話を焼きたくなるのも当然ではある。
「だいちゃん、今日はもう出かけないだろ? だったら付き合ってよ。第三類じゃ無く本物のビールだぞ。ワカモノ達はコーラで良いかな? スポドリも買ってあんぞ」
ビール飲むなら明日の朝のご飯は大丈夫かな、と思う。所帯じみているのはかっこわるい、と言う考え方もあるだろうが、そう考えるならばにーちゃんにその役を押しつけている俺達兄妹は、かっこいい、わるい以前に立つ瀬が無い。
所帯じみずに生きていけるのは明日のご飯を心配しなくていい人だけなのだ。
「ランちゃん、ありがとう! 陽太、私にコーラ取って」
「炭酸控えろよ、運動部! 俺にもコップよこせってば」
「ワカモノも貝ヒモは食えんだろ? だいちゃん、おかわりあるんだから先ずはぐっと」
「僕、ご飯食べたばっかりだから! ――飲まないって言ってないだろ!」
変則四人家族。形はいびつかも知れないが、だから寂しく思う事はあまりない。父さんと母さんは居なくともにーちゃんとランちゃんが居る。兄妹仲も悪くない。普通の家庭より賑やかでさえあるだろう。
けれど。父さんがある日姿を消した理由。それを知りたいとは思う。
女が出来て俺達が邪魔に成ったと言うなら、月乃は知らないが俺はそれで良いと思うし、生活に嫌気がさしてホームレスに成ったのであればそれでも良い。
自殺したというならばその理由と、せめて遺体、お骨でも良いからこの目で確認したい。そうで無ければ母さんしか入っていないお墓に、名前さえ刻めない。
この四人でいるとき、その話題はタブー。暗黙の了解というヤツだ。
生きていようが死んでいようが、父さんがどうなったのかを。けれど本当は、知りたいんだけれど。……それは、だからこの場では口には出せないのだった。