第七話
「なんだって?」
その日、リアル大江戸の自宅へ猩猩狒伝衛門の訪いを受けた文久は片眉をあげ、表情をけわしくした。
予想以上に大きな反応に、小さくてしわくちゃの、小猿じみた風貌を持つ人型をとった伝衛門は、さらに縮もうとするかのように身をこごめる。衣装立ても安物ではないが少しばかり着古した態のある着流し・羽織で、町屋の隠居という風情だから、こうなるとなおさら低姿勢であることが際立つ。
「へぇ、まぁ旦那にするにはせせこましい話で申し訳ねぇんですが」
いわれて、自分が身を乗り出して声を荒げた原因が、つまらないことを聞かされたからだと勘違いされていることに気づき、文久は姿勢を戻すと、縁側に置かれた盆のうえの湯呑みを取った。
「ああ、悪い。別に怒ったわけじゃねぇんだ。ちと聞き捨てならなかっただけで」
こちらではしばらく顔を合わせていなかったのも一因だろう。普段はまるで存在を感じないのに意識すると湧いてくる「記憶」を引っくり返した限りでは、この老爺との関係はゲームとほぼ同じ、地元の顔役と用心棒の先生的な位置づけであり、向こうから連絡してくるのは厄介事が生じた時だけであったし、こちらからはまだ顔を出すつもりがなかった。
それというのもゲームでの現状とは違って、最も身近な存在であり、この村の住人でもある幼馴染の持ちキャラ達がこぞって伊勢参りに出ているというのを幸い、ゲームと同じこと・異なること・自分にできること・できないこと、それらの確認を優先していたからだ。初日以来、外の時間でも数日、こちらでも半月以上が経過しているが、これをせずにうっかり知人と接触し、ぼろを出して問題になるのは避けたかったのである。
ともあれ年長者――いまとなっては微妙だが――を不必要に怯えさせる趣味はないし、すでに来てしまったものもいた仕方ない。いまのところ問題ないようだしと、腹をくくる。なにより、話題の方に無視しがたいものがあった。
文久の謝罪を受けて気をとりなおした伝衛門は、先の言葉をより詳しくする。
「焼影。まぁ妖怪ってぇよりは亡者の類ですが、こいつが逃げこんでねぇかという問い合わせが他所の組の連中から同時に二つ来ましてね」
ものを考える力などほとんどなく、ただ夜陰にまぎれて人を襲い、自分と同じモノにしてしまおうとするだけの亡者。ゲームでは同じ妖怪のくくりであったが、伝衛門のように自然から生じて様々な力を持つ、昔なら山神などとも並べられた存在にとって、一緒にされたい相手ではあるまい。
実の身体を持たないために霊的な要素を持つ攻撃でなければ傷つけられず、厚みがないのでどこにでも潜りこみ、影に重なると見破る力を持たなければ区別がつかない。それでいて、触れた人や衣を瞬時に燃え上がらせる凶悪な殺傷力を有する。
人間にとっては恐ろしい妖物ではあるのだが、格上の妖怪にとってはさほどでもない。大抵の者は爪に力を集中すれば霊にも不完全とはいえ傷をつけることができ、気を張れば気配を感じるなりもできる。存在の力が強いため、そう簡単には死なないし、中には炎熱を無効化する、あるいは炎熱そのものといった妖怪までいるのだ。相手にできる廻り組の者も多い。
小魚を捌くのに大刀をもちいる者はいない。このていどの相手の話をするということは、自分を小刀かなにかと思っているのか、先の勘違いはそういうことだ。
「わっしらは他の縄張りうちのことは下手に首をつっこまねぇんで、へぇ。揉め事の元ですからね。わっしらがいらない揉め事の種になったんじゃ本末転倒。それに、みんながみんな仲良しこよしってわけでもねぇんで」
それはそうだろう。廻り組は名前の通り地廻りのようなもので、ある意味での治安を守る代わりに、そこからあふれた精気をすする。割のいい盛り場を縄張りにしたいという欲もあれば、目障りな奴に消えてほしいという思いもある。
「だからまぁ、話を持ってきたのはそれなりに懇意にしてる奴らが、いい加減もてあましてからなわけでやす。それが二つまとめて。おまけにうちもその時、川獺の太吉の奴に一匹始末させたばかりだったんで」
化け川獺の太吉は表向き大川沿いに住む漁師だ。元が小さくとも獣だけに鼻は利くし、爪も鋭く、多少の水を操る妖力も持っている。向いた役目といえるだろう。
「向かわした手下がやっつけたっていいやがったのにちょいと間を置いたらまた現れたってぇんで、最初はさぼって追い払っただけなのを殺ったとかいったんじゃぁねぇかとね、そう思ったらしいんで」
幕府の妖改方や妖怪に目をつけられて難儀し、伝手をたどって依頼してきた人間でもいない限り、目障りな小物の始末など報酬が出ないことも多い。さぼれるならさぼってしまう者もいるだろう。
「そいでも釘刺してから二度・三度と続くと、これはおかしい。どっかからまぎれこんできてんじゃないか、とね」
どこかでまとめて生まれたのが、一匹二匹潰しても次々にまぎれこんで来るというのは、羽虫あたりならよくある話だが、妖怪でそれは滅多にあることではない。戦国乱世の頃ならいざしらず、いまは太平二百年の世だ。
誰かが、意図しなければ。
「でもねぇ、旦那。わっしはおかしいと思った。あっちでも、こっちでも、数が多すぎる。でもって、わっしが知らないだけで、他のところにもと考えたら、こいつただごとじゃぁない」
少ない情報から推測を立て、危なそうだと感じたら即動く。さすがに長年、大江戸の闇に威勢を張ってきた伝衛門の勘働きは鋭い。
「旦那、知恵を貸しておくれじゃねぇですか?」
この頭は、こういうところが好ましい。
これで結構、羽振りはいいのだ。他の頭が話を持って来たというのも、頼られたというのが正確だろう。いうなれば裏の世界の顔役であって、用心棒相手なら手下をよこして呼び出しをかけるくらいが普通だ。
しかし、あくまで知恵を借りる立場だと思えば平気で自ら出向く。威を見せるべき時とそうでない時、それを自分のちっぽけなプライドではなく、必要・不必要で判断することができる。理詰めで考えれば分かりそうなものだが、権力だの暴力だのを得た者ほど、実践するのは難しい。
そもそもゲームで知り合う時のシナリオ「深川無縁惚れ」で知った、一人の娘のために妙善寺前の縄張りを仕切って人と妖が無駄に争わずにすむようにした経緯は、その人柄が信用に値すると示すものだ。記憶によれば、こちらでもそれは変わらない。
現に、こうして実物を見た結果は、それを裏切るものではなかった。
「文昭」は、正直に言えば不安であった。異世界にまぎれこむという事態に遭遇しても、とりあえず戻れるかどうかを試し、可能だと分かってからは積極的に実験をはじめるという、ある意味冷静、ある意味浮世ばなれした心胆を持ってしてなお、すでに「殺した」記憶を持っていてもなお、自分からこの世界に踏みこんでゆくことには抵抗があった。そこには、重い決断があふれ返っている。
もっとも、それは自分が綺麗でいたいからではない。そう思いこめるのは逃避している時だけだということを、高校生にもなればあるていどは分かっていた。
直接この手で、自分の意思で誰かを殺す。そこまで限定したなら、現代日本で普通に生活している分には、まず避けられる。
しかし、それは目をそらしているだけで、毎日とる食事は失われた命の塊だ。
また、この話を見過ごして死人が出たなら、外と違って下手にできることがあるからこそ、間接的に殺したようなものだといえなくもない。
力ある者の義務、などという気はない。それはどこかの強者が自分を戒める言葉、そうでなければ平等主義を装う者の妬みだ。力があるのは偶然か、努力の結果にすぎない。
現実の自分に力がなく、リアルの自分に力があるのは、偶然だ。
その力にしたところで、助けられる者と助けられない者がいる。
大江戸の外まで被害がおよんでいた場合、そちらまでは手が回らないだろう。大江戸全体でも怪しい。なにしろ広すぎる。
現実での自分の生活を犠牲にしてまで人を助けられるかといわれれば、無理だ。そんなものは早晩破綻する。
しかし分かっている限り、ここでの自分にとって、そこまでのことではない。
なにもできないのか、なにもしないのか。
前者はしかたないかもしれない。だが、後者にはなりたくない。
そう、なりたくない。
できるのに、しない奴には。
「分かった。力貸すぜ、頭」
だから、そう答えた。