第五話
「文ちゃん、お疲れ」
深川の大川沿い、料亭の並ぶ一角で夜道を歩いて来た文久に、明るい声がかけられた。
なんとはなしに下を向いていた視線を上げれば、見慣れた顔がある。
目の大きい愛嬌のある顔立ちは、まず美人といってよい。
料亭の女中というより飯屋の小女といった方がいいようなたすきがけ。着物の色も黒襟赤地に緋の格子模様と、地味な色が好まれる仕事の者が着るには合っていない。
そもそもそれなりに躾けられた二十直前から先、いわゆる年増と呼ばれる年代が中心の女中にしては、若すぎる。潤いのある肌に小柄な身体は、せいぜい十五・六といったところか。
この暗がりでは分からないが明るいところで透かしてみれば明らかになる、黒とみまごうばかりに濃い赤髪を肩の上あたりで切りそろえ簪もささず結ってもいない、おかっぱとも異なる髪型もまた、大江戸では少々奇異なものだ。知っている人間なら、首元に向けて短くなり襟足をわずかにのぞかせるボブカット、と表現できるのだが。
この少女が、いまその前に立っているかなり大きな料亭「猫招」の女将だと見てとれる者は、まずあるまい。
「なんだ、麻魅。中で待ってりゃいいのに」
苦笑する長身を不満げに見上げる少女の目の位置は、頭一つ半ほどは低い。
「ぶ~。ゲーム内じゃないからって本名いっちゃだめだよ。お麻姐さんと呼びなさい」
和服だからといういいわけが通用するかどうか微妙な胸をはって、文句をつける。
「向こうでだってお麻としか呼んでねぇだろ。あと、ゲームとかいうな」
どっちもどっちなことをいいながら、文久が早足で歩みよる。
「もう来てるのか?」
「とっくに。中で始めてるよ」
「おし、じゃいくか」
なんのかんのといいつつも連れ立った二人は、正面門の戸格子を開ける。
前庭は左右にまばらな竹林。門から母屋の入り口まで十間(約18m)ほどが、苔の中に浮かぶ踏み石を渡ってゆく構えとなっている。
母屋の戸口に立つと、すぐに繊細な透かし彫りを施された板戸が開かれた。模様が店の名そのものなのは御愛嬌か。
「いらっしゃいまし」
こちらは濃い紫に黒襟のお仕着せ、結い髪姿の女中がしとやかに頭を下げる。
二人が草鞋と塗り下駄をたたきに脱いであがると、戸を閉めた女中がそろえて脇へとさげる。
案内には立たない。客も主も向かう先は先刻承知で、無駄な仕事をさせようとは思っていないことを知っているからだ。
どんな大木からとったのかといぶかしむような重厚な柱と磨きぬかれた床からなる廊下を、かまちの上や扉などに彫られた猫に見守られつつ進み、母屋の先にある渡り廊下から奥庭の離れへ向かう。
障子の向こうには、二人分の気配。
「待たせたかね」
開きながら声をかけると、中にいた片方が顔をむける。
「ああ、大江さん。ご苦労様です」
端正な顔立ちに細目の男は、僧形といっても黒々とした有髪で、剃りあげてはいない。墨染めの衣に袈裟をかけているだけだ。黒檀とおぼしき重厚な卓の上へ、酒に刺身・茶碗蒸し・焼き物と並んでしまっているのは戒律的にかまわないものか。
その対面に座す相手も、いささか問題があろう。傍らに千早をたたみ、白衣に緋袴で料亭というのは、普通やらない。
もっとも、腰までとどく流れるような金の髪に異様なまでに白い肌、浅瀬の海に似た青い瞳という、倭人では滅多にない異相の時点で、すでに規格外ではあろうが。
文久は挨拶も早々に僧の隣へ、後に続いた麻は言葉をかけることもなく巫女の隣へ座る。
千覚寺住職・円海僧正。同別当千元稲荷社の巫女・七重。中の人の名は天羽武敏と九重奈々子。
麻こと絵江麻魅と並んで、それこそ幼稚園にはいる前から見知った顔だ。もっとも、いま現在の顔立ちは年齢や色など、大きく異なっているのだが。
座について間を置くことなく、女中が後から来た二人の料理を運んでくる。つきだしは筍と木の芽の和え物。それに、わざわざ灘から運ばせている清酒。諸白ともいう上級酒だ。
「おし、おし、ありがてぇ」
呟きながら、杯を一息にあおる。
かけつけ三杯。言葉どおりだ。
現実なら年齢的にも、飲み方としても問題だらけなのだが、ここでは別だ。
文久にとって、酒はかぐわしい清水に近い。気持ちのいい酔いと、みなぎる力。本来の毒としての要素は、あがってこない。
和え物の方もかつかつと、素早くいただく。新鮮な朝掘りの先端だけを使った物で、本当なら早朝に食べるのが最高だが、当日の晩なら十分うまい。
この店だから気軽に食べられるが、向こうで同等のものを得ようと思ったら、それなりに値が張るだろう。家が近くに竹林を持っているという者が自分で作るのでもなければ、高校生が好きな時にとは絶対にいかない。
他、刺身は真実江戸前の汚染もなにも心配いらない鱸の洗い。おなじく筍を使った茶碗蒸しに、これも江戸前のアナゴの焼き物などなど。こだわる人間には垂涎の品が並ぶ。
洗いは地元の井戸水にごく短く身をさらして余計な脂を取り、電気のない大江戸ではなかなか出せない細かい氷の上で冷やし、身がだれるのを防いでいる。
水中が住処の魚は当然ながら体温が低く、陸の常温ではすぐに身が崩れて旨味が逃げる。舌の上に乗せるまで温めてはいけないのだ。うまさを捕らえるためには物の道理が分かっていなければならないという典型である。
近郊の農家で放し飼いにした地鶏の卵と肉を使った茶碗蒸しも、絶妙な火加減で見た目も舌触りもなめらかだ。
アナゴのタレは料理人の苦心の作。炭火で身をふっくらと焼き上げるのがコツだ。
椀物は烏賊のしんじょであっさりと仕上げている。
これだけでも口福というものだが、女将が女将だけあって、現実の江戸では下魚とされていた本マグロや天然物のウナギなども、ここでは普通に食べることができる。リアルの大江戸へ来ることができるからこその役得といえよう。
それで一心地ついたものか、文久は先ほどから黙々と茶碗蒸しを口に運んでいる七重へ視線を向けた。
「で、今日はほんとに大丈夫そうか?」
疑問形ではあるが、声音の調子は一応の確認、といったところ。
丸々とした銀杏を噛み、上品に飲みくだした七重は、銀の象嵌がある塗り箸を置いてから答える。
「大江戸府内に放った式神からの報告はなし。やはりこれまでどおり、一定の数を減らされた後は撤収しているようね」
意識しない無表情のまま淡々と告げる七重の生業は、陰陽師系最高位の一つ・天文太師だ。戦闘では大火力による一点突破を得意とする典型的な砲台だが、敵の攻撃を受け止める壁役や単純作業をさせる人足代わりの他、いまのように広域へ散って条件に合う異常の有無を監視したり、耳目を共有して情報を伝えたりする偵察役など、様々な務めをこなす擬似妖怪・式神を作り、使役することもできる。
狩衣ではなく巫女装束なのは、平安時代の陰陽師・安部晴明を祭る晴明神社系の術士であるためだ。もとより陰陽道と神道には深い関わりがあり、公職の制度上でもまとめられたり分けられたりを繰り返し、判然としない部分がある。大江戸における陰陽師の主流は東西に分かれた陰陽寮の幕府方・東寮派で、どちらかといえば西側の彼女は、文久の拓いた大江村裏山の千覚寺、その境内に習合・合祀された稲荷社へもぐりこんでいるはぐれ的な位置づけとなる。
それが場荒らしともとられかねない式神の大量配置をしてなおのんびりと食事などしていられるのは、事前の根回しと実力のゆえだ。天文太師は術の技量だけなら陰陽寮の頭たる陰陽博士と同等とされる。術の実力が戦力に直結する世界では、面子が保たれる限り下手な喧嘩を売ろうとする者は減る傾向にある。
「大本の方は?」
「残念ながら、いまのところは動きがないようです」
形の良い眉をよせた憂い顔で首を振る円海。
半月ほどもの間、彼らは大江戸府内を見回り、あちらこちらにひそんでいる焼影を狩り出して、おおよその動き方を把握するにいたった。数そのものも大分に減っているはず。
しかしこれほどの期間、毎日のように狩らねばならぬほど焼影が発生しているという事実が、そもそもおかしい。
ゲームの設定によれば、本来の妖怪とは山海・林野・河川・湖沼といった、それなりに広い範囲の土地が持つ精気が永の年月を経て凝り、実体を持って現れるものとされている。百年に一体でもまだ早い方で、強いモノなら五百年以上、時には千年を超えることすらある。そして、その理はリアルの大江戸でもほぼ変わらない。
もちろん何事にも例外はあり、様々な意味で精気の塊である人間が密集する大都市では、器物が九十九年を経て成る九十九神・主の念に感じて生じた化け猫・死者の念から変じる亡者や怨霊といった小妖怪が、比較的短い期間・狭い範囲で発生することがある。
しかし、これも個体が最短で十数年という話で、同種が大量に湧き出すなどというのはよほどのことがない限りありえない。戦国の頃には戦場跡で昼間から獲物を持った骸骨がうろついていたこともあるそうだが、つまりはそうした千人万人単位の死者が出るような事態が必要だということだ。
焼影の場合、膨大な怨念と死が積み重なる大火によって複数が同時に発生し、これを放置したために被害者が増えて、という可能性はある。
しかし、近年そのように大規模な火事が発生したという事実はないし、殺された者が必ず焼影になるわけでもない。怨念と精気の量、せいぜい焼死者数百人に一人だ。いまの場合はあまりに数が多すぎる。
ありえないことが起こる。ならばそこには、必ず原因が存る。
「昼間、猩猩狒の頭に聞いた話じゃぁ、総州の東あたりで、また燃えたところが見つかったらしい。不審火で片付けられたみてぇだが、家が
一つ丸焼けで、一家全員が焼け死んでるのは、他と同じだ」
呟いた文久が苦々しさを押し流すように杯をあおり、円海が瞑目する。麻と七重はわずかに箸ゆきを遅らせたていどだが。
猩猩狒の頭とは、木屋町からもほど近い妙見寺門前を中心に、いくつかの盛り場の香具師――露天・出店の芸人や商売人――をまとめている伝衛門という六十がらみの老爺、という人としての顔を持った妖怪の集まり「廻り組」の頭。身の丈が二丈(約6m)を超える、猿の化け物だ。
人の街が明るいほど、その影は濃くなる。人のおこぼれにあずかる妖、人を喰う妖、人に親しむ妖。いずれにも共通するのが、人の世が必要以上に乱れてもらっては困るという一事であるのだが、それを理解せず、好き放題にふるまう妖もいる。
そういった慮外の妖を見つけて仕置きすることを目的にできた集まりが、廻り組だ。ゲームでは彼らからの依頼を発端とする物語も多くあり、文久達はそちらでもこちらでも、いくつかの揉め事を解決していた。
その廻り組から来たのが、焼影の頻出話。
もっとも、事件が起きてすぐに流れたわけではない。数が異常に多いとはいえ、それは大江戸八百八町すべてを見回しての話。史実の江戸より広大で、いまでいう千葉の一部や都下までもが含まれるこの巨大都市は、瓦版などが本来より充実しているとはいっても、現代に比べれば情報の伝わり方は圧倒的に遅い。
まして裏・闇の話ともなれば、伝達手段は口コミだけだ。一つの縄張りで一匹見つかったとして、それらを合算した全体の数が異常であると気づくまでには、それなりに時がかかる。ましてや、火事場で生じる妖怪が大火があったわけでもないのに数多湧いて出る原因を、関八州の村落で散発的に起こっている不審火と結びつけるなど、広域捜査の概念やゲーム的な視野を持たない存在にとっては至難と見てよい。
文久達とて、ただ大江戸で生きているだけの存在であったなら、そう簡単には気づかなかったろう。
きっかけがあったことは、ある意味幸運で、ある意味不幸なことであった。