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空から異世界がまるごと降ってきた。  作者: 稲荷竜
一章   本当に魔王との戦いは避けられないのか?
3/21

セーラー服を着たオークとエンカウントした

 突然ですがモンスターとエンカウントしました。


 ひどい夜だ。

 異世界は降ってくるし、裸の女の子に抱きつかれていてそのうえ彼女は僕の飼い犬だったし、さらにご近所でモンスターとエンカウントするとか、ありえないにもほどがある。

 この世にモンスターと言えるのはモンスターペアレントぐらいなものだと思っていたのに、僕のよく知る現実はどこに行ってしまったのだろうか。


 そのモンスターは、緑色で、巨体をほこる生き物だった。

 モンスターについて、頭に浮かんだ名称は二つあった。

 アメリカンヒーロームービー愛好家である僕は咄嗟に『ハル……』と言いかけたけれど、それを飲み込み、もう一つの方の選択肢を採用することとした。



「オーク……!?」



 空から降ってきた人々は、アメリカンヒーロームービーよりもヨーロッパ風ファンタジーの住人だった。

 その事実が僕の発言にバイアスをかけたのである。


 逃げなければならないのは明らかだ。

 見た目で脅威度が簡単に判断できる――熊より大きなヒトガタの化け物に会えば、なにか考えるよりも逃走した方がいいのは明らかだ。

 しかし、僕は一人ではないのだ。

 ハナがいて、そのリードを引いている。

 だから彼女が動き出そうとしない限り、僕に彼女を見捨てる選択肢はなかった。


 ちなみに。

 ハナは未だにお散歩モードだ。

 つまり、全裸で、四つん這いで、僕にリードを引かれて歩いている。


 ……今思いついたんだけど。

 僕の着ているパーカーを脱いで着せてあげればよかった。

 空から異世界が降ってきて犬が美少女で裸で四つん這いで首輪というだけで、頭がいっぱいになりすぎている。

 たぶん他にも色々見落としがあるんじゃないかと自分で恐怖するほどだ。


 そして、仮に服を着せたところで状況はまったく好転しないであろうことも、理解できた。

 なぜって彼女は二足歩行を嫌がるのだ。


 理解もできなくはない。

 犬の二足歩行は『ちんちん』と呼ばれる芸であり、つまり犬として自然な動作ではない。

 後ろ足にかかる負担は単純計算で通常時の倍であり、骨格もまたそのようにできておらず、犬にとってはあんまりやりたくないことだろう。


 いや、『ちんちん』という芸自体は、仕込んでいる。

 だから僕がハナに『ちんちん』と命じれば、ハナは立つのだろう。


 しかし僕は、ハナにその命令を下すことができなかった。

 首輪をつけられた、全裸の、いたいけな少女に、夜中の人通りのない道で、『ちんちん』と発言することを、僕はためらったのである。

 勇気がないと言われればまったくその通りだろう。


 少女に向かって『ちんちん』と言う。

 ただこれだけ、センテンスにすれば二十文字さえいらないような行為が、僕にはできない。


 昔からそうだった。

 たった一言口にすれば済むようなことができずに、苦労ばかりしてきたように思う。


『二人組を作って』と言われた時、誰かに『僕と組もうよ』と言えていれば。

 義理チョコをばらまくクラスメイトに、『僕にもくれよ』と言えていたならば。

 クラスで親睦会をやろうという話を小耳に挟んだ時、『僕も行きたい』と一言、言えたら。

 きっと僕の人生は、今とだいぶ変わったものになっていただろう。


 僕の人生には勇気が足りない。

 一言という名の、勇気が。


 ……らしくもなく、虚しいことを思い出してしまった。

 なんだか、心の穴に風が吹き抜けるかのようだ。


 僕はニヒルに笑う。

 それから、歩き始めた。



「待ちなさいよ」



 オークに肩をおさえられてしまった。

 見逃してはもらえないらしい。

 自分でもうっとりするほど自然な歩みだった気がしたが、駄目だったようだ。


 僕は仕方なく、やけにかわいい声のオークと向き合った。

 いたずらに距離を縮めてしまったせいで、その見上げるばかりの大きさにめまいがする。

 こいつ絶対、僕と同じ世界観にいていい存在じゃないよ。



「あんた、なにしてるわけ?」



 幼い女の子みたいな声でオークは言う。

 その眼光は野獣のもので、返答いかんによってはそのまま僕をむさぼりそうな迫力を秘めていた。


 僕は、あらゆることから目を逸らしたかった。

 化け物に詰め寄られている現状。

 飼い犬が人化した異常。

 友達がいないという日常。


 世の中にはストレスの要因が多すぎて、ただ生きるだけでくじけそうになる。

 どうしてこうなんだ、と怒りさえわいてくる。

 その怒りに任せて、僕はヤケクソ気味に、オークへと叫んだ。



「僕は、急に知らないオークから声をかけられるような悪いことは、なにもしてない!」

「全裸の女の子に首輪つけてよつんばいで歩かせておいてなに言ってるの?」



 ……クソッ、正論だ!

 なんでそんな常識的な指摘が出てくるんだよ! お前化け物じゃないのかよ!?


 無念だ……まさか『全裸の女の子を連れ回しているから』なんていうまっとうすぎる理由でオークに声をかけられることになるだなんて……

 でも、それなら僕にも言いたいことがある。


 このオークは一般常識を身につけた知的生命体らしい。

 たしかに、今まで僕はこいつを自然に見下していたのだろう。


 化け物のくせに、と。

 知能なんてないだろう、と。


 けれど、それは間違いだったようだ。

 常識があり、教養があり、思考ができる。

 人間となんら変わらないモンスター。

 それを理解したからこそ、僕は、お前の『常識』を問う!



「じゃあ、僕も言わせてもらうけど、なんでお前はセーラー服着てるんだよ!」



 オークはセーラー服を着ていた。

 それだけ述べると『ああ、セーラー服ね、知ってるよ。水兵の服のことだろ?』という指摘を受けてしまうかもしれないので、物事をはっきりと理解していただけるよう修正しよう。


 オークは女子中学生みたいな格好をしていた。

 セーラー服を着て、首には赤いスカーフをつけていて、下はプリーツスカートだった。


 ちなみに、僕がセーラー服を指して『女子中学生みたいな格好』と述べたのは、『高校生以上のセーラー服は認めない派』のような過激な思想を持っているという理由ではない。

 妹が通っている中学の制服が、セーラー服なのだ。

 だから、僕にとって『セーラー服』といえば『妹の着ている服』と連想され、それゆえセーラー服は女子中学生で妹なのだった。

 果たして社会的常識を身につけたオークは、僕の質問に対し、簡潔に答えた。



「通ってる学校の制服着てなにが悪いのよ!」



 オークは女子中学生だったのだ。

 これは盲点だった――緑色の皮膚、角の生えた額、いかつい顎からは牙が天に向けて伸びているというその容姿を見て、僕は無意識にオークを男性だと判断してしまったのである。

 たしかに言われてみれば髪は長いし、顔立ちにはかわいげがなくもないし、発達しすぎた胸筋にも見えるが女性の胸らしきふくらみはあるし、巨体でこそあるが、二歩引いて全体を見れば、体には女の子のような曲線美が見てとれなくもない。


 服装は急ごしらえで三枚以上のセーラー服を縫製してサイズアップさせたみたいにツギハギだらけで、それなのに内部から筋力に圧迫され今にも引きちぎれそうなほどキツキツな格好をしているからといって、男性と思うのは早計だった。

 実際に、声はかわいいじゃないか。

 しかもどこか親しみをもてる声でもある。

 まるで日常的に聞いていて、耳に慣れているかのような。


 ……と、僕が考えていると、ハナに動きがあった。

 なにをしようとしているのか。

 ハナはオークのスカートあたりに前足、というか両腕をひっかけると――

 立った。


 ハナが。

 立った。


 先ほど、どれだけ説得しようとも四足歩行をやめなかったハナが、立ち上がった。

『ちんちん』も命じていないのに、なぜだ。


 僕はその光景に不意を突かれ、おどろき、視線をそらせなかった。

 平べったい胸が、薄い腹部が、細い足が、立ち上がることでおしげもなくさらされる。

 そして、あろうことか、ペロペロと、オークのへそのあたりを舐め始めたではないか。



 全裸の幼女が、セーラー服をまとったオークのへそを舐める。



 この光景を形容する言葉を、僕は持たなかった。

 ハナは嬉しそうにペロペロとオークを舐めるし、オークはオークでくすぐったがって倒れこむし、そのせいで辺り一帯を揺らすレベルの震動が起こるし、ハナは倒れたオークにのしかかって今度は顔を舐め始めるし、僕に完全に全裸のお尻を向けているし、ああ、街灯が、街灯が怪光線に!


 オークのパンチラという嬉しくないものと、よんつばいの幼女の無防備すぎるお尻という嬉しがっていいかどうかわからないものを見せられ、僕の頭はオーバーフロー寸前だった。

 もうこの二人は放っておいて家に帰ろうかなという誘惑も頭をよぎる。


 しかし。

 オークの声が、どうにも、引っかかる。


 僕が悩んでいると、ハナの声が耳にとどいた。

 その声の中で、オークのことを、ハナは以下のように呼んでいた。



「ほのかちゃん!」



 ……オークの名前はほのかちゃんというのか。

 あー、なるほどね。


 その瞬間、僕はすべてを理解した。

 ピチピチのセーラー服。

 聞き慣れたような声。

 やたらとオークを舐めるハナ。


 でも、この結論はやっぱりありえないと思うんだよね。

 いやだってさあ、オークだよ? ないって。犬が女の子になるのの次ぐらいに、ないよ。


 でもまあ、そうだな。

 実際に確かめるまで、結論を出すのは早い。


 僕はハナに完全にマウントをとられているオークの顔へ、近付く。

 それから、問いかけた。



「なあ、お前、ひょっとして、僕の妹の、ほのか?」

「は? …………えっ!? ひょっとしてカイトお兄ちゃん!?」

「そうだけど……ええ……お前、ほのかかよ……なんでオークになってんの……?」

「それはコッチのセリフだよ! お兄ちゃんこそ!」

「はあ? 僕がなんだよ。僕はなんにも変なことしてないぞ」

「全裸の女の子に首輪つけて連れ回してる人のセリフじゃないよ」

「そいつはハナだよ」

「えっ? ハナなの!?」

「そうだよ」

「……そっか、お父さんとお母さんだけじゃなくて、ハナまでこうなったんだね。人間だけじゃなくて、犬まで……」



 急に神妙な顔になる妹オーク。

 顔はペロペロと舐められ続けているので、なんともしまらない。


 ……しかし。

 なんだか気になることを、言っていたような。



「父さんと母さんがどうしたって? それに、僕もひょっとしてどうにかなってるのか?」

「うん、あのね、なんか、空から色々変なものが降ってきて、それにぶつかって、気付いたら私たちの体がなんか、おかしくなってて……あたしはこうで、お父さんとお母さんも、それぞれ違ったものになってるよ。近所の人も……それだけじゃなくて……とにかく、色々」

「……」

「それであたしは、お兄ちゃんが心配で、家を出てきたの」

「ほのか……」

「……セーラー服縫い終わって暇だったし……」

「ほのか……」

「でも、お兄ちゃんも手遅れだったみたいだね」

「僕は手遅れじゃない。そいつはハナで、犬が全裸なのも、犬が四つん這いなのも、犬の首に首輪をつけてるのも、なにも不自然なことじゃない。僕はなにもやってない。冤罪には断固として立ち向かうぞ」

「そっちじゃなくて姿の方」



 姿?

 首をかしげる僕に、ほのかがなにかを差し出した。


 手鏡だ。

 なんでお前そんな物を都合良く持ってるんだ、と思ったが――


 後に考えれば。

 きっと、僕が『こうなっているかもしれない』という想定を、していたのだろう。


 自分が無事じゃないのだから、兄だって無事じゃないかもしれない。

 ……自分が信じられないのだから、兄だって、言葉だけじゃ信じられないかもしれない。


 この緊急時にそこまで想定できるのは、できた妹だと思う。

 まあ、それ以前にこいつはセーラー服を縫い合わせていたわけで、かなり長い時間僕の存在を家族ぐるみで放置していたはずだから、できた妹とは口に出して言いたくないのだが……


 ともあれ僕は、渡された手鏡を見た。

 暗い視界。

 街灯の光のお陰で、かろうじて見えた、その手鏡の中には――



 ヘッドホンをつけ、ジップパーカーを着たガイコツがいた。



 僕が首をかしげれば、そいつも首をかしげた。

 僕が口を開ければ、そいつも口を開けた。


 しばし、硬直する。

 妹はなにも言わずに待ってくれた。

 たぶん、あいつも、状況を理解するまでに、しばらくかかったのだろう。


 ……たっぷり、数分、僕は手鏡を手にして固まる。

 そして、ようやく。



「……僕がガイコツになってる!?」



 嘘みたいな現実を、受け入れた。

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