第六話
向こうにいっている間は現実での時間が経過しないことが分かり、残してゆく身体の心配をする必要もないと調子にのってあれこれ試したため、随分とひさしぶりに登校する気がしていた文久は、教室にはいると同時に目にはいった光景をいぶかしみ、壁によりかかった姿勢でそちらを見ていた武敏へ、小声で疑問を投げた。
「どうしたんだ、あれ?」
窓際の席に女子が数人集まって、中央に座った一人をなぐさめているように見える。
寺の住職を父に持つ武敏は周囲の同級生達とくらべてはるかに澄明で落ち着いた雰囲気を持っており、女子からも頼りにされている。教室内で泣いている者がいるとなれば、放っておくような性格でもない。事情を知っている可能性は高い。
「……篠崎さんの弟さんが昨日、亡くなられたそうです」
瞳の色をかくすかのように普段から細い目をふせ、周囲に聞こえないていどの声で返答が帰ってくる。
通学鞄を机の脇にかけながらそれを聞いた文昭は、わずかに動きを止め、女子達の方へ背を向けて声を潜めた。
「弟いたのか。病気か?」
高校の30人学級だ。名前くらいならともかく、親しくなければ家族構成やプロフィールなどそうそう知ってはいない。
単なる好奇心ではなく、最低限のことはふまえておいて余計なことをいわないようにしようという考えから尋ねたことは長い付き合いで分かるはずなのだが、武敏はわずかに眉をしかめた。
「ちょっと出ましょう」
うながされて、廊下へ。始業時間が近いので人通りはまばらだ。
再び壁を背にした武敏に、文昭が正対する。身長はともに170前後なので、少し斜めによりかかっている相手をわずかに見下ろす格好となる。
「それで?」
すぐに話しを始めるかと思えば、なにかためらっているのか、考えこんでいるのか、一向に口を開かない幼馴染へ、再度尋ねる。
「焼死、だそうです」
人の死、しかも自分達より年下の死だ。いい話であるわけがないとは思っていたが、予想外の単語に思わず目を見開く。
「火事でもあったのか?」
まっさきに思いつくのはそのあたりだろう。さすがに表情は神妙なものになる。
「それが……」
再び口を濁す。
わざわざ外に出たにも関わらず、たびたび発言がとまる。成績もよく頭の回転も速い、頭脳明晰を地でゆく武敏にしては珍しいことだった。
それでも、一度は話し出した以上と踏ん切りをつけて続きを語る。
しかし、それはまた文昭の予想外の話だった。
「昨日の夕方、弟さんの中学校の屋上でだそうです。周囲に火元や可燃物はなし。警察は自殺ではないかと考えているそうですが、篠崎さんはそんな心当たりはないと」
「なんだそりゃ」
ホラーかミステリーか。まずそんな風に感じてしまうのは、娯楽にあふれた現代日本人の性か、常に死を意識していてはまともに生活できない生物ゆえの逃避か。いずれにしろ当事者でもなければ現実感をともなうのは難しい話だった。
普通ならば。
文昭の脳裏に、様々な死の記憶がちらつく。
口ごもったところで、相手がまたなにか考えこんでいることに気づく。
「どうした?」
いつもなら、内心の異常を気づかれたはずだ。幼馴染全員、妙に勘がいいために昔から色々と苦労させられている。
「二週間前なんですが、檀家さんの葬儀がありまして」
すでに高徳の僧の風情があるなどと半ば冗談とはいえささやかれる武敏が、檀家のプライベートに関わるようなことを漏らす。それだけで十分におかしい話だ。文昭の表情もけわしくなる。
「そちらの仏様も、原因や道具立てがよく分からない焼死だったそうなんです」
「お前のとこの檀家となると、区内か周辺区だよな。篠崎の弟なんだからそんな遠くの中学でもないだろうし。二週間で原因が良く分からない焼死が近場で二件?」
それは異常なのか、そうでないのか。
「二件ではないんですよ」
前者である、ということか。
「少しネットで調べてみたんですが、この一月で関東近県全部を合わせると五件、似たような話が噂にのぼっています。新聞の地方版の記事も確かめてみたので、信憑性は高いかと」
「これが六件目か?」
「警察も動いているんだと思いますが」
一介の高校生では、調査といってもこれくらいがせいぜいだろう。
しかし、聞く限りでは不気味なことこのうえない。
だからといってなにかできることがあるかといわれれば、ないといっていいだろう。ゲームやリアルの大江戸とは違う。確かな情報を手にいれる手段などそうそうないし、手のこんだ自殺が流行ったとでもいうならともかく、いまだに犯行を続けている連続殺人犯であったりなどした日には、下手に首をつっこめばこちらが危ない。もっとも、そこまでたどりつけない可能性の方が高いのだが。
足を使って調べるという方法がないではないが、そんなことをしていたら通常の生活が成り立たない。
できることと、できないことがある。
HR開始のチャイムが鳴り響く中、教室へとはいりつつ、文昭は自分が無力であることを実感する。
それでも、なにかは心にかかっていた。