水曜日1
音楽準備室の鍵を職員室に返して、昇降口の下駄箱、駐輪場と歩く。既にスポーツ系の部活は終わったらしく、校庭には誰も居ない。
中等部、高等部共に本日は16:30までに完全下校する様に通達が出ている。なんとなく自転車には乗らず、押したままゆっくり校門を目指す。
校庭には実際は誰も居ないわけでは無く、黄色い回転灯のついたライトバンや、何に使うのか用途がよくわからない機械を背中に取り付けたトラックが入ってきているし、来賓用の駐車場にもいかにも作業用と言った風情のワンボックスが数台、ドアを開けて材料や工具を出している。
連休中の改修工事。明日からの作業の段取りなのだろう。要するに仕事の邪魔になるからとっとと居なくなれ。と言う事である。
その辺、自他共に認める天邪鬼であるので下校時刻ぎりぎりまで何をするでもなく音楽室に居た。バスも今日は臨時ダイヤだと言う事でバス通組は早めに帰宅している。
この辺りが旧でやるかどうかは知らないがゴールデンウィークのただ中ではある。
だから校門を出たのは生徒の中では遅かったのだろうし、バスの時間からも外れている。廻りは誰も居ない。はずであったが。
「……なんで居るんだ? お前等」
田んぼをモチーフにした町営バスのイメージカラー。緑成す田んぼの緑と収穫期の稲穂の黄色の二色に塗られた三人掛けのベンチ。仙人を目指すべく海沿いから送り込まれた修行僧、鹿又と籠ノ瀬が居た。
「朝。電車が遅れましてギリのバスだったので、これを見ている時間の余裕が……」
鹿又が指さすバス停に貼られたコピー用紙。
【南谷川町 都市計画課 路線バス事業部 管理運行係/ゴールデンウィーク期間中の『峰ヶ先中高線』臨時ダイヤにつきまして】
と、書いてあった。
「一昨日は平常ダイヤか……。何やってんだよ。鹿又はとにかく、籠ノ瀬も居るのに」
「何故私が慌て者のポジションに……」
バスを飛び降りた鹿又が時計を気にしながら籠ノ瀬の腕を引っ張って走る姿が目に浮かぶ。十分に適正なポジションだろう。
「ちなみに次のバスは何時だ? 親とか心配するだろ?」
「あと77分くらいですが、今度は電車が繋がりません。……一応親にケータイは入れましたが、せめて地元の駅まではがんばって自力で帰ってこいと」
「……うちも反応は同じ、でした。……駅に着いても更に電車が一時間半待ちです」
なるほど、さすがは両方自分の娘を仙人にしようという家庭である。その辺なかなか一貫して厳しい。
「なので開き直って駅で宿題でもやろうかと話をしていたところで。そ、そう言えば」
急に赤くなって変にどもる鹿又とそれを力強い眼差しで見守る籠ノ瀬。あれ? いつもと立ち位置、逆になってないかお前等。
「うん?」
「先輩の、おおうちお家ってここここから、そのどれどれどれくらい、ですですか?」
まぁ開き直れば徒歩でも通学出来てしまう距離。というのは県下全域から生徒が集まるウチの学校では、確かに自宅が近いと言うカテゴリに入る。
「歩きでも一時間かからない、……あぁなるほどな、うん。そうだな、うちで宿題やっていけよ。――と言いたいところだが、まぁバスは最悪だぞ、二時間一本だし超大回りするから駅まで30分以上かかる。その上最終は17:45だ」
だがバスを使わない。と言う選択肢を考える時、移動は実は簡単にクリア出来る。
車自体は俺なんかを慕ってくれる大事な後輩を乗せたく無い代物だとしても、ランちゃんが居るなら駅まで送ってもらえば良い。
人の形にシートが凹んでいようがリアのシートにおおよそクッション性というものが無かろうが法律上は4人乗れる。
一応車検は通っているからなんの前触れも無く、突然爆発したりはしない。……と思う。多分……。
何より車ならここから駅まで10分で着く。
携帯を引っ張り出して電話帳に黒石蘭々華の名前を呼び出す。
「……出ないか」
ただ何しろ相手は野良猫博士。今朝は確かに一緒にご飯を食べたし、仕事は無いと言ってはいたが。だからと言って本当に家に居るかどうかは見当もつかないし、お酒を飲んだ上で本気で寝ていれば今度はケータイがなろうと絶対に起きない。
……時間どころか社会の一員として生活してる自覚がそもそも無いんじゃないのか? 黒石蘭々花さん(二十九)の今後の人生が少し心配になる。
「すまない、家に誰も居ないから来ても送ってやれないや」
「そう。なん、ですか。ちょっと、……残念です」
「……今度。機会があったら、その。お家に、お邪魔しても。……良いですか?」
籠ノ瀬がいつも通り頬を染めつつ食い付いてくる。なかなか珍しい、と言うか良い傾向。なんだろうな。
人との会話って内容の事はもちろんあるだろうけど、それ自体は別に苦痛では無いはずだ。だから変に煽ったりしないで普通に返す。
「別にかまいはしないけど、うちの近所だって何も無いぞ? お前等二人が来るならお茶位出すけどな。今は誰も居ないんだけど、初めから言ってくれれば、大人が二人いるからどっちかいれば車が出せる。これからはバスが繋がらないときは、前もって言えよ?」
「……はい」
何故かぐっと鹿又の手を握りしめうなずく籠ノ瀬と、更に赤くなって下を向く鹿又。
女の子が何を考えているのか、コミュニケーションの手段一つ取ってみても謎だらけだな。
いつも通りしゃべり終わると元に戻る籠ノ瀬と違って、赤くなった鹿又が普通の色に戻るまでそれなりに時間がかかった。多少会話が止まる。
男子の先輩の家に行きたいと言い出すのは、それは山伏見習いであっても勇気が要るんだろう。今回は駅のホームよりマシな宿題の出来る場所を確保し損ねただけで終わったが。
高等部なら駅前唯一のマックに寄ったりするのだろうけど、中学生の標準的なお小遣いではそんな事をすれば状況によっては即破産だ。
「えと、えへへ。ところで、覆花山ってここから近いですか? そこに見えてるんですが」
顔色の戻った鹿又から、いきなり覆花山の名前が出たのでちょっと驚く。リアクション、普通に、普通に。
「こないだ行ったんだがな。少なくとも自転車では行かない方が良い、上り坂が半端ない。……つーか、なんだ急に?」
――実は。そう言ってカバンからごそごそと古ぼけた本を取り出す。
「登山ってほどじゃないんですけど、山歩きが好きな心理学の先生のエッセイ集なんです。先週古本屋で買ったんですけど、結構面白くて。その中にあそこじゃ無いかと思えるところがあるんで自分で見てみたかったんです。その先生がお子さん達と遊んだ山」
……背中を汗が伝う。そのお子さん達は、俺と月乃じゃあるまいな。普通だ、普通に。
「な、なんてタイトルだ、ちょっと見せてみ?」
【休日はリュックと子供を背負って・子連れ博士のハイキング日記:文・写真 愛宕宗太/週刊トゥルース編集部編】
月仍が言った雑誌のコラムはどうやら本になっていたらしい。
「この先生と名字同じですよね、そう言えば。この先生も双子の子供が居るって……」
返事に時間がかかるとわざとらしい。誤魔化す必要は、あるかないか……。
「俺のオヤジだよこれ。そうか、雑誌の連載だったはずだけど本にまとまってたんだ。知らなかった。――あのさ、あまりオヤジのことは廻りに言わないでおいてくれるか? 何故内緒にしたいかはそのうち絶対話すから」
「なんか、あるんですか? ――いえ、良いです。あとで気が向いた時教えてくれれば」
「う、嬉しいね。オヤジの本を面白いって言ってくれる人、身内以外で始めて会ったよ。……あ、覆花山だったよな。何も無いけど良いところだぞ、午前授業の時にいってみればいい。循環バスなら10分かからないだろ? 自販機もトイレも無いからそこは注意な」
「ト、トイレは、だから私は別に長くないです!」
「長いとは言ってない。ないって話だよ……」
「……気をつけましょう、くらちゃん」
鹿又の両手を取り、目を見つめて籠ノ瀬が言う。
「トイレは、違うんです! 信じて下さい!! ……もう、ふうちゃん!?」
……更に勝手に言い合いになっている後輩二人を無視してぱらぱらページをめくる。几帳面に覆花山らしい項に付箋が貼ってあるのがいかにも真面目な鹿又である。
多分母さんが亡くなった頃だ。文章にも妻が逝って数ヶ月、とある。
本文の内容もたいしたことは無く。
ただ忙しくてどこにも行けないので、近所の山に遊びに来てみたら意外と自分もリフレッシュ出来たうえ、子供達も上機嫌で楽しそうだったので、遠くまで行かなくとも自分用のパワースポットのような場所は近所にあるんじゃ無いでしょうか。
みたいな内容だった。
――いずれ雑誌一ページ程度の文章量、概要は大体頭に入った。
場所の詳細は書いていないのだが、五台分しか無いトラロープで区切った駐車場、入り口にプランターが置かれたいかにも手作りの階段、5分で着く頂上、小さな社。
山の名前こそ書いていないが、ここまで書かれれば知っている人間ならば間違いなく気付く。これは覆花山の事だと。
光の人善行会の連中がこの内容を知っている可能性はある。と言うか鹿又が気が付いた位だ、きっと知っている。買収を企てたのは多分この文章が元になっているとみて間違いない。
“能力”が向上するとは書いていないにしろパワースポットの文字と子供達が生き生きして云々と言う文章がある。
ランちゃんの読みが当たっているなら彼らにとって、教祖の奇跡を最大限引き出すための候補地なのだ。
「――って。先輩、聞いてますか?」
「あぁ、もちろん聞いてる。仮設トイレも無いんだ」
「違いますぅっ! トイレから離れて下さい、お願いですから! ……その、お父さんは他に何か書かれていました? なんか気に入っちゃって、他もあれば読んでみたいなって」
「他の本、ねぇ。知ってるのは専門書位だけど」
本を鹿又に返しながら考える。専門書の類を何冊か書いているのは知っているし、それは書斎にもある。
ただ、コラムやエッセイについては連載のような形で書いていたのはあまりなかった気がする。オカルト関係の雑誌に関してはそもそも知らないし。
「まぁ、本職がコラムニストとかじゃ無いからなぁ。偶に雑誌に載ってたのは知ってるけど、本にまとまるほどの分量を果たして書いてるかどうか……。時期的に書いてたのは小学校の中学年位までだから良く覚えてないし」
嘘は吐いてない。そこから先は事実はどうあれ失踪してしまった以上、もし状況がそろったとしても愛宕宗太名義では書けないのだ。
「今度名前で検索かけてみます、けど。……良いんですか?」
「ん? ――あぁ。お前、勘違いしてるよ。別にオヤジと不仲とかそう言う事じゃないから。好きだっていってくれる人が増えるなら大歓迎だ」
「はい、私もなんか嬉しいです。気に入った本を書いた人の家族が先輩だなんて」
この言葉、書いた当人が聞いたらどう思うだろう。




