金曜日1
「で、明日。陽太は部活、どうなの?」
「ブラス(ウチ)は学校の休みシフト通り。つうか、教師だって休みてぇだろ普通」
世の中はゴールデンウィークである。だからといってリビングの俺達は何が変わるわけでも無く、せいぜい自転車を漕いで丘の上の学校に行かなくて良くなるだけの話だ。中学2年生には自発的に何かをする為の行動力も予算も無い。
双子の妹、愛宕月仍と二人でポテトチップスの袋を開きつつテレビを眺めている。もっとも月仍から言わせれば俺が弟、と言う事になる。
この話は結論が出ない以上始めると終わらない。唯一知って居るであろう母親は小1の時点でその話に結論を出さないまま既に早世し、この世にはもう居ないからだ。
父親さえも小4の時点から行方不明、と言う状況にあって、それでも施設には入らずこの家に住み続けたい。と言う二人の願いが叶ったのはもう一人の同居人、にーちゃんこと従兄弟の手塚広大が4年前、21歳の若さで俺達兄妹の面倒を見る、と決めたから。
今は簡単に夕食の準備も済ませ、そのにーちゃんが帰って来るのを待っている最中。と言う事になる。
「それでか、サッカー部も後半は暦通り全面的に休みって言ってたけど。……あ、明日も学校あるのに部活休み、朝練も無くなるというのは、そういう事なのか?」
「だろ? 休みの前の日だしせっかくの午前授業なんだから教師だって早く帰りたいさ。いずれにしたって月仍に関わる頻度は極力減らしたいだろ。鬱陶しい」
「鬱陶しいってなんだ! 私と関わったって癒やされるだっつうの。……ま、朝練もないから早起きしなくて済むのは、それは良いね」
ローカルニュースで観光地の話題が流れようが、だから俺達に限って言えばあまり関係が無い。多分、どこかに連れて行けと言えば、なにも言わずににーちゃんがうなずいてくれる事は容易に想像がつくのだが、町内会行事には必ず参加し、父兄参観や三者面談にわざわざ有休を取ってきてくれる25歳の若者に、休みの日ぐらいゆっくりして貰いたい。というのは二人の共通認識である。
「普段から自発的に早起きしてランニングとかしろよ、サッカー部」
「やだ。必要以上にフィジカルを鍛える必要は無い。女の子はふわふわぷにぷにしてる方がかわいいの! それに私、早起きが無理」
俺達は二人とも朝は弱い。そして有り体に言って中学高校と元ヤンキーであったはずのにーちゃんは、毎朝リビングを掃除し、朝食を準備し、三人分の弁当を作り俺達二人を起こして朝食、後片付けをした上でネクタイを締め朝8時30分からの会社の朝礼には遅れた事が無い人だ。
鋭い目つきにやや茶色い髪が往事の名残を残すが、完全に我が家のお母さん的ポジションである。居ないと愛宕家の中学生二人は生活が立ち行かなくなる。
「いっそぶよぶよになっちまえ!――実家には帰んないのかな、にーちゃん」
「盆も正月も帰って無いけど、ゴールデンウィークつっても今年は前半飛び石だしな」
北関東の実家までは約4時間。車好きのにーちゃんであれば、さして苦痛では無いはずのその距離を運転する事は無い。実家に帰る気が無いからだ
。別に実家とケンカしてるわけでも友達と仲が悪いわけでも無いのは電話や、遊びに来た時の彼らの物言いでわかる。
「エンジンふかすとうるさいし、燃費が悪いから遠くに行きたくないだけだったり」
「ホントにそうなら本末転倒だろ! なんの為の車だよ!!」
マフラーが太くて、いつもぴかぴかの銀色のセダン。口に出さずとも、色々と我慢しているであろうにーちゃん唯一の趣味みたいなものだからあまり言いたくは無いけれど。しかし、どうしてあのうるさい車が警察に怒られないのかいつも不思議だ。
そして我が家の場合。種々の都合で警察の人が来る頻度は普通の家より高いのだが、誰もなにも言わないし。本人も合法だと言っているし、だったらそう言う抜け道のある法律のほうがおかしいんだろう。まぁ、だから帰ってきた時は車の音ですぐに判るんだけど。
「ね、ハンバーグ、焼いちゃおうか」
「もう少し待てっての。……まぁ、腹は減ったよな。確かに」
いつもなら帰ってくる時間はとうに過ぎている。プラスマイナス20分。にーちゃんはバスとおなじくらいには正確だ。取りあえず、二人で皿を並べ始める。
そうこうしているうちに若干野太い車の排気音とガレージのシャッターが開く音が聞こえる。ランサーエボリューションが帰ってきたようだ。
大きな家に住んでいる。とよく言われる。ただし、これは正しくない。家自体はあまり大きくない。一階にリビング、二階に三部屋と物置と風呂。中学生二人が暮らすならこれでも大きいだろうが家の大きさは普通じゃないかと思う。ただ敷地は広い。普通に庭があった上で、車三台が入ってなおお互いドアが普通に開けられるガレージまである。
二階建てでトイレまで着いているガレージは二階が物置みたいになっている。一階が車約4台分である以上二階だってかなり広い。要するにガレージだけで小さな家くらいの広さがある。ほんの2,3mではあるがちょっとした渡り廊下みたいなもので繋がっているので、雨の日も玄関の横から直接ガレージの裏まで回れる。離れみたいなものだ。
だから、俺達は田舎ではあるがそれなりに大きな敷地面積と桁外れに大きいガレージのある普通の住宅に暮らしている。と言うのが正解だ。そのガレージの前にも二台位車が止められる。
家族全員一台ずつ車が必要になる、と言う父さんの主義に基づいて設計された。と言うか、そう言う屁理屈を付けて自分の車二台とバイク三台、そして母さんの車。以上を収容できてかつ整備も出来る様な大きなガレージを作った。
そのガレージの中には今帰ってきた銀色のランサーの他、たまににーちゃんに頼んで動かして貰う、やや年代物の赤いワゴン。850、とリアのドアにエンブレムのついた車がおいてある。父さんが乗っていた車、ボルボだ。
本来乗る人も無く廃車にするのが妥当なのだけれど、どうしてもこれだけは。とお願いして残して貰っている。ナンバーが着いている以上税金も車検も発生して申し訳なく思うが、これは中学生ではどうしようも無い。高校になったらアルバイトをしていくらでも返そうと思っているが毎年の税金が約四万円、二年に一回の車検が約二〇万円。大人になっても返し切れない気がするし、そもそもにーちゃんは自分の車の分も払っている。
そして、――車は乗らないととむしろ壊れるんだぜ? お前らが免許を取るまで借りとくよ。と言ってたまにランサーの代わりに乗ってくれている。確かに壊れては残して貰っている意味が無いのだけれど、この場合のガソリン代っていくら払えば良いのだろう。ボルボの借金分だけで、もう一生返しきれない気がしてくる。
更には工具とマニュアルをわざわざ本国(スウェーデンの車らしい)から取り寄せて簡単な修理なら部品をオークションで落として自分でしてしまう。いったい整備まで入れたら金額に直すといくらになるのやら、計算すら成り立たない。俺と月乃がボルボの借金を返し始めたらにーちゃんは仕事を辞めてもきっと困らないだろう。
そんなわけでガレージにはいま、ピカピカに磨き上げられた銀色のセダンと若干色のさめた年代物の赤いステーションワゴンが止まっているはずである。
「悪ぃ、遅くなっちまった。今日はなんか冷凍で……、ん? 良いにおいがするな」
作業服にネクタイ、下はスーツのズボン。短く揃えてちょっと茶色い髪の毛に意外と柔らかい声としゃべり方。にーちゃんがすこし慌ててリビングに入ってくるのが対面キッチンから見える。
「今日は早かったから作ったよ、ハンバーグしか作れなかったけど。今陽太が焼いてる」
「お前らが自分から晩飯準備するとか……。知らないうちに大人になったな、うんうん」
おかーさんか! と突っ込みたくなるが、実際にポジションはそうだから仕方が無い。食事と言わず俺達の生活全般の面倒はずっとにーちゃんが見てきたのだ。だからたまに俺達がご飯なんか作ると感激もひとしお、と言うもわかる。わかるんだけどいつも、こういうリアクションなんだよな。なんつうか、毎回どう返したものか、困る。
「買い物行かなかったからありもんだし……。味噌汁も豆腐と乾燥わかめだし」
「ごめんごめん、白菜もわかめも切らしてたか……。ま、僕は味噌汁はシンプルな方が好きだけど、でももう少し色々入れた方がこの辺っぽいかな?」
「芋煮会じゃないんだから……。ただの味噌汁はこの辺でもそんなに色々入れないよ」
関東圏から東北の片田舎に来た。ただそれだけの事だと高をくくっていたにーちゃんは言葉の壁にぶつかり、風習の違いに困惑し、当初大いに落ち込んだのだという。
だから。小学生の双子の父兄になって、この町に根付く事を決めたにーちゃんは近所の小学生にさえ笑顔で挨拶をし、雪が降れば近所の分まで雪かきをし、郷土料理は一通り自分で作り、地域のお祭り、どころか町内会の催しでさえ出来る限り参加した。
我が家から誰も参加しない小学校の運動会では役員。今や無役ではあるが実質の町内会幹部である。
……と、ここまで来るといつも思う事だが。にーちゃん。少し方向性、間違ってない?まだ25歳独身だったよね?
それはともかく、だから。地域の、とか、この辺では。等という単語には敏感だ。
「そうか。まぁ味噌汁くらい、あまり気にしても仕方ないんだろうけどさ」
「気にしなくて良いじゃん。コンビニなんか全国みんな同じ味でしょ? やや薄味でご飯コシヒカリでさぁ」
「味付けはコンビニが薄いんじゃなくてこの辺が圧倒的に濃いんだ。更に醤油とかソース、じゃぶじゃぶかけるし、アレは僕にはとても無理だ。お米はササニシキ系なんだよな、どこんチも。まぁ、もちもちしてて旨いってのはわかるけど、高いからなぁ。ひとめぼれ」
月乃との会話もおかーさんにしか思えない。地域に根ざすには先ず食から。がモットーのにーちゃんである。俺にはササニシキもコシヒカリもよく判らないんだけれど、スーパーで見た限り、どうしてあんなに値段に差があるものか。有機農法とかそういう事なんだろうか。値段はともかく、まわりは米農家の実家や叔父さんから貰ったり買ったりしている事が多いと聞いてるし、それなら実際の値段はスーパーよりは安く済むんだろうな。