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16話:微睡みの境界、あるいは旋回する双星

 ◆◆◇◇◆◆

 1.揺籃の朝、銀色の休息


 スバル・ステーションの人工照明が「朝」のサイクルに切り替わり、旧式作業船『シルバーアンカー』の居住区に淡い光が差し込んだ。


 レデア・メイスは、肌に伝わる確かな熱量で目を覚ました。


 十五歳の華奢な体が、自分よりも一回り大きな温もりに包まれている。


「……ん……」


 視線を落とせば、そこには二十四歳の妹、シュティアの姿があった。



 いつもなら、レデアが瞼を動かした瞬間に「おはよう、お姉ちゃん!今日の寝顔も銀河一の芸術点だったよ!」と熱烈な抱擁が飛んでくるはずだ。

 あるいは、寝ているレデアの首筋に鼻を押し付け、その匂いを深々と吸い込んでいるか、どちらかである。

 だが、今のシュティアは静かだった。


 鋭くも美しい美貌は、深い眠りの中で驚くほど穏やかに緩んでいる。


 規則正しい呼吸に合わせて、レデアの肩に回された腕が微かに上下していた。


「……また、電子ロックを解除して入ってきましたね」

 レデアは小さく溜息をついた。部屋のロックは定期的に更新しているが、シュティアにとってパズルに過ぎない。


 普段のシュティアは、姉に対して強くて重い愛を惜しみなくぶつけてくる、そんな年上の妹。


 しかし、こうして無防備に眠っている姿は、ただの「妹」にしか見えなかった。


「……こうしていると、かわいい妹なんですけれど」

 レデアはそっと手を伸ばし、シュティアの整った髪を撫でた。いつもは一方的に「なでなで」される側だが、たまにはこうして報いてやるのも悪くない。


 指先から伝わるシュティアの体温は心地よく、レデアは数分間、その静かな時間を享受した。


 ◆◆◇◇◆◆

 2.朝食の嵐、あるいは日常の加速


 数十分後。

 キッチンでエプロンを締めたレデアが、手際よく合成タンパク質のソテーを皿に盛り付けていた。


 その時、居住区の通路から、まるで小型エンジンが火を吹いたような騒がしい足音が迫ってきた。


「お姉ちゃああああん!どうして、どうして一人で起きちゃったの!?」


 バァン!と自動ドアが悲鳴を上げるような勢いで、シュティアが駆け込んできた。


 髪は少し乱れ、瞳には裏切られた子犬のような、あるいは世界の終わりを目撃した狂信者のような絶望が浮かんでいる。


「お姉ちゃんの目覚めの瞬間を、私の網膜に128Kで焼き付けるのが私の朝の義務なのに!まさか、私の知らない間に起きて、私の知らない酸素を吸って、私の知らない朝食を作ってるなんて……!」

「シュティア、騒がしいですよ。ほら、冷めないうちに座ってください」


 レデアは振り返り、慌てふためく妹の姿を見て、思わず「ふふっ」と喉を鳴らして笑った。


 その微笑みは、普段の淡々とした「流し」ではなく、年相応の少女が漏らす慈しみを含んでいた。


「あ……。お、お姉ちゃんが笑った。今の笑顔、録画……ああっ、デバイスが部屋の中だ!私のバカ、一生の不覚……!」


「いいですから、早く食べてください。今日は仕事が詰まっているんです」


「うん……お姉ちゃんの作った朝食なら、たとえ中身がデブリでも完食しちゃうよ!」


 ◆◆◇◇◆◆

 3.残響、歪む出力



 場面は変わり、辺境の小惑星帯。

『シルバーアンカー』は、無数の岩塊が浮遊する静寂の海を滑るように進んでいた。


「……お姉ちゃん、まだ納得いかないよ。朝、私が寝てる隙に起きるなんて、もしかして私に隠れて別の誰かと通信してたの?サティさん?それともあの金ピカおばさん?」


「シュティア。いい加減にしてください。そもそも私は、自分の部屋に電子ロックをかけていたはずです。勝手に入り込んで、勝手に隣で寝ていたのはあなたでしょう」


 レデアは操舵桿を握りながら、背後のシュティアに呆れた視線を送った。


 シュティアは「お姉ちゃんのセキュリティが甘すぎるのがいけないんだよ。あんなの愛の力で秒速だよ」と、もはや論理を放棄した反論を口にしている。


「……来ました。前方、デブリ群の影に高濃度の反応。A級鉱石です」


「了解!お姉ちゃん、あの隙間を通るよ。アンカー、射出!」


 二人の空気が一変した。

 レデアの精密な操舵と、シュティアの正確無比なアンカー操作。

 シルバーアンカーは、岩塊同士が激しく衝突する危険地帯を滑らかに潜り抜けていく。


 シュティアがアンカーで岩を固定し、それを支点にレデアが船体を急旋回させる。


 息の合ったコンビネーションはこの姉妹にとっての日常だ。


「採掘レーザー、照射開始」

 レデアがスイッチを入れる。


 だが、鉱石の表面を焼く青白い光線は、どこか弱々しく感じられた。


「……シュティア。出力が、以前より数パーセント低下しているようです」


「そうだね。やっぱり旧式だし、そろそろ買い替え時かなぁ。お姉ちゃん、次の街で最新のモデルを見に行こうよ。もちろん、私の選んだ可愛い服を着て、デート気分でね!」


「検討しておきます。……でも、買い替えの問題でしょうか」


 レデアの脳裏に、先日のレースの記憶がよぎった。


 カトリーヌの船から飛んできた巨大な装甲板。


 それが、シルバーアンカーに触れる直前、見えない炎に焼かれたように「蒸発」した、あの不可解な光景。


(レーザーの出力が下がっていたのなら、尚更……)


 納得がいかない。


 レデアは思考を止め、操舵桿を握り直す。


 暫く作業を続け、レデアが口を開こうとした瞬間。


「……なんか、こういう時は邪魔が入りそうなんですよね……」


 予感は的中した。


 後方の岩影から、武装小型船が躍り出てきたのである。



 ◆◆◇◇◆◆

 4.略奪者の誤算、あるいは銀の旋回


「へっ、見つけたぜ。あの時俺たちをコケにしやがったボロ船だな!」


 通信機から、聞き覚えのある下品な声が響く。


 以前の仕事で撃退したレイダー(略奪者)だ。


「やめてください。あなたのやっていることは違法行為です。私たちは正当防衛をしたに過ぎません」


 レデアは冷静に警告を発するが、相手はせせら笑う。


「俺たちはそんなに行儀がよくねえんだよ!良い鉱石を見つけたようじゃねえか。おとなしく置いていきな!」


 直後、レイダーの船からプラズマ弾が放たれた。レデアは僅かなスラスター操作でそれを回避する。


 船体は数ミリの差で熱線をかわし、背後の岩塊を爆発させた。


「まったく……。どうしてこういう方が多いのでしょうか」


 困り果てたレデアが周囲を見渡す。


 いつもならシュティアが「アンカーでデブリを投げようか?」と提案する場面だが、回避の動きによって、周囲に武器として使える手頃な岩塊がない位置にいた。


「へっ!これでこの間のようにはいかねえな!そんなボロ船、大した武器はねえだろ!」


 レイダーが勝ち誇ったように距離を詰めてくる。その時、背後でシュティアの声が、短く、冷静に響いた。


「お姉ちゃん。あいつに近づいて」


 レデアはその意図を瞬時に察した。


 シュティアが「排除モード」に入った時の、独特の空気感。

「……了解です」

 レデアは頷くと、スロットルを最大まで押し込んだ。シルバーアンカーが火を吹く。逃げるどころか、正面から突っ込んでくるボロ船に、レイダーは狼狽した。


「な、なんだ!?自殺志願者か!」


 シルバーアンカーが敵船の側をすり抜ける、その一瞬。


 シュティアの手がコンソールを叩いた。


「本当に面倒な人たち」

 シュン!と空気を切り裂く音と共に、シルバーアンカーから放たれたアンカーが、レイダーの船の外壁を捉えた。


 仕事で最も使用するアンカーは元々レデアの最もこだわるパーツだ。

 妹の技量を発揮させる大事なパーツ。

 精密作業を行い、時には岩石の掘り起こしにも使うそれは、とてもつもない強度を誇る。

 それは、『勢いさえつけば』小型船のシールドなど容易く貫通する。


「こ、このガキどもぉ!」


「シュティア、合わせます!」


「うん、お姉ちゃん!」

 レデアが船体を急激にロールさせ、遠心力を最大化する。

 シュティアはアンカーの長さをミリ単位で制御し、敵船を振り回す支点を作り出した。

 シルバーアンカーを中心に、繋がれたレイダーの船が円を描いて加速していく。


「あ、あああああああ!?」


 悲鳴が最高潮に達した瞬間、シュティアがアンカーを切り離した。慣性の法則に従い、レイダーの船は制御不能のまま遥か彼方のデブリ帯へと投げ飛ばされ、小さな光点となって消えていった。


 ◆◆◇◇◆◆

 5.歪な残照、あるいは愛の形


「ふふ、良い連携だったね、お姉ちゃん!」


 シュティアは何事もなかったかのように、いつもの甘い声に戻った。


「……そうですね。お疲れ様です、シュティア」


 いつの間にかレデアのそばに来ていたシュティアがその腕でレデアを包み込む。


「本当はさ、あんな奴にお姉ちゃんが話しかけること自体、私には許せないんだけどなー。お姉ちゃんの綺麗な声が汚れちゃうよ」


「もう、またそういうことを言って」


 レデアは苦笑しながら、再び操舵桿を握り直した。

 シュティアが背後からレデアの肩に顎を乗せ、その銀髪を愛おしそうに見つめる。


「ねえお姉ちゃん。仕事が終わったら、また『なでなで』してくれる?」


「……善処します」


「やった!大好きだよ、お姉ちゃん!」


 人工の星々に囲まれた暗い宇宙で、シルバーアンカーは再び静かに進み始める。


 それは、依存と守護、そして少しずつ形を変えゆく姉妹の、歪で幸福な日常の続きだった。

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