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3.久我邸

 翌日、九時五十三分頃に到着した新たな我が家は、思っていた以上の迫力だった。

 有形文化財と言ってもいいくらいに立派なつくりの日本家屋があり、塀に囲まれ、門をくぐれば着物姿の人が闊歩しそうな日本庭園もある。ここへ毎日帰宅することになるなんて信じられない。

 インターフォンを鳴らして出てきてくれたのは、女中さんといった風情の、実際にそうであることをすぐに知ったのだけど、八神(やがみ)さんという母より少し年下くらいの女性だった。

 玄関へ招き入れられ、廊下を進んで入った先は、驚くことに和の極地のようだった外観や廊下とはまるで違う、洋風のつくりだった。どこでもドアで別の場所に来たように感じて驚いたのだけど、そんなことよりも、それ以上に、いやそれどころじゃないくらいに、僕は飛び上がった。


「時間ちょうどだったわね。息子の優斗よ」

「ああ、ようやく会えたね。わたしが君の義父になる久我清利(きよとし)だ。……そこに座ってくれ」


 新しい義父は、背がすらりと高く、所作に品の良さが漂っている。中年を超えてもいまだ惚れ惚れとするほどの美貌を見ても、母の相手として、これまでで一番というのは言い過ぎではない。資産も立場も最高級の人物だろう。

 などとそれにも驚いたが、放心していたのは別の理由からだった。

 義父が促した席の隣に、久我がいたのである。

 僕のほうへ、まるでクラスメイトたちをまえにしているかのように、あの微笑を向けてくれている。

 久我という名字は珍しい。確かにもしかしたらと考えてはいた。だけどまさかのことだ。考えたとして、現実に起きることだなんて思えなかった。

 目の前の事実が飲み込めず、母が「どうしたの?」と不安そうに声をかけてくるまで、あんぐりと立ち尽くしてしまっていた。


「有名な代議士さんを前にして緊張しているみたいね」

「……緊張なんてする必要はない。今日から、いや一昨日からすでに君の義父なんだ。本当の家族だと思って接してもらえたら嬉しい」

「はい……よろしくお願いします」


 おずおずと、久我の隣に腰を下ろした。

 手は震え、声も震えていた。久我は微笑を浮かべたまま、案じるような目で僕のその所作を追ってくれていた、と思う。おそらくだ。こんな状況で久我に目を向けるなんて、できるはずがない。


「二人とも同じ学校だから、すでに互いを知っていたかな?」

「そうだね。優斗くんとは同じクラスで……一年のときもだから今年で二度目だね。優斗くんは図書委員の仕事を熱心にしてくれていたり、授業態度も真面目だし、みんなの手本になってくれている生徒だから、生徒会長としてとても助けられているんだ」


 久我が答えると、母は「そうなの?」と大げさに声をあげ、義父は頬を緩ませた。


「そうか、二度も同じクラスだったとは、奇縁だな。ただ、同じクラスに義兄弟ができるというのは気まずくならないか?」

「不思議な感じだけど、優斗くんなら全然。むしろ嬉しいくらいだよ」

「それを聞いて安心した。優斗くん、雅利は生徒会長だし、バスケ部での活動もあるから、勉強は後回しにしてしまうところがある。兄弟として支えてくれるとありがたい」


 優しげな目がこちらに向いた。僕は慌ててフォークを置いてナフキンで口元を拭いた。


「はい、僕でよければ、その……もちろんです。よろしくお願いします」


 僕が久我に教えられることなんてあるはずがないけど、と思いながら一応は社交辞令で答えると、隣からふっと笑い声がした。

 

「優斗くんは歴史や地理が得意らしいから、教えてもらえたら助かるな」


 まさに歴史と地理だけは得意だ。久我がなぜそれを知っているのだろう。偶然だろうか。

 

「歴史や地理が得意だなんて、世に出たとき役立つものばかりだな。理系だったわたしとは違う」

「僕も理数系だから、得意な優斗くんと義兄弟になれて嬉しいな」


 久我が僕を見ている。目を細め、嬉しげに口角をあげている。

 凛々しい眉の下にあるは二重で丸みの帯びた目、そして整った鼻筋、艶めいた健康的な肌、さらには形の良い唇。濃い茶の髪は、久我が動くたびにさらさらと揺れ、陽にあたるそれは星屑の尾を引いているかのように綺麗だ。

 そんな久我が義兄弟になるなんて、どう頑張っても信じられない。


「雅利くんのことは、なんて呼ぼうかしら。雅くんなんてどう?」

「はい。なんとでも……お義母様」

「あら、お義母様だなんて、お義母さんでいいわよ」


 それから、母と義父の馴れ初めに始まり、急な入籍と引っ越しの謝罪へと移り、お茶も二杯目を終えた頃、今度は昼食だと言ってダイニングルームのほうへ移動することになった。

 住み込みの料理人のつくったフレンチをいただくらしい。

 義父は気さくな人で、代議士という高い地位を感じさせないほど喋りやすい人だった。

 久我も僕に何度となく話しかけてきてくれて、義父と同様に和らげた態度で接してくれていた。

 同じ校舎に通って二年、同じクラスにもなったことがあるというのに、その間に関わった何百倍も目を合わせ、会話をした。

 存在を知覚されたくないなんて願いは、手が届かないところへ行ってしまった。


 二年もの間陰からずっと見つめ続け、彼の絵を描くことが唯一の生きがいだったのに、これからそんなことはできなくなる。

 義兄弟になってしまったからには、ちらと覗き見るだけでも人の目に触れ、噂になりかねない。

 これまで何度となく経験してきたことだというのに、今回ばかりは受け止めるには時間がかかりそうだった。

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