或る騎兵将校の戦争
「よう、ワイルダー。無事で何よりだ」
チェルノボグを倒してから約三時間後。
日も高々と昇って午前のお茶の時間になろうかという頃、土埃の匂いも生々しく、四輪駆動の野戦車で乗り付けたマイティ・サムが声をかけてきた。
場所はチェルノボグを倒した地点からいくらも離れていない。
私はそこから大隊の指揮を執っていた、といえば格好良いが、実際はサカイやハートマンたちからの報告を無線越しに聞いていただけにすぎない。
そりゃまあ、色々とメモを取ったりはしているが、目標をセンターに入れてはトリガーを引きまくっていた先程までと比べれば昼寝しているようなものだ。
だいたいそもそも、わたしが無線を聞いているのはYMD-21Aマンティス増加試作型四九号機の、あの狭いコックピットではない。
秋晴れの空の下、我が愛機だったものに腰掛けて軽食を取りながらの野外連絡業務だ。はためにも「ピクニックか何か?」などと突っ込まれてしまいそうだ。
もっとも、パラソルの代わりに広げているのはサバイバルキットに入っていたポンチョだし、それを支えるアンテナ兼用のケーブルが張ってあるのは我が愛騎の残骸。尻の下に敷いたマットは駐屯地の購買部で買った何の変哲もない野営用の断熱マット、とどめにテーブルセットはとうとう肘からもげてしまった我が愛騎の左腕だ。
無線機はミッシーの騎体に積んであった予備機材で、これだけが立派な代物である。
「ああ、こりゃどうも。どうにも無様ななりで申し訳ありません」
言いながら立ち上がって敬礼する。
左手は三角巾と包帯に包まれている。
「確かに平時の将校クラブじゃあ、モテない格好だ」
言いながら色気のある答礼を返すサミュエル・ホーキンズ大佐。
戦場で会うのは実に九年ぶりだ。
「それは?」
マイティ・サムは下ろした右手で私の左手を指し示す。
「それがなんとも締まらない話でして」
チェルノボグを倒したあと、私の騎は結局砲撃の安全圏外に逃れることはできなかった。危険区域外縁部分だからそこまで危なくなかろうと高をくくっていたのだが、あまりにも浅はかだった。
騎体の真後ろ一五mで爆発した一五五mm榴弾の破片をまともに浴び、コックピットブロックの下にあるエンジンブロックと燃料配管が大破、炎上したのだ。
なんとか消火はしたが、今度は残存バッテリーの容量が極端に低い。何事かと思えばバッテリーセルの大半がエンジンブロックの火災に巻き込まれていた。
緊急脱出しようとした瞬間、予備バッテリーに切り替える間もなく主電源を喪失。全システムがダウンしてしまった。真っ暗な閉鎖空間というものは、それはそれは恐ろしいものだぞ。
仕方がないので予備電源を起動して救援を待とうと思えば、今度は何やら焦げ臭い匂いがする。慌てて足元を見ると件の予備電源ユニット、これはメインエンジンのスターターも兼ねる、言ってしまえばちょいと気合の入ったチェーンソーのエンジンみたいなものだが、そいつから煙が立ち上ってくる。なんとそのまま発火するじゃないか。
慌ててシートの上に足を引き上げて脱出行動をとったが、今度はメインハッチが開かない。どうやら砲弾の破片がハッチの開閉機構の一部に噛みこんでいるようだった。ならばと緊急脱出装置のレバーをダメ元で引いてみたが、ガコン、と音がしただけでどうともならない。
マンティスの緊急脱出装置はなんとも手の込んだ代物で、作動させると胸郭上部に仕込まれた火薬とスプリングの力で頭部センサーユニットごと頸部が後ろ向きに吹き飛びコックピットブロックを露出させ、しかるのちにコックピットブロック天蓋部分が前方に向かって展開するというものであった。
これがまぁものの見事に開かない。
あっちを動かしこっちを叩き、そちらを蹴りつけあちらに毒づいて。そうこうしている間に煙が充満して目と喉が痛くなるし、尻は火にあぶられて熱くなってくるし、アレだけ苦労したのにこんなところで死んでしまうのかと思うと悔しくて情けなくて、ついでに煙が目に染みて盛大に涙が出てきた。
ハッチの取っ手を掴んで揺さぶりながら、兄ちゃん、ジェイク、ミッシー、だれでもいいから助けてよ、この際ハルス大尉でも構わないよと叫んだところで急にハッチが開いた。お陰で5mも下の地上に投げ出されるところだったが、幸いメインハッチのすぐ下に広げられていたマンティスの手のひらに顔面着地するだけで済んだ。
私を助けてれくれたのはホワイト大尉だったが、私の顔を見るなり発した言葉が「大隊長、鼻血でてますよ」と来たもんだ。
左手は騎体から脱出する際に少しやけどを負ったのだが、それほど深いものではない。皮膚の張替えをするまでもなく綺麗さっぱり治ってしまうだろう。
結局、この一晩の戦闘で私が負った肉体的な傷といえば、この浅い火傷と鼻血ぐらいのものだった。
「そりゃ締まらんな」
マイティ・サムが呆れたような安心したような、なんとも言えない顔でのたまった。
「ええ、ですからこうして多少なりとも格好をつけようとしてるわけです」
「サカイなりアルベルトに任せて後方に下がればよかろうに」
「そういうわけにも行きませんよ。私は仮にも大隊長ですから。ほかにもまぁ、色々と」
ちょいと拗ねたような顔をしてみせる。私が彼にこうした顔をしてみせるのも9年ぶり。当時の私は、南の国とのちょっとした紛争に実地研修として赴いた士官候補生たちの一人でしかなかった。他の青二才共と違ったのは、生き残れる運のあるなしだけ。思えば、あの頃から私はナマイキなクソガキではあった。
「それもそうだ。要らんことを言った。すまん」
「実際はこのへんも、敵の狙撃兵の活動範囲内ですけどね。第三中隊の残存騎が警護してくれていますので、安心はできます」
と、言った端から無線機がホワイトの報告を伝えてくる。
『パラディン1。メイス1-1。2時方向林野内、距離一二〇〇に敵味方不明熱源を感知。長尺物を抱えています。狙撃兵らしい。敵味方識別装置に応答なし。無線にも応えません』
「メイス1-1、パラディン1。アンノウンはどちらに指向しているか」
『当方、いや、パラディン1を指向中』
「排除しろ」
『ヤーヴォール』
第三中隊第一小隊二番騎が機銃を乱射。
EMP障害からどうにか復旧できた第三中隊第二小隊三番騎が成形炸薬弾を東方の林に打ち込む。
『パラディン1。メイス1-1。クリア』
「ご苦労。警戒を続けろ」
『ヤーヴォール。メイス1-1、アウト』
「ほらね?」
「見敵必戦、疑わしきは即排除。薫陶が行き届いててなによりだ」
マイティ・サムは楽しそうな、呆れたような表情で着弾地点を眺めていた。
「それを叩き込んでくださったのはあなたじゃないですか」
私がそう言うとサムはひょいと眉を上げた。
「それもそうだ」
二人で葉巻をふかしながら、しばらくあたりを眺める。
あちらこちらに騎体の残骸や砲弾の破片が散らばり、樹木や下生えは未だにくすぶっている、寂寞たる眺め。
視界の端では、戦闘終了後、安全確認もしないうちからすっとんできたハルスと、騎体を失い手ぶらとなった第三中隊のパイロット――多くは技術将校やテストパイロットあがり――たちが、欣喜雀躍として内臓をぶちまけたようなチェルノボグの残骸を漁っていた。
ミッシーもそちらに向かい、チェルノボグのコンピュータから何か漁れる情報はないかと悪戦苦闘している。
おそらく結果は芳しくないだろう。
第五砲兵聯隊最後の射撃はチェルノボグを文字通り粉砕してしまったし、EMP弾の直撃を神経系にくらっていたものだから、セントラルコンピュータはほとんどの基板が黒焦げになってしまった。無事にサブシステムか無線システム、データバンクが残っていればいいがと、ミッシーはぼやいていた。
「……たくさん、たくさん死なせました」
「ああ、そうだな」
「責めてはくれないのですね?」
「甘えるな、馬鹿者。お前の処遇はまた誰かが考えるさ」
はぁとため息を付きながら騎体にもたれた。
サカイは大隊の再編作業の実質的指揮官となり、アルベルトはその手足となって”ラッキー”ジョーダン少尉、三~四人の装甲擲弾兵と後方に残していた大隊兵站中隊のトラックを用いて撃破されたパイロットの捜索・救難活動を行っている。まだミッシーと何があったのかは話していない。
その時気づいたんだが、五年前に一度同じ中隊に配属されてから兄ちゃんとは同じ隊になったことがなかったのだけど、七一大隊に所属してからは兄ちゃんとはあまりきちんと話したことがなかったんだ。なんとなく壁があるというか。私は久しぶりにベルティ兄ちゃんの側にいれるのが嬉しくて、そんなこと気にも留めてなかったけどな。
今思えば、なんとも残酷なことをしていたんだな。
サカイたちの保持している、奪還した丘の上の陣地は装甲擲弾兵第三小隊に引き継がれた。と言っても、二個分隊と小隊指揮班しか来ていない。
一個分隊はチェルノボグ周辺で周辺制圧と救難捜索活動を行っている。さいわい第三小隊の歩兵戦闘車四両はすべて無事だったし弾薬もたっぷり残っている。
ヘンドリクス中尉率いる狙撃小隊が奪還した丘の頂上へやってきて睨みを効かせているし、敵も損耗している現在ならそれなりのあいだ持久できると予想された。
第三小隊には将校が残っていたので、ハートマンは安心して生き残りの装甲擲弾兵とクロカワたちとともに後方の予備陣地へ戻ることができた。
ケリー大尉たちは後方の大隊本営へ帰還し、休養をとっていた。
大隊砲兵中隊は再度の補給後、後方の予備陣地と奪還した丘の中間地域へ展開しようとしている。といっても兵站中隊の活動を阻害しないように行動しているので、進捗はよくない。
兵站中隊は補給活動や傷病兵、捕虜の移送に大忙しだ。
整備中隊はしっちゃかめっちゃかだ。整備に、敵味方の機材回収に、兵站の手伝いに、息つく暇もなく働いている。
「そういえば」
と、サムは葉巻を捨てながら言った。
「あれのパイロットは?」
「確保しました、と言いたいところですが」
「だめだったか」
「ええ。自決していました」
私も短くなった葉巻を投げ捨てる。
できるだけ遠くに。
頭痛がする。
あの野郎。
私の大隊をこんなにしやがって。
生きていたらしゃべるだけ喋らしてから、勝者の優越を見せつけながら国際法に則った正規の捕虜として扱ってやるつもりだったのに。いやもちろん、戦闘中に殺せればそれが最高に良かったのは間違いないが、結局はそういった態度こそが敵の貴族将校には一番効く。
貴族将校。
そう、貴族将校だ。
帝国の貴族将校は、皆がみな、ただ一人の例外もなく自分の家の紋章をかたどったパッチを左肩につけている。
やつの左肩にもそれはついていた。
それもとんでもない奴が。
とぐろを巻いた大蛇を踏みつける、火を噴く三頭龍。
無言で個人情報端末の画面をサムに見せる。
画面には血まみれの美少年。
胸の上に置かれた右手には拳銃が握られ、顎の下とヘルメットの中から血があふれていた。
そして、その左肩には大蛇と三頭龍を描いたパッチが縫い付けられている。
それは帝室の紋章だ。
サムはひゅっと息を呑み、どんな状況でも――九年前のあの日、敵の特殊コマンドに囲まれ、銃声の鳴り止まなかった大隊指揮所においてすら――見せなかった表情をした。
いつも酒を飲んでいるかのように赤みのかかっていたその肌は、正しく青ざめる、という表現がぴったりだ。
「だからここを離れなかったのか」
「ええ。これを兵に見せるわけにはいきません。このことを知っているのは、現時点では私とアルベルトとホワイト、それと貴方だけです。ご遺体は私自ら遺体袋に入れました」
ミッシーとハルス、それに他の騎兵や装甲擲弾兵には一切教えていない。彼らは口が軽すぎる。フンメル31はもってのほかだ。
フンメル31は相変わらず我々の上空にいてくれている。通信中継、敵情の観測、敵通信の監視を行っているが、最後のそれは通信機ではなくアナログオシロスコープ(画面に波形が表示される、レトロフューチャーなあの機械)をアンテナにつないで監視している有り様だ。そんな状態では敵無線を傍受できても内容などさっぱりわからない。敵の無線交信の量を計っているだけだと言っていい。
あのウィルスは強力すぎた。フンメル31の機材内部で増殖の兆しを見せたため、敵の暗号化プロトコルを解読できる機材は全て電源を落とされた。
そうでなくても敵の重点監視対象になっている情報ステーションだ、下手な情報を流して敵に付け込まれたくない。
「あちらの帝室は子沢山でいらっしゃいます。どうも七人おられる王子がたの五男ミハイル殿下のようであらせられますが。彼がこちらにおわした理由はお分かりになりますか?」
サムは手を腰に当て俯いてしばらく考え込んだあと、かぶりを振った。
「いや、だめだな。俺の頭ではなぜこの方があれに乗っていたのか、想像もつかん。したくもない」
下水道を覗きこんだかのような顔でサムは言った。
「むしろお前の方がわかるんじゃないのか」
「とんでもない。ウチは四代前から没落貴族ですよ。そりゃまあ、最近は兄夫婦のお陰で持ち直していますが」
天上人の考えていることなぞ、私にはとんと、さっぱりです。
そこまで言って、ちょっとした思いつきが言葉に浮かんだ。
「でも、この敵の攻勢には何かしら深い関係があるのだろうな、とは思いますが」
サムはううむ、と唸ると、腕組みをして考え込む素振りを見せた。
「それはこの写真とともに参謀本部に報告を上げておこう」
「正規ルートと非正規ルートで?」
「正規ルートと非正規ルートで。非正規ルートは情報四課の俺の知り合いに。外務省情報局一課にも流すべきだろうな。ああいや、お前は動くなよ。俺が手配する」
そこまで言って、サムはガリガリと頭を掻いた。
「くそう、できることなら政治に巻き込まれないまま少将ぐらいで退役したかったんだがなぁ」
「ご愁傷さまです」
一言お悔やみを述べると、サムに軽く睨まれた。
「お前がそれを言うか?言っておくがな、ボブ、お前はこれが発端となって巻き起こる政治的ゲームの矢面に立たされるかもしれんのだぞ」
そのことは私もよくわかっている。
この一件は非常に大きな政治的問題だ。
敵味方双方の政治家や貴族社会をはじめ、経済界までを巻き込んでの大きな混乱を生み出す火種となりうる。
それも身の危険を覚えるほどに。
一手打ち間違えただけで喉笛をかき切られかねない。
敵の一連の攻勢の背景を詳らかにしない限り、下手な動きは一切できない。
「それはまぁもちろん。ですが、いつまでも遺体袋に入れておくわけにも行きません。個人的には敵の現地指揮官を呼び出して今すぐ引き渡したいほどです。今日は暑くなりますからね。早めに手を打たないと、帝室のお体を不当に傷つけたとして問題になりかねない」
「しかしそんなことをすれば」
「ええ。敵味方の、一番敵に回したくない連中から目をつけられます」
二人してしばらく考えこむ。
「いや、そうか」
ポツリとサムがつぶやいた。
「お前な、このことをすぐに公表してしまえ。そうだな、敵味方双方ともやや装飾過剰なまでにその勇猛さを讚えるような、しかも美麗な文章で。その上で当該戦線における捕虜と敵味方の遺体引き渡しを敵に呼びかけろ」
思いがけない言葉に私は面食らった。
「それならご遺体もすぐに引き渡せる。少なくとも面倒の一部は即時解決だ。この場での公表のあと、別に機会を設けて記者会見もしよう。この戦争と王子様についてな」
「待ってください大佐、その他の面倒はどうなるんです。貴方もそのことで悩んでいたじゃありませんか」
マイティ・サムは先刻承知だとばかりに、厳つい顔をことさらしかめてみせた。
「お前がわざと俺を巻き込んだんじゃないか」
「ああ、やはりバレていましたか」
「当たり前だ馬鹿者。白々しいことを言うな」
そこまで言うと、サムは新しい葉巻を取り出した。
私にも一本勧めてくれるので、ありがたく頂戴する。
二人して吸口を噛み切り、火をつける。
「確かに目をつけられたくない相手に睨まれることは間違いないだろう。だが世間に知れ渡るほどデカイ声で言えば、俺達に消えてもらっては困る連中も出てくるはずだ」
「あてになりますかね」
「ならなくて良いのだ。世間の耳目が集まるだけで、それは相当の抑止力となる」
「ならばその役割はお譲りいたします。自分にはとても」
「馬鹿言うな、少佐。俺じゃ筋肉モリモリの変態マッチョ野郎が、ねじ切った首を掲げたいだけだと思われるだけだ。だが、お前みたいなちょっとした美人が涙をこらえながら記者会見の一つでもすれば、少なくとも我が国の国民からは支持は得られる」
「勘弁して下さい、冗談じゃない」
言いながら私は両の手を振った。急に葉巻がまずく感じられた。
「いいや、ぜひともやってもらわねばならん」
うんうんとマイティ・サムは自分の思いつきに頷いてみせ、しかるのちに葉巻を私に突き出しながらこう言った。
「いいじゃないか、ローラ・フォン・ワイルダー騎兵少佐。鉄血公女。鉄拳ボブ。数多の戦場でいくつも二つ名を奉られた美人騎兵が涙ながらに軍情報告を行い、敵味方の民衆はそこに停戦の願いを見る。お前は共和国にとって、二重の意味での救国の英雄となるぞ。首都防衛と、停戦、そして和平の架け橋を掛けた英雄として」
「そうして彼、チェルノボグの君は戦争を終え、私は新たな戦争を抱え込むことになるのですね?」
私が諦観とともにそう言うと、マイティ・サムは憐憫とともにウィンクした。
「それこそがおまえが憧れた騎士ってものじゃないかね?」
私は深く深く、ため息を付いた。
どうだ、全く、どうにも締まらない話だろう?
今回で物語としては一旦の区切りを迎えます。あと数話、後日談や番外編を投稿して完結となりますが、次回投稿まで一ヶ月ほどお休みを頂きます。
しばらくお待ち下さいませ。
なお誤字脱字呼称変更部分は今後ともちまちま修正していきます…




