第四話
その日、文昭が最初に違和感を自覚したのは、目の前で転びそうになった子供を咄嗟にささえた時だった。
「ありがとう、兄ちゃん」
と素直に礼をいって駆け去る小さな背中に、
「おう、気ぃつけろよ」
自然に手をふった後で、いかにリアルを追及した雑踏とて、物語の導入でもないのにNPCがいまのようなリアクションをとることがあっただろうか、という疑問が生じた。
そして、支えた手に残った重さと体温。
一度疑うと、途端にいままで気にしていなかった違いが際立つ。
雰囲気重視の一環で、コントローラー操作がメインになるためプレイ中はあまり見る必要がない形になっている、コマンド画面を開こうとして、コントローラーの感覚どころか座っている感じもなく、触覚が完全に変換されていることにいまさらながら気がついた。慣れというものは恐ろしい。
しばし呆然。
はたから見ればさぞかしまぬけな顔をしていただろう。あからさまに目立つ長身と腰のものゆえに、人が向こうから避けてくれたのは僥倖だった。ぶつかられていたら、そのまましりもちをついていたかもしれない。
しばらく後に動き出しはしたが、やはり相当に混乱していたのだろう。最初の行動ががすぐ横にあった茶店にはいることというのは、あきらかにおかしい。
しかも、注文をとりにきた茶汲み女へ
「団子ふたつと、茶ひとつ」
と平板な声で注文する始末。
「へ~い。団子ふたつに、お茶ですね」
元気な確認の声からさほど待つこともなく運ばれてきた団子を、無造作に口にする。
味がする、のはいい。
ゲーム内でも大半の食品に味はあった。食品会社などとかなりもめて、結局ライセンス料支払いとスポンサー契約に落ち着いたという話を聞いた覚えがある。
しかし、食い物が腹にはいった感覚。これはない。満腹中枢が錯覚してプレイヤーが絶食状態になる可能性があるため、満腹感の再現は完全にオミットされている。視覚・嗅覚・味覚の時点ですでに危険性があるという説もあるくらいだから、実装されたら話題になるはずだが、記憶にはない。
それがある。
完全におかしい。
コマンド画面を開けない。となると非常用サポートコールやメールも不可。うっかり起動するのを避けるため、かなり集中しないと作動しないよう設定されている思考操作のログアウト措置も機能しない。最終手段の半感覚だから可能なヘッドセットとりはずしも、鬢の毛をなでつける動きにしかならなかった。
以前に読んだ小説の筋が頭に浮かび、ログアウト不能? デスゲーム? と内心それなりに焦ったりもしたのだが、最初の呆然自失を抜けてからは頭の中の狼狽ぶりは表にあらわれず、はためには茶を飲みながら髪をなでつけているようにしか見えない。
幼馴染から時に「達観しすぎ」とか「じじくさい」などといわれる文昭は、この異常事態を前にしても、錯乱してわめきだしたりはしなかった。多少行動が現実逃避気味とはいえ非常時にとるべき手段を次々と試したりしているあたり、いっそ冷静すぎるほどかもしれない。
団子と茶を時間をかけて食べ終え、懐にあった財布から銭を取り出して勘定を置く。
頭の中では色々と考えつつ、いっそのんびりとした足取りで村へと戻る。
現実世界にあれば古民家として文化財指定されそうな萱葺きの、作ったばかりの広々とした自宅。
その縁側に座りこんで
(まいったな。どうすりゃ戻れるんだ?)
と考えた瞬間、手の中に頼りないながらもコントローラーを持っている半感覚が戻ってきた。
普通にコマンド画面を開いて、ログアウトすることができる。できてしまった。
いや、できた方がよいのだが。
手足や首を動かし、ゲーム機・PDの接続やコンセントを見て、異常がないことを確認する。
問題なし。
大丈夫のようだ。
しかしだからといって、すぐにどうやったら先の変なモードにはいって、なにをしたら戻ってこられるのかを試しはじめるというのは、間違いなく変人の所業であった。危機感がないというか、若さゆえの無謀というか。あるいは、こういう奴のところであったればこそ、このような現象が生じたというべきか。
何度かの実験の結果、村の出口に置いた御地蔵様へお参りしてから外へ出ると向こう側にはいりこみ、村の中でログアウトを望むとゲームの村へ戻ることができるという事実が判明した。
お参りをしなければ、普通にゲームの大江戸へゆくこともできる。村のデータはメモリーにセーブしてオフラインでも使えるのだが、そこからゲームの方は当然無理として、向こうの大江戸にはいけることが分かった時には、結構真剣に悩んだりもした。もちろんバックアップを複数とる。
そして「向こう側」が「リアルの大江戸」であるということも、確信した。
最初にログアウト不能のデスゲームという言葉を思い浮かべたが、これはなんらかの事情で感覚投影状態を解除 できなくなり、ゲーム内のキャラ死亡時に高圧電流が流れるなりなんなりして仮想現実での死=現実の死になる、というフィクションの話であり、一時的にログアウト手段が全滅していたことから連想したにすぎない。PDでそんなことは不可能だからだ。
元々、PDは人間が明晰夢を見る能力を利用している。「ああ、いま夢を見ているな」と分かるあれだ。この時に見る映像は脳が勝手に描写し、あると思っているものは見ることができる。落ちる時に落下感を覚えることさえ可能だ。このため、プログラムは「腕があるよ」としか提示していなくとも、腕の重さや皮膚の質感、目をこらした時には産毛までが「あるように」感じられる。脳が勝手に細部を補完してくれているため、デジタルですべてを描写するという、一キャラクターあたりスーパーコンピューター一台が必要になるような膨大なデータは必要ないわけだ。
比較対象に本人の体験を持ってきているのだから、現実との対比で違和感を抱くことによるリアリティの低下も少ない。未体験な事象でも既知の情報からおおよそ構成できる。人が生身で空を飛ぶ夢を見ることができるように。しかしそれだけに触覚の不完全性は安全上の必要から確実に保証されなければならない。直接的な痛覚だけでなく、自己暗示による火傷や切り傷の発生などという事態も考えられるからだ。
よって、この部分はハードの基礎構造レベルで設定されている。プログラムの変更どころか、ブレーカー部分をはずす、多少の部品を追加する、などといった小手先の改造ではクリアできないようになっている。文昭が知らないだけでそれを可能とする技術もあるのかも知れないが、可能性としては低いだろう。
なにより、行き来の方法が分かった後に試したことが、彼にそこがリアルであると実感させた。
裏山にある周囲を木々に囲まれた多少開けた空間、人目につかないその場所で。
(「剛破三連!」)
大上段からの斬り下ろし、地に着く寸前の刃を即座に返して斬り上げ、勢いが止まった瞬間に再度刃を返して斬り下ろし。
刃渡り五尺(約150cm)超。並みの人間には到底あつかえない大きさと重さを誇る大太刀を超高速で斬り返す、前進しながらの三連撃。一つ一つが必殺の威力を持ち、実際条件さえあえば斬線上の敵全てをこれだけで撫で斬りにすることができる。
【加速】【剛力】【鬼神力】【斬り下ろし】【斬り上げ】【斬り返し】【三連撃】これらを一つにしたものだ。
複数の能力や技能を組み合わせて同時に用いることを公式には「合わせ技」、一般にはコンボと呼んでいる。事前にコマンド画面でセットを作り、実際の使用時には技名を思い浮かべて実行を念じる思考操作で発動する。ネーミングは運用上の必要からおこなっているだけで厨二病ではない。決して。
使用するとキャラクターが自動で組み合わせに応じたモーションを取り、うまく当たれば目標へ様々な効果を合算したダメージを与えることができる。
ゲームでは。
リアルの大江戸では、考えただけで技が発動したりはしなかった。しかし、ゲーム内でキャラクターが動くことにより、感覚のフィードバ
ックや目視によって一応は体感していた動作の再現を試みたところ、自然に身体を動かすことができた。
この結果は、戦闘においてすら適用される大江戸・百鬼夜行の雰囲気重視の仕様が大きい。
初期のVRゲームにおける戦闘は以前と同じく、既存のコマンドを入力するとキャラクターが自動モーションをおこなうというものだった。大技になるほど長く設定されている技後硬直時間中に先行入力をしたうえでチャットでおしゃべり、などということさえあり、それはそれで高度な技術で、完璧なタイミングで技をつないでゆき、単位時間あたりの最高ダメージを稼ぎ出すなどは容易に真似できない代物ではある。
しかし、VRという部分を戦闘でも生かすのであれば、そこにとどまってはいられない。特にPVP・プレイヤーキャラクター同士の対戦において、これは顕著であった。三連撃を放ったはいいが初期位置から軌道を見切られて回避された場合、それに気づいて対抗しようにも、自動モーションが終わるまで見ているしかないというのでは、リアリティの名が泣く。ましてカウンターが来ると分かっていて対処できない水準の操作性では、ストレスが溜まる。
オリジナルの合わせ技を作れるようになっても定石というものは存在し、特に組み合わせによる最高効率解は熱心に研究され、ネット上で公開された。大会優勝者など有名プレイヤーの技が解析されて流布し、模倣が流行り、対抗技が開発されるという流れは日常茶飯事で、対抗技をはずす要素にも価値が生じる。
そこで、格闘ゲームなどを参考にVR的な技量が影響するシステムが投入された。動作補正とキャンセルである。
動作補正は読んで字のごとく、自動モーションの動きを思考操作による直接的な動作入力で微調整するものだ。これで一撃目はかわされても二撃目・三撃目の軸線を適宜ずらすことで当てにゆくことが可能となった。
それをさらに発展させたのがキャンセルで、動作の途中で本来の組み合せとはまったく異なる動作――上・下・上の直線状三連撃の下の次を横薙ぎや後方跳躍など――に切り変えてしまうことができる。斬り上げに追加効果を持つ技能があれば無駄になってしまうが、カウンターにクロスカウンターを叩きこめるとなればお釣りが来る。
極端な例では、PVP大会の最高峰として年に一度おこなわれる「天覧御前試合」で、それまでまったくといっていいほど無名であった一般参加者が、有名な廃人のキャラクターを含むシード組を打ち破って優勝するという事件があった。
ゲーム雑誌による事後取材でプレイヤーは七十二歳の御老体であることが判明。それだけでも十分な衝撃であったのだが、多くのプレイヤーをさらに驚愕させたのは、公開されたデータであった。
動作再現のために必要な敏捷性と器用度の向上、攻撃があたった際に十分なダメージを得るための事前発動系技能や装備などの準備、それのみ。動作はすべて思考操作入力。
御老体、戦国時代発祥と伝えられる実戦剣術・現居合い道の現役師範であった。
インタビューで「みな強かった」「楽しかった」「また参加したい」と答えた御老人について「大人げねーw」「爺TUEEE」「リアル達人ktkr」などとネットが大騒ぎになり、プレイヤースキルこみの技の練習や、思考操作入力オンリーのフルマニュアル戦闘を試してみる者が続出したのは、当然の流れといえる。
多人数が参加するMMORPGで自キャラを差別化したいのは人の性、最強に憧れてしまうのは漢の性だ。文昭もその例にもれず、時代劇好きなこともあって色々と試し、さすがにフルマニュアルは挫折したものの、いくつかの思考操作入力を交えた技は得意手としていた。そして身体の方も、まるで「その技を使いこなすために修練を積んだ」かのように馴染んでいる。
そう、この身体を動かして戦うことは、初めてではない。
だからこそ、ゲームとの違いも分かる。
踏みこんだ地面の反発。
大重量の得物をふるうことによる骨のきしみと筋肉の動き。
空気を斬り裂くうなりの音。
ゆれる内臓の重さ。
自分の身体を動かすという最も基本的なことが、なによりも事実を教えてくれた。
そして、技に意識を向けるとあふれ出す、記憶。
この技をもって倒した敵。
ゲームではわずかにしか存在しなかった肉を裂き、骨を砕く手応え。
妖怪が消滅する時に発する異臭。
断末魔の憎悪をたたえた目。
現実に打ち倒した、敵の記憶。
それは自らの手で奪った、命の記憶。