愛犬が美少女に進化した
「ご主人様! ハナが守りましたよ!」
ありがとうと言いかけてはたと疑問が頭に浮かんだ。
それはもちろん『お前誰?』というものだ。
さて、僕は事実をありのままに語るわけなのだけれど、なんていうか、事実に思えない点が多々存在するかもしれないことを、あらかじめ注釈しておく。
全裸の女の子が僕に抱きついていた。
視界いっぱいに女の子の顔がアップで収まっている。
目覚めたら全裸の女の子が抱きついているとか、僕の人生が始まりすぎていて、ひょっとしたら逆に人生が終わっているんじゃないかという疑いさえ抱くぐらいだ。
当事者の僕がまったく経緯を理解していない。
落ち着いて状況を分析しよう。
全裸の女の子は、服を着ていない。
服を着ていたら全裸にならないという当たり前の指摘をする人がいるかもしれないが、それは知識不足だと苦言を呈さざるを得ないだろう。世の中には『靴下は履いているけど全裸』とか『パンツが片足にかかっているけど全裸』みたいなことだってありうるのだ。
つまり靴下は衣類に含まれない可能性が高く、パンツは両足を通していなければ衣類にカウントされないという説も根強い。
さらに言えば全裸のはずが謎の光線や湯気により大事な部分はまったく見えないという事態だってしばしば存在する。
そのたび僕なんかは湯煙や怪光線をこの世から駆逐してやりたい衝動に駆られるものだが、冷静に考えれば、湯煙や怪光線だって好きでやっているわけではないのだ。
それらブルーレイを買えば消えるお邪魔ブロックのような存在たちは、販促のために仕事で女体をお邪魔させられているだけであり、言ってみればサラリーマンみたいなもので、つまり僕が駆逐する対象は湯煙や怪光線ではなくそれらをコキ使う会社という結論に達したので、僕は駆逐をあきらめた。
むしろ争わずにその会社に勤めたいぐらいだ。
僕も女体にお邪魔する仕事に就きたいです。
なにを語りたいかといえば、半脱ぎパンツも靴下もなく、女の子は全裸だったという話だ。
怪光線はあった。
街灯の光に照らされる彼女は、尋常じゃなく白い。
そのせいで、まばゆくてよく見えないのだ。
感触から判断すれば、かなり小柄な女の子だ。
子供とさえ言えるかもしれない。
全裸の幼い女の子が、僕に抱きついていた。
センテンスに『幼い』という形容詞を入れるだけで事案度がハネ上がる。
警察を呼ぶ前に意識を失って本当によかった――代償として、僕のスマホは画面がひどい割れ方をして、使えそうにない状態になってしまったのだけれど。
しかし、こうも思う。
通報していたら本当に僕は逮捕されていたのか?
たしかに『全裸の女の子と男が抱き合っている』という状況だけ見れば男性の方が悪いとい反射的に思う流れもあるにはあるが、しかし、その実、女の子の方が痴女である可能性も一定確率以上観測できるのだ。
また、警察という存在に対し公正なる視点を期待しないのは、早計だろう。
冷静に事実だけを見て、『男だから悪い』だなんて短絡的な判断をせずに、きっちり証拠をそろえてから判断を下してくれる警察だって、少なからずいるはずだ。
そのうえで改めて、僕は警察を呼ばなかったことを英断だと考えている。
なぜって、女の子の首には赤い首輪があって、そこにはリードがつながっていて、リードの先は僕が左手に握っているからだ。
全裸の幼い、首輪をつけた女の子が僕に抱きついていて、その首輪を引っぱっているのは僕だった。
半脱ぎパンツも靴下もないが、首輪はあるのだ。
僕の容疑が順調に固まっていく。
陪審員裁判なら満場一致で執行猶予なしの実刑判決が下され、土地によっては死刑で、場所によってはリンチに遭い、入った刑務所では同室の受刑者たちから『お前最悪のクズだな』と嘲笑をあびせられることになるだろう。
僕が裁判官でも、僕に死刑を下す。
街灯の光に目が慣れてくる。
僕は改めて、僕に抱きつき、よく見たら僕の方も抱きしめてしまっている少女を見た。
くりくりとした黒い目。
幼く、かわいい、顔立ち。
髪の毛は白くふわふわしていて、かなり長く、量も多い。
背中側は完全に隠れてしまっているぐらいだ。
そして。
頭の上に耳があった。
ぴょこんと立った、二等辺三角形のような耳だ。
顔のサイズに比してやや大きめなので、一瞬、狐にも思えた。
でも、僕は瞬間的に察する。
これは犬耳だ。
……思いあたってしまったことがあった。
僕は地面についた背中に冷や汗がにじむような錯覚を覚えた。
ありえない結論に達してしまったのだ。
まさか、と自身を疑う。
僕は自説を確かめるために、女の子の尻のあたりに手を伸ばした。
全裸の幼い、首輪をつけた女の子が僕に抱きついていて、その首輪を引っぱっている僕が、女の子の尻に手を伸ばした。
その場で射殺されても文句は言えない行為だが、そんなことを心配している余裕なんかあるはずもない。
果たして。
僕は、少女の尻の上側、尾てい骨のあたりをまさぐった結果、自説の証明となる物体を探り当ててしまった。
握ったり、しごいたりして、感触を確かめる。
しばらくそんな作業をしたあとで、僕はいよいよ、現実を認めた。
尻尾。
膨大な量の髪の毛で隠れてしまっていたが、頭側に反った、それなりの長さの尻尾を、僕の手は触ってしまったのだ。
……むしろ。
触った『それ』を『尻尾』と判断してしまったことで、僕は、抱いた妄想とさえ言える自説を自身が強く信じているのだと、理解してしまった。
だが、だが、まだ待とう。
まだ決定をするには早い。
確認は大事だろう。
だから、僕は、少女に問いかけた。
「お前、ハナか?」
「えっ、そうだよ?」
首をかしげる少女。
くりくりとした、小型犬めいた黒い目は、『この人はなんでこんなことを言うんだろう』という無垢なおどろきに満ちていた。
つまり。
僕の飼い犬が女の子になった。
どうやら僕の人生が始まったようだ。
当事者を置き去りにしたまま。