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藍色の夜空

作者: 和葉

「……なんかね」

雨の屋根をたたく音が響くなか、わたしは心の中の悩みを打ち明け始めた。

「みんな自分勝手でさ、イライラしてるの」

わたしの目を見て、一言も聞き漏らすまいとする相手に。

「みんながみんなじゃないみたい」

出会ってほんの三十分の相手に。


夏休みが明けて二学期が始まった。今日は朝から気持ちよく晴れていた。文化祭まであと二週間。わたしのクラスはダンスの発表に決まったのだけれど。

「ダンスとかめんどくさ」

「てかダサくない?」

「ねえ、今から変えられないの?」

 話し合いのたびにみんなの好き勝手言う声が飛び交う。ちゃんとやろうとしてる子にしてみれば、いい迷惑。そしてそれに一番困っているのは。

「みんな聞いてってば!」

 文化祭実行委員の川田理歩かわた りほ。わたしとは中学校からの親友で、責任感も強くていつもみんなを引っ張ってくれている。中学の時はそんな理歩にみんな協力的だったんだけど、高校ではそうもいかなくて理歩もかなり苦労してるみたい。

 またなにも決まらないまま、終業のチャイムが鳴った。形だけの礼を済ませて理歩に声をかける。

「理歩、おつかれさま」

「もうほんと疲れた! なんなんだよー」

「あ、そうだ、理歩の好きなチョコ、買ってきたんだ!」

「いらない」

鞄の中に入れたのを思い出して、取りに行こうとするわたしの背中に理歩の冷たい声が聞こえた。振り返ると机に突っ伏してる理歩。そのあとの休み時間も部活中も口きいてくれないし、わたしだけじゃなくて部活のみんなにも当たりがきつくて、ずっと空気が悪いまま。

 いつもの理歩じゃなかった。一緒に帰るはずだったけど、あんな理歩と帰りたくなくて、お腹痛いって嘘ついて早退した。

「雨、降るのかな」

 朝はあんなに晴れてたのに、空には厚い雲がかかっていた。どうか家に帰るまでは降りませんように、なんて思いながら自転車を漕ぎ出した。


「……セーフ」

自転車をとめた瞬間、雷が鳴った。間隔のあいていた雨の音がだんだんと細かくなり、やがて切れ目が分からなくなる。本降りになってきた。

「ただいまー」

雨の音を聞きながらドアを開け、控えめに声をかける。いつもならお母さんの『おかえり』が聞こえるのに今日は何もない。足元にはわたしのサンダルと、お母さんのパンプス、それから珍しく革靴が並んでいる。お父さん、帰ってきているんだ。

 リビングに入ると、なにかがいつもと違った。夕飯の支度をするお母さん、テレビを見ているお父さん、いつも通りのはずなのに、なにかが違う。

「あ、帰ってたの。早いね、おかえり」

「ただいま」

ドアの前で立ち尽くすわたしに気が付いたお母さんが声をかけた。そのお母さんの声で何が違うかすぐにわかった。リビングを出て部屋に戻り、思わずため息をつく。

 お母さんの声は今日の理歩の声に似ていた。お母さんもお父さんもイライラしてた。最近二人は顔を合わせるたびに難しい話をしている。何の話か直接聞いたわけではないけれど、たぶん遺産相続とか気持ちのいい話ではない。

 今日の話し合いで理歩がイライラするのはわかる。みんなももう少し協力的になっていいと思う。でもだからってわたしに当たることも、部活まで引きずることないはず。お母さんとお父さんだってそう。わたしは家にいるときくらいゆっくりしたいのに。そんなことを考えながらまたため息をついた。

「倒れた?」

 ドアの向こうからお母さんの高い声が聞こえた。扉二枚を隔てても聞こえるなんて、よっぽど大きな声をだしたらしい。何事かと思ってリビングに戻ると、お母さんがちょうど電話の受話器を置いたところだった。

「どうしたの?」

 受話器の前で立ち尽くすお母さんの顔色は悪く、小刻みに震えているのがわかった。思わず駆け寄る。

「……おばあちゃん、倒れたって」

「え……?」

 お父さんのほうのおばあちゃんは3年前に亡くなっている。だから、お母さんのほうのおばあちゃんが倒れたということだ。お母さんは椅子に座りこんでしまった。

「行かなきゃ!」

 お母さんの手をとり立たせ、お父さんの呼んだタクシーに乗って、おばあちゃんの搬送された病院に向かう。

移動中、ずっと震えるお母さんの手を握って、大丈夫だよって小さく言っていた。お母さんの不安を和らげようと思ったのに、自分に言い聞かせるので精いっぱいだった。

 

「あと、三日……?」

 消え入りそうな声で、目の前のお医者さんが言った言葉を繰り返したお母さん。嘘だと言ってほしかったのはわたしもお父さんも一緒だった。でもお医者さんは、頷くだけだった。

「そんな……」

 家からタクシーに乗って、おばあちゃんが搬送された大学病院についたとき、ちょうど緊急手術が終わったところだった。たくさんの機械につながれたおばあちゃんは、声をかける間もなくそのままガラス張りの部屋に運ばれた。

 そして別の部屋に通され、あと三日だという余命宣告。なにもかもが急すぎて、頭の理解が追いつかない。それはわたしだけじゃない。お父さんもお母さんも受け止めきれずにいた。一人の時間がほしかった。一人になって落ち着いて考えたかった。

「……外にいるね」

 そう声をかけ外に出る。雨はまだ降っていた。雨の音と、九月にしては冷え込んだ夜の空気が妙に心地よかった。中央に屋根のあるベンチがあった。傘なんて持ってきていないし、このくらいの距離なら、と走って屋根の下に入る。こんな遅い時間、もう誰もいないだろうと思っていたら先客がいたことに気がついた。

 いきなり入ってきたわたしに一瞬驚いたような表情を見せたけれど、すぐに二コリと微笑んだ。小さな照明に照らされたその先客は、きっとわたしと同じくらいの歳の女の子。軽く会釈をして、彼女の向かいのベンチに腰掛ける。雨が屋根に打ち付ける音を聞きながら、しばらく沈黙が続いた。

「ねえ、いくつ?」

 わたしの向かいに座る彼女が唐突に声をかけてきた。戸惑ったものの、なぜか嫌な気はしなかった。

「十六。今年十七……になります」

 別に隠すことでもないので普通に答える。ただ相手が先輩かもしれない、とか妙な不安がよぎり小さく付け足す。。ただ、そんな不安なんて無用だった。相手がぱっと顔を輝かせたのがこの薄明かりの中でもわかった。

「同い年だ! 名前は?」

「く、栗原(くりはら)、えみり」

「えみり! 漢字は?」

「えっと、笑う、に里、で、笑里(えみり)

 身を乗り出して間髪入れずに問いかける彼女に圧倒され、聞かれるままに答えていた。

「すてき!」

「ありがとう。名前は?」

「わたしは、……好きなように呼んで?」

「え?」

 相手の名前も知らないのに好きなように呼んで、だなんて。よっぽど本名を言いたくないのだろうか。まあ無理強いをする必要もないし、と思いなおし、仮に相手をなんと呼ぼうか考える。

「じゃあ、あいって呼ぶね。藍色の藍」

「藍。うん、わかった、ありがとう」

 深い意味とか理由はない。ただ彼女の格好がかわいい藍色のワンピースだったから、それだけ。藍のワンピースの藍色はきれいだった。いつかの花火に照らされたような夜空の色でもあったし、わたしのお気に入りの浴衣の地の色にも似ていた。なぜかとても、その藍色のワンピースに惹かれた。

「ねえ、笑里」

「……なに?」

 急にぐっと顔を近づけられ、思わず何度か瞬きをしてから返事をする。今度は何を聞かれるのかと少し身構えた。

「なんかあった?」

「え?」

「笑里、辛そう」

 藍にそう言われた瞬間、なぜか急に藍に対する警戒心がなくなった。藍ならわかってくれる、藍には話していい。どうしてかわからないけど、確かにそう感じ取ったわたしは、今日のことを話し始めた。


「……で、今に至ると」

「そういうこと」

 文化祭の話し合いで理歩がイライラしていたこと、それを部活まで引きずっていたこと。お母さんとお父さんもイライラしていたこと。おばあちゃんが倒れたこと。余命宣告をうけたこと。そして、ここで藍と出会ったこと。

「……なんで今日だったんだろうね」

「え?」

「一気に重なりすぎなんだよ。わたしなんも悪くないのにどうして全部今日なの」

「笑里」

「…なに?」

 自嘲的に笑いながら、一気に早口でまくしたてるわたしを、藍が遮った。構わず続けようとしたけれど、わたしを見つめる藍の瞳があまりにも真剣でなにも言葉が出なかった。

「笑里ってさ、なんで笑里っていうの?」

「は?」

「だから、名前の由来。誰がつけたの?」

 あんな真剣に遮るから、なにを言うかと思ったら今度は名前の由来。藍が何を考えているのか全く分からないけど、でも不思議と藍に質問されてもいやな気はしなかった。

「おばあちゃん。由来は」

 なんだっけ。一回おばあちゃんに聞いてみたことがある。小学校の宿題かなんかだった気がするんだけど。

 しばらく記憶の引き出しを漁って、やがておばあちゃんの答えを思い出した。

「おばあちゃんが学生の頃であった友達の名前って言ってた。その子、すごくかわいい笑顔だったって。笑里って名前がぴったりだったって。その子みたいに笑顔が可愛い子になりますように、って」

 その時のおばあちゃんの姿が鮮明に思い浮かんだ。遠くを見つめて、昔を懐かしむように話してくれたおばあちゃんの姿が。

「うん、笑里にぴったりの名前」

「え?」

「だって笑里、笑顔すっごい素敵だもん」

 目の前の藍の言う言葉が信じられなかった。先生とか近所のおばさんとかに素敵な笑顔ね、なんて言われることはあったけど、そんなの社交辞令っていうか、お世辞くらいにしか思ってなかった。何も言えないでいるわたしに藍は続けた。

「たしかに、そうやって周りがイライラして、おばあちゃんがそういう状況になっちゃって、笑里大変だと思う。でもね、そういうときこそ笑うんだよ」

 いつの間にか雨が上がっていた。藍が立ち上がって、中庭に降りる。わたしも藍に続いた。

 郊外にあるこの大学病院は自然が豊かだった。周りは山で、街灯も少ない。見上げると星がたくさんちりばめられていた。家から少し離れたここで、こんなにきれいに星が見えるんだ。そんな夜空を切り取ったようなワンピースを着た藍が口を開いた。

「どんなにつらい時だって、どんなに苦しい時だって笑えばいい。作り笑いでも愛想笑いでも、泣きながらでも笑えばどうにかなる」

「え?」

 どこかで聞いたことのある言葉だった。誰かの口癖だった。その言葉を大切にしている人がわたしの近くにいたはずだったのに、今日に限って出てこない。必死に思い出そうとするわたしをまた遮るように、藍が言った。

「遅くなっちゃった。わたしもう行かなきゃ。笑里、会えてよかった。またね」

「あ、ちょっと……藍!」

 にこっと微笑むと藍は走って行ってしまった。あっちの方向は…たしか正面玄関だったはず。入院している子なのだろうか。だとしたら、また明日も会えるはず。そう思い、わたしもお母さんとお父さんがいる病室へ戻った。

 戻ってみると、病室のソファでお母さんが寝ていた。目じりからのびる涙のあとが切なくて、思わず目をそらした。おばあちゃんの容体も安定したようで、ベッドに戻ってきていた。生きているけど、意識は戻っていないそう。動かないおばあちゃんに少し不安になって、胸に手を乗せてみたらゆっくり心臓は動いていた。少しだけ、安心した。

 明日は学校は休みだったけどお父さんは仕事があるからって、わたしと入れ違いで家に帰った。その日は、看護師さんたちが気を使って持ってきてくれた長椅子を借りて寝た。自分で思っていた以上に疲れていたみたいで、あまりなにかを考えることもなく、すぐに眠りに吸い込まれた。

 次の日、わたしは病院で藍を探そうとした。でもそれはあまりにも無謀すぎた。なぜなら、わたしは藍の本名すら知らない。わかっているのはわたしとおなじ十七歳であるということ、そして昨日、素敵な藍色のワンピースを着ていたということ。入院しているのか、お見舞いに来たのか、通院してるのか、それすらもわからないのだから、看護師さんに聞きようもなかった。


 その日の夜、おばあちゃんが亡くなった。テレビドラマみたいに機械音が鳴り響いて、お医者さんとか看護師さんがバタバタ出入りして、なにがなんだかわからない状況にただ立ち尽くしていた。やがて、主治医の先生にお母さんとお父さんだけが呼ばれた。よくない話であることくらい、察しがついた。

 おばあちゃんの最期は、わたしたち三人と先生と看護師さんとで看取った。誰よりも一番つらくて苦しかったのはおばあちゃんなのに、本当に眠るような最期だった。


 それからの一週間は慌ただしく過ぎた。やらなければいけないことも終わり、徐々に以前の生活が戻ってきた。

 その日は、おばあちゃんの遺品を整理していた。おばあちゃんの旦那さん……わたしのおじいちゃんは、お母さんがまだ結婚する前に事故で亡くなったらしい。だから私は若いころの写真しかみたことがない。おばあちゃんが一人で暮らしていた家からは、わたしもお母さんも知らないような、おじいちゃんの写真がたくさん出てきた。懐かしむお母さんの代わりに、少しでも片づけを進めようとタンスをあけた。

 一枚ずつおばあちゃんの洋服を出して、広げて、また畳みなおして。三段のタンスの一番下の最後の一枚を広げたとき、思わず息をのんだ。

 あの、夜空を切り取ったようなきれいな藍色のワンピースだった。間違いなく、あの日出会った藍が来ていたワンピース。

「なんで」

 なんでこのワンピースがおばあちゃんのタンスの中に? 訳が分からず、そのまま固まってしまった。

「どんなにつらい時だって、どんなに苦しい時だって笑えばいい、か」

「え?」

 後ろからお母さんの声が聞こえた。

「おばあちゃんの口癖。こんなとこにも書いてあった」

 目に涙をためながら微笑むお母さんの手の中にはアルバムがあった。そのアルバムの最後のページ、確かにおばあちゃんの字で書いてあった。

「……もしかして」

 今まで不思議だったことがすべてつながった。こんなこと本当に起こるわけないけど、でもそうとしか考えられない。

 あの日、病院の中庭で出会った藍は、十七歳のおばあちゃんだったんだ。あの口癖はおばあちゃんのだ。

……ということはもしかして、わたしの名前の由来になった、おばあちゃんが学生の頃出会った友達ってわたしのこと?

「ふふっ」

 なんだかおかしくって、思わず笑ってしまった。

「笑里が笑ってるとこ、久しぶりに見た」

「え?」

 お母さんに言われて、そんなに笑ってなかったっけ、と考えてみる。たしかに、おばあちゃんが倒れたあの日から笑う余裕なんてなかったかもしれない。笑っちゃいけない気がして、無理をしていた。

「おばあちゃん、笑里の笑顔だいすきだったものね」

 涙をぬぐいながら、おばあちゃんとわたしのツーショット写真を眺めて言うお母さん。

「作り笑いでも愛想笑いでも泣きながらでも」

お母さんの横を通り、ベランダへ出た。一日部屋で作業をしていてこわばった体をほぐしていく。秋の夜風が吹き抜ける。綺麗な藍色の夜の空が広がっていた。

「おばあちゃん」

空に向かって、たくさんのことを教えてくれたおばあちゃんに。

「藍」

そして、たった一晩だったけど、わたしの大事な友達に、呼びかける。

「わたし、笑うよ」

 頬を伝う涙を手のひらで拭い、おばあちゃんの大好きな笑顔を、藍が素敵だって言ってくれた笑顔を、藍色の夜空に向けた。


2014年9月 執筆

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