第八話
文久はただ腕が立つだけでなく、独自の伝手や知識もある。ゲームの前衛戦闘特化型はえてして絡め手がなにもないということが多いのだが、大江戸・百鬼夜行の武者・侍・剣客などの生業は、武具関係の売買に関する目利きや人脈、剣術界における知人関係、戦闘だけでなく戦術や戦略に関する知識といったものも修めている。こういう頼られ方をしたのも始めてではない。
それでも、情報だの知恵だので一番頼りになるのは、いまはいない幼馴染達が扮する仲間なのだが。
せんないことはふりきって、思案した。
なにかが引っかかる。
焼影。火元がない焼死。数が多すぎる。東京だけでなく、関東一円。
ゲームを介した二つの現実。それはどこがつながって、どこが切れているのか。
まず考えたのは焼影の発生源だった。人が多く焼け死んだ事件ないし小さな事件が頻発しているという事実があるのか否か。
大江戸の外のこととなると頼れる相手も少ない。仕方なく、あまり面倒をかけてもと普段は使っていない伝手をもちいることにした。
本多家は上総大多喜5万石。将軍家古参である譜代大名にして、ここ二代は幕閣の頂点たる老中を勤めているという名門中の名門であり、本来なら一介の浪人ごときが出入りできるような家ではまったくない。
それが通用するのは、先代当主忠正がかつて妖怪がらみの危難にあった折、文久に助けられ、その恩と剣の腕前に感じて江戸屋敷剣術指南役という名誉職を与えているからだ。要は後ろ盾となり身分を保証するというお墨付きである。現当主の忠義もこれを承知しており、頼りにされることがある。
「御隠居、ご無沙汰をいたしまして……」
大多喜藩上屋敷の隠居所奥座敷。珍しく神妙に頭を下げる文久に対するのは、老いてなお矍鑠とした先代忠正である。
「大江殿、ようまいられた。ま、近こう」
やや離れていた距離を膝を進めてつめ、用談の構えになる。
「して、この年寄りになにを頼みたいのかな?」
いきなりずけりといわれたことで、文久が苦笑する。
「ばれましたか?」
「ばれいでか。時候の挨拶にはずれとるし、そうでなく大江殿が自ら来られる時は、なにか頼らざるおえないことが生じた折のみじゃからの。もそっと気軽においでくださればよいものを」
いささか悪戯気な皮肉をまじえていわれると、苦笑を深くするしかない。
「恐れいります。では、単刀直入に。支配所の管理は老中の下の勘定奉行の差配でしたな?」
「いかにも」
顎の太いたくましい顔立ちに好々爺とした笑みを浮かべていた忠正の表情が、いささか厳しいものになる。私的な話ならともかく、御役目に関わることとなれば、よほどの理由がなければ漏らすことはできないからだ。支配所とは幕府の直轄領のことであり、交易の要衝である堺や金山のある佐渡などの他、大江戸近辺にも多く点在している。
「ここ数ヶ月の間で、関八州の内に人死にが出た大火ないし小火の頻発があるか否か、確認できましょうか?」
文久の方も、真剣な表情で見つめ返す。
「……できなくもない。重要な話なのだな?」
私利をはかるようなものではないと見た忠正が、一応の確認をする。
「さよう。常ならぬところで大江戸によからぬことを企む者がいる可能性がございます」
常ならぬ、とは常世・死後の世界。転じて妖怪がらみであることを示す隠語だ。
深く息をついた忠正は一つうなずいた。
「心得た。忠義にやらせよう。急いだ方がよいな」
「ご面倒をおかけします」
文久がわずかに後ろへひき、神妙に頭を下げる。
このあたり、祖父母の教育と時代劇好きが生きている。
「なに。常ならぬ危難に率先して動いてくるる者を助けるのもまた御政道にはあるべきことよ。公にはしがたいがの」
「はっ」
そうやって腰軽く動いてくれる者が貴重であることを知っているだけに、下げる頭も真摯になる。
「大江戸に危難が迫るとあらば一大事。こちらこそ、よろしくお願いいたす」
「もったいないお言葉。非才の身ではありますが、全力をつくします」
そのまま表へ渡って登城中の息子へ手紙をしたためてくれるという忠正の下を辞し、文久は木屋町の留蔵を筆頭に旧知の人間へ、大江戸府内の噂話の中で焼死や怪しく動く影に関するものがないかを調べてもらうことにした。これは伝衛門にも頼んでいる。
猩猩狒伝衛門は裏の顔の香具師の元締めとして、地元の下働きから芸人や小物売りなど、多くの人間の手下を持っていた。
人間に起こった事件の情報を集めるなら、彼らでも十分に役に立つ。また、元が山の精だけにいまの縄張りとは関係ない知り合いが大江戸の外にもいる。
そうした情報収集の結果、明らかになったのは御府内のあちこちで噂される不審な影を見たという話と、関東域内の村落で散発的に、しかし頻繁に発生している不審火。
総じて見ると、何者かが広い範囲で焼影を生み出し、大江戸へ送りこんでいると推測できる。
異常事態ではある。襲われて死んだ人間もいる。
しかし、それ以上の問題があった。
気づいたのは、目撃情報を大江戸の地図上に記し、分布に偏りがないか調べていた時だ。
廻り組の頭達が最初に考えたがごとく、どこかにまとまった発生源があるということはなかったわけだが、その後の配置から相手がなにをしようとしているのか手繰りだす糸口が見つからないかと考えたのだ。
結果、どこかを集中して狙っているといったことはないように思われた。御府内すべての情報があるわけではないが、分かる限りの位置取りは満遍なくばらばらだ。横のつながりが少ないことを利用して多くが同時に展開していることを悟られないようにしているとするなら、納得できないこともない。
そこまで考えて、別の可能性に気がついた。
通常、焼影が最も生じやすいといわれる現象・大火。
江戸という街は木と紙でできているといっても過言ではなく、縦横に水路が走る水郷としての面を持ちながら、火事には非常に弱い。小さな火がたちまちの内に燃え広がり、広大な面積を薙ぎ払って、おびただしい死者を生み出してしまう。
幕府の警吏組織として独立的な権限を持ち、荒っぽいやり方で有名な火付け盗賊改方の「火付け」とは放火の意であり、押しこみ強盗で家人を皆殺しにするような凶賊と放火犯が、同列とみなされていたことが分かる。
現に放火の疑いがある明暦の大火では江戸城までが類焼し、十万人以上が亡くなったといわれるのだから相当なものだ。
この明暦の大火、同時に三箇所から火の手があがったために被害が大きくなった、というのが通説だ。
そのあたりの事情は大江戸でも通じる。
では、御府内に散った焼影が一斉に火をつけたなら?
炎熱地獄。
そうとしか呼びようのない有様と化すのは、確実だ。