あなたは何モノですか?
あなたのことを教えて下さい。
時にはウソをついて急場をしのげ、なんて言うこと聞くわけないでしょう。
ウソをついた所で本心でないのが向こうにも丸わかりでしょう?
ふもとまで会話もなくひたすら歩いて人間の文明圏まで戻ってほっと安心しました。
その時、するっとおおかみさんの手が離れて、気配も何もかも消えました。
まるで最初からそこにいなかったみたいに。
話したことも、触れたことも、なかったことにされたみたいに。
そう、初めて会った時と同じで、煙のように消えていました。
なのでまた、半分以上は意地になって会いに行きました。
それでも相当山の奥深くに行かないと会ってくれません。人間の通る道はダメです。獣道みたいな、人の気配のない所でないとダメなのです。
あと危険域に入りこまないといけません。
前回は熊と遭遇、前々回は密漁者に撃たれそうになった時、その前は高山性の酸欠で倒れそうに。さらにその前は……
わたしは自分の命を賭けないといけないようですね。
こう考えると初回の崖下落下未遂がかわいいものに思えてきます、嫌な必要条件になったものです。
それでも毎回ホイホイされるおおかみさん。見捨てても良いのに律儀に助けてくれる、良い人なんですが、少々面倒です。すんなり会ってくれないのです。
当然、おおかみさんはもう来るなと、何度も何度も苦言を呈しますがお互い様です。
何度会って送ってもらっても、おおかみさんは別れる時にするっと手を離して気配を消します。
わたしが気を張って手を掴んでいても、疲れて気が緩んだ一瞬の隙を突いていなくなってしまうのです。それをやめてほしいと言ってもおおかみさんは聞かないのです。どんなに怒っても泣いても、ダメでした。
そんないたちごっこを随分繰り返しました。諦めの悪さを自覚してくれて、おおかみさんがわたしに素直に会ってくれるようになったのが最近のこと。待ち合わせ場所もできました。
今日もうきうき歩いて木々を通り抜けます。
ここ最近おおかみさんと会えていなかったのです。わたしの成績が悪くなっていることを心配してくれたのか、試験終わってからじゃないと会わないと言われました。
勿論おかまいなしに会いに行きましたが、会ってくれませんでした。日が暮れるぎりぎりまで粘ったのに来てくれませんでした。仕方ないので試験に集中して文句言われない成績を取ってきました。長かったです。
やっとおおかみさんに会えるのです。
開けた丘の上に出ると、おおかみさんがいました。こうして無防備におおかみさんの背中を見れると、胸がぎゅっとしめつけられるみたいになってたまらなく嬉しいです。
歩いてるのがもどかしくて、小走りでておおかみさんに近付きます。
「静かに」
振り返らずにおおかみさんは言います。
今にも飛びつこうとした所だったのでつんのめってしまいました。
倒れそうになりますが、どうにか踏ん張って持ち直します。
感動の再会に水を差すなんて酷いです……。
それにわたしに背を向けたまま、振り返ってもくれません。
「どうしたんです? おおかみさん」
「今来るな」
何ごとかと思うと。おおかみさんの足元に子犬がいました。
おおかみさんの服の裾をがぶがぶと噛みついて遊んでいたり。
裾をぐいぐい引っ張って遊びに誘おうとしていたり。
あとわたしを見ておおかみさんの後ろに隠れてしまった子もいました。
「わんちゃんもかわいいですが、悪ぶってるけど小動物には優しくしてあげるおおかみさんにギャップ萌えですね」
アレです。不良が捨て犬や捨て猫に食べ物をあげていて、キュンとするのに近いですね。
けどおおかみさんは迷子のわたしを送ってくれたり、危険から助けてくれたりしているので、いい人なのはわかっています。
「黙れ」
呆れたように嘆息します。
子犬たちはわたしたちのやりとりに戸惑っていますが、あからさまにわたしを警戒しています。飛びかかるような、逃げ出すようなどちらにも対応できる体勢です。
わたしが一歩近付くとその分後ずさりします。それでいておおかみさんから離れようとはしません。この子たちおおかみさんが好きなんですね。
流石おおかみさん、子供に好かれるとは。
しゃがんで子犬たちに手を伸ばします。なでなでさせて下さいよー怖くないですよー?
「多分想像してるようなことはないと思うぞ。あとわんちゃん言うな。こいつらもおおかみの端くれなんだから飼いならそうと思うな。肝試し的な感じでここに来てるだけだからな」
子犬……もとい子おおかみさんたちがじっとわたしを見つめます。
「え? まさかおおかみさんのお子さんですか!?」
いつの間にわたし以外の女とこども作ってたんですか!!
おおかみさんのこどもって生まれた時は人間の姿ですか!? おおかみの姿ですか!?
どっちでもバッチコイですよ!!
この子たち育てたらおおかみさんみたく人間の形とれますかね!!
おおかみさん複数に囲まれてるみたいでヒャッハーですね!! イエス疑似ハーレム!!
血がつながってなくてもわたしお母さんになれる自信ありますよ!!
「違う、こいつら群れの子たちだっつの。落ち着けよ、なんでそんな鼻息荒いんだ」
前のめりになっておおかみさんに詰め寄っていました。おおかみさんはわたしの肩を押して距離を取ってしまいます。
おおかみさんのこどもじゃないんですか、がっかり。夢の家族計画が破れました。人の夢はもろくて壊れやすいから、儚いんですかね……。
子おおかみさんたちは凄い引いていました。怖くないですよー?
「テンションの高低差激し過ぎるからだろ。落ち着けよ」
「この子たちも成長したらおおかみさんみたく変身できますか?」
「無理だろ」
一縷の希望にすがったのに、ばっさり切って捨てられました。はぁ……夢も希望もない。
「やっぱりわたしとおおかみさんで子作りするしかないんですね」
「何を言ってる」
おおかみさんまでドン引きしてしまいました。
そろそろ家族計画ネタはやめにしましょうか。もっとしたかったのに……残念ですが。
「こんなに怖がって……わたしがいるからですか?」
「ハァ? お前ごときどこに怖がる要素がある? 人間なんて一噛みで終わりだ」
獰猛に笑っておおかみさんが牙を見せます。ですがヒトの状態でそんなことされても、尖っている八重歯がかわいいとしか思えません。
「牙もないし、脚も早くはありませんが、人間には知恵があるんですよ?」
「本当小賢しい知恵がな」
めんどくさそうに鼻を鳴らします。
「じゃあな」
脱兎のごとく、いきなりおおかみさんが走り出しました。
速いです。とんでもなく速いです。もう豆粒サイズです。
「ええぇぇぇぇぇ?」
わたしと同じように置いて行かれた子おおかみさんたちは茫然としています。
チャンスです。モフるチャンスです。
今ならなでなでとかお触りし放題です。ヒャッハー。
おおかみさんが完全に視界から消えようとする頃。それとわたしが子狼たちに近づくのと同時に、石化が溶けたみたいに子犬……子おおかみさんたちが走り出します。
めっちゃ速いです、四足でもこんなに速く走れるものなのかと思う程速いです。
友達の犬が走る所を見たことありますが、こんなに速く走ってはいなかったと思います。
伸ばした手は空を切っちゃいました。あとちょっとで触れると思ったんですが。
「ぬか喜びさせるなんてひどいプレイですね」
がっくり肩を落としているといつの間にかおおかみさんが傍にいました。さっき視界の端から完全に消えたと思ったのに、気配も音もなくそこにいました。
本当おおかみさん、あなた何者なんですか。変身しますし魔法でも使えたりするんでしょうか。
「おおかみさんは魔法使いですか?」
「起きたまま寝れるって特技なのか」
「寝言は寝て言いますけど?」
「起きて戯言言うばかりだなお前は」
「本気で聞いてるんですけどね」
「魔法なんてあっても法則に縛られてるんだからな。しかるべき手順を踏んでしか使えないんだから。あんな使い勝手悪い物より、科学の装置を使ったほうが手っ取り早い。火をおこすだけならライターで充分だ」
ごそごそポケットから百円ライターを取り出します。コンビニとかで買って来たんでしょうか。山住まいなのに、人間の文明危機を使いこなしてる感が半端じゃないですね。
「え、魔法って実在するんですか」
「そういう狭い観念で縛るから使えなくなるんじゃないのか? もっとも使えた所でどうもしないが」
この口ぶりだとおおかみさんは使えないようです。けれど実際に使える人を知っているような感じでもありますが。
魔法使いは実在するみたいですし、こうなればラピュタも実在しそうな勢いですね。
「へぇー」
「あっさり信じるんだな。ウソ言ってるかもしれないんだが?」
「だっておおかみさんがいるんですよ? 実際に変身見せてくれたじゃないですか」
「はいはい」
「それに、ないって頑なに思うより、あるかもしれないって思ってた方がなんだか素敵じゃないですか」
「夢見がちなのは若い奴の特権だな」
「何でもう、そんな風に言うんですか。夢があって良いじゃないですか」
「使用規制がかかっててホイホイ使えないもんを夢があるって思えるか」
アホくさ、なんて言うみたいに肩をすくめてしまいした。投げやりにそんなことを言ってしまうのです。
おおかみさんはわたしのことを若い奴とか言いますけど。いくつなんでしょうこの人。
見た目若いですが、こんな言い草なのです。少なくともわたしより年食ってそうです。
おおかみ人間ですから、人間より寿命が長かったりして老化のスピードも人間よりゆっくりなんでしょうか。
長い人生……おおかみ生の間に奥さんとかいたりしたんでしょうか。むむむ。
そんなことを考えていると、小さいわんこさんたちが戻ってきました。
全力疾走して体力ゼロなのが丸わかりです。ヘロヘロになってベロが口からはみ出しています。
おおかみさんの近くに来たものの、わたしからは一定の距離を取っています。
それでもおおかみさんから離れようとはしません、本当懐かれてますね。おおかみさんをバリケードにしてわたしを見ています。
「全く……お前ら人間型より足遅いんじゃないのか? まだまだだな。このおこちゃまが。四足で走る時はだな……」
ひどいことを言ってても凄い楽しそうに笑ってるんですよね。それから速く走れるアドバイス付き。小さいわんこさんたちは目を輝かせてアドバイスを聞いています。憧れの人からの言葉をしっかり受け止めている様子です。
子おおかみさんたちは、ぜはぜは息切らせてるのに全く息を切らしてません。どれだけ余裕なんですか。
やっぱり根底からしておおかみさんは、この子たちとは違う存在なんでしょうか。
でも、おおかみさんはこの子たちを近所のこどもを見るように優しく接しています。
仲良くなるのに、そんな細かいことはどうだっていいのです。
「おおかみさんたら」
「なんだよ」
にこにこ微笑んでいると、おおかみさんが不審そうに振り返ります。
子おおかみさんたちも唸ります。何だか最初よりずっと警戒されてますねわたしってば。
おおかみさんに害なす存在とでもみなされたんでしょうか。ヘタしたら噛みつかれるかもしれません。
「落ち着け、こいつ変な人間だから、それほど怖くは無い……はず。けど変なことはしてくるから気を付けろ。不用意に腹見せると触ってくるかもしれない」
後ずさりされました凄いショックです。もふもふしちゃダメですか? さっき隙を見てモフろうとしたら一気に逃げられちゃいましたけど。
「変なことってなんですか、ただもふもふしたいだけじゃないですか」
じり、と隙をうかがいつつわんこさんたちに近づきます。足の間に尻尾を入れてます、明らかに怯えてます。……わたし怖くないですよー?
「それが変なことだって言うんだよ、邪念持ちすぎだろ怖いわ。気安く腹触んじゃねぇよ」
「変だなんて言わないで下さい。おおかみさん、酷い……」
「本当のことしか言ってねぇよ」
顔を覆ってうつむいているのに、そっけない返事。
少しは慌ててくれたっていいじゃないですか。
「ほらお子さんたちが怯えてるじゃないですか」
「いや邪悪な目してるお前にだよ」
子おおかみさんたちに1歩近づくと3歩ぐらい後ろに下がられました。尻尾はくるくるに丸まっています。なんかきゅんきゅんぴすぴす泣きだしました。かわいいんですけど、めちゃくちゃビビってるようです。
「ただわたしは抱っこさせてほしいだけですよ!」
ずぃ、と手を広げてわんこさんたちに迫りました。
それを合図みたいに、また子おおかみさんたちは逃げ去っちゃいました。
脱兎のごとく凄い速いです。いつから兎さんになったんでしょう。おおかみさんって言ってませんでしたっけ?
さっきとは全然違う速さです。何ですか、さっきの手加減してたんですか?
「………………はっやーい」
「本気の逃げと、命の危機は全然違うからな。四足だとな」
「何ですかそれ」
「本能的なおそれがあるとやる気は格段に出てくるって話だ」
火事場の馬鹿力のことですか。脳がかけてるリミッターを外して限界以上の力を出すことみたいですね。っていうか淡々と言ってますけど、それは本能レベルでわたしビビられたってことですよね。
「………………おおかみさんのいじわる」
「人間に優しくして何か得あるのかよ」
「わたしの愛が返ってきます」
「いらんよンなもん」
「売れるくらいありますよ? 」
博愛主義ですし。おおかみさんへの愛なら無限大に供出可能ですよ?
愛ある営みをしたらもっと増えるかもしれません。物理的にも精神的にも。
「ふもとの人間にやれよ、そういうのはよ」
「あなたがいいんです」
「うっわめんどくせ」
ぼりぼり背中を掻いてます。本当に面倒なのですね。
「今に始まったことじゃないでしょう」
こう言うと何だか気の知れた友達みたいになって来た気がします。それ以上の関係になってもわたしは構わないのですけどね。
「それもそうかもな」
「それはそうと。気付いていたでしょう? 今日はミートパイ焼いて来たんですよ、いかがです?」
ごそごそとカバンの中から取り出します。
いったんおおかみさんがいなくなったけれど、戻ってきてくれたのはこれが大きいと思うんです。おおかみさん鼻利きますしね。
「食う。カモミール茶いるか?」
明らかにさっきと態度が変わりました。
おおかみさんはどこからともなく茶器を取り出して、火をおこしました。
いそいそとお茶を準備しています。おおかみさんの淹れてくれるお茶っておいしいんですよね。この間飲ませてくれたお茶おいしかったですし。
食べ物をあげるとおおかみさんって対応柔らかくなるんですよ。
おまんじゅうをあげたら凄い喜んでましたしね。しっぽが見えてたらバタバタちぎれそうなほどイイ感じに振られてたと思います。
胃袋で掴まれてくれるタイプですかね? お料理がんばらないといけませんね。
これを逃す手はありません。しっかり頷きます。
「もちろん」
食べ終わったあと
「おおかみさんお願いがあります。わたしを食べて下さい」
「はぁ?」
嫌そうに顔をしかめました。何言ってるんだコイツ、みたいな反応をするかと思ったら、心底嫌そうにされました。おや。
「断る。人間は筋ばってて薬臭くて不味いから」
「物理的な意味でなくて、性的な意味で構いませんよ?」
茶化すようにわたしは言います。本気に取ってくれても構いませんけどね。
「嫌だね。誰かと子作りなんて」
「触れ合い=子作りと直結してるわけではないでしょう? それってスキンシップでもあるんですよ?」
人間の中では、快楽的な意味もありますからね。それ専用のサービスもあるくらいですから。
「いいや、それが当たり前で普通なんだ。それ以外の意味を持たせる人間の方がおかしい」
「あなたは誰かに好意を感じたことはないんですか?」
「同族にあるものか!!」
いつでも冷静で平静なおおかみさん。
なのにそれまでとは一変して激昂しています。それもすぐにおさまっていつもどおりになりましたが……群れから追い出された時に何かあったのでしょうか。
「なら他者にはあるんですよね」
「そんなことあんたに言う必要はない」
「わたしは聞きたいんです」
「どうして」
苛立ちながらわたしが何を言うか、待っています。それでも警戒は緩めないおおかみさん。
わたしはおおかみさんの柔らかい所に、踏み込んだのです。
今答えないとこれまでの関係を無に帰してしまう、そんな一触即発の空気がありました。
答えを間違えてしまえばわたしはおおかみさんにもう会えないかもしません。
もしかしたら喉笛を噛みちぎられるかもしれない、そんなことも想像しました。
でも。そんなこと絶対ありえません。
おおかみさんは優しいから。
わたしが自殺まがいのことをしても見捨てませんでした。
ちいさいわんこさん、子おおかみさんたちに、こどもに優しくしてくれるのです。
あと。本当に大して理由はないけれど。強いて言うなら。
「あなたに興味があります」
「だからどうして」
より苛立ったように目を細めます。
口の端から犬歯が見えました。気のせいかさっき見た時より伸びているように見えます。刺さったらすごく痛そう。しかも傷口は小さいけど深く刺さりそうな感じです。こんな所でおおかみさんが肉食系の存在なんだと自覚するなんて、おかしなものだと思います。
獣型の時も一回見てるのに、今やっと実感したんですから。
本当にわたしは鈍いのかもしれません。
「あなたが面白そうだから」
ヒト型の方が獣臭いって思うなんて面白いじゃないですか。
自分をおおかみだと言い張るあなた。それでも普段は人間の姿をしています。
でも人間にもおおかみの姿にだってなれます。おおかみの同族を毛嫌いしてますが、なのにこどもには優しくて甘いのです。
やさしいやさしいおおかみさん。気にならないわけがないじゃないですか。
「わけがわからない。人間はそういうものなのか?」
「違います。興味を持つ持たないはそれぞれによります。ただ、わたしはあなたをもっと知りたいんですよ」
「知った所で何も得る物はないってのに」
「あります。あなたを知れた気にはなれるでしょう?」
友達のように、家族のように。もっと深く知れば、長年連れ添った夫婦のようにだってなることもできます。
おおかみさんは苦笑しちゃいました。バカバカしくてやってられないって言われた気がします。そこにいるのはもう、お説教を言いながらわたしを助けてくれるおおかみさんでした。わたしの知ってる、大好きなおおかみさんです。
「お前、詐欺師、なれんじゃねぇの」
言葉を弄して、おおかみさんを翻弄しました。あそこまでおおかみさんを揺らがせることができたのだから、収穫はありました。
「失礼ですね、やり手って言って下さいよ」