火曜日(祝)6
「先生はコントローラとアンプリファイヤが組でスタンピードを起こす事をプリメインスタンピードと呼んで、初期の記録ではすごく危険視していたんだ、それなのに……」
「組で暴走するの? つーかプリメインって何?」
「オーディオのアンプの事? なら知ってるから僕が説明しよう。ランさんはしゃべり続けだ、ちょっと休憩で。――昔、CDなんか無い時代、音楽を聴く時はレコードだよな?その時にプレーヤーとスピーカーの間にアンプと言う機械を挟んだ」
黒いレコード盤に針を落とす。プチプチ言いながら音楽が始まる。我が家にレコードはそもそもないがテレビとかでは見た事がある。
「今でもミュージックプレイヤーとスピーカーの間にはアンプ入れたりするよな? で、当時のそれは針で拾った信号をもらって増幅して音楽の信号に戻して、それを更にパワーアップしてスピーカーに送る、と言う様な機械なんだけど。――えと、わかるか? ツキ」
「針の音がすごくちっちゃいからスピーカーで聞こえる様にアンプで大きくする?」
「まぁそれで良い。アンプのうち、ざっくり言うとプリアンプは針の信号を音楽に戻す、メインアンプはそれを更に増幅してスピーカーを鳴らす。二種類の機械が必要だった」
俺のコントローラはプリアンプ、誰かの能力を拾ってこちらで使える様にする。そして月乃のアンプリファイヤがメインアンプ。小さな能力を増幅する。
その組み合わせを父さんやランちゃんが危険視する理由、それは。
『陽太のコントローラを私が持ち上げる、そんでその状態で陽太は私の力を一部使って残りを最大限持ち上げる。更に陽太を私が持ち上げる。何度も繰り返したら。そしたら私にサイコキネシスがあるなら、素手で校舎を叩き潰せる!』
《チョップで叩き割れる!》
「危険な理由は多分それだと思う。……けど、なんでたとえがいちいち物騒なんだよ!」
「テレパシーで会話すんな、こっちがわかんねーよ。なんか気が付いたのか……、血は争えねーな、お前らは賢い。あたしは危険に気付くまで二日以上かかった。ついでに言えばアンプリファイア同士だと多分成立しねー。――うん、そう。単純に制御が出来ねーだろ?……そして気が付いた通り。プリメインスタンピードに限って言えば人為的に起こせる可能性があるし、途中で自分の意思では歯止めが効かなくなる可能性がある。行き過ぎれば精神が焼き切れるだろう。――どうなるかって? 具体的に言えばぶっ倒れる」
但し。少しランちゃんの目が細くなる。
「ぶっ倒れて意識を失ってそれでホントに能力の発動が止まれば良いけど。もし止まらなかったら、多分脳溢血か心筋梗塞でお終い。人為的とは言え暴走状態、制御は出来ねー前提でねーとな。従来分類のPK系なら筋肉とか靱帯とかにダメージが来るだろうが、ESP系能力の副作用は循環器系に来るんじゃ無いかと考えてる。――ん? 心臓とか血管な」
――そう言うと鉄の箱にポン、と手を置く
「こいつが動かないのは良い事なんだとあたしは思う。これは今話をしてたプリメイン暴走を人為的に再現する疑似プリメインアンプなんだ。増幅の繰り返しは3回までに制限されてるが、単なる足し算やかけ算じゃ無い。そこまでやったら能力値は百倍を超えて跳ね上がる。今のツキなら、やろうと思えば町役場どころかそれこそ仙台駅にだって声が届く」
「但し、その場合ツキの脳みそは沸騰する、と……」
「その声を受けたヨウも、な。たった三回でも条件揃えば千倍超える。そうなる可能性があるからうかつには使えんし、そもそも論で行けば、ハナから作らねー。ってのが正しい」
――ツキ。ビール、飲んで良いか? そう聞かれた月仍は、なにも言わずに冷蔵庫から缶を持ってくるとテーブルの上に置く。
「但し、一台は完成したし、実際に使用したと思しき形跡もある。能力自体だって具体的に把握出来ていないのに、何故暴走実験を先行する必要がある。素人が考えたって……」
「ない。……かな、普通は」
「なんで先生が、こんな物を作ったのか、まるで理解が出来ねー。……出来ねんだよ! 一番弟子だったはずなのに! お父さんだと思えって言ってくれたのに! ……先生は何より子供達を、ヨウとツキが大好きだったはずなのに、世界で一番愛してたはずなのに!! ……なんで、どうしてこんなもんを!!」
ランちゃんは細かく震えながら、テーブルに両の拳を置いてビールの缶を見つめる。
「ランさん、ちょっと落ち着いて……。だからこいつ等を巻き込まないための……」
「違うっ! あたしは日記を見たんだ。最後は自分の能力発動だけを考えてたんだと思う。この機械は二人の能力をコピーしたもんだ、だから覆花山だったんだ。装置の限界を超える可能性をそこに求めた。それなら装置自体がスタンピードしてもおかしくねーし、むしろそれを狙ってさえ居たろーよ。いったいどんな能力がどんな形で発動したか、そんな事はわからねー。けれど普通に居なくなった訳じゃ無いというのはあのハードのデータでわかった。山の上までの痕跡は警察が見つけてんだ。……普通、影も形も無くなる訳はねー」
あの日。ボルボのトランクにはこの箱が積んであった。そしてその箱を担いで約五分、父さん、愛宕宗太博士は覆花山の頂上を目指した。能力発動実験のために。
ランちゃんが言うのはいくら田舎とは言え、いや田舎だからこそ人一人、物理的な、文字通りの足跡さえ残さず居なくなったりは出来ないと言う事だ。
未舗装の山道、少なくとも今の話なら山の上まで登った痕跡はやはりあった。警察が調査したときにそれはきっちり見つけたのだ。但し降りた痕跡は一切無かった。
行方不明の原因がプリメインスタンピードに乗っかった何らかの能力であるなら、常識を凌駕する規模で発動しているはずだ。痕跡を残さず移動出来る可能性はある。
但し発動した能力自体までもが暴走してしまった場合、どこへ行くのか以前に、生きたまま移動出来るのか、もっと根本的にそれは本当に移動なのか。と言う疑問が発生する。
「ちくしょう、知ってれば……、わかってれば絶対に……」
加えて、論文を発表出来ない以上は学問の範疇には含めないのだと、さっきランちゃんが言った。
子供を守るために始めた実験で自身の存在事態が消え失せてしまうのは無責任で本末転倒だと。さっきから泣きながら怒っているのはそういう事なんだろう。
ここまでの話を聞けば危険だという可能性は自分でも十分にわかっていたのだから。
そして先日HDDの中身を受けとるまで。一番弟子であり“娘”を自負していたランちゃんに実験はおろか能力関連の具体的内容は一切伏せられていた、その事実が更に彼女を傷つける。
「止めることが、出来なかった。……弟子なのに、…………娘だって言ってくれたのに」
いや、もっと単純に。そんなよく判らない理由で大事な父さんを失ったのは俺達もランちゃんも同じなんだと、ここまで来て漸く気付いた。俺はなんて鈍いんだ……。
「少なくとも誰にも言わなかったのは、失敗するつもりが無かったんだろうと、僕はそう思う。そして確かにここまで聞けば覆花山が誰かの持ち物になるのは、あまり良くないな。……ここまでの事を一人で抱えていたとか、信じられないよ。なんの力にもならないだろうけれど、わかった時点で話してくれれば……。僕らは信用するに足りないかな?」
「そんな事は。……その、余計な事を口走ればだいちゃん達に要らねー心配を……」
「――とにかく、心配というなら先ずはランさんの体だ」
にーちゃんはランちゃんの目の前のまだ開いていない缶を取り上げる。
「ビールとコーヒーは相性が悪い。ツキは許してくれた様だけど、今日は僕の権限で禁止」
「な、ちょっと! 何すんのだいちゃん。それ、ないとあたし眠れ……」
「可愛い妹や弟がランさんの体を心配してる。可愛いと思ってくれてるかどうか知らないが、大きい弟もそうなんだ。だから今日はお風呂にゆっくり入って、のんびり横になる、いいね? 眠れなくても良いし眠らなくても良い。とにかく風呂に浸かって布団に入る事。パソコンの電源入れるのも禁止。見つけたらパソコンは三日間ランサーのトランクに積む。――もうお風呂沸いてるし、二階の冷蔵庫、水の他に牛乳も入ってるから」
冷蔵庫へと歩いて行く。小さな子供にとうとうと諭す様に話ながら、振り向かない。
「どうやって処方箋誤魔化したのか知らないけどハルシオン、持ってるだろ? だから実は寝酒なんか無くても眠れない事は無いよね。飲むなら風呂、上がってからね?」
『ハルシオンって何だ?』
これは説明するしか無いか。月乃に小声で耳打ちする形になる。
「……医者が許可を出さないと買えない、国内最強クラスの睡眠薬。薬が効いた時点でいきなり意識失うくらいの薬」
何処かのコネで手に入れたんだろう。いくら何でもそこまでの不眠症じゃ無い。
「お風呂に入ったら肩まで浸かって、絶対に100数えるまであがったら駄目だよ。それと明日はランさんも一緒に朝ご飯を食べよう。目玉焼きとたくあんと若布と豆腐の味噌汁、用意はしとく、七時に起こしに行くから裸で寝ないで必ず何か着ててね? ご飯食べたらみんな出かけるから、そしたらもう一回寝て良いからさ。明日の朝くらい、形だけでも日本の標準時間で生活しようよ」
「……あたしは子供か!」
「ある意味子供以下、だろ。自分でわかってるくせに。若しくは家族がそろって朝ご飯を一緒に食べる風習になにかしらの疑問を感じる、とか?」
「う、……そうかいそうかい、わーったよちくしょう。――このくそ弟が、インソムニアをなんだと思ってやがる、覚えてろよ! ……言う通り風呂入って寝てやる、おやすみ!」
台詞だけ聞けばかなり険悪な感じではあるが、ランちゃんはいつもの様におどけた感じでそう言いながら、特に抵抗もせず階段へと向かう。
――ありがと。階段に足をかけて涙声でそう言うとそのまま小走りで二階へと上がっていった。
「なあ陽太、インサムニャーってなんだ?」
「お前は少し本を読め。インソムニア、……不眠症の事だよ。だからといってお酒に頼るとかえって眠れなくなるって。――今のはそう言う話、だよな? にーちゃん」
「まーな。でも、ランさんはそう言う意味じゃ不眠症ってわけじゃ無いと思うんだ。疲れてるならリラックスすりゃ眠れるよ。……彼女の場合は知っての通り、どっちかと言えば普段の生活の方に大いに問題がある」
元々不眠症の気があるランちゃんではあるが、それの原因の半分は生活のリズムがほぼ無い事にある。
朝起きて、朝寝る。みたいなあれ、聞き間違い? とか、疑っちゃうような生活をしているのがいけないんだろう。
カレンダーもそうだが、それこそ日本標準時さえもあまり気にして居る様子がない。いつでも時差ボケみたいなものだ。普通に眠れる方がおかしい。
「学生の時は僕の居る部屋に下宿してたんだから、素直に戻ってくれば良いモノを。時間が関係無い仕事してる人の一人暮らしって、やっぱり生活のリズムが乱れるものだからね。今だって実質書斎に住んじゃってるわけだし」
大学に残る事を決めたときに借りたのが今の物置になっているアパート。それまでランちゃんは今にーちゃんが使っている部屋を使っていて、当時のにーちゃんは夜になるとリビングの隅に布団を敷いて生活していた。
アパートを借りて後。アルコールを飲む関係上週2,3回、我が家に来た時に、泊まるのは書斎のソファベッドに変わった。つまり実質今と何も変わっちゃ居ない。
「大体、アルコールだって、飲んだところで実際は眠くならないんだろ?」
「基本はそうだが、その辺は人にもよるさ。……酒が好きだというなら、別にそれはそれで良いんだ。飲むなと言ってるわけじゃ無い」
――もちろん過ぎちゃ不味いだろうけどさ。にーちゃんはそう言うと一つため息を吐く。
「叔父さんの事を、止めなかった自分のせいだと思ってずっと自分で責めてたんだ、調べれば調べるほどその気持ちは大きくなっただろう。飲みたくもなる。……でも話を聞く限りランさんのせいなんかじゃぜんぜん無いじゃないか。知りもしない事なんか、いったい誰に、どうやって止めようがある……」
にーちゃんは顔を上げると時計を見上げる。
晩ご飯が早かったので、意外にまだ時間は早い。
「誰も、何も知らなかった。だったら誰かに止められるわけが無い、無理な話なんだよ。知ってさえ居れば、誰だって。……僕だって」
そして、“娘同然”な人があれだけ取り乱した告白を聞いた“魂の息子”だって何も感じないわけは無かった。
「悪ぃ、ちょっと出てくる。明日ガッコだ、お前等は早く寝ろよ」
そう言うとソファにおいてあったウインドブレーカーを羽織る。
「なんか買い物?」
「いや、……今日、足回りのセッティング変えたからな。――ちょっと慣らし。だな」
数分後ランサーの野太いエンジンの音が、それでも控えめにガレージを出て行くのが聞こえた。




