ねんがんのおとまりです!
天気が悪そうで帰れません。お泊りイベントです。
もうだいぶ日が暮れていました。もう晩秋ですね。陽が暮れるのが早くなりました。おおかみさんとお別れの時間ですが、まだここにいたいと思います。
何度も同じことをしていますが、おおかみさんと離れて人間の世界に帰るのが嫌です。
「おおかみさん泊めて下さい」
幸い明日から連休です。ここなら携帯の電波も入りますし、両親に今夜泊ります、なんて連絡もできます。
残念ながらお泊り道具は持ってきていないので、そこだけ悔やんでます。
「嫌だよ帰れ、送ってやるから」
面倒臭そうに言い捨てて、丘の入口付近まで歩きだしました。送る気満々です。
送りおおかみなのに、全然怖くありません。取って食われる危険全くないです。
むしろドーベルマンとか警察犬的な存在に身辺警護されてる感じです。SPとかガードマンですか。
ぶーぶー文句を言っても苦い顔をしたまま突っ立って、返事をしてくれません。もぅ。
おおかみさんは無言のまま、わたしを待って坂道の途中で止まっています。
「……」
「そんなぁ」
てこでも動いてくれる気配もありません。仕方なく、ぽてぽてやる気なく歩きだします。
なんか今日は一段と冷え込みます。思わず服の上から肌をさすりました。
寒いにしても限度はあります。
標高はそれなりにあるって言っても、頂上付近じゃありません、中腹より少し下でそんなに高くは無いのです。
……なのに寒いです。明らかに異常です、足を止めて周りを見渡しました。
「おおかみさん」
不安でたまらなくて、おおかみさんの肩にしがみつきました。
肩を掴んでもたれかかっても、微動だにしません。凄く安心できました。
みるみるうちに、地面は凍りついて坂道がつるっつるな状態になりました。下生えの草についた水滴も凍りついています。あまりの寒さに震えてきました。
このまま下っていたら多分、つるっといって加速度的にスピードが付いて何かにぶつかって強制停止、結果トマトだったでしょう。
けれどここを通らないとふもとに帰れないのですが。
「これ、流石におおかみさんでも無理ゲーじゃないですか」
結構つるつるな感じです。水はけの良い道ですけど、霜とかできたりと、滑りやすそうです。スパイクは履いていませんし。残念ながらストックも持ってきてないんですよね。
まだ季節柄猶予はありそうですし、こんな中腹じゃ使わないと思っていたのです。結果オーライです。
広範囲にわたって凍りついています。たとえおおかみさんが変身しても、このつるつるじゃ通れないと思います。
というか、なんでこんなに凍りついているんですかね。
氷点下にまでなるのは、時期的にまだ先のはずなんですが。異常気象にも程があるでしょう。おおかみさんはすごくやりにくそうな顔をしています。
この状態ではお泊りイベントは確定ですね。
こんな顔をするなんて、わたしとお泊りイベントは嫌ですか?
こんなに寒いんですし、あたためあいましょうよ。お布団の中でも構いませんよ?
「異常気象怖いですね。こんなに冷えてるんですから、おおかみさんの家で温まらせて下さい」
「やむをえず、そうするしかないとか考えてたのに、その予定を挫きたくなるような発言はよせ」
頭痛がするみたいに、やだやだと頭を振っています。
いつもと変わらないわたしの発言に、安心したのかわかりませんけど、深いため息をつきました。やるせないため息です。
「なんでこんな時にこうなるかな……」
なにはなくとも。
ねんがんの、おおかみさんのおたく訪問です。
やりにくそうに、渋々といった様子のおおかみさんに、自宅に連れて行ってもらいました。
待ち合わせの場所をスタート地点とすると、崖をひとつふたつ越えた向こうにありました。
おおかみさんはわたしを抱えて、飛びました。お姫様だっこじゃなくて、おんぶです。
文句言ったのにしてくれませんでした。はぁ。
近くに行くまで何もなかったのに、ある一定の場所を超えると、山小屋が見えました。
こっち側は結構凍りついています。うわぁ。一気に葉っぱ枯れてますよ!
おおかみさんのおうちは別荘のようなロッジでした。
築年数はそれなりに経っている感じですが、綺麗に手入れされて、とても居心地よさそうです。家の外には古いブランコやイスが設置してあって、のどかです。
小さい子供がいたんでしょうね。
「というか、なんですかこれ。何度もここらへん来てましたが全然見えませんでしたよ?」
ここから待ち合わせ場所は見えますし、向こうからも見えるはずなんですが。
「結界だよ。流石にここを見られるのは困るからな」
わたしをすぐに下ろします。もっとくっついていたかったのに残念です。くっ
そういうことですか、普通の人間には視認さえ出来ません。
「ま、普通じゃない人間にも無理だっての。ここは人間用じゃないんだからな」
色々例外を押し通してわたしを招いてくれたようです。
おおかみさん大好き!
っていうかこっちと、向こう側とで結構天気に差があるようですが……
こっちの方が相当寒いです。これは一体何でしょう?
結界にこの冷気は阻まれていたのでしょうか。
「はぁ……」
それにさっきからため息をついてばかりです。何なんでしょう。
「チガヤっ!」
女の人の声がしました。家のドアが開いていました。多分そこから出てきたんでしょう。
おおかみさんに突進して抱きついて、ほおずりまでかましています。
白っぽい服を着た黒髪の女の人でした。
額に、鼻に、頬に、あごに、キスを落としています。ちゅちゅ、と触れるたびにキスの音が聞こえてきます。映画のワンシーンみたいでどうにも現実感がなくて固まります。
あのおおかみさんが無抵抗です。すんごい嫌そうな顔はしていますけども。
最後にはなんと。く、唇にも! おおかみさんとキスしています!
舌とか入れてるみたいですけどいいんですか! おおかみさん! なんで嫌がらないんですか! こういうのすっごい嫌そうなのに! 実際嫌がってるのに!
「………………………………気は済んだ?」
女の人の肩を掴んで引き離しました。べりっと音が聞こえそうで、どこかぎこちない動きでした。緊張しているんでしょうか。
つーっと口と口を繋ぐ糸が見えますけど、それも無視してます。おかまいなしですか!
それに女の人は抱きついたまま。ムカムカします。
「誰ですか!? この人は! おおかみさんのお嫁さんですか!?」
ぐいぐいつめ寄ります。嫁はわたしだけですよ!
前妻ですか!? 今の妻はわたしですよ! ちゃんと紹介して下さい!
わたしが凄い顔でにらみつけているから、いたたまれなくなったのでしょうか。
抱きつくのをやめてくれました。近付いてきてわたしをじーっと見てきます。
「誰この子?」
「ふもとの子。なんでかここに入り浸ってる」
納得がいったような顔をしています。
「あぁチガヤの愛人なの」
「違ぇよ、何でそうなる」
「違います」
仕方なくわたしも訂正します。愛人じゃなくて妻ですよ。
「じゃあ非常食? おなかがすいた時にパクっと食べるんでしょ」
性的な意味で。
「こういう意味で」
人差し指と中指の間から親指を出しています。下品ですね。
モザイクかかってますよ。考えることがわたしと似ていますね。遺憾の意。
「食人習慣はないっての」
不機嫌そうにおおかみさんは肩をいからせています。
けれど前に人はおいしくないって言ってた気がします。食べたことはあるんでしょうが、味が好みじゃないんでしょうか。
「チガヤは昔から好き嫌い多いからねぇ」
昔から、って…このひとおおかみさんの小さいころを知ってるんですか?
「あ、ああの、さっきから気になってたんですけど、チガヤ、さんって」
「え? こいつの名前だけど?」
おおかみさんを無造作に指差します。こくりとおおかみさんも頷きます。
そんなの聞いてないですよ!
残念ながら! 何度も会っていますけど、自己紹介とかしてないんですよ!
おおかみさんは名前を教えてくれませんし、仕方ないからおおかみさん、と勝手に呼んでいましたけど! こんなタイミングで知らされるとは思いませんでしたよ!
おおかみさんの口から聞きかったのに!
「あんたちゃんと自己紹介したの?」
訝しそうにおおかみさんを見ます。
してないですよ、もっと言ってやって下さい。
「するわけないだろ、こいつは人里の人間なんだからしても意味ないだろ」
おおかみさんの鼻先にデコピンをかましました。
ああ、あれ痛いですよ。ぬぅぅぅと唸っていますし。
「全くもう、このバカは」
何だかやんちゃしている弟を見るお姉さんみたいです。
「ごめんね、お嬢さん、このバカはチガヤって言うの。茅、って書いてチガヤ」
植物の名前ですね。チガヤさんですか。
「わたしはイヨって言います。いよかんの伊代です。初めまして。
おおかみさん……やっとお名前で呼べますね、チガヤさん。改めてよろしくお願いします」
「おおかみさんなんて呼んでたの? ってことは……」
経緯はともかく、おおかみさんの名前を呼べるのは嬉しいです。
今まで名前さえ知らなかったんです……わたしも自分から聞きはしませんでしたが。
おおかみさんの変身は滅多に見れないものなんでしょうか。
そのわりにはあっさり見せてくれたんですけど。しかもノリノリに。
「はい、初めて会った時に、変身して見せてくれたんです」
ぽかんとしてます。
おおかみさんの方を振り向きますが、おおかみさんは目線を顔ごと背けました。
般若のお面みたいな顔でした。確かに怖くて直視できません。
「何してんのあんた」
「人間じゃねぇっつってんのに、全然信じないからつい。しかも変身しても怖がらねぇんだよコイツ、おかしいんだよ」
「おおかみさんはおっきくても怖くないですよ。わんちゃんにしか見えませんでした」
あんなに大きくても、牙が刺さったら痛そうでも。
目が、優しいんですよ。だから怖くなんてないです。
「わんちゃん……ぶふっ」
「こんなんだよ、クソ。予定が崩れまくりなんだよ」
「あなたはお……チガヤさんとどういうご関係ですか?」
「別に無理して名前で呼ばなくても良いぞ」
「わたしがそう呼びたいんですから、少しの間変ですけど我慢して下さい」
「……言ってなかったわね。ワタシはテンカ。初めまして。天体に花って書くの。雪の別名なのよ」
握手しようと手を伸ばしてきます。
わたしは手を取ろうとしますが、おおかみさんに遮られます。
「あの、おおかみさん? それに雪……ってことはこの寒さは」
もしかしてこの人が原因?
「寒さ? あ」
周りを見渡して、すごい冷え込んでいることに気が付きました。鈍いですこの人。
「今気付いたのかよ」
「あちゃーごめんね?」
「さっさと耐温クリーム塗れよ。加護なしだとこいつとっくに凍え死んでるぞ」
「え!?」
そんなに寒いんですか今! 雪降ってませんけど!
風はびょうびょう言ってますけど。実際は少し寒いかな? 多少震える程度しか感じていませんでした。おおかみさんが何かしてくれたんでしょうか。
「ごめんねー」
すごいポカミスやらかしたみたいに、苦笑して。
肩かけにしていたバッグから、クリームを取り出して肌に塗っています。心なしか風が収まった気がします。
「さ、これで大丈夫、加護なしでも大丈夫よ」
「加護って……おおかみさんが結界的なの張ってくれてたんですか?」
「自分の身も守ってたんだ、ついでに過ぎない」
天花さんはわたしに抱きついてきました。少しひんやりしてますが、ただそれだけです。
「あの、耐温クリームって」
「ワタシの体温とかそういうの遮断してくれるの。ワタシ平たく言えば雪女だから」
なるほど。体温が氷点下で、耐温クリームなしだと一面冷凍庫レベルに冷え込むらしいです。当然周囲は冷え込むわけですね。
「でもチガヤは、何もしなくてもキャンセルできるんだけどね?」
「おまっ」
おおかみさんが唸りながら天花さんを睨みつけています。
抱きつかれたり、キスまでされてますけど平気でした。わたしが危ないから結界を張ってくれていたようです。素直じゃないおおかみさん、大好き。
「ありがとう、おおかみさん。大好きです」
「どういたしましてっ!」
やけくそにそんなことを言ってしまいます。もうおおかみさんたら。
「で、どういうご関係なんですか。ふつうの人間じゃないですよね?」
まわりを急速冷凍させたのです、ただの人間なはずがありません。
何よりおおかみさんの知人ですし。
「こいつの幼馴染みたいなもんかなー」
「へぇ……」
幼馴染で、好意を持ってて、なんてテンプレート。
わかりやすい。ええわかりやすいですね。
寝とればいいんですかねわたし。おおかみさんに冷たい目を向けます。
こんな調子でどれだけ女の人と仲良くしてるんですかねー。
「なんか怖いぞこいつ」
「名前で呼んで下さい、わたしはイヨです。こいつじゃないです」
「はいはい」
わたしたちを目を細めて天花さんは見て微笑んでます。えらい余裕そうですね、ぐぬぬ。
「ワタシとチガヤは、ねぇ。一緒に暮らしてた仲なの」
「え、やっぱり元妻」
開いた口がふさがらないです。やけぼっくいに火が付くんですか!?
復縁するんですか!?
「うん、将来はワタシと結婚するって言ってたことも」
「はぁ?! 家族だよ! 言ったかもしれんが、それはチビの時だけだ!」
小さいおおかみさんからプロポーズされてたんですね。ぬぬぬ!
なんでわたし昔のおおかみさんに出会ってないんですか。
「あぁ良かった。こんなにグラマラスな方がチガヤさんの好みだったら、わたし何年かかるかわかりませんでしたよ。チガヤさんにも勢一杯触ってもらわないといけない所でした」
肉付きの薄い身体をさすります。まだ成長期でのびしろがあるのが、幸いですね。
「なんで協力すること前提なんだよ」
「なるほどねぇ」
ニヤニヤしてわたしたちを見ます。
「大体どういう関係かはわかったわ」
「ええ未来のおおかみさんの嫁です」
「あらあら、そういう関係なのね? 今はまだ、恋人の関係を楽しんでその後には結婚するのね」
「違うわボケ。何度来るなっつっても話聞かない馬鹿なんだよ」
「チガヤさんが好きだから会いに来てるんですよ」
正直、自分でもどういう種類かあやふやですけども。好意は持ってますから事実です。
「そう、この子のこと好きなの」
「イヨ、と呼んで下さい」
「いーちゃんね。ワタシは天花でも、テンでも好きに呼ぶと良いわ。氷雪人の天花って言えば大体通じるし。青女とか白魔とか呼ばれたこともあるわね」
後半は雪国の白い悪魔的なものを言ってませんか。
今更ですけど、このひと怖い人ですか?
「氷雪人? 雪女じゃないんですか?」
さっき雪女みたいだって言ってたような。
よくよく考えてみると、伝説の生き物というか民間伝承じゃないですか。実在したんですね。おおかみさんも狼人間で、存在が微妙なひとですが。
「その言い方あんまり好きじゃないのよね。雪女に、雪男、捻りがないし。つまらないじゃない? 寒い所とか雪のあるところでしか生活できないわけじゃないのに、嫌な呼び方だわ」
固定観念は困るのよねぇって深いため息をつきました。
「耐温クリームないとこっちで生活できないのは事実だろ」
「そうだけど。変温動物みたいになれたらいいのにねぇ」
「さっき塗ってたあれですか」
「体温の保持と、外気の断熱効果のあるクリームなの。これないとちぃに触れないから一苦労だわ。気軽に触りたいのに」
ほっぺたをなでなでしています。ムッ。
「触んな」
即座に手をはたき落としました。よっしゃ、と思いますが、おおかみさんは触られるのがあんまり好きじゃないみたいですね。非常時とはいえ、前回はよくわたしに触らせてくれたのものです。
「ちぃったら、もう。ごめんね。こんな愛想ないやつだから、わかりにくいけど良い奴なのよ、嫌わないで上げてね」
「ええ、知ってます、おおかみさん。危ないところを助けてくれましたし、いいひとです」
「言ってろ」
「素直じゃないわね」
「寒いんだからさっさと入れ、温まりたいんだよ」
おうちの中に入りました。
あんなこと言ってもすぐにお茶を淹れてくれようとしてるのは、やさしい証明ではないですか。
「全くもう」
「チガヤってば昔からそんなだからね……」
「チガヤさんの小さい頃、なんとなくわかっちゃいます」
「小さい時はもっとかわい気あったのになぁ」
「うるさい」
何だか天花さんと仲良くなれそうな気がしました。