防御(1)
「はー……全く……私ら戦争やってんだぞ、この野郎。いいところでそういう話は打ち切れよ。息抜きは大事だよ? とても大事だよ? でもな?? 脱線しすぎだろ?? これでここで負けたら死んだ奴らが浮かばれんだろうが、いい加減にしろ。全軍交代で小休止。カノーネは砲兵第五聯隊の戦闘復帰を待って陣地転換と補給だ」
多少の息抜きのために自分のことを「おしとやか」と表現したことは事実だが、いささかお遊びが過ぎる。
ヘルメットを脱ぎ捨て頭をかきむしりながらそう言ってやると、ジェイクが驚いた声を出した。
『いいんですか、大隊長。奴ら目と鼻の先ですよ』
「いいんだよ、どうせしばらくは撃ってこないよ。こっちを誘うためにそうするに決まってる。あっちが執拗に私達を狙ったのも、いま砲撃してこないのも誘いだよ、誘い。敵の逃げ足が妙に早かっただろ?今踏み込んだら十字砲火喰らって一巻の終わり、だ」私はひどくぞんざいな調子でそう言ってやった。
『いつお気づきに?』
「今だよ、いーま。たったいま。いいからお前も休め。」
小休止の号令が各将兵へ伝わっていく。
兵たちは割り当てられた壕の中に座り込み、弾薬を再分配し始めた。MD騎兵たちも同様。
弾薬の再分配を終えたものから順に騎体から降り、奪還した壕内のトイレに駆け込んだり、軽く食事をとったりしている。この程度のことは何も言わずとも自動的に行うように、サカイがよろしく訓練してくれている。
左太もものポケットから鼻紙を取り出し、大きく音を立てて鼻をかんだ。
敵から最も見られやすい場所に騎を進め、腕組みをして周囲を見渡す。
ハン。なんともひどい場所にいるもんだ。
元々は緑豊かな場所であったろうこの丘は、打ち続く闘争の果てに全ての樹木が吹き飛ばされ、アバタだらけの残骸だらけだ。五〇〇メートルほど先には我軍の戦車の残骸が転がっている。
丘の東側はちょっとした小川を挟み、樹齢三〇〇年以上の樹木が密生する森林が幅四km、長さ一〇kmに渡って広がっている。夜間ということもあって、森林内部は鼻を摘まれてもわからないような闇だろう。あんなところで戦争はしたくない。
森林が途切れる距離六kmほどの右前方に、発煙弾が降り注ぐ一角がある。電波に対しても効果のあるチャフスモークだ、レーダーとレーザー、ついでに熱線も通らない。熱線画像の中ではただの白い塊だ。
『大隊長、危険です』ミッシーから通信が入る。わずかにパケット抜けによるノイズが入る。盗聴されている証拠だ。
煙幕の中、身じろぎもせずにただ耐えるチェルノボグの姿を想像した。だが奴は本当に今でもそこにいるのか?
「黙れパラディン3。お前はお前の仕事をしろ。特にあのクソヤローについて。いいな」
『ヤーヴォール、マイン・ヘル』ミッシーはやや憤然として返信した。
盗聴していそうな敵の連中が、これで何かに気づいてくれるかどうか。いや、盗聴されていなくても良いのだ。私と誰かがなにか短い交信を交わしたという事実は、彼らにも観測できたはず。
考えなおしてみよう。
敵の目的は主戦線での攻勢を援護すること。
そのための北部戦区侵攻だ。
これに対する大隊の目的は?
敵の侵攻の阻止。
目標は敵先鋒集団の撃破、あるいは連隊主力到着まで敵先鋒を食い止めること。
ここまではうまく行っている。
敵に奪われた丘陵は奪還し、先鋒集団も圧倒的な砲兵支援のもと、さんざんに打ち負かした。
大隊はさらなる戦果拡張を行うべき時期に来ている。
私達にそう認識させることで大隊を無駄に突出させ、渓谷内部に設定したキルゾーンへ誘い込み、撃滅する。
これが敵のシナリオだ。
その中で決定的な役割を果たすのは?
チェルノボグだ。
よってチェルノボグを打倒もしくは戦闘不可能な状況に追い込まねば、ここでの我らの勝利はありえない。
おそらくは。
あるいはそう思わせることが敵の狙いか。
問題は敵のシナリオにどこまで付き合うか。
決まっている。
茶番にいつまでも付き合っていられるものか。
「そのまま聞け。ここまでは敵のシナリオに乗って動いた。おかげでちょっとした混乱も起きたが、とりあえずは作戦続行可能だ。ここからは我々が描いたシナリオに敵を乗せる。奴らはこの渓谷を突破することが目標のようだ。よって大隊は現地点にて持久体制を取る。敵を釣り出す。インディア288、メイスは緊急時を除いて直ちに無線封鎖。現地点にて警戒態勢を維持せよ。返信はいらん。新たな命令はアナログ短波で行う。フレイルは小休止終了後、散開しタコ壺を掘れ。歩兵の真似事をしてもらう。シュバルツはフレイルの作業を手伝え。シックルは作業の援護」
『フレイル了解、しかし道具が無いですが』サカイが面白がっている声で返信してきた。陣地設営用の重機のことを言っている。シュバルツの装備ではMD用のタコ壺は掘れない。
ああ?タコ壺とは何かって?
きみなぁ、軍事系ライターと違うのか。なに?この間までは純文学やっていただと?
はぁ。
タコ壺ってのはな、歩兵が守備陣地に掘る個人もしくは二~三名用の壕のことだ。
戦争映画、特に陸上戦闘が主題のドキュメントやドラマ色のつよいやつを見たことはあるだろう。あれで歩兵が地面に深くてそこそこでかい穴掘ってなかったか?あれだよあれあれ。
「防盾から弾倉を外して使おう。マスタースレーブモードで何とか出来るんじゃないかと思う」
『言われてみればそうですな。承知しました』
「いい具合に動作をパターン化できたら、大隊指揮班に動作ログを圧縮して送れ。あとでマクロ組もう」
さて。敵さんは乗ってくれるかな。
MDの防盾が特大のシャベルとして使えることを第二中隊が実証し、警戒態勢を構築しながらも手持ち無沙汰で眠りこける者が続出し始めたころに、敵が動きだした。
丘の頂上を奪回してからもう三時間以上たったことで、敵も捕虜が後送されたと確信したのだろう。実際のところ、捕虜と重傷者の移送はもう二時間ほども前に終了している。
夜明けまであと二時間少々。共和国北部の夏は、朝が速く来る。
大隊砲中隊は敵の対砲迫射撃で多少損害も出ている。自走砲一両が転輪破損(回収のち修理中)、もう一両が主砲損傷による火力喪失、乗員が軽傷。陣地転換と補給は完了している。
第一中隊は既に丘の東斜面から麓の小川までを射線に収める地点に、タコ壺というよりは土塁を築いて待機している。いつでも飛び出して機動戦闘可能な状態だ。
フンメル31は結局、敵無線傍受用のアンテナと無線機、コンピューターを物理的に破棄することで戦列へ復帰した。
とは言っても元々は同盟国、無線機が扱う通信プロトコルはほぼ同一だからお互いにいつでも侵入できるのが実情だ。無論それなり以上の腕を持つハッカーであればの話だが。敵無線傍受用回線から侵入されたのは、あくまでそこのセキュリティが意図的に低く設定されていたからに過ぎない。
フンメル31の内部では多数のコンピューターとオペレーターが敵の回線侵入と今も戦っている。フンメル31は大隊と軍一般情報回線をつなぐハブだ。フンメルを制圧、影響下に置ければ参謀本部のサーバに進入するのも難しい話ではなくなる。
既に第五砲兵聯隊が戦闘に復帰したが、敵衛星の大多数が軌道を離れ、チェルノボグからの無線発信数も極端に減ったということで、煙幕弾射撃は行っていない。数時間前と同じ密度の衛星偵察が行われるのは二時間後だそうだ。
チェルノボグは焼け野原の中でうずくまったままだ。まさか煙幕弾のせいで窒息死したんじゃなかろうな、とは思ったが、戦列に復帰したフンメル31が艦載無人偵察機を降下させたところ、チェルノボグまで四kmという地点で対空レーザーによって叩き落とされた。しぶとい野郎だ。
二八七中隊は要請した線までの後退を成功させた。途中何度か迫撃砲などで射撃を受けたようだが、損害は皆無。
敵観測班は結局見つけられなかった。
敵の動きを察知したのはフンメル31だった。
戦列復帰後も相変わらず音声回線は一切使用せず、大隊指揮系テキスト通信を利用した。テキストチャットで交信に参加している。音声パケット通信のセキュリティに疑問が生じたためだろう。
《FML31:フンメル31よりパラディン、敵砲兵の射撃を感知。ならびに装甲部隊の移動を確認。戦術情報マップ確認されたし》
「ようし。野郎ども!起きろ!起きろ!起きろ!全員その場で耐砲撃防御、間抜け野郎は死んだあとで私が個人的に殺し直しに行くから覚悟しろ」言いながら私もジェイクの掘ってくれた壕に入り、防盾を掲げ、しゃがみ込む。
これだけで地面から見えるのはわずかに突き出た防盾と、その下から覗くメインカメラだけとなった。
敵砲弾は五〇秒程度で初弾の着弾があった。
数は六発から八発までで構成される三波、計二二発だ。
敵も砲兵の再編成が終わったらしく、調整の取れた砲撃だった。
多くは私達の奪還した陣地、少数が後方の予備陣地へと着弾した。
ただし集弾は悪い。
まぁ初弾だしな。
《FML31:続けて敵効力射確認。数が多い。注意せよ》
七〇秒後、今度は一度に二〇発ほどがこちらに降り注いできた。
後方の予備陣地への砲撃はなし。
あまりに精度が悪すぎるという判断か。
観測班がいないんじゃあそりゃあな。
しかしチェルノボグが衛星と協同して砲撃を誘導していたことはこれではっきりした。で、あるならば。
「総員、戦術情報マップに注目。敵装甲集団の移動が本格化し始めたぞ。合計三個中隊ほどが我が方の右翼に向ってる。恐らく川沿いに南下するつもりのようだ」
予想通りの動きだ。
敵陣を砲兵の弾幕で制圧し、その間に快速の機甲部隊で迂回浸透突破。
我々がこれをやらなかったのは、装甲防御力と兵力そのものに自信がなかったから。しかし連中はこれができる。いやになるほどの兵力差。大隊が聯隊や旅団を抑えようとするからこうなる。
だがしかし。
「ハマー43、指定の座標に敵が侵入したら砲撃を依頼する。効果判定は逐次報告する。フレイル、敵装甲集団中央が射程に到達した時点で射撃開始。シックルは敵装甲集団が突破を図るようであればこれを撃て。メイスは別命あるまで待機、返信不要」
『ハマー43了解。ついでに対砲迫射撃を開始する。フンメル31、誘導頼む』
《FML31:承知した。データ転送する》
「頼むぞ。さすがにこの数は鬱陶しい。手早く減らしてくれ」
無線を大隊指揮系回線から、部隊一般系に切り替える。兵隊連中が主に使用する回線で、セキュリティは高いがそこに流れる言葉の程度は低い。何人かの荒い息遣いが聞こえる。新品パイロットや新兵たちの息遣いだろう。ちょっと励ましてやるか。敵の砲撃はますます強さを増している。
「にしてもサカイ教官、今日のあいつらちょっと手を抜いてないですかねぇ」胸ポケットから葉巻のパッケージを取り出し、吸口を噛み切った、切れ端を音を立てて吐き出す。至近弾で騎体が揺れる。
『ワイルダー騎兵候補生殿、またコックピットで葉巻吸っとりますな?』同じく部隊一般系回線から聞こえてくるサカイの声に笑いがにじむ。
「だって教官、こんなんだったら戦術シミュレーター、状況一二-三のほうがまだきついですよ」わざとオイルライターを手荒く扱い、大きな音を立てて葉巻に火をつけ、煙を吐き出す。
状況一二-三は兵種にかかわらず全ての将兵が一度はプレイさせられるシチュエーションだ。初プレイだと誰もが確実に(シミュレーターで)死ぬのだが、死んだあとも状況終了まで砲撃やADの歩行振動に揺さぶられるのが厄介だ。歩兵連中なんぞは装甲服の中で、”視界は揺れまくるのに体は一切動かない”状態になった上で先任下士官からさんざんどやしつけられるもんだから、状況が終わったあとはゲロまみれの汗まみれ、丸一日の休養が必要なほど憔悴してしまう。
『はっはっはっ、あのシナリオは儂が設定したもんですからな。自信作です』それを聞いて安堵したかのようなクスクス笑いが兵達の間に広がる。
「わたしアレ最初酔っちゃって、終わってからゲーゲー吐き通しでしたからね。お陰で度胸は付きましたが」
『お役に立てて何よりですな』サカイはガハハと笑った。一般系回線の中の笑い声はますます大きくなった。
誰だ、ついたのは度胸だけじゃなくて胸もじゃね、なんて言った奴は。
ちゃんと聞こえてるぞ。
まぁそれだけ元気なら、この後もちゃんと戦争できるだろう。




