魔王や勇者がラスボスであるとは限らない
かくして僕は至極当たり前の、誰しもに共感していただける理由で異世界復活をあきらめたわけだけれど、これに対して魔王ワーズワースが意外にもあっさり引き下がったのは、以下のような理由かららしかった。
「他をあたる」
そりゃそうだ、という話である。
神が提示した『異世界創造』の条件は、『この世界の人間』というだけであり、『その身に魔王の力を秘めている』とか『特別な血統が必要』とか、そういうものではないのだ。
他をあたる。
なにも問題がない。
むしろ、僕みたいにやる気もないしメリット欲しいしとか言い出すようなひねくれた人ではなく、『異世界創造ですか!? やります! なんでもやります! 条件は問いません!』みたいな人の方が圧倒的に向いているとさえ言えた。
どうぞがんばってください。
僕は影ながら応援しております。
ということで話がまとまりかけたのだが。
ここで意外な闖入者、むしろ伏兵が現れた。
「話は聞かせてもらったよ!」
震動を伴う足音を響かせながら現れるその人物。
そいつは緑色の皮膚を持つ、体長二メートル超えの女子中学生、僕の妹、ほのかだった。
さきほど寝てしまったから置いてきたのだが(今の妹を運搬することの大変さは先に述べた通りである)、どうやら自力で起きて部屋まで来たらしい。
しかし話を聞かせてもらったとか言っているが……
「いつから聞いてたんだ?」
「お兄ちゃんが『無理です』って言って魔王ちゃんをいじめたあたりから! ……っていうかなんかまた人増えてない!? なんでその人お兄ちゃんの首でロデオしてるの!?」
なにも聞いていないに等しかった。
しょうがないので、僕は今まであったことをかいつまんで説明する。
神が来た。
異世界を創造すればが助かるかも。
異世界を創造するためには死なないといけない。
ワーズワースさんやアイリンさん、そして神は異世界創造をしてほしいだろうけれど、僕は死にたくないのでお断りしたこと。
そしてワーズワースさんが『他をあたる』という画期的な結論を出したこと。
以上のような経緯の果てに、話をなにも聞いていないお前が『話は聞かせてもらった』と乱入したということ。
僕の話を聞いて、ほのかはもっともらしくうなずく。
そして。
「魔王ちゃんを助けてあげたいけど、死ぬのはやだなあ」
そりゃそうだ、というような結論を出した。
むしろここでほのかが『魔王ちゃんが困ってるんだから、命懸けで助けようよ!』とか言い出したら、僕は殴ってでも止める。
いや、今のほのかが殴った程度で止まるとは思えないから、爆殺してでも止める。
だいたい、人を助けるために自分が死ぬとか、どんな二次遭難だという話だ。
昨今、命の価値を問題にするようなニュースなどが多く流れるけれど、命は命である。いざとなったら人は死にたくない。そして、カルネアデスの船板の話を持ち出すまでもなく、人は生きていいと保証されているのだ。
人のために自分の命を犠牲にする。
その行為が美談めいて語られる場合は、もちろんあるけれど、そういうのはお話の中だけでやってくれればいい。
人は簡単に命を捨てない。
それは、次の人生が保証されていたとしても、変わらないのだ。
僕は妹が中二心に任せるまま『命を懸けても助けるよ!』とか言い出さなかったことに安堵する。
こうして僕ら家族が異世界魔王や異世界勇者や異世界神のためにできることは、もう本格的になにもなくなった。
ほのかはともかく、僕は友達も一切いないので、誰か死んでまで異世界に行きたそうな人を紹介して差し上げることもできない。
というか友達がいたとして、友達を『異世界行かない? 死ぬけど』みたいに誘うことはないだろう。そんな生贄みたいな差し出し方ができる相手を友達とは呼称しない。
一件落着。
いやあ、残念でしたね。
そう思っていたのだけれど。
ほのかが、なにかに気付いた。
「……ん? ちょっと待って?」
「なにも待つことはない。さ、ほのか、明日も学校だ。今日は寝た方がいい」
「もしもさ、誰かが異世界を創造したら魔王ちゃんたちは元いた世界に戻るんでしょ?」
「そうかもな」
「そしたらせっかく手に入れたあたしの身長はどうなるの?」
ほのかが神を見る。
相変わらず僕の首にまたがった神は、ぼんやりと視界をほのかに向けて、言う。
「わたくしは神である」
「それは聞いたよ。お兄ちゃんが」
「託宣を……」
「異世界の人が異世界に戻ったら、あたしの体は元に戻るの?」
「わたくしの世界が壊れた事実が『なかったこと』になる。時間が巻き戻るわけではないから記憶は残るが、異世界が降ってきたことにより変わったもろもろは元通りになる」
「……」
ほのかはなにかを考えこんでいた。
なにを考えることがあるのだろう――ほのかはもとのかわいい女子中学生に戻り、僕は肉と皮が返ってくるのだ。ここはもう誰かに丸投げして、僕らはもうしばらく続くであろう異世界肉体ライフを過ごせばいいだけなのだ。
だというのに。
「もし、あたしがその『異世界創造』の役目を引き受けたとしたら、身長は?」
「好きにしたらいい。わたくしはすべてお前に任せる。身長も伸ばしたいだけ伸ばせばいい。なぜならば、世界のすべてを創造する力をお前は持つのだから」
先ほど神が僕にした説明によれば、授かるのはせいぜい地形や建物をどうこうする能力であり、身長などの自身の肉体を変えられるものではなかったはずなのだが……
前にした説明を忘れているのか、前に説明をした時に詳しい能力の内容を忘れていたのか、どちらか判別が難しい。
ともあれ、ほのかはさらに考えこむ。
そして。
「お兄ちゃん、あたしね、お兄ちゃんのこと、そんなに嫌いじゃなかったよ」
「待て待て待て待て。なんで急に『これから死ぬキャラクターとの最後の夜会話』みたいなこと言い出した? 僕らには明日があるだろ? 冷静になれよ」
「ねえ、憶えてる? あたしたちが初めて会った日のこと……」
「僕は当時三歳ぐらいだったからかろうじて憶えてるけど、お前は絶対憶えてないよな!?」
「二人とも、ずいぶん変わっちゃったね。まさか最初に会った日、こんなことになるだなんて思ってもいなかったよ……」
「そりゃそうだろうけどさ! ……お前、冷静になれよ? 馬鹿なこと、考えるなよ?」
「あたし、行くよ」
「どこに」
「異世界に」
「なんで」
「だって――身長がほしいから」
ほとんど無意識に、僕はほのかをぶん殴った。
しかしほのかは「ぐふぅ」と吐息を漏らしただけで、やけにキラキラした目で僕を見るのをやめようとしない。
僕はこめかみのあたりを掻いてから、言う。
「再三の忠告になるけれど、お前、冷静になれよ? 異世界だぞ? いかほどの文明レベルかは知らないけど、魔王と勇者が戦争してる世界観だぞ? テレビもねえ、ラジオもねえ、車もほとんど走ってねえ、きっと、そんな世界だぞ? 文明に毒されきった僕らがそんな場所で暮らせると思うか?」
「でも、魔法はあるよ」
「お前は魔法に期待しすぎだよ。なんだよ魔法って? どういうエネルギーなんだ? なんでちょっと念じたぐらいで人力で爆発が起こるんだ? 消費カロリーどうなってんだよ。あと魔法が便利だったら、それこそ個人差ひどいと思うぞ?」
「一生懸命憶えるから」
「そんなことに一生懸命になるんだったら、いい高校入るための勉強に一生懸命になれよ!」
「お兄ちゃん、いいことを教えてあげる」
「なんだよ」
「勉強じゃ身長は伸びないんだよ」
「お前はどれだけ身長にコンプレックスがあるんだ!? 世間にはお前より年上でお前より背が低い人だってたくさんいるだろ!? お前はまだ成長期だよ! 希望を捨てるんじゃねえ!」
「いますよねーそういうこと言う人! 『お前以下がいるんだからお前は今で我慢しなさい』みたいな! あたし以下が何人いようと、あたしが今の自分の身長低くて悩んでるのは変わらないの!」
「もっと客観的になれって話をしてるんだよ!」
「あたしの悩みだよ!? 主観的でなにが悪いの!?」
「どう考えても身長に命を懸けるのは頭おかしいだろ!?」
「身長が伸びるうえに世界創造能力までついてくるんだよ!? こんな美味しい話二度とないよ!」
「いや、でも、お前、絶対に後悔するって!」
「今、この話を受けずにいた方が後悔するもん!」
くそ、駄目だ、話し合いにならない……!
僕とほのかのあいだで、こんなに意識の差があるとは思わなかった……
「とにかくだな、ほのか……」
「お兄ちゃん、冷静になってよ」
「僕はお前よりはるかに冷静だと思うんだけど……」
「もしも、あたしがこの話を受けないで、他に世界創造する人が現れなかったら?」
「いや、絶対いるって! 死んででも異世界に行きたいような物好きが、一人や二人!」
「でも魔王ちゃんたちがすぐにそういう人を見つけられるとは限らないでしょ?」
「そうだけどさあ……」
「そのあいだにタイムリミットになって、魔王ちゃんたちの精神がなくなったらどう思う?」
「……どう思うって、そりゃあ……」
罪悪感は、残るだろう。
命懸けとはいえ、彼女らを救う手段はすでに提示されているのだ。
僕は、僕の意思でその手段をとらなかった。
その結果、ワーズワースさんたちの精神が消えたら――短い時間とはいえ、深くかかわった者として罪の意識ぐらいは覚える。
「やだよね。すごく」
「……まあそうだな」
「でも、ここであたしが異世界創造できるようになったら、魔王ちゃんたちは消えずに済むし、あたしの身長は伸びるし、いいことしかないよ」
「いや、いいことしかないっていうのは、言い過ぎでしかないだろうけど……一定のメリットは確かに認めざるを得ないな」
「だからあたし、異世界に行く」
「……交友関係とかどうするんだ? お前は僕と違ってそこそこ顔が広いだろ?」
「でもきっと、みんな前までのままじゃいられないと思うよ。普通、ここまで見た目が変わったら、今まで通り付き合えないと思うし。妹が巨大になってもそのままでいられるのなんか、お兄ちゃんぐらいだと思うよ」
「…………なるほど」
理解した。
僕とほのかで話し合いにならない理由が、わかったのだ。
僕は、『自分は絶対の神の話を受けない』と思いつつも、その一方で『僕以外の誰かはこの話に乗っかるだろう』と考えている。
ほのかは、『自分は神の話を受けてもいい』と思いつつも、『他の誰かが神の話を受ける可能性は低いだろう』と考えている。
お互いに、自分自身をレアケースだと捉えているのだ。
これでは話し合いになる理由がない。
いや、時間があればどうにかはできるだろうけれど……
「時間がないから、決断するなら早い方がいいと思うの」
ほのかは、そう言う。
今にも完全に犬になりかけているワーズワースさんを見ていると、確かにその思いはわからないでもない。
……まあ、異世界に行くだけで、いったん死ぬが、死ぬわけではないのだろう。
勝手に異世界に行かれる家族の気持ちも考えてほしい――というのは、僕のエゴなのかもしれないとも、思う。
なんていうか、背負っている人生の多さで僕は完敗していた。
ほのかは、ワーズワースさんやアイリンさん、異世界神はもちろんのこと、この世界の、見た目が変わってしまった人々のためにも、行動を起こそうとしている。
一方で僕は、自分と、せいぜいその周囲のことしか考えていなかった。
異世界魔王が消えるとしたって、なんの関係があるのか――そのぐらいの冷たい気持ちだったことは否定できないだろう。
僕は、神をはね飛ばすように立ち上がる。
そしてほのかと、少々の距離をとった。
「わかったよ、ほのか。お前の気持ちはわかった」
「……そう。ごめんね、お兄ちゃん」
「いや、謝ることはないよ。お前の人生をお前が好きにしようっていうんだから、僕がどうこう言う筋合いじゃない」
「……ごめん」
「本当、謝ることないよ。お前がお前の人生をどうこうしようとしてるし、それはお前の自由だ。それをきちんと認めたうえで――」
「……?」
「――僕はお前の決断を否定するから」
「はあ!?」
「当たり前だろ!? お前なあ、よく考えろよ!? 家族が『神様がおっしゃるから、死んで、異世界の魔王とかを助けないと』とか言い出したら殴ってでも止めるだろ!?」
「いや、でもっ……! いるじゃん! 神様、そこにいるじゃん! 魔王ちゃんだってそこにいるじゃん!」
「お前が『神はいる』って言うなら、今の僕はなにがなんでも『神はいない』と断言してやりたい気分だ」
「そこの犬耳魔王はどう説明するのよ!?」
「犬耳魔王なんか見えないな! そこにいるのは僕の愛犬だ!」
「えっ? で、でも、ほら、人のかたちしてるし……」
「してない!」
「し、してるもん! お兄ちゃんだってガイコツだし……」
「いいや。犬は美少女にならない。魔王も勇者もいない。いきなり人間がガイコツやオークになることもなければ、魔法だって使えないし、パソコン画面から美少女が出てくるはずもない。それが、現実だ」
「……でも……!」
「これだけ僕が言っても、まだおかしな夢を見てるようなら、僕は兄としてお前をぶん殴る。ここから先に進みたければ、僕を倒して行け。ようするに――」
「……」
「――僕がお前のラスボスだ!」
ほのかがたじろぐ。
僕は、手のひらの先に漆黒の爆発物を出現させる。
「魔法はあるじゃん!」と叫ぶ妹に、「うるせえ!」と言い返した。
いや、言い返せてないだろう。
でも――
兄と妹のケンカなんて、たいがい、理屈も正当性もあったもんじゃない。
気が済むまで殴り合って、時にはどちらかが折れたりする。
だから、ここからの勝負はどちらが折れるか。
この世界と異世界を救うため、命を懸けようとしている妹が勝つか。
妹によくわからないことで命を懸けさせないため、世界と異世界を見捨てようとしている僕が勝つか。
これから始まるのはそういった、どこかで見たような、くだらない争いなのである。