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24話:揺れるポニーテール、あるいは浮き足立った弁明

 ◆◆◇◇◆◆

 1. 予期せぬ訪問者


 シルバーアンカーの休日は、いつだって琥珀色のお茶の香りと共に流れる。

 レデア・メイスは、リビングのソファで最新の航宙図を眺め、シュティアはその隣で、姉の髪に付いた(シュティア以外には見えない)微細な埃を払うという名目の「お姉ちゃん愛で」に勤しんでいた。


 そんな静寂を破ったのは、船の外部ハッチから届いた控えめなチャイムの音だった。

 

「……来客? 予約は入っていませんでしたが」


 レデアがモニターを確認すると、そこには大きな整備鞄を肩にかけ、不安そうにポニーテールを揺らす少女の姿があった。


「サティさん? どうしたのでしょうか、こんな時間に」


 レデアがハッチを開けると、ハル・メンテナンスの一人娘、サティが「あ、あの!」と声を弾ませた。

 

「ごめんなさい、突然! でも、どうしてもレデアさんとシュティアさんに相談したいことがあって……」


 普段の活発な彼女にしては珍しく、言葉を選んでいる様子だ。

 

「立ち話もなんですから、中へどうぞ。シュティア、応接室を開けてください。お茶の用意も」


「……了解。お姉ちゃんとの至福の時間が中断されるのは遺憾だけど、サティさんの頼みなら仕方ないね」


 シュティアは、いつもの「穏やかで有能な妹」の仮面を被り、完璧な所作で二人を応接室へと導いた。


 ◆◆◇◇◆◆

 2. 置き去りの二人、あるいは沈黙の波紋


 普段は物置き同然になっている応接室は、シュティアの迅速な清掃と重力制御の調整により、一瞬で高級ホテルのような静謐さを取り戻していた。

 サティが鞄から取り出したのは、一枚の古い回路図だった。

 

「父さんの店に持ち込まれた、旧式のセンサーユニットなんです。でも、今のマニュアルには載っていない特殊な暗号化がされていて……。これを解けるのは、レデアさんしかいないと思って」


「……なるほど。確かにこれは、二十年以上前の軍事規格の名残りがありますね。アーカイブを照合する必要があります」


 レデアは回路図を手に取ると、すっと立ち上がった。

 

「私の部屋にある専用端末で計算を回してきます。少しの間、待っていてください」


「あ、お姉ちゃん! 私も手伝うよ! 複雑な暗号なら、私が解読も……」


 シュティアが立ち上がりかけたが、レデアの小さな手がそれを制した。


「いけません。サティさんはお客様です。彼女を一人にしてはいけません。シュティアはここに残って、ホストとして彼女を退屈させないように。……いいですね?」


「えっ、でも、お姉ちゃん……」


「命令です」


 レデアはそれだけ言い残すと、パタンと扉を閉めて出て行ってしまった。

 応接室に残されたのは、シュティアとサティ。

 これまでにない、二人きりの空間。


 シュティアは、手元のお茶を啜り、何気なく目の前の少女を見た。

 サティは、レデアが出て行った扉をじっと見つめていたが、やがて視線を落とし、自身の膝の上で指をいじり始めた。

 その拍子に、彼女のポニーテールが、ぴょこりと跳ねる。


(……揺れた)


 シュティアの脳裏に、先日の記憶が蘇った。

 レデアへの執着とは違う、純粋な感嘆。懸命に働き、自分たちを支えてくれた小さな背中。その頭にそっと指先を乗せた時の、不思議なほど柔らかい、温かな感触。


(あの時、なんで私はあんなことを……。でも、確かにあの瞬間、この子の髪に触れて、少しだけ心が凪いだような気がしたんだよね)

 シュティアがそんな思案をしていると、サティが不意に顔を上げた。


「……シュティアさん」


「えっ、あ、はい。何でしょう、サティさん」


 普段ならどんな窮地でも動じないシュティアが、なぜか少しだけ声を上ずらせた。


 ◆◆◇◇◆◆

 3. 距離の融解、あるいは挙動不審の姉


「あの、先日は……ありがとうございました」


 サティが、頬を微かに染めてシュティアを見つめる。

 

「頭、なでなでしてくれたこと。……私、あの後、ずっと考えてたんです。シュティアさんって、いつもはレデアさんの後ろに一歩引いてて、すごく冷静だけど……本当は、とっても温かい人なんだなって」


「ええっ、あ、いや。それは、その。……お姉ちゃんが喜ぶ顔が見たいなので……私自身が温かい人間だなんてことは一つも……」


 シュティアは、自分でも驚くほどの勢いでいつもの仮面の裏側を捲し立てた。

 対外的には常に完璧な「淑女」を演じている彼女が、たった一人の少女の視線に、これほどまで動揺している。


 サティは、そんなシュティアの様子を不思議そうに見つめていたが、やがて、椅子を少しだけシュティアの方へ引き寄せた。

 

「シュティアさん。……私のことも、……『妹』みたいに思ってくれても、いいんですよ?」


 サティは、シュティアの服の袖を、おずおずと、けれどしっかりと掴んだ。

 上目遣いで、無垢な信頼をぶつけてくる少女。それは、シュティアがこれまでレデアに向けてきた「甘え」の形に、どこか似ていた。


「え、えええ……!? あ、いや、サティさん? 距離が、距離が近いですよ? 私とお姉ちゃんの間には星屑一つの距離も入り込む隙間はないっていうのが我が家の家訓で……」


「……シュティアさん、顔、真っ赤ですよ?」


「それは、この部屋の空調がですね、その、第4ベンチレーターの不調で……!」


 シュティアは、掴まれた袖を振り払うこともできず、冷汗を流しながら虚空を見つめた。


 レデア一筋。それは彼女の魂の根幹だ。だが、今、目の前で子犬のように自分を慕ってくれるサティの熱を、どう処理していいのか。


 ◆◆◇◇◆◆

 4. 帰還、あるいは「浮気」の現場


「……お待たせしました。暗号のアルゴリズムは特定できましたよ」


 静かに扉が開いた。

 レデアが、端末を持って部屋に戻ってきた。


 そして、彼女の目に飛び込んできたのは。

 シュティアの袖をぎゅっと握り、今にもその肩に顔を埋めそうなほど接近しているサティと、頬を紅潮させ、両手を泳がせながら挙動不審の極みに達しているシュティアの姿だった。


「…………」


 レデアは、無表情のまま足を止めた。

 シュティアの心臓が、文字通り跳ねた。


「お、お姉ちゃん! 違うの! これは違うんだよ! サティさんが急に『妹にして』とか言い出して、私は断固としてお姉ちゃん以外の親族関係を認めるわけにはいかないって説明しようとしていたところで……!」


「シュティアさんも満更でもなさそうでした」


「サティさん! 今はちょっと! お姉ちゃん、聞いて! 私が一番なのは、永遠にお姉ちゃんだけなんだよ! 本当だよ!」


 シュティアは、浮気現場を押さえられた不実な恋人のような勢いで、レデアの足元に滑り込まんばかりの勢いで弁明を始めた。

 

「サティさんも、まあ、確かに可愛いとは思うよ!? でもそれは、ちょっと違うと言うかお姉ちゃんは宇宙一だから……!」


 レデアは、必死に訴えかけるシュティアを、じっと見つめた。

 そして、ふっと視線をサティに移し、それからまたシュティアに戻すと、少し笑みを浮かべ優しく告げた。


「……仲が良いですね。良いことだと思います」


「えっ」


「サティさんは優秀な方ですし、シュティアとも気が合うのなら、私としても安心です。良かったですね、シュティア。お姉ちゃん以外にも、心を許せる相手ができて」


 レデアの言葉に、これっぽっちの皮肉も、嫉妬の色も混じっていなかった。

 彼女は本心から、妹に「友達」ができたことを喜んでいるようだった。


「…………」


 シュティアは、絶望の淵に立たされたような顔で固まった。


「……お、お姉ちゃん……?

 もっとこう、『私の妹に色目を使わないで!』とか、そういう怒りはないの……?」


「何を言っているんですか。早く離してください、動きにくいです」


 レデアは、自分の足に縋り付こうとするシュティアを軽くあしらうと、テーブルに端末を置いた。


「ふーん、そうですか。サティさんのことがそんなに『可愛い』なら、今度から私は、作業の邪魔にならないように席を外してあげましょうか?」


「お姉ちゃああああああん!! 嫌だ! 嫌だよ! 死んでも離れないよ! 今の発言、取り消して! 『ふーん』じゃなくて、『私のシュティアに変な虫がついた!』って憤慨してえええ!!」


「ふふ……! あはははは!」


 ついに、サティが我慢できずに噴き出した。

 

「シュティアさん、いつも凄くクールなのに、こんな一面あるなんて、もっと好きになりました!」


「サティさんも追い打ちかけないで!!」


 阿鼻叫喚の応接室で、レデアだけが平然と回路図を指差した。

 

「……そんなことより、話の続きをしますよ。サティさん、この第8ゲートの電圧設定ですが……」


 レデアのマイペースな追求と、サティの楽しげな笑い声。そして、その影で一人、お姉ちゃんの「ふーん」の残響に打ちひしがれるシュティア。

 シルバーアンカーの賑やかな休日は、新たな「波紋」を伴いながら、いつまでも更けていくのだった。

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