オークは罠にハマってしまった
なにを臆することがあろうか。
一見すれば不気味極まる西洋の古城。
けれど、この城はそもそもが魔王ワーズワースの居城である。
つまりワーズワースさんはこの城で寝起きし、この城で食事をとり、この城でごろごろしたり、この城でお茶をしたりして生きていたわけだ。
住居なのだ。
『お前んちお化け屋敷ー』という子供らしいからかいの言葉がこの世には存在し、この正式名称は『古びた荘厳なる墓標』とかいうらしい古城は、そのようにからかわれてもまったく文句は言えず、『そうだよね』と同意しそうになるが、住居には違いないわけなのである。
だから入ったり出たりするのにさほど苦労はないだろう――もちろん城だから防衛設備と言える機能を有してもいるだろうけれど、こちらにはこの城で寝起きをしていたワーズワースさんがいらっしゃるのだ。目的の部屋はわからなくとも、進むのに問題はないはずだ。
――僕は最初。
そんな風に考えていた。
「って罠だらけじゃないですか!」
十歩ごとにトラップがあった。
今も目の前を壁から放たれた矢が通り過ぎたばかりである。
どういうことやねん。
僕らは、城を入ってすぐ右折し、頼れる明かりが人魂程度しかない古城の通路を真っ直ぐに歩いていた。
空気は夏とは思えないほどヒンヤリとしており、石壁となにも敷かれていない石の床のせいで足音は否応なく反響していた。
肝試しの舞台としてはこのうえないシチュエーションだけれど、これから住居として使うには問題がある、っていうか、問題が多すぎるように思えた。
まずは濃密なトラップである。
十歩ごとと先ほどは表現したが、それは今現在僕らの中でもっとも歩幅の狭い者の十歩ごとであり、ようするに僕にとっては七歩か八歩ごとにトラップがある計算だ。
妹のほのかにしたら五歩ごとぐらいのペースだろう。妹でけーな。
僕らは現在、『謁見の間』を目指していた。
そここそが本来であれば魔王ワーズワースの待ち構える『古びた荘厳なる墓標』の中核であり、妹の証言と照らし合わせてもそこに僕の部屋があることは間違いなさそうだった。
つまり、城を攻略する者からすれば、正解のルートを歩いているわけで。
城を守る者からすれば、あんまり通られたくない道を通っているわけで。
だからトラップで侵入者の心、というか生命をくじかせようという配慮はわからないでもないのだけれど……
「ええと、ワーズワースさん、この城、住むのに不便じゃないですか?」
「……住むのに便利な城などありえるのか?」
「いやいやいや……いやいやいやいやいや……お城って高貴な人の住居でしょう? そりゃあ攻め入られること前提の作りになってる場合だってあるでしょうけど、加藤清正の城だってもう少し住みやすい造りになってたと思いますよ」
「そやつが誰かは知らんが、普通、城というのは侵入者を殺す目的で建てるものだ」
「……ひどいカルチャーギャップ……っていうか、ワーズワースさんはこのお城から出る時とか帰る時とか、いつも不便な思いしてません?」
「大丈夫だ。出る時、罠は発動しない」
「帰る時は?」
「何人か死ぬが、まあ、我らはアンデッドなのであんまり問題ない」
裸ジップパーカーもじゃもじゃ白髪幼女と化した魔王は、なぜかドヤ顔だった。
幼い見た目の少女に対してこんなことを考えるのはどうかという気もするが、殴りたいなあという思いを禁じ得ない。
「しかし参ったな……明日から学校行く時どうしたらいいんだ……『家が城になったので遅刻しました』とか、今のご時世でも先生にぶん殴られると思うんですが」
「なんか知らんが、とにかく城とはこういうものだ。貴様も魔王であればあきらめよ」
「僕は魔王じゃないです」
「いや、貴様の住居が我の『古びた荘厳なる墓標』となったことは、なにかの導きであろう。つまり我とともに世界を支配せよと、そういう天意が働いておるのだ」
「そんな意を告げる天など滅びてしまえ……っていうか僕ら視点で『天』って言うと、あなたのいた世界のような気がするんですが。あなたたち、空から落ちてきたわけだし……つまり天はとっくに滅びていた……?」
「…………貴様はよく発言に配慮が足らんと言われんのか?」
「僕の発言に配慮があるかどうか判定してくれる友人がいません」
「つまり配慮がないから友ができないとは考えられんか?」
「…………なるほど」
「今気付いたのか……」
「目から鱗でした。さすが魔王様……」
「うむ、次から気をつけよ」
「わかりました。ところでこのトラップたちはどうにかなりませんか? 入るたびにいちいち罠を避けて進まなきゃいけないとか、もうこの環境で暮らしてる人頭おかしいってレベルじゃないんですけど……」
「発言に配慮とかしろ」
「いやでも、どうソフトに言っても頭おかしいですって。郵便とかどうやって受け取ったらいいんですか? 郵便局員は給料のために命までは懸けてくれないと思うんですけど」
「あーもう! 貴様はうるさいな! 王の城はこういうものなの! 黙って進んだりできんのか!」
「いや、僕は空気読めないですけど、この文句はそんなにおかしいかなあ……?」
帰宅のたびに命懸けのおうちに文句を言うのは、普通だと思う。
むしろ『こんなところにいられるか! 僕は野宿する!』とか言わないだけ、まだまだ配慮できている方だと自負しているぐらいなのだけれど。
僕が首をひねっていると、遠くの方から「おにいちゃーん」という声が聞こえた。
なんだろうと思ってそちらを見る。
すると、セーラー服を着たオークと化した妹が、落とし穴に胸までを埋めていた。
「ひっかかっちゃった!」
テヘペロ、と嬉しそうに舌を出すオーク。
なんだろう、あいつ、皮膚が緑色になってから、所作がいちいちあざといな……
見た目がかわいくなくなったぶん、所作をかわいくしてバランスをとっているのかもしれなかった。
僕は小走りでほのかのもとへ近付く。
リードを引かれている都合上、ワーズワースさんも続いた。
トラップはほのかがすべて脳筋解除してくれたので、安心だ。
というか……
妹が妙に楽しそうなところ非常に申し訳ないのだけれど、気になったことがある。
「……ほのかよ、穴の中には無数のトゲがあるように見えるんだけど、お前は平気なの?」
「ちょっとチクチクするかも?」
「お前が人間離れしていく姿が、僕にはとても悲しく映る」
「なんかツボ押されてるみたいで気持ちいいかも? ここにお湯ためてお風呂にしたいなあ」
「人外リアクションやめろよ……だんだんお前が化け物に見えてくるだろ……」
「お兄ちゃんだって頸椎ひねられても物理的に戻せば問題ないあたり、充分に人間離れしてきてるよ……」
「ひねったお前が言うな」
「あ、ハマっちゃって出られないんだけど、出して」
「穴にハマったお前を引っ張り出すとか、どう見ても重機が必要なんだけど、どうしてお前は今や骨しかない僕にそんなことが可能だと思ったの?」
「だってお兄ちゃん魔王でしょ!」
お兄ちゃん魔王でしょ!
どうだろう、世間にいる、妹を持つ兄たちで、このセリフを言われた者はいったいどのぐらいいるだろうか。
ちなみに僕は初めて言われた。
生涯のうちで一度でも言われることがあるとは、想定さえしていなかったよ。
「わかったよ……お兄ちゃん魔王だもんな……がんばるよ。魔王として、穴にハマった、おそらくは体重二百キロを超えるであろう、緑色の皮膚の巨大な妹を引っ張り出してみせるよ」
僕はげんなりとつぶやく。
リードの先でワーズワースさんが「そんなことのために魔王の力を使わないでほしい」と悲しそうにつぶやいていた。
ともあれ僕はほのかの両腕を持った。
そして、力一杯引っぱる。
次の瞬間、あきらめた。
「ふう、無理!」
「ええええええ!? あきらめるの早すぎない!? もっとがんばってよ! 妹を助けてよ! お兄ちゃんでしょ!?」
「でもな、ほのか、僕は『お兄ちゃんなんだから我慢しなさい』とか『お兄ちゃんなんだから妹をかわいがりなさい』とか、そういう風潮に一石を投じたいと幼いころから常々思っていたんだよ」
「今投じないでよ! っていうか普段から全力で投石してるでしょ!? その問題に一石を投じていいのは、妹を虐げたことのないお兄ちゃんだけだよ!」
「まあ冗談抜きで言うと、お前の体が持ち上がるより先に、お前の両腕がもぎれそうで怖かったんだよ。今の僕の力、ちょっと常識外れにすさまじいっぽいぞ」
「へえ。魔王ってすごいんだね」
「そういうわけでお前はここに置いていく。達者でな」
「ちょいちょいちょいちょい! あたしの人生をあきらめないで!」
「いや、でもしょうがないじゃん。一応言うと、お前が穴にハマってる限りお前を見下せるからこのままにしておこう、とかじゃないぞ。わかってると思うけど、一応な」
「わかってたけど、今の発言で一気に怪しくなったよ!」
「しかし困ったな……お前をどうやって引っ張り出せばいいんだ……」
頭を抱えてしまう。
すると、くいくい、と左手に握ったリードが引っぱられる感触があった(妹を引っ張り出そうとした時もリードは手放していなかった)。
僕はリードの先につながるもの――魔王ワーズワースさんの方を見る。
彼女は、ドヤ顔を浮かべて、偉そうに顎をあげていた。
「困っているようだな!」
「はあ、まあ、そうですね。ご覧の通りです。妹がハマってしまって……」
「我が力を貸そうか?」
「今のあなたになんの力が?」
「発言に配慮しろってば! ……いやまあ、力はないけど、知識はあるぞ。たとえば――魔法とかな!」
「魔法? 魔法ってアレですよね? MPというよくわからないエネルギーを消費してよくわからない現象を起こす……どういうメカニズムなんでしょうね? ゲームとかだと人が単体で火の玉とか出せたりして、かなりエネルギー効率よさそうですけど」
「い、いや、なにを言っているのかわからんが……とにかく、我が魔法を教えてやる!」
彼女の提案をうけて、僕がまずしたことが『裏を疑う』だった。
我ながらどうかと思うが、彼女には『妹を助ける知識の代わりに、我に力を返せ!』とか言い出しそうな動機があったのだ。
でも、杞憂だった。
だって、彼女の背後にある尻尾が嬉しそうに揺れているのが見えたもの。
つまりこの提案は極めて犬的な忠義心によるものであり、魔王としての意識から発せられたものではないと、役立つことを心から望んでいるような彼女の表情から察することができた。
ワーズワースさんは順調に人格を犬に統合されつつあった。
悲しんでいいのか、それとも魔王という脅威が脅威でなくなっていくことに喜べばいいのかわからず、僕は微妙な顔で『よろしくお願いします』と言うしかできなかった。